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『殺人学概論』 ――この講義では、まだ誰も死なない  作者: 御子柴 流歌


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2/4

承:……とはいうものの、全く承前としない流れ


「どう? 何か思い付いた?」


 カードを前にペンをくるくる回していた僕に、朝倉さんが覗き込んでくる。


「うーん、『殺人事件』って言われると、途端に何も出てこなくなるね……」


「創作経験ゼロ?」


「ミステリは読むけど、自分で書いたことはないかな」


「じゃあ、読者的視点で考えてみようよ。ここにいるメンバーの中で、いちばん『殺されそう』なのは誰?」


「それ、口に出していい発想なの?」


「出した方がきっと単位になるよ」


 彼女は悪戯っぽく笑う。その軽さに、少し救われる。


「まあ、普通に考えたら、被害者は先生なんじゃない?」


 僕は中央の如月を顎で指した。


「タイトルロールだし、授業の主催者だし。この中で一番『殺され甲斐』がある」


「殺され甲斐って何」


朝倉さんは笑いながら、すぐに真面目な顔つきになる。


「でも、確かに。あのテンション、誰かの地雷は踏んでそうだよね」


 教室の他の三人を見る。眠そうな男子、妙にスーツが板についている法学部っぽい男子、それから、教卓に一番近い席でノートをきっちり取っている女子。たぶん真面目なタイプだ。


「じゃあ、犯人は誰にする?」


「そこの眠そうな彼とか?」


僕が小声で言うと、朝倉さんは即座に首を振った。


「ダメ。ああいう『いかにも無気力系』を犯人にしちゃうと、推理としては薄いよ。意外性がない」


「じゃあ、法学部っぽいスーツの人?」


「それもそれでベタじゃない? 『法律を逆手に取った完全犯罪』とか、読みすぎたミステリの症状が出てる」


「じゃあ……あの、真面目そうな人?」


「ああ、あの子ね」


 朝倉さんは、ノート女子をじっと見る。彼女――名前はまだ知らない――は、如月の言葉を一字一句逃すまいと、視線を上げずにペンを走らせ続けている。


「一見すると『いい子』だけど、内側にストレス溜め込んでそうな感じ。動機を盛り上げ甲斐がある」


「人を素材みたいに言わないでください」


「いや、今は授業だし」


 そう言って、朝倉さんは自分のカードにさらさらと何かを書き込んだ。盗み見るつもりはなかったが、うっかり視界の端に「過去のトラウマ」「理不尽な評価システム」という、やたら物騒な単語が入ってくる。


