第四章 あれは猫じゃねえ
きっかけは、たいしたものではなかった。
「近くだし、ちょっと見に行ってみるか」
大学帰りの男二人。
SNSで見かけた、変な灰色の猫。
珍しいものが見られればいい。
写真の一枚でも撮れればいい。
その程度だった。
夕方。
二人は住宅地の外れで、その灰色の獣を見つけた。
道の端。
人家が途切れかけたところに、じっと立っている。
「あれじゃね?」
「たぶん」
一人がスマートフォンを向けた。
もう一人が、先に近づいていく。
灰色の獣は一歩下がった。
「逃げるぞ」
「待って待って」
男がさらに距離を詰める。
撮影している方も、獣を画面に入れたまま横へ動いた。
灰色の獣の顔が動く。
前にいる男。
横でスマートフォンを構えている男。
その両方を見る。
そして、また一歩下がった。
「思ったよりでかいな」
「ていうか……」
近づいていた男が足を止めた。
距離が縮んで、ようやく細かいところまで見えた。
耳の付き方が、猫とは少し違う。
前脚を踏み直したとき、関節の曲がる位置にも違和感がある。
足先には、猫ならそうは見えない指の形があった。
獣が口を開く。
並んだ歯も、猫のものとは違っていた。
「……これ」
男の声が小さくなる。
「猫じゃなくね?」
灰色の獣が動いた。
一歩。
前へ出る。
前脚が横へ振られた。
一度だけ。
男の身体がよろける。
肩から腕にかけて、服が斜めに裂けた。
一拍遅れて、血がにじむ。
男がその場へ崩れた。
「おい!」
撮影していた男がスマートフォンを下ろし、友人へ駆け寄る。
その瞬間。
二人の間が空いた。
灰色の獣はそこを抜けた。
倒れた男には近づかない。
もう一人にも向かわない。
そのまま道の向こうへ走り、姿を消した。
*
灰尾が話を聞いたのは、その少し後だった。
現場から少し離れた塀の上。
救急車の赤い光が、住宅の壁を明るくしたり暗くしたりしている。
警察も来ていた。
人間が何人も集まっている。
灰尾は、近くで一部始終を見ていた鳥の妖を呼び止めた。
「見てたか」
「見てた」
「人間の方から近づいたな?」
「うん」
「向こうから飛び掛かったんじゃねえな」
「うん。一回だけ。すぐ逃げた」
「そうか」
鳥の妖が首を傾げる。
「じゃあ、人間の方が悪いの?」
「そんな話してねえよ」
「でも」
「向こうから狩りに来たわけじゃねえ。それだけだ」
灰尾は救急車の赤い光へ目を向けた。
近づかれて、一度だけ手を出した。
それから逃げた。
少なくとも、人間を襲うために待っていたわけではない。
だが。
人間が怪我をした。
警察も動いた。
撮っていた人間もいる。
映像だって残っているだろう。
もう、妖だけで勝手に片付けていい話ではない。
「だから放っといていい、にはならねえ」
灰尾は現場に背を向けた。
*
タマモは、いつもの家の塀の上にいた。
「タマモ」
「なんじゃ」
「ちょっと手ぇ貸せ」
三毛の耳が、わずかに動いた。
「ほう?」
「何だよ」
「お主一匹では手に余った、と?」
「俺だけでやれねえとは言ってねえ」
「では?」
「お前がいた方が早え」
遠くで、まだ救急車の音がしていた。
灰尾はそちらへ耳を向ける。
「人がやられた」
タマモの顔から、からかいの色が消えた。
「こっちだけの話じゃなくなった」




