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猫とボクと普通(?)の日々  作者: zaq2
第二部 届くコトバ
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第六章 外とのつながり

 沢の音が、ほとんど聞こえなくなった。

 倉橋修司は、結界の縁から目を離さなかった。

 外側に見えている景色は、まだ旧取水施設跡のままだ。崩れた壁も、階段も、濡れたコンクリートも見えている。

 だが、どれも距離が合わない。

 見えている景色と、自分たちの立つ場所が、もう地続きではなくなりつつある。


「端末は?」

「反応なしです」


 幸徳井千尋が答える。

 携帯端末だけではない。機関の通信も位置確認も、外側からの返答がない。


「圏外、って感じじゃないです」

「だろうな」


 修司は短く答えた。

 電波が届かないだけなら、まだ分かる。

 今は、外に向けて投げたはずのものが、外へ届いた感触そのものを返してこない。


「連絡、試します?」

「まだいい」


 千尋が職員証へ手をかけるのを止める。


「先に、外へ通る場所を探す」

「……はい」


 結界は残っている。それが何より重要だった。

 修司は、自分たちの周りへ張った線を見る。最初は数メートルあった範囲が、今は少し狭い。


「押されてます?」

「ああ」


 外から何かが殴っているわけではない。術を削る攻撃が飛んでくるわけでもない。

 ただ、こちら側である範囲が少しずつ減っている。


「嫌なやり方ですね」

「同感だ」


 修司は指先を動かす。

 結界の一部を厚くする。

 別の一部を薄くする。

 全部を守ろうとすれば、先に力が尽きる。


「先輩」

「何だ」

「これ、吸われてるんですかね」

「力が?」

「はい」


 修司は少し考えた。

 力そのものが抜けている感覚ではない。

 まだ術は使える。

 だが、新しく組もうとした時、順序が一瞬だけ頭から抜ける。


「違う」


 修司は答えた。


「抜かれてる感じじゃない」

「え?」

「術を組む順序が、頭から抜ける。身体も遅い。……使う側を鈍らせてる」


 自分で言って、それが一番近い気がした。

 指を動かし、術式を思い出す。その当たり前の動作が、少しずつ重くなる。

 身体も。

 考えることも。

 外へ向ける意識も。


「……それ、まずくないです?」

「まずいな」


 千尋が乾いた笑いを一つ漏らした。

 すぐに消えた。


「どれくらい持ちます」

「聞くな」

「聞きますよ」

「分からん」


 嘘はつかなかった。

 千尋も、それ以上は聞かなかった。


     *


 修司は結界の形を変えた。

 円ではなく、少し歪んだ楕円。千尋の側を広く、自分の背後を狭くして、外へ触れている部分を一か所だけ残す。


「先輩、それ」

「触るな」


 千尋の足元近く。

 光の線が、ごく細く外へ伸びている。

 先ほどまでは沢の方角だった。

 今は方角そのものに意味があるのかも怪しい。

 それでも。

 その先だけ。

 何かが違う。


「音がします」

「何の」

「水」


 千尋が目を閉じる。


「沢の音。すごく小さいですけど」


 修司も耳を澄ます。

 聞こえた。

 一瞬だけ。

 水が石へ当たる音。


「ここだ」


 修司は結界を固定した。

 余計な線を削る。

 守る場所を減らす。

 その一点だけを残す。


「人は無理だな」

「ですよね」


 隙間とも呼べず、穴でもない。身体を通せる幅などない。

 ただ、現世とのつながりだけが、切れ切らずに残っている。


「でも」

「何です?」

「お前の紙なら通るかもしれん」


 千尋が顔を上げた。


「式神」

「はい」

「薄いやつ。連絡用」

「作れます」

「一体でいい」


 修司は息を吐いた。喉が渇いている。

 こんな時に、どうでもいい感覚だけが妙に鮮明だった。


「誰に送ります?」

「一番早く来られる相手を選べ」


 千尋が少し黙る。


「機関じゃなくても?」

「今は肩書きより時間だ」


 修司は答えた。


「考えろ。誰なら、間に合う」


 千尋の目が細くなる。

 修司はそれ以上言わなかった。

 判断まで奪う気はない。


     *


 結界の外側で。

 壁の一部が消えた。

 壊れたのではない。

 見えなくなった。

 代わりに、暗い何かがある。

 奥行きが分からない。


「先輩」

「見なくていい」


 修司は声を強めた。


「紙を作れ」

「はい」


 千尋が懐から細い紙を取り出す。

 指が動く。

 折る。

 重ねる。

 いつもなら迷わない作業だ。

 今日は、一度。

 手が止まった。


「幸徳井」

「大丈夫です」


 すぐに続ける。

 小さな鳥の形。

 修司は外との接点を押さえ続ける。

 頭の奥が鈍い。

 結界を一枚足そうとして。

 何を足すつもりだったか、一瞬分からなくなった。


「……くそ」


 声に出た。

 千尋がこちらを見る。


「先輩」

「こっちはいい」


 よくない。

 だが。

 今はそれでいい。


「まだ外へ通る」


 修司は、細い接点を示した。


「今のうちに援軍を呼べ」


 千尋が紙の鳥を握る。

 修司はもう一度だけ言った。


「外へ出せ。今ならまだ通る」

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