第八章 変わらぬ一点
「灰尾」
タマモが声を掛けたのは、翌日の昼だった。
川沿いの遊歩道。
人の少ない時間を選んで、四人が集まっている。
遊歩道の両側は、今回も千尋の式神が見ていた。人が近づけば分かる。
前に顔を合わせた古いベンチを、今回も簡単な打ち合わせ台にしていた。
修司と千尋は、座面の端へ昨日までの記録と地図を広げている。
灰尾とタマモも、空いた側へ上がっていた。
灰尾は地図の上へ前脚を置いている。
「なんだ」
「この前の話じゃがな」
「どれだ」
「あやつを捕らえた時のことじゃ」
灰尾が顔を上げる。
修司と千尋もタマモを見る。
「あの時、妾の影で直接押さえた」
「ああ」
「あやつが形を変えるたび、中を巡る力も動いておった」
千尋が手帳を開く。
「妖力に近いものですか?」
「似てはおる。じゃが、同じものかどうかまでは分からぬ」
「身体の変形に合わせて?」
「うむ」
タマモは自分の前脚を見る。
「脚を伸ばせば、そちらへ多く流れる。身体を薄くすれば、また別へ移る。おそらくは、形を保つにも使っておるのであろうな」
「それが?」
灰尾が促す。
タマモは少し考えた。
「されど、一つだけ妙なところがある」
タマモの目が灰尾へ向く。
「どこへ移ろうと、そこだけは力の強さが変わらぬ」
灰尾は黙った。
千尋が聞く。
「同じ場所にあるわけではないんですか?」
「違う。場所は動く」
「でも、強さは同じ?」
「そうじゃ」
「何なんでしょう」
「知らぬ」
タマモはあっさり答えた。
「心臓のようなものかもしれぬ。力を巡らせる器官かもしれぬ。あるいはまったく違うものやもしれぬ」
「じゃあ、そこを壊せば死ぬ、とまでは」
「分からぬ」
「ですよね」
千尋が頷く。
灰尾は地図から前脚を退けた。
「それ、追えるか」
「妾ならばな」
「動いてても?」
「一度触れておる。次に間近で見れば、おそらく」
「俺は?」
「知らぬ」
「おい」
「お主も、妖力の濃い薄いくらいは分かるのであろう」
「これは妖力じゃねえんだろ」
「同じものとは言えぬ。じゃが、何を見るべきか分かっておれば、違いを拾えるやもしれぬ」
「曖昧だな」
「知らぬものを断言できるものか」
「だが」
灰尾はタマモを見る。
「動く場所に、変わらねえものがあるってことだな」
「うむ」
「なら、使える」
修司が灰尾を見る。
「なら、仕留め方はお前が組め」
「俺が?」
「こいつを一番長く追ってるのはお前だ。この街も、お前の方が知ってる」
「人間の現場だろ」
「人を逃がすか、退くかは俺が決める。どう仕留めるかは任せる」
灰尾は修司を見た。
簡単に口を出すつもりではないらしい。
任せるところを、任せると言っている。
「……分かった」
修司が短く頷く。
「どうする」
灰尾は少し考えた。
「次に会った時、逃がさねえ」
「それは前も同じだ」
「前は身体を捕まえた」
灰尾はタマモを見る。
「そうじゃったな」
「今度は違う」
修司が腕を組む。
「具体的には?」
「先に役割決める」
灰尾は千尋を見る。
「お前」
「はい」
「式神、何体までまともに見られる」
「まともに、の基準によります」
「全部の情報を拾える数だ」
「動きだけなら六。細かく見るなら三か四です」
「四でいい」
「分かりました」
「周りに散らせ。あいつの位置と、どこを伸ばしたか、どっちから来るか。それだけ見ろ」
「灰尾さんは?」
「俺は別のもんを見る」
次に修司。
「お前は守れ」
「誰を」
「全部だ」
「無茶言うな」