「……すごいね、プロファイリング」


「ミステリと心理学が趣味だから。黒川くんは?」


「僕は……」


 僕は空白のカードを見つめる。頭の中にあるのは、典型的な推理小説のパターンばかりだ。密室、毒、入れ替わり、偽装自殺。


 そのとき、ふと、如月のさっきの言葉が引っかかった。


『実際に誰も死なない。たぶんね』


 あれは単に、教授特有の悪ふざけだったのか。それとも。


 ――まあいい。ひとまず、ここは素直に「授業の通り」に乗ってみよう。


 僕はペンを取り、書き始めた。




 被害者:如月一真。

 犯人:現在不明(講義終了までに判明予定)。

 動機:授業内容に関連した何か。

 凶器:コーヒー(毒物混入)。




 そして、カードの下の方に、小さく付け加える。


「※この事件は、すでに始まっている」




     ◇




 四十分後。全員がカードを書き終えたころを見計らって、如月が手を叩いた。


「はい、そこまで。思い悩んでペンだこができた人も、三行で済ませた人も、いったん筆を置きたまえ」


 カードは回収されず、各自の手元に置いたままにさせられた。如月は教卓の下から、銀色の魔法瓶を取り出す。


「さて、頭を使った後は、体もいたわらねばならない。コーヒーを淹れてきた。飲める人?」


 挙手したのは、僕と、眠そうな男子と、法学部スーツと、如月自身の四人だった。朝倉さんとノート女子は「カフェイン弱いので」と首を振る。


「じゃあ、セルフでどうぞ」


 如月は紙コップを回しながら、軽く注意を促した。


「熱いから、舌を殺さない程度にな」


 それは一見、何の変哲もないコーヒーブレイクだった。だが、「殺人学」というタイトルの授業内でそれをやられると、途端に象徴的な儀式のように見えてくるから不思議だ。


 僕は一口だけ啜った。苦味強めだが、悪くない。眠気も覚める。


「ところで、カードに『毒殺』と書いた人はいるかね?」


 如月が、ふいにそう言った。


 空気が、ぴりりと緊張する。僕の隣で、朝倉さんの視線が僕のカードに吸い寄せられかけて、慌てて引き戻されるのが分かる。


「……はい」


 手を上げたのは、意外にもノート女子だった。


「毒物の種類までは書いていませんが、『飲み物に何かを混入する』という形で」


「ほう、君の名前は?」


「理工学部一年、宮下です」


 如月は嬉しそうに頷く。


「いいねえ、宮下くん。理工学部は毒物の扱いに詳しそうだ」


「そんなことないです」


「謙遜もいいが、あまり本気にされると君の評判に関わるな。冗談だよ」


 そう笑って、如月は自分のコーヒーを――飲まなかった。


 紙コップのふちに唇を近づけたまま、ふと視線を落とし、次の瞬間、その表情が変わる。眉がわずかに寄り、喉元が痙攣するように震えた。


「……う」


 そして、彼はその場に崩れ落ちた。


「先生!?」


 朝倉さんの声が、驚くほどよく通る。僕も慌てて立ち上がった。


 教室の空気が、一瞬で騒然となる。


「救急車!」「心臓発作?」


 誰かが叫び、誰かがスマホを取り出す。


 だが、ここは四階の奥のゼミ室で、しかもドアには鍵がかかっている。


「鍵、鍵、どこ!?」


 法学部スーツがドアノブをがちゃがちゃさせる。


 眠そうな男子は、なぜか一歩下がって様子を伺っている。


 宮下は顔面蒼白で固まっている。


 その混乱の中で、僕の頭のどこかだけが、妙に冷静だった。


 ――おかしい。


 如月は、コーヒーを「飲んで」いない。


 口をつけただけだ。にもかかわらず、あの倒れ方は、あまりにも芝居がかっている。


 いや、芝居と決めつけるのも乱暴だが――。


「黒川くん」


 耳元で、小声がした。朝倉さんだ。


 彼女もまた、僕と同じ種類の違和感を覚えたらしい。


「これ、たぶん……」


 彼女の言葉は、床に倒れていたはずの如月の声によって遮られた。


「――よし。観察眼テスト、第一問終了」


 如月は、何事もなかったかのようにむくりと起き上がった。


「……は?」


 教室全体から、間の抜けた声があがる。動いている。息もしている。つまり、さっきまでのは――。


「仮死状態ってやつだ。まあ、演技だがね」


 如月は床に座り込んだまま、スーツの膝についた埃を払った。


「皆、いいリアクションだった。救急車を呼ぼうとした君、鍵を開けようとした君。どれも正しい。ちなみに、君たちが騒いでいる間に、私は三度ほど『本当に死んだことにしておこうかな』と思ったが、シラバスに『講師死亡の可能性あり』とは書いていないので自重した」


「……先生」と、法学部スーツが青筋を浮かべる。「それ、かなり悪質な――」


「授業だ。『殺人学概論』だ。講師が突然倒れるくらい、許容範囲だろう。でなきゃタイトル詐欺だ」


 如月は立ち上がり、机の端に寄りかかった。


「さて、ここからが本題だ。今の一連の出来事の中で、『おそらく作為的だった部分』をできるだけ挙げてみてほしい。さあ、殺人事件のプロローグを解体する作業だよ」


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