第六話 縄の内側
救助に入っていた者たちが戻ってから、坑口の前では何人かが図面を囲んでいた。
エルドたちが待っている場所からでは、話の中身までは聞こえない。
サヴィンはしばらく様子を見ていたが、近くを通った男に声を掛けた。
「悪い、少しいいか。サヴィンだ。セルネアで触媒材を扱って商売してる。ここの石のことで話がある」
男は眉を寄せ、足を止めた。
「……今は見ての通りの状況だ。石の苦情なら後にしてくれ」
「苦情じゃない。ここの触媒材が入った先で、妙なことが続いた」
「妙なこと?」
「俺が持ち込んだ石を試してる最中に、留め具が壊れた。別の加工場でも、同じ材を使ってる時に異常が出た」
男は少し黙り、坑口の方へ目をやった。そこではまだ人が行き交い、縄や道具が運ばれている。
「それが、この崩落と関係あるのか?」
「分からない」
サヴィンが首を振る。男は脇を通る人夫に道を空けてから、もう一度サヴィンを見た。
「じゃあ、何でここに来た?」
「二つとも同じ仕入れだ。出どころを調べたらここだった。そのあとで崩落があったって聞いた。関係ないかもしれないが、知らん顔をするのも違うと思ってな」
男は一度坑口を見た。
「詳しい話は?」
「手が空いてからでいい。責任者には伝えてくれ。必要なら俺から話す」
「分かった。少し待っててくれ」
「ああ」
サヴィンはそれ以上引き止めなかった。
しばらくすると、坑口の前で広げられていた図面が畳まれるのが見えた。図面を囲んでいた者たちも、それぞれ縄や灯りの方へ動き始める。
図面のそばにいた男も、支度に移った者たちへ次々に声を掛けていた。
「分岐までは、さっきと同じ道を使う」
その声が、今度ははっきり聞こえた。
「分岐から先は古い運搬路を使う。ベルグ、先を見てくれ」
「昔は荷を通してた道だ。途中までは幅もある。その先は入ってみないと分からんぞ」
「分かってる」
また中へ入る。
そう思うと、ここで待っているだけなのが急に落ち着かなくなった。
「父さん」
「何だ」
「俺も中に行きたい」
「駄目だ」
返事は早かった。
「お前は坑道に入ったこともない。救助もできん。入ったところで何をするんだ」
「中を見たい」
「何か見えると思ってるのか?」
「分からない」
留め具も槍も、見ようとして見えたわけじゃない。坑道に入ったからといって、またあの痕跡が現れるとは限らなかった。
「……ここからじゃ中は見えない。何か見えるとしても、中に入らないと分からない」
「何も見えないかもしれんぞ」
「それは分かってる」
自分でも、中へ入れば何ができるのかはっきりとは分からない。止められるのも無理はなかった。
それでも、何もせずここに残る方が嫌だった。
「外で待ってて、あとで何かあったって聞くのは嫌なんだ」
父はしばらく何も言わなかった。
「……俺が決めていい話じゃない」
「うん」
「向こうが邪魔になると言えば、それまでだ。それでも話すか?」
「話したい」
父は小さく息を吐いた。
「来い」
二人で縄のところまで行くと、さっきサヴィンと話していた男がこちらに気づいた。
「どうした?」
「救助を仕切ってる人と話がしたい」
「もうすぐ中へ入る。長くは無理だぞ」
「ああ」
男は坑口の方へ向かい、父とエルドはその場に残った。
待っている間にも、出発の支度は進んでいく。縄をまとめる者の横を、灯りを抱えた者が坑口へ向かっていった。
ほどなくして、さっき指示を出していた男がこちらへ来た。
「ヴァルドだ。今は俺が救助をまとめてる。石のことで話があるとは聞いた」
「ああ。オルンだ。石の話にも関わるんだが、息子が中へ入りたいと言ってる」
ヴァルドがエルドを見た。
「理由は?」
「こいつは二度、まだ壊れてないものが壊れた状態を見てる」
「……どういう意味だ?」
「壊れる前に、壊れたように見えたってことだ。最初はうちの留め具だった。こいつが止めろと言った直後に、本当に同じところが壊れた」
ヴァルドは少し間を置いた。
「二度目は?」
「市場街で槍が折れた。折れる前に、こいつには折れた状態が見えてたらしい」
「見間違いじゃなく?」
「そこは俺にも分からん。ただ、俺もそばにいた。こいつが先に警告して、そのあと本当に折れた」
「それと、この鉱山がどう繋がる?」
「最初の留め具は、ここの触媒材を試してた時だ。二度目も、同じ材を使ってた加工場で異常が出た直後だった」
「槍そのものに、その石が使われてたわけじゃないんだな」
「ああ。だから、石が原因だとは言えん」
