第九章 縄張りの使い方
場所を選ぶのに、灰尾はその日の残りを使った。
広ければいいわけではない。
人が少なければいいわけでもない。
追い込めて。
逃げ道が限られて。
それでいて、シェイプシフターに罠だと気づかれにくい場所。
灰尾が選んだのは、前に逃げられた場所とは別の、住宅街から少し外れた古い資材置き場だった。
背後には低い山。
片側は古い石垣。
反対側には使われなくなった倉庫が並んでいる。
奥へ進めば、かつて水路として使われていた細い窪地へ入る。
今は水もない。
途中に分岐も少ない。
人間なら行き止まりに見える。
猫なら壁や屋根へ逃げられる。
あれなら、さらに細い隙間へ逃げようとするだろう。
だから。
そこへ追う。
「ここか」
修司が辺りを見回した。
「ああ」
「人が来る可能性は?」
「昼はたまに工事の連中が来る。夜はほぼねえ」
「ほぼ、では困る」
「だからお前が塞ぐんだろ」
「そういう役か」
「人間は人間をどかせ」
「雑だな」
「適材適所だ」
千尋が笑う。
「気に入ってますね、その言葉」
「別に」
「前からそういう考え方だったんですか?」
「使えるもん使ってるだけだ」
「それを適材適所っていうんですよ」
「うるせえな」
タマモが少し離れた場所で石垣を見上げている。
一本の尾だけが、地面すれすれまで下がっていた。
「タマモ」
「なんじゃ」
「そこから向こうは?」
「抜けられぬようにはできる」
「壊されても?」
「壊される前提で作ればよかろう」
「できんのか」
「妾を誰だと思うておる」
「面倒な猫」
「お主、最近遠慮がなくなっておらぬか?」
「最初からだ」
「ふん」
尾が一度、地面を撫でる。
灰尾は水路跡へ降りた。
「ここ」
前脚で地面を叩く。
千尋が近づく。
「何があります?」
「何もねえ」
「はい?」
「何もねえからいい」
千尋が首を傾げる。
修司が少し考えた。
「見通しが利く」
「ああ」
「隠れ場所も少ない」
「そうだ」
「でも、逃げ道は多く見える」
「そういうことだ」
水路の左右。
石垣。
倉庫の隙間。
古い排水口。
屋根。
全部、逃げられそうに見える。
だが。
実際には全部、タマモが押さえる。
そこへ対象自身に逃げ込ませる。
「性格悪いですね」
千尋が言った。
「褒めんな」
「褒めてないです」
*
夜。
資材置き場へ入る二つの道は、修司が関係先へ話を通し、夜間点検の名目で閉じられていた。
入口には簡易柵と赤いコーン。
詳しい事情は知らせていない。
ただ、中へ人を入れないことだけは徹底させている。
「道路側は?」
「規制済みだ。人が来ても中へは入れない」
「ならいい」
先に見つけたのは千尋だった。
「いました」
式神越しの声が届く。
「山側。住宅地へ戻ろうとしています」
「位置は」
「旧道の脇。こちらからなら三分」
灰尾は走り出した。
「修司、外は」
「規制継続。人は入ってない」
「千尋、前に出すぎんな」
「分かってます」
シェイプシフターは、こちらに気づくとすぐ逃げた。
灰尾は追いすぎない。
右へ回る。
相手が左へ逃げる。
式神が前へ出る。
相手が山側を避ける。
修司の気配を感じたのか、住宅地側へ戻ろうとして止まる。
「そっちじゃねえ」
灰尾が低く言う。
逃げ道を一つずつ消していく。
直接捕まえない。
襲い掛からない。
ただ、安全そうに見える道だけを残す。
シェイプシフターが選んだ。
古い水路跡。
灰尾の口元が僅かに上がる。
「入った」
千尋の声。
「まだだ」
獣が奥へ走る。
石垣。
倉庫。
排水口。
逃げられる場所がいくつも見える。
十分に中へ入ったところで。
「タマモ」
「心得た」
一本の尾が、静かに地へ這う。
獣が最初に選んだのは石垣だった。
跳ぶ。
何もないところで弾かれる。
「ギッ」
「一つ」
タマモの声。
反対側。
倉庫の隙間。
影が塞ぐ。
「二つ」
排水口。
身体を細くしようとする。
奥から押し返される。
「三つじゃ」
シェイプシフターが止まった。
逃げ道がないと悟ったように、周囲を見回す。
「気づいたな」
「灰尾さん」
千尋の声。
「変わります」
肩が膨らむ。
背中が持ち上がる。
前脚が伸びる。
猫の輪郭が崩れていく。
「来るぞ!」
修司の声。
灰尾は身を低くした。
猫の姿が崩れていく。
逃げ道は、もうない。
灰尾には次が分かった。
戦う。




