第十話 積まれた石
ベルグが古い運搬路の方へ灯りを向けた。
「沈んだところは、一人ずつしか通れない。あそこは横から支えられん」
ヴァルドがカイナスを見る。
「背負って通せるか」
「いける」
セラは負傷した男の右脚を確かめた。
「背負うなら、先に脚まで固定する。途中で持ち直すと、せっかく固定したところがずれるから」
ヴァルドとセラが男を起こし、しゃがんだカイナスの背へ預ける。
添え木を当てた右脚は、揺れないよう布で身体の横へ留め直した。
「痛かったら言って」
「言ったら止まってくれるのか?」
「止まれる場所ならね」
男は苦い顔のまま笑った。
カイナスがゆっくり立ち上がる。
身体強化を使っていても、人一人の重さまでは消えないらしい。膝が一度深く沈んでから、男を背負った身体が持ち上がった。
ベルグを先頭に、古い運搬路を戻り始める。
エルドは列の後ろ寄りにつき、灯りを足元へ向けた。
来る時には、自分がどこを踏むかを追っていればよかった。今は、背負われた男の右脚が壁や支えに触れないかまで気になる。
同じ道なのに、行きより狭く感じた。
ベルグが足を止めるたび、カイナスもそこで待った。広い場所ではヴァルドが横につき、背負われた男の身体が傾かないよう支える。セラは後ろから右脚の固定を確かめていた。
やがて、床が大きく沈んだ場所へ戻ってきた。
ベルグは壁際へ灯りを向け、足場を確かめてから先に渡った。セラもその後に続き、向こう側へ回る。
カイナスの横に、誰かが並べる幅はない。
「壁から身体を離すな。急がなくていい」
向こう側からベルグが言った。
カイナスが壁際へ入るのに合わせ、エルドは手前から足元を照らした。
一歩進んだところで、カイナスの足が止まる。
灯りを少し先へ動かすと、そこだけ岩が一段高くなっていた。
「その上だ」
ベルグの声に合わせて、カイナスが足を上げる。
背中の男が小さく呻いた。
カイナスの歩幅は小さい。足を置くたび、背負った男を揺らさないよう身体の傾きを少しずつ変えている。
エルドは足元を照らしながら、男の右脚も追った。
次の一歩へ移ろうとしたところで、添え木の先が壁から出た岩へ近づく。
「カイナス、右脚」
カイナスが止まり、身体をわずかに左へ寄せた。
「助かる」
岩との間が空く。
エルドは灯りを足元へ戻した。
最後の足場まで来ると、ベルグが腕を伸ばす。カイナスはその手を掴み、壁際を抜けた。
セラがすぐに男の右脚を確かめる。留め直した布も、添え木もずれていない。
残った者も一人ずつ続いた。
エルドの番になると、灯りを手にしたまま壁際へ入る。
一度通った場所だったが、途中で向こう側を見ると、カイナスはまだ男を背負ったまま立っていた。
外までは、まだ距離がある。
足元へ視線を戻し、壁際を抜けた。
そこから先も、何度か休みながら進んだ。
カイナスが腰を落とせる場所ではヴァルドが男の身体を支え、セラがそのたびに脚の固定を確かめる。
古い運搬路の二本の溝をたどり、分岐を越えた。
少し進んだところで、ベルグが足を止めた。
行きにエルドが折れた姿を見た支えだった。根元の湿っていた側に、細い裂け目が走っている。
「……さっきはなかったな」
ベルグが灯りを寄せた。
「まだ持つ。寄らずに通れ。外へ出たら替える」
見えた時のように上がずれてはいない。支えはまだ立っていた。
エルドは裂け目を見ながら、その脇を通り過ぎた。
しばらくすると、前の方から人の声が混じり始める。
灯りだけだった坑道の先へ、外の明るさが差し込んできた。
ベルグに続いて、歩ける二人の坑夫が先に外へ出た。
カイナスが負傷した男を背負って坑口へ姿を見せると、待っていた者たちがすぐに動いた。
坑口に置かれていた担架が運ばれてくる。
カイナスはその場で膝をつき、セラたちが男を担架へ移した。
男の重さが背中から離れても、カイナスはすぐには立ち上がらなかった。一度深く息を吐いてから、肩を回す。
「……次はもう少し平らな道がいいな」
そばにいたベルグが鼻を鳴らした。
「鉱山に来て何言ってる」
「それもそうか」
カイナスが笑った。
エルドも坑口を出た。
入る前より、日はずいぶん低くなっていた。暗い坑道の中では気づかなかったが、思っていたより長く中にいたらしい。
さっきの二人のやり取りを聞いて、エルドもそこで息を吐いた。
「怪我は」
すぐそばから父の声がした。
「増えてない」
父は左腕を一度見てから、エルドの全身を確かめた。それから運ばれていく担架へ目を向け、小さく息を吐く。
「そうか」
エルドも担架を見送った。
