第十二章 この街の顔役
帰ったとき、台所の明かりはついていた。
妾は猫用の扉を抜け、その場で一度、足を止めた。
外の土と、古い建物の埃が、足先に残っている。
扉のそばに置いてある布で四つの足を拭ってから、人の姿へ戻る。
洗面所で手を洗っていると、主様が台所から顔を出された。
「おかえり」
「ただいま戻りました」
「ご飯、温めるね」
それだけ言って、主様は台所へ戻られた。
妾は鏡を見た。
髪を確かめ、手首の革を指で撫でる。
葉の飾りは、いつもと変わらずそこにある。
食卓には、ラップのかかった皿が二枚並んでいた。
主様は一枚を取り、温め直したものを妾の前へ置いてくださる。
「まだ、お召し上がりではなかったのでございますか」
「少しつまんだから、大丈夫」
「先にお食べいただいて、よろしかったのに」
「うん。でも、そろそろかなと思って」
妾は椅子へ座った。
主様は、自分の皿も運んでこられた。
箸を置き、こちらへ顔を向ける。
「見つかった子は、大丈夫だった?」
「無事に外へ出せました。ほかにも閉じ込められていた者がおりまして、そちらも」
主様は眉を寄せられた。
「閉じ込められてたんだ」
「住むところを貸すと言われて、帰れぬようにされておりました」
「それは、困るね。今は、休めるところにいる?」
「はい。手当てをする者と、知った顔がそばにおります」
主様はうなずき、湯呑みを妾の手元へ寄せた。
「じゃあ、タマモも休もう」
妾は湯呑みを両手で持った。
温かい。
お話ししていないことは、まだ多い。
けれど、今尋ねられたことには、そのまま答えられた。
主様は、湯気の上がる皿へ箸を伸ばされた。
妾も、それに倣った。
*
翌日には、保護された者たちの行き先を確かめることになった。
軒貸しの建物へ、すぐ戻すわけにはゆかぬ。
中には管理のための札が置かれ、人間側の担当者が交代で詰めている。
妾は猫の姿で、庭の外側から調査員たちの話を聞いた。
「確認できた中の者は、全員出ています。依り代だけ残っていないかも、改めて見ました」
男の調査員が、記録を示した。
灰尾も横からのぞき込み、知っている姿を確かめる。
返事のなかった盃には、薄い顔が戻り始めていた。
小羽はまだ遠くへ飛べず、箱の縁に止まっている。
「接続の方は、どうじゃ」
「広がりは止まっています。ここから集めて送っていた経路も、使えない状態にしました。ただ、接続自体は残っています」
「見ておるだけにはせぬのであろうな」
「ええ。押さえるための設備と担当を置きます」
男は庭の一角を示した。
仮に置かれた札の外で、別の者が位置を測っていた。
軒貸しは、すでに別の場所へ移されていた。
拘束が維持されていることと、取引についての確認を続けていることを聞いた。
ここから先まで、妾が見張り続けることはない。
ただし、この場所が再び使われるなら、知らせてもらう。
その話をしてから、妾は小羽の箱へ近づいた。
「さて。どこで休むか、決めようか」
*
小羽は、前にいた物置へ戻ることになった。
先住の木の実は、妾と灰尾を見るなり、小さな手を振った。
「あの草、残してあるよ」
小羽が灰尾の背から顔を出す。
「また、いていい?」
「いいよ。ただ、雨の夜は奥へ詰めてね。端っこ、少し濡れるから」
小羽は、屋根の下を見上げた。
今度は、入口がどこにあるかを、しばらく確かめていた。
「ここから、出てもいいんだよね」
木の実が、首を傾げるように身体を倒した。
「出られないと、困るでしょ」
小羽は、小さくうなずいた。
妾はそれ以上、口を挟まなかった。
灰尾が背を低くし、小羽を屋根の縁へ移すのを見ていた。
ほかの者の行き先も、一つずつ決まっていった。
元の場所へ戻る者。
水の翁の知る相手へ、しばらく身を寄せる者。
