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猫とボクと普通(?)の日々  作者: zaq2
第二部 届くコトバ
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第七章 届ける相手

 誰に。

 幸徳井千尋は、手の中の紙の鳥を見た。

 薄く、軽い。

 普段なら、指先から離せば勝手に行く。今は、その行き先を決めるだけで妙に時間がかかった。


「幸徳井」

「分かってます」


 倉橋修司の声が飛ぶ。

 急かしているわけではない。

 時間がないだけだ。


 千尋は紙の鳥へ目を落とす。

 本来なら、まず当直へ送る。調査地点、異常発生、救援要請。それが一番正しい。


 ――でも。


 千尋は結界の外を見た。

 景色が薄い。沢の音はもうほとんどしない。修司の結界は、さっきより狭い。


「当直には、予定、出してますよね」

「ああ」

「戻らなかったら」

「確認は来る」


 予定終了を越え、終了報告がなければ機関は動く。それは分かっている。


 だが応援は、車でここまで来て、管理柵を越え、沢沿いを歩き、階段を下りなければならない。

 そのうえ、今の自分たちがいる場所へ入れるかどうかも分からない。


 千尋は唇を噛んだ。


「間に合わない」


 修司は答えなかった。

 否定もしなかった。


     *


 頭に浮かんだのは、下流の水路で聞き取りを終えた帰りに見た三毛猫だった。


『帰り、送りますよ』

『構わぬ』


 そう言って、足元の影へ沈んだ。

 音もなく。車も道も使わず。


『では、またの』


 消えた。


 千尋は職員証を握り直した。

 登録の後、通常の呼び出しと式神を一度ずつ試した。どちらも届き、返事も来た。


 同じ市内にいて、連絡を届ける手段もある。

 そして届きさえすれば、あの人はここまで来るのに道を使わない。


「先輩」

「何だ」

「タマモさんに送ります」


 修司がこちらを見る。


「理由は」

「間に合う可能性が一番高い」


 千尋は答えた。


「機関の応援は必要です。でも、今すぐここへ来られるかは分からない。タマモさんなら、届けば少なくとも車でここまで来る時間はいらない」


 一拍置いて、修司がうなずいた。


「送れ」

「はい」


 それだけだった。


     *


 千尋は職員証を引き出した。

 タマモの登録証と結んだ「結び」を、緊急指定へ切り替える。

 指先で短い術を通したが、受信確認は返らない。

 予想どおりだった。

 今いる場所から、カードだけでは外へ届かない。

 ならば、この結びを宛先として式神へ載せる。

 外へ抜けたところで、タマモへ届けばいい。


 紙の鳥へ、短い伝言を重ねる。

 長い文は要らない。そもそも、今の頭で長く組める気がしない。


 場所。二人。隔離。救援。

 必要なものだけ。


『旧取水施設跡。倉橋・幸徳井。隔離進行。救援を求む』


 千尋は一度読み返した。

 主語も。

 挨拶も。

 理由もない。

 それでいい。


 職員証に残るタマモとの結びを、式神の行き先へ重ねる。

 普段なら、こんな使い方をする必要はない。

 カード同士で呼べる。

 だが今日は、内側では返りがない。

 外へ出た瞬間に、緊急の呼び出しと伝言の両方が届くように組む。


「できそうか」

「やります」


 千尋は答えた。


 式神を掌へ乗せる。

 小さな紙の鳥。

 白い。

 頼りない。

 それでも。

 これまで何度も使ってきた。


「先輩」

「何だ」

「ちょっと、狭くないですか」

「狭いな」

「通ります?」

「通せ」


 千尋は笑いそうになった。

 こんな時でも。

 先輩は先輩だった。


「了解」


     *


 修司が残している細い接点へ。

 紙の鳥を近づける。


 空気が。

 重い。


 式神の先が。

 一度、押し戻される。


「っ」


 千尋は指を添えた。

 強く押すのではない。

 形を崩さない。

 通る向きを合わせる。


 紙の嘴。

 頭。

 翼。


 少しずつ。

 光の線の向こうへ入る。


「そのまま」

「はい」


 修司の声。

 低い。

 苦しそうだ。


 千尋は見なかった。

 見ると。

 手が止まりそうだった。


 式神の半分が。

 向こうへ出る。


 その瞬間。

 紙の鳥が。

 ふっと。

 軽くなった。


「抜けた」


 沢の音が。

 一瞬だけ。

 戻った気がした。


 鳥が。

 飛ぶ。


 暗い施設跡の向こうへ。

 見えなくなる。


 千尋は息を吐いた。


「届いた?」

「分からん」

「ですよね」


 受信確認はない。

 こちら側から。

 確かめる方法はない。


 ただ。

 外へ出た。

 それだけは分かった。


     *


「もう一体」

「待て」


 千尋が次の紙へ手を伸ばしたのを。

 修司が止めた。


「今の間にも狭まった」

「でも」

「二通目を作る時間で、こっちが切れたら意味がない」


 千尋は接点を見る。

 さっきまで。

 紙の鳥一体が通れた。

 今は。

 光の線が。

 糸みたいに細い。


「記録」

「はい」


 千尋は端末へ手を伸ばした。

 反応しない。

 なら。

 手帳。

 紙。

 書けるもの。


 時刻。

 観測。

 術の反応。

 退路の変質。

 結界。

 式神送信。


 字が。

 少し曲がる。


「……眠い」

「寝るな」

「分かってます」


 眠い。

 というのとも違う。


 考える。

 それ自体が。

 面倒になってくる。


 目を閉じた方が。

 楽だ。


「幸徳井」

「はい」


 修司の声がする。

 近い。

 でも。

 遠い。


「返事しろ」

「してますよ」


 したつもりだった。

 声が出たかは。

 分からない。


 手帳から。

 ペンが落ちる。


 拾おうとして。

 指が動かない。


 結界の光が。

 まだある。


 細い。

 でも。

 消えていない。


 千尋は。

 さっき飛んでいった。

 小さな紙の鳥を思った。


 届いて。


 タマモさん。


 どうか。


 そこまで考えて。

 何を頼みたかったのか。

 一瞬。

 分からなくなった。


 暗くなる。


 最後まで残ったのは。

 紙の鳥が。

 外へ抜けた感触だけだった。

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