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猫とボクと普通(?)の日々  作者: zaq2
第三部 灰色の猫
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第六章 化ける獣

 共同調査を始めた翌日、四人は灰尾が最後に匂いを拾った路地から追跡を始めた。

 正確には、人間が二人、猫が二匹。

 灰尾は地面へ鼻を寄せ、すぐに顔を上げた。


「こっちだ」

「もう分かるんですか?」


 後ろから千尋が聞く。


「匂いが残ってる」

「私には何も」

「お前が分かったら俺はいらねえだろ」

「それもそうですね」

「納得すんな」


 灰尾は細い路地を抜けた。

 三体の式神が、少し離れて屋根の上を進んでいる。

 千尋が最初に五体出そうとしたのを、灰尾が三体へ減らさせた。

 多ければいいというものではない。

 あれは見られていることに気づく。

 昨日まで追った限り、そう判断していた。

 式神の位置も、灰尾が指定した。

 一体は先。

 一体は右手の屋根。

 もう一体は少し高い位置から後方。

 修司は地図と周辺の道路を確認しながらついてくる。

 タマモだけが、いつも通りのような顔で歩いていた。


「お主、随分と手慣れておるのう」

「何がだ」

「人を使うのがじゃ」

「使えるなら使う」

「ほう」

「なんだよ」

「いや?」


 タマモの声が、わずかに楽しそうだった。


「気色悪ぃな」

「失礼な猫じゃ」


 灰尾は無視した。

 人間だから使わない理由はない。

 邪魔なら外す。

 使えるなら使う。

 それだけだ。

 匂いは住宅街を外れ、古い資材置き場の方へ続いていた。

 人の出入りが減った場所だ。

 舗装の割れ目から草が生え、使われなくなったフェンスの向こうには、積まれたコンクリート管が並んでいる。

 灰尾は止まった。


「いる」


 千尋もすぐに反応した。


「上の一体、何か見つけました」

「どこだ」

「奥。コンクリート管の裏です」


 修司が周囲を見た。


「一般人は?」

「今のところいません」

「道路側は俺が見る」

「結界はまだ張るなよ」


 灰尾が言う。

 修司が振り向いた。


「分かってる」

「ならいい」

「信用ないな」

「まだな」


 修司は苦笑しただけだった。

 灰尾はフェンスの隙間を抜ける。

 タマモが続く。

 千尋と修司は入口側から回った。

 土の上に、新しい足跡がある。

 昨日よりも形が変わっていた。

 灰尾は自分の前脚を見る。

 似ている。

 指の広がり方まで、前より近い。


「……趣味悪ぃ」


 前方で、小石が転がった。

 灰尾が顔を上げる。

 コンクリート管の上に、一匹の灰色の猫がいた。

 昨日より、さらに似ている。

 遠目なら自分だと思う。

 顔。

 肩。

 二本の尾。

 座り方まで。

 ただ。

 目だけが違った。

 似せた形の奥から、何か別のものがこちらを見ている。


「出てきやがったか」


 灰尾が一歩進む。

 灰色の獣は動かない。


「昨日の続きだ」


 言葉が通じるとは思っていない。

 それでも声を掛ける。


「今度は逃がさねえぞ」


 獣の耳が動いた。

 その視線が灰尾から外れる。

 タマモを見た。


「……ほう」


 タマモが小さく呟く。

 次に修司。

 千尋。

 そして、上空の式神。

 全部見ている。

 灰尾が低く言った。


「分かってやがるな」

「何がです?」

「囲まれてるってことだ」


 獣の背中が僅かに沈んだ。


「来るぞ」


 次の瞬間だった。

 前脚が伸びた。


「っ!」


 千尋が息を呑む。

 猫の前脚だったものが、一瞬で倍近い長さへ変わる。

 先端が細くなる。

 爪が伸びたのではない。

 脚そのものが、鞭のようにしなった。

 狙いは、もっとも近い灰尾。

 避ける。

 地面が裂けた。


「昨日の傷はこれか」


 修司が低く言う。


「普通の猫じゃ、ねえな」

「今さらだ」


 灰尾が横へ回る。

 獣も体を向ける。

 だが、その前へ三毛猫が出た。


「そこまでじゃ」


 タマモだった。

 伸びた前脚が、横薙ぎに振られる。

 タマモは避けなかった。

 影が立ち上がる。

 黒い壁へ脚が当たり、鈍い音を立てた。