依り代が傷んでいて、当面は保護の場所に留まる者。
空いているだけでは、決めなかった。
先に棲んでいる者へ聞き、戻る者にも確かめる。
「お前のところで、まとめて面倒を見りゃ早いんじゃねえのか」
途中で、そう言い出す者もいた。
「妾の家は、主様と暮らす家じゃ」
妾は即座に答えた。
「それに、ここにいたいと申す者を、わざわざ移すこともあるまい」
灰尾は、返事を待たずに次の場所へ歩き出した。
すでに先住者へ話を通してあるらしい。
なかなか、よく働く。
*
連休の終わりに、調査員の二人と改めて会った。
場所は、最初に話した細い道の奥である。
妾は人目のない所で大人の女の姿になり、現代の服を整えてから二人の前へ出た。
男は驚かず、女も、今度は手首を確かめるだけであった。
「ここ最近の報告が減っていた件ですが」
女が記録を開いた。
「水路のように、実際に問題が収まっていた場所がありました。一方で、今回保護した者の以前の居場所と、目撃が途絶えた場所が重なっています」
妾は、紙に記された橋の印を見た。
「そこにおった者が、出てこられなくなっておったのじゃな」
「はい。全部ではありませんが、減っていた理由の一部は、それで説明できます」
あのとき、妾は自分の収めた話を答えた。
それで嘘にはならぬ。
しかし、妾の知らぬ場所では、相談に来ることさえできぬ者がいた。
「四月からおらぬ者がいると分かったのも、後からであった」
妾は言った。
「妾に話が来ぬからとて、何もないとは限らぬか」
男はうなずいた。
「こちらも同じです。変わったことがあれば、また情報をいただけますか」
「協力も、吝かではない。とくに、あのようなものが関わるならばな」
男は、連絡先を書いた紙を差し出した。
「先日の壁の近くに、管理の担当が残ります。直接伝える場合は、そちらでも受けます」
「こちらから知らせたければ、そこへ行けばよいのじゃな」
「ええ。あなたへ確認したい場合は、これまでの待ち合わせを使います。変更が必要なら、そのときに相談します」
家へ押しかけぬという話も、変わっていなかった。
妾は紙を受け取り、折って服のポケットへ収めた。
男が、少し間を置いた。
「タマモさん。あなた自身については、まだ分からないことが多い」
「そうであろうな」
「ただ、今回していただいたことは、記録に残します」
妾は男を見た。
名の話を、また始めるつもりではないらしい。
「何のために、あれほどまで」
妾は、帰り道の方へ顔を向けた。
「主様と、静かに暮らしたいのでな」
男も女も、すぐには言葉を返さなかった。
そこは、初めから変わっておらぬのである。
*
連休が明けると、主様はいつもどおり、お勤めへ出かけられた。
妾は三毛猫の姿で玄関までお送りし、頭を撫でていただいた。
カブの音が遠ざかる。
家のことを済ませ、昼を少し過ぎてから裏へ出た。
塀の上には、灰尾が座っている。
「今日は、三つだ」
「何がじゃ」
「相談。二つは明日でもいいって言ってある」
妾は、尾を足の脇へ寄せた。
「よくなったものじゃな、お主も」
「俺が、ここで待つ時間を減らしてえだけだ」
灰尾は、そっぽを向いた。
急ぎだという一件は、物置の裏を通る際の音の話であった。
夜に休みたい者と、夜にしか動かぬ者とで、折り合いをつける。
いつものことである。
話を聞いているうちに、日が傾いてきた。
妾が家の方へ目を向けると、灰尾が先に腰を上げた。
「続きは、まず決めた道を通ってみてからだな。今日は終わりだ」
相談に来た者たちが、うなずく。
妾へ道を空け、また明日と言った。
「主様がお帰りになるのでな」
妾はそう告げてから、小さな扉へ向かった。
今宵の食事は、何にしよう。
主様は、昨日の煮物を気に入っておられた。
家へ戻ると、妾は人の姿になり、袖をまくった。




