第九章 協力も、吝かではない
灰尾が戻ったときには、盃のほかに、二つの気配を窓の外へ出せていた。
一つは、丸めた布の切れ端に宿るもの。
もう一つは、細い脚で歩く、葉に似た妖であった。
どちらも遠くへは動けぬ。
妾が作った守りの中で、互いへ身を寄せている。
灰尾の後ろから、あの二人が来た。
男は建物を見上げ、女は道から庭へ入る手前で立ち止まる。
「あなたが言っていたのは、ここですか」
「そうじゃ。窓を塞いでいた術を開けたら、この者たちが出てきた」
男の目が、妾の足元へ落ちた。
「中には、まだ?」
「おる。近いところから出しておるが、奥の者は、こちらへ動けぬらしい」
妾は窓の内側を示した。
男はその前で片膝をつき、触れずに力の流れを確かめる。
「窓を塞いでいるのは、こちら側の術ですね」
「妾が開けたところへ、また張ろうとしておる」
男が、閉じかけては押し戻される境を見た。
妾の前足が置かれた位置も、確かめる。
「今、止めているのはあなたですか」
「そうじゃ」
男は一度、息を吐いた。
「この建物の内側は、観測できていませんでした。隠されていたようです」
女の手元から、二羽の紙の鳥が飛んだ。
一羽は来た道へ戻り、もう一羽は塀に沿って低く進む。
「外周の確認と、管理担当への連絡を入れました。救護も手配します」
手を止めずに、女は言った。
妾は、蔵で見た木札と、ここへ来るまでに聞いた話を伝えた。
小羽は昨日の朝まで元の場所にいたこと。
四月から姿を見せぬ者もいること。
人間が追い払うという噂が、住処を移る理由になっていること。
「お主らのところで、連れていった者はおるか」
「今回の避難措置では、人にも妖にも、そのような収容はしていません。ほかの記録も照会します」
男は、女へ確認する項目を伝えた。
女は聞き取った項目を、次の紙片へ短く書きつける。
否定の言葉だけを信じろとは言わぬところは、よい。
妾は窓へ目を戻した。
板の向こうで、小さな影が動いた。けれど、窓までは来られず、同じ場所へ引き戻される。
「まず、出すぞ」
「こちらで、外の受け入れ場所を作ります」
男は庭の一角へ移り、四方へ小さな札を置いた。
妾が保護した者たちを囲うように、薄い境が立ち上がる。
「中からの影響を避けるためのものです。移せますか」
「うむ」
妾は一体ずつ、守りを重ねたまま、男が作った境の中へ移した。
灰尾が、その後についていく。
布の妖が、近づく灰尾の影を見て縮こまった。
灰尾は足を止めた。
「……俺だ。分かるか。橋の下で寝てた、灰尾だ」
名を聞いてから、布の端が、わずかに開いた。
*
連絡を受けた別の者たちが、道の向こうへ到着した。
男は庭の守りを到着した担当者へ引き継ぎ、妾とともに建物の周りを確かめた。
渡り廊下の下から、細い力の筋が伸びている。
建物の内側へ戻るものと、敷地の外へ向かうものがあった。
女が、戻ってきた紙の鳥をほどいた。
「中の動きが変わった時刻に、ほかの観測地点でも変動が出ています。昨日の場所は、管理を続けています」
男は木札の印と、記録を見比べた。
「ここが、供給の口になっている可能性があります」
「何を送っておる」
「似た案件では、恐怖や不安が集められていました。ここもそうだと断定するには、まだ確認が要りますが」
妾は、葉の妖を見た。
外へ出てもなお、窓を見ないように身体を折り曲げている。
男は、言葉を続けた。
「周辺の小さな揺れが、同じところから広がっていたのかもしれません。接続の足場を増やす例はあります。一つを押さえても、ほかが動くことがある」
「窓を塞いでいた術を開けても、揺らぎは残っておる」
「ええ。塞いでいる術と、向こうとの接続は別です」
そこは、妾にも確かめられた。
「ならば、接続の方は、お主らで見よ。妾は、中の者を出す」
男は即答せず、建物へ目を向けた。
「力の流れが変わったら、こちらへ伝えてください。外へ影響が出ないよう、担当を置きます」
「逃げる者は止めるが、周りの家まで壊すつもりはない」
「お願いします」
女が、連絡役の位置を確かめた。
道へ戻る側にも、人が一人立っている。
「中に入った後も、連絡は私がつなぎます」
声は少し硬かったが、手は迷っていなかった。
「よい手際じゃな」
妾が言うと、女は一度だけこちらを見た。
「……ありがとうございます」
それからすぐ、次の連絡へ戻った。
*
庭の保護を任せられるようになったところで、妾は一度、建物の角へ身を引いた。
猫の姿を解き、現代の服をまとった大人の女となる。
通りからは見えぬ。
手首へ移した革の輪を確かめてから、調査員の女へ声をかけた。
「電話を、少し借りられぬか」
女は目を見開いた。
妾の顔から手首へ視線を移し、ようやくうなずく。
「……タマモさん、ですね」
「そうじゃ」
差し出された携帯電話を受け取り、主様の番号を押した。
呼び出しの音を待つ間、庭の向こうで灰尾が声をかけ続けているのが聞こえた。
「もしもし」
主様の声である。
妾は、知らず背を伸ばしていた。
「主様。タマモにございます」
「ああ。どうしたの、その電話」
「お借りしました。捜していた者たちの行き先が分かりまして、帰る手伝いをしております」
「そう。見つかったんだね」
「まだ、中にいる者がおります。夕食までに戻れぬかもしれませぬ」
短い間があった。
電話の向こうで、何かを台へ置く音がした。
「分かった。夕飯は僕がやっておくよ」
「お手を煩わせて、申し訳ございませぬ」
「ちゃんと連絡くれたから、大丈夫。帰ったら食べよう」
帰ったら。
妾は、手首の葉へ指を添えた。
「はい。帰りましたら」
電話を返すと、女は何も尋ねずに受け取った。
主様へ話を代わるように求めることもなかった。
妾は三毛猫へ戻り、窓の下へ歩いた。
男が、内側へ入る用意をしている。
「先に、妾が行く」
「こちらは、あなたが開けたところを維持します」
妾は窓の奥を見た。
主様と静かに暮らす家の外に、余計なことが増えた。
主様の休みを塞ぎ、妾がおそばにいる時間まで削ってくる。
まったく、気に入らぬ。
窓をくぐりながら、妾は耳を立てた。
小さな羽の擦れる音を、奥から聞いた。




