↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
猫とボクと普通(?)の日々  作者: zaq2
第一部:タマモ
PR
11/52

第十章 妾に話を持ってこい

 窓の内側は、物置のような部屋であった。

 畳はところどころ剝がれ、棚には空の箱が積まれている。

 けれど、床の上には埃の薄い筋がいくつも残っていた。

 小さな跡が、同じところを何度も往復している。

 奥へ向かった筋は途中で乱れ、引き返すような跡が重なっていた。

 妾は三毛猫のまま、その先へ進んだ。


 壁を通る細い管から、浅い受け皿へ水が落ち続けていた。

 溢れた分は床の溝へ入り、外へ流れている。

 水路の翁が言っていた、途切れぬ流れは、これであろうか。


 受け皿の縁に巻きついた黒い紐が、妾の前足へ絡みつこうと伸びてきた。

 妾は踏んで止める。

 紐の先には、水に浸かった石が一つつながれていた。

 表面の窪みに、顔が埋まるように浮いている。


「これを、外すぞ」


 妾が言うと、浮かんでいた顔の目が細く開いた。

 石を縛っているのは、こちら側で組まれた術である。

 紐の形をした力を石からほどき、その端を床へ留めた。


 先を辿れば、壁の中へ入っている。

 取り込んだものを、どこかへ送るための道らしかった。

 妾は石を背後へ浮かせた。


「窓の方へ。そこに、待っておる者がいる」


 窓から入った灰尾が、石を見た。


「そいつ、二つ上の橋にいた奴だ」


 灰尾が名を呼び、顔を近づける。

 石の表面に、小さな波が走った。

 妾は力を緩め、灰尾のそばへ下ろした。

 灰尾は調査員の男を呼び、持ち出す向きと、普段の居場所を伝えていた。


 その間に、妾は次の部屋へ進む。

 廊下の突き当たりには、人間が取りつけた木戸があった。

 その手前に、もう一枚、力で編んだ戸が重なっている。

 力で編んだ戸の表には、あの屋根の印。

 その奥の木戸は、わずかに開いていた。

 妾が近づくと、その向こうから声がした。


「どなたかな」


 柔らかな男の声であった。

 妾は足を止めず、力で編まれた戸を脇へ押しやった。

 木戸の隙間を通り、広い部屋へ入る。


 中央に、一人立っていた。

 古い羽織に似たものを重ね、長い袖から、節の目立つ指を出している。

 顔も手も木肌のように乾き、爪には黒い塗りがあった。

 その頭上に、太い梁が通っている。

 梁には幾枚もの札が打ちつけられ、そこへ、あちこちの部屋から黒い筋が集まっていた。


「ここは、私の家でね。紹介がなければ――」

「軒貸しか」


 妾が問うと、男は動きを止めた。


「そう呼ばれている」


 すぐそばの戸棚で、羽が擦れた。

 妾は声の主から目を離さず、耳だけを向けた。


「小羽」


 音が止まり、それから、小さな声が返った。


「……タマモ、さん?」


 戸棚の隙間に、小さな目があった。

 その目の前を、黒い筋が横切っている。


「迎えに来た。少し待て」


 妾は戸棚へ力を伸ばし、小羽の周りを先に包んだ。

 同じ棚に押し込められている気配も、一つずつ守りの内側へ入れる。

 軒貸しが指を動かした。

 棚の奥へ引こうとした筋を、妾は途中で押さえた。


「触るでない」


 指が止まった。

 木肌の顔から、笑みが薄れる。


 妾はそこで、姿を変えた。

 大人の女の身体に、猫の耳と尾。

 髪を結い、袖の長い着物をまとい、帯を整える。

 革の輪は手首へ収めた。

 戸棚を守る力は、そのままにしてある。


「妾はタマモ。この者の話を聞いておった者じゃ」


 軒貸しは、妾の姿を下から見上げた。

 それから、首を少し傾ける。


「ああ。近頃の、相談役というのは」

「帰りたがっておる。出してもらおう」

「この子たちは、自分から来たのだよ」


 軒貸しは両袖を広げた。


「雨風をしのげる場所が欲しい。人間に追われぬ所へ行きたい。そう頼まれたから、迎え入れた」

「帰るのも、自分で決められるのであろうな」


 返答は、少し遅れた。


「使った分の対価は、いただかねばならない」


 戸棚の奥で、小羽が身を縮めた。


「少し休んでいけばいいって、言った」


 軒貸しの目が、棚へ動く。

 妾はその間へ立った。


「最初に、何を取ると話した」

「居場所を用意するのにも、力が要る。分からないあなたではあるまい」


 梁へ集まる筋が、一本、太くなった。

 別の部屋で、戸を叩く音がした。

 軒貸しは、そちらを見もしなかった。


「以前より、ずっと広く使える。私を頼る者も増える。そのために、少しずつ出してもらっているだけだ」

「何を出させておる」


 軒貸しの口元が、歪んだ。


「人間のそばで暮らしていれば、どうせ怖い思いはする。ここなら、その分、役に立てる」


 妾は梁を見た。

 札の裏側で、空間が細く揺れている。

 幅は小さい。川向こうで見たものより、なお小さい。

 そこへ入った筋は、妾の知る気配のままでは辿れなかった。


「あれへ、渡しておるのか」


 軒貸しは、今度は笑った。


「その代わり、咒を教わった。使う力もね。見てのとおりだ」


 軒貸しは、梁から庭のある方角へ指を巡らせた。


「教わった印を納めれば、使える場所が増える。ここだけではない。町にも、いくつも置いてきた」


 妾は、蔵の札を思い出した。

 あの揺れも、こことつながっていたのか。


「それを動かすために、帰らせぬと?」

「外で拾える分だけでは、足りなくなった。この辺りも、妙に静かになってしまったからね」


 軒貸しは、棚の方へ目を向けた。


「ここなら、必要なだけ集められる」


 軒貸しの長い袖が持ち上がった。

 廊下の両側で、戸が一斉に鳴る。


 雨風をしのぐ場所として迎え入れた者たちを、外へ帰さぬための力が、幾重にも張られていた。


「あなたにも、部屋を貸せる。いや、その力があるなら、一緒に広げてもよい」

「要らぬ」

「近所の話を一つずつ聞くより、楽になるだろう。ここで暮らしたければ従えと、それで済む」


 妾は戸棚へ手を伸ばした。

 黒い筋を、妖に触れているところから順に外す。

 小羽が震えた。

 妾の袖を見る。


「タマモさん、帰っていい?」

「よい」


 妾は手を低く差し出した。


「ここから出たい者は、妾に話を持ってこい」


 小羽が、ためらいながら戸棚の縁へ出てきた。


 その足が妾の指へ届く寸前、床下で何かが割れた。

 軒貸しの袖の内側が、黒く膨らんでいる。

 床板の隙間から、濁ったものが噴き上がった。

 妾は小羽を手の内へ包み、戸棚の中にいる者たちにも守りを重ねた。

 同時に、軒貸しの足元の影を地へ縫い留める。

 踏み出しかけた軒貸しの身体が、その場で止まった。

 濁りだけが、部屋へ広がろうとした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。