 影は揺れもしない。


「元気がよいのは結構じゃが――」


 タマモの足元から、別の影が走る。


「少し、大人しくしておれ」


 影が四方から獣へ絡みついた。

 前脚。

 後ろ脚。

 胴。

 首元。

 猫型の身体を傷つけず押さえるよう、黒い帯が重なる。

 灰色の獣が暴れる。

 脚が太くなる。

 肩が盛り上がる。

 二本の尾が短く縮む。

 力を逃がすように体全体が変わっていく。

 それでも、影は外れない。


「捕まった……?」


 千尋が呟いた。


「近づくな」


 修司が止める。


「まだだ」


 灰尾も獣を見ていた。

 何かがおかしい。

 暴れ方が変わった。

 逃げようとしているのではない。

 力で引きちぎろうともしていない。

 動きを止めている。


「タマモ」

「分かっておる」


 タマモの声から、さっきまでの軽さが消えた。

 灰色の獣の輪郭が――沈んだ。


「……は?」


 千尋が声を漏らす。

 胴体が薄くなる。

 骨が折れたのではない。

 潰れたのでもない。

 最初からそこに骨などなかったかのように、形そのものが変わっていく。

 肩が消える。

 胸が細くなる。

 頭部さえ平たく伸びる。

 影が押さえていた脚の位置から、脚そのものがなくなった。


「形を――」


 修司が言い切る前に、獣は滑った。

 影と地面の、僅かな隙間。

 そこへ身体を薄く伸ばし、するりと抜ける。


「逃がすか!」


 灰尾が飛ぶ。

 前脚が届く。

 はずだった。

 獣の胴が、さらに細くなる。

 灰尾の爪は毛を数本切っただけだった。

 獣は積まれたコンクリート管の隙間へ入り込む。

 灰尾も追おうとする。


「待て!」


 修司の声。

 その直後、管の反対側から千尋の式神が飛び上がった。


「下です! 地面の排水管!」


 灰尾が回り込む。

 古い排水溝。

 人間の拳ほどしか開いていない。

 そこへ灰色の何かが滑り込んでいくのが見えた。

 タマモの影が伸びた時には、尾の先だけが消えるところだった。

 静かになった。

 千尋が排水溝を覗き込む。


「……これ、本当に入ったんですか?」

「入った」


 灰尾が答える。


「骨、どうなってんだよ」


 修司も膝をついた。


「管は途中で何本かに分かれてる。下手に追えないな」

「壊して追うか?」

「周りの埋設管まで巻き込む」

「だろうな」


 灰尾は舌打ちした。

 タマモだけが、排水口ではなく、自分の足元へ戻った影を見ていた。


「タマモさん?」


 千尋が呼ぶ。


「なんじゃ」

「何か分かりました?」

「……まだ分からぬ」


 タマモはしばらく、地面へ視線を落としたままだった。


「そうか」


 灰尾が言う。


「聞かぬのか?」

「分かんねえなら、聞いても仕方ねえだろ」

「……お主、時々妾より物分かりがよいのう」

「時々は余計だ」


 千尋が小さく笑った。


「笑うな」

「すみません」


     *


 その日の夕方。

 地方事務所へ戻った千尋は、端末の画面に表示された仮称を見た。

 それまで使われていた、

 灰色猫型個体

 という文字が消える。


「猫型のままだと、記録としてまずいですね」


 宮坂が言った。


「身体構造そのものが変わるなら、猫型という呼称に引っ張られる」


 修司が椅子へ背を預ける。


「正式な分類は?」

「できません。既存記録との照合もまだです」

「なら仮称でいい」


 千尋が少し考えた。


「形を変えるもの……」


 宮坂がキーボードへ手を置く。


「シェイプシフター、ですか」

「分かりやすいな」

「正式な種名みたいに扱わないなら、それで」


 修司が頷いた。

 宮坂が入力する。

 画面に、新しい文字が表示された。

 現場仮称:シェイプシフター。


「……シェイプシフター」


 千尋が読み上げた。


「名前が付くと、ちょっと分かった気になりますね」

「だから気をつけろ」


 修司が言う。


「名前が付いただけだ。何者かは、まだ何も分かってない」

「はい」


 千尋は画面を見る。

 猫に似ている。

 灰尾にも似ている。

 だが。

 あれは、そのどちらでもない。

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