さっきまで奥に取り残されていた男が、今は外へ運ばれていく。
ヴァルドは、担架が人の輪の向こうへ消えるのを見届けてから、坑口へ目を戻した。
「今日はここまでだ。中の三人は出せた」
少し間を置く。
「いったん休め」
もう奥へ戻らなくていいのだと、エルドはそこで初めて実感した。
しばらくして、サヴィンが水を飲んでいた坑夫の一人へ声をかけた。
「再開してすぐ外へ出した灰白い石があるだろ。魔力の通りがいいって選り分けたやつだ。覚えてるか」
「ああ。あれか」
「あれ、どこで採れた?」
坑夫は器を持ったまま少し考えた。
「あれは、再開してから掘った石じゃないぞ」
「……どういうことだ?」
「再開した時、作業場の崩れた側の奥に、昔の採掘で出た石が積まれたまま残ってたんだ。そこから状態のいいものだけ選り分けて、外へ出した」
エルドは顔を上げた。
ベルグに近づくなと言われていた、崩れの側だ。
「最初から、あそこにあったのか?」
「ああ。閉じる前から残ってたものらしい」
サヴィンはしばらく返事をしなかった。
「……そこまでは聞いてないぞ」
エルドは暗い坑口へ目を向けた。
さっきまでいた作業場に、自分たちが来るずっと前から石が残されていた。
◇
工房へ戻る頃には、日はもう落ちかけていた。
父が壁際に置いてあった木箱を作業台へ持ってきた。蓋を開け、布の上から灰白い石を一つ取り出して、折った紙の上へ置く。
サヴィンが最初に見本として持ち込んだ石の一つだ。
「鉱山のものだって話は、間違ってなかったわけか」
サヴィンは椅子に腰を下ろしながら、石へ目をやった。
「まさか、再開する前から残ってた石とは思わなかったけどな」
「まだ、この石がそれと同じだと決まったわけじゃない」
「今日分かったのは、そういう石が外へ出ていたってことまでだ」
「それはそうだな」
灯りの下に現れた灰白い石は、最初に見た時と変わらない。
エルドは椅子へ座らず、作業台の前に立った。
「父さん、これもあそこに残ってた石なのかな」
「そこは調べないと分からない」
父は石に触れず、紙の端だけを押さえた。
「同じ鉱山から来たってだけで、今は決めるな」
「うん」
エルドにも、それは分かっていた。
この石が古いものだと分かったわけではない。ただ、坑道へ入る前より、確かめたいことは増えている。
石へ目を向けた時、その周りに白っぽいものが散った。
紙の上に、小さな欠片がいくつも落ちている。中心の灰白い石は右の縁が欠け、そこだけ形が崩れていた。
けれど同じ場所には、何も欠けていない石もある。
二つの姿が重なっていた。
「……」
「エルド?」
父の声で瞬きをした。
欠片は消え、作業台の上には何も欠けていない石だけが残っている。
「今、見えた」
サヴィンが椅子から身を乗り出した。
「石にか?」
「うん。端が欠けて、周りに破片が散ってた」
「今は?」
「もうない」
そう答えても、エルドは石から目を離さなかった。
いつもなら、消えればそれで終わりだった。消えたあとを追ってみようと思ったこともない。
欠片があったのは石の右側、紙の折り目のすぐ近くだった。そこから石の縁へ視線を戻しても、今は何もない。
灯りの位置を少しずらしてみる。
動いたのは影だけだった。
「何してる?」
「もう一度、見えないかと思って」
口にしてから、自分でも妙なことを言っている気がした。
それでも、さっき欠けていた石の右端へ目を戻す。
変わらない。
やっぱり無理なのか。
そう思いかけた時、輪郭がわずかにぶれた。
エルドは息を止めた。
右端が欠けている。
そのすぐ横には、白い欠片が一つだけ落ちていた。
最初に見えた時ほど多くはない。それでも、場所は同じだった。
瞬きをすると消えた。
「……もう一回、見えた」
「エルド」
父はすぐには何も言わなかった。
「今のは、見ようとして見えたのか?」
エルドは少し考えた。
「……見ようとはした。そしたら、また見えた」
「同じ場所か」
「うん。でも、どうして見えたのかは分からない」
最初の痕跡は、いつもと同じように勝手に現れた。
二度目は、消えたあとも目を逸らさずにいた。その最中に、同じ場所へ欠けた姿がまた現れた。
見ようとしたからなのかは分からない。やり方を掴んだわけでもない。
それでも、一度消えたものがまた見えたのは初めてだった。
エルドは、さっき欠けて見えた右端へ目を向ける。
同じ場所を意識して待つ。
けれど今度は、何も現れなかった。
作業台の上には、欠けた跡一つない灰白い石があるだけだ。
エルドはしばらく、その右端から目を離さなかった。