「全部をずっと守れとは言ってねえ。来る方向だけでいい」
「方向が分かれば、か」
「こいつが見る」
灰尾が二本の尾の片方で千尋を示す。
千尋が修司を見る。
「私が伝えます」
「なら、やれる」
修司は短く答えた。
「ただし、重いのを連続でもらえば長くは持たない」
「十分だ」
「随分簡単に言うな」
「長引かせなきゃいい」
「それを誰がやる」
灰尾は自分の胸を前脚で掻いた。
「俺だ」
修司が一瞬黙る。
「なるほど」
「なんだ」
「いや。そういう割り振りか」
「文句あるか」
「ない」
灰尾は最後にタマモを見る。
「お前」
「妾は好きにせよと言うたのは、お主であろう」
「気が変わった」
「ほう?」
「逃がすな」
タマモの目が僅かに細くなる。
「捕らえるのではなく?」
「そうだ」
「あれが身体を崩しても?」
「逃げ道ごと塞げ」
「いつまでじゃ」
「俺が仕留めるまででいい」
沈黙。
それから。
タマモが笑った。
タマモはベンチから、軽く地面へ降りた。
「よかろう」
一本の尾が、ゆっくりと地へ下りる。
毛先が舗装へ触れた。
「ならば妾は、あやつが逃げられぬようにしておこう」
灰尾は頷いた。
「それでいい」
千尋が四人を見回す。
「つまり」
指を一つずつ折る。
「私は見る」
「ああ」
「倉橋さんは守る」
「そうなるな」
「灰尾さんは攻撃」
「仕留める」
「タマモさんは」
「逃がさぬ」
タマモが答えた。
千尋は手帳へ短く書き込んだ。
目。
盾。
矛。
少し考えて。
最後に、
檻。
と書いた。
「何書いてんだ」
「役割です」
「見りゃ分かる」
「書いておいた方が整理できます」
「好きにしろ」
灰尾は川の向こうを見る。
タマモなら、前から勘定に入れていた。
あいつは任せても問題ないと、もう知っている。
だが、自分が見なくていい場所と、自分では守らない場所まで人間へ預ける前提で役目を分けるのは初めてだった。
修司と千尋がいなければ、自分で見て、自分で避けて、自分で刺す。
今は二人がいる。
なら。
見なくていい場所は任せる。
守らなくていいところも任せる。
その分、自分は刺すことだけに集中すればいい。
「灰尾さん」
千尋が呼ぶ。
「なんだ」
「私たち、本当にその役でいいんですか?」
「あ?」
「いえ。もっと別のやり方があるなら」
灰尾は千尋を見た。
「お前は見える」
「はい」
「こいつは守れる」
修司を見る。
「まあな」
「あいつは逃がさねえ」
タマモが鼻を鳴らす。
「当然じゃ」
「なら、それでいい」
「灰尾さんは?」
「俺が刺す」
千尋が少しだけ笑った。
「任せてくれるんですね」
灰尾の耳が動いた。
「仕事ができるって言ってるだけだ」
「それなら十分です」
タマモが横から口を挟んだ。
「ほれ。話が早いであろう」
「お前は黙ってろ」
修司が小さく笑った。
「お前も笑うな」
「悪い」
「全然悪いと思ってねえだろ」
「よく分かったな」
「チッ」
灰尾は立ち上がった。
二本の尾が、後ろで揺れる。
「次に見つけたら終わらせる」
笑いは止まった。
千尋が手帳を閉じる。
修司が地図を畳む。
タマモの尾だけは、一本がまだ静かに地へ触れている。
「場所は?」
修司が聞く。
灰尾は答えた。
「俺が選ぶ」
「理由は?」
「ここは俺の縄張りだ」
街を見る。
屋根。
路地。
水路。
壁。
空き地。
人が来ない時間。
抜け道。
逃げ込める場所。
逆に。
逃げられない場所。
「どこへ追えばいいかくらい、俺が一番知ってる」
今度は。
捕まえるためではない。
仕留めるために。