ヴァルドがエルドに聞いた。
「自分で見ようとして見えるものか?」
「いえ。いつ出るかも分かりません。今も何も見えてません」
エルドが答えると、父がその先を引き取った。
「中でも同じものが見えるなら、何か起きる前に知らせるくらいはできるかもしれん」
ヴァルドはそれには答えず、エルドに聞いた。
「坑道に入ったことは?」
「ありません」
ヴァルドは少し黙ってから首を振った。
「それだけじゃ、中には入れられない」
返す言葉がなかった。
見えるとも言えない。中へ入れば役に立てるとも言えない。
何か言えないかと考えた時、さっき聞こえた声が頭に浮かんだ。
分岐までは、さっきと同じ道を使う。
「……分岐まででも駄目ですか」
「分岐まで?」
「さっき、そこまでは入ったんですよね」
「ああ」
「そこまででいいです。ここからじゃ、坑道の中は何も見えないから」
ヴァルドは答えず、少し離れたところにいた年嵩の男を呼んだ。
「ベルグ。分岐まで、戻る時に変わったところは?」
「なかった。行きも帰りも通れてる。支えも見た範囲じゃ動いてない」
ベルグはそこで言葉を切った。
「だからって、安全って意味じゃないぞ」
「分かってる」
それきり、ヴァルドは黙った。
エルドも何も言わなかった。もう、自分から言えることはなかった。
坑口の方では、灯りを持った者が一人、中を覗き込んでいる。その脇を、縄を抱えた男が通っていった。
断られるなら、今度こそ終わりだ。
「分岐までだ」
一瞬、返事が遅れた。
「……はい」
「そこまでは俺たちが通って戻った。その先に連れていくかは、その場で決める。途中でも危ないと思えば戻す」
「分かりました」
「何か見えたら、すぐ言え。自分で確かめに行くな」
「はい」
父はまだ黙っていた。エルドの左腕を見て、それから坑口の暗がりへ目を向けた。
「戻れと言われたら戻れ。それだけは守れ」
「うん」
しばらくして、父の視線がエルドへ戻った。
「……行ってこい」
その一言を聞いて、ようやく肩の力が抜けた。
縄の脇へ移ると、担架のそばで道具を確かめていた人がこちらへ来た。
「ヴァルド、この人も入るの?」
「分岐までだ。救助はさせない」
ヴァルドの返事を聞くと、その人はエルドの方へ向き直った。エルドの姿を確かめるように視線を動かし、左腕のところで止める。
「私はセラ。中で何かあったら私に言って。その腕、怪我してる?」
「エルドです。朝、赤角羊に腕をかすられました。まだ少し痛みますけど、動かせます」
そう言って肘を曲げてみせると、セラは頷いた。
「痛みが強くなったら言って。無理に庇いながら歩く方が危ないから」
「分かりました」
セラは持っていく道具の方へ戻っていった。
セラが離れると、ヴァルドは今度は別の方へ声を掛けた。
「カイナス、灯りを一つ渡してやってくれ」
近くで縄を肩に掛けていた若い男が顔を上げた。エルドより、いくらか年上に見える。
「ああ。これでいいか?」
ヴァルドが頷くと、若い男――カイナスが灯りを差し出してきた。
受け取ると、思っていたより重かった。
「坑道は初めてか?」
「はい」
「じゃあ、まず足元はよく見とけ。慣れてないと、何もないところでも結構つまずく」
カイナスはエルドの持つ灯りを指した。
「それも落とすなよ。暗い中で探す羽目になる」
「気をつけます」
「それでいい」
そう言うと、カイナスは肩の縄を持ち直した。
周りでは、救助に入る者たちがそれぞれ支度を終えつつあった。さっきまで縄の外にいた自分だけが、急にその中へ混ざったような感じがした。
縄の外には、父とサヴィンが残っている。
父と目が合った。エルドが一度だけ頷くと、父もわずかに頷き返した。
「行くぞ」
ヴァルドの声に、ベルグが先に坑口へ入った。ヴァルドも続く。
エルドは灯りを持ち直し、暗がりへ足を踏み入れた。
数歩進んだだけで、背後のざわめきが遠くなった。
湿った土と石の匂いが濃い。足元には濡れた石と泥が続き、灯りが揺れるたびに壁や支えの影が形を変える。
思っていたより暗い。前を歩く者の背中も、灯りから外れるとすぐに輪郭が薄くなった。
カイナスに言われた通り足元を確かめながら進む。それでも、壁や支えには何度も目が向いた。
灯りの先で、坑道はまだ奥へ続いていた。
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次回、第7話は10月11日21:10公開予定です。




