第三章 灰色の影
「さっき頼んだ件なんだけど」
「……何の話だ」
灰尾は足を止めた。
声を掛けてきた小妖が、逆に固まる。
「え」
「何を頼んだ」
「裏の水路。変な音するから見てって」
「聞いてねえ」
「でも」
「誰に言った」
「灰尾に」
「俺はお前に今日会ってねえ」
小妖の顔から色が引いた。
「……じゃあ、あれ誰?」
「それを今調べてんだよ」
灰尾は水路へ向かった。
そこに異常はなかった。
ただ、縁に灰色の毛が一本残っていた。
鼻を寄せる。
前より近い。
自分の匂いに。
だが決定的に違う。
灰尾には、この土地で長く暮らした匂いがある。
土。
屋根。
雨。
草。
他の猫。
妖。
人間の町。
そういうものが積み重なっている。
これは違う。
形だけ。
表面だけ。
似せている。
「……俺じゃねえ」
*
そのころには、人間の側でも少しずつ噂が出始めていた。
夕方。
公園のベンチで、若い男二人がスマートフォンを覗き込んでいる。
「なんか灰色の変な猫いるって」
「これ?」
「そう」
「でかくね?」
「新しいUMAでは」
「いや猫だろ」
「尻尾変じゃね?」
灰尾は植え込みの向こうから聞いていた。
「……馬鹿が」
写真は暗い。
ぶれている。
まともに見れば、ただの灰色の猫だ。
だが。
人間が面白半分に探し始めれば面倒になる。
一人二人なら避ければいい。
数が増えれば、そうもいかない。
夜。
灰尾はようやく相手を見つけた。
住宅の屋根。
月明かりの下。
こちらを向いている。
前より似ていた。
背の高さ。
肩の位置。
顔の輪郭。
そして。
尾が二本ある。
前に直接見た時は、一本だった。
灰尾は自分の二本の尾、その片方だけを一度振った。
向こうも。
二本のうち、片方だけを。
少し遅れて。
同じように動く。
灰尾は今度は耳だけを後ろへ向けた。
向こうも動かす。
前脚を舐めるふりをする。
灰色の影は一拍遅れて顔を伏せた。
舐めてはいない。
動きだけをなぞっている。
「俺の真似か」
返事はない。
「俺の縄張りで、俺の面ぁ使うなら――面倒は起こすなよ」
通じている様子はなかった。
灰色の影は身を翻し、屋根の向こうへ消える。
灰尾は追わなかった。
あれは自分を見ている。
見て。
覚えて。
似せている。
姿だけではない。
歩き方まで。
ただ。
灰尾がどこを歩くかまでは知らない。
誰と話すかも。
小妖に何を頼まれて、何なら放っておいてよくて、何なら自分が動くのかも知らない。
何を面倒だと言って、それでも結局動くかも。
見たものは真似できる。
だが、見えていないものまでは真似できない。
姿は似てきた。
だが、あれは俺じゃねえ。




