連れてこられた魔王国
夜空を飛行するなんて、流れ星にでもなった気分だ。高度に慣れてきたおかげで、考える余裕が出てきた。
(私が攫われたってことは、セレは無事ってことよね……どこまで来たのかしら。無事に魔王国を抜け出せても、王国まで帰れるかどうか……)
この距離を移動するとなると何日かかるだろうか。辛うじて懐に忍ばせていた金銭だけで母国に辿り着けるか怪しい。
(魔王国がこんなに遠いなんて思わなかったわ)
王女誘拐の手紙が届くまで、「悪さをすると魔王国に攫われる」なんて子供騙しの嘘だと思っていたのに。
「ほら、もうすぐ着くぞ」
地上を見下ろせば、不思議な形が目に入る。満月を縁取って作った三日月の国がそこにはあった。国土をなぞるように大陸と魔王国の間には深い溝が走り、まるで三日月を大地に嵌め込んだかのよう。
(あれが、魔王国……)
青年が高度を下げていくにつれ、街並みが明らかになっていく。もっと禍々しいものとばかり思っていたが、普通の国に見える。それはルネを少し戸惑わせた。
降り立ったのは白亜の城。バルコニーで降ろされ、久しぶりにルネは地面に立った。
(お城というより、神殿みたいね)
やはりここも、魔王城と呼ぶにはあまりに厳かな佇まいだ。神聖さすら感じさせる。
「ここが今日からお前の──そういえばまだ名前を聞いてなかったな」
魔族に名乗る名前などない。しかし、ずっと「お前」と呼ばれ続けるのも不愉快だ。
(種明かしをするなら、皆既月食が終わってからじゃないと……私が魔王国から抜け出す機会を捨てることにもなるけれど)
「……ルネよ」
公女だとは名乗れない。魔障が復活するまでは、ルネを王女だと思ってもらわなくてはならないから。
無愛想に名乗ったルネに対し、青年は嬉しそうな顔を見せた。初めて彼の顔をまじまじと見たが、こんな状況でなければ息を呑むほど麗しい容姿をしている。切長の目が笑顔によって細められ、今は妖艶さよりあどけなさが勝っている。
「そうか! よろしくな、ルネ」
馴れ馴れしい。
差し出された握手を、しかしルネは取らずに腕を組んで相手を見上げる。
「ふん。まずは自分から名乗るのが礼儀でしょう? それとも、魔族に礼儀なんてものは無いのかしら」
「おっと、それもそうだな?」
彼は少々わざとらしく咳払いを一つすると、恭しく胸に手を当てた。
「俺はロータシウス・ハイド・セレネシア。この国の第一王子だ。ロータスと呼んでくれ」
「セレネシア?」
その名前にルネは眉をひそめた。セレネシアはかつて空にあったという月の神殿の名前。天上の都の名を、なぜ魔族が持っているのか。
「冗談はよしてちょうだい。月の神殿は神々の戦争で失われたはずよ」
「いいや? 失われたのは太陽の神殿だけだ。セレネシアは今も残っている。ルネも見ただろ? 国土が三日月の形をしてるのをさ」
たしかに見た。地上に嵌め込まれた月を。空を見れば、赤い月の淵がうっすらと白くなり始めている。
「月の女神の怒りを買って地上に堕とされた月の神殿。俺達は今もそこで暮らす月の民。だが残念ながら、俺は呪われ者でな。月の娘と結ばれない限り、長く生きれないんだよ」
「なんでそんな話を私にするのかしら。貴方の寿命なんて私には関係ないわ」
「あるんだなあ、それが」
ロータスがルネに近づき、彼女の髪を指に取る。
「ルネがその月の娘なのさ。だからルネを迎えに行った。俺の妻になってもらうために」
スッと赤眼が細められる。先程のあどけない笑顔とは違う妖艶な微笑みに釘付けになりかけて、ルネは自分の髪に触れるロータスの手を払いのけた。
皆既月食が終わる。赤い月は欠け、銀月が輝きを取り戻そうとしている。
「妻? なるわけないわ。だって貴方の言う『月の娘』は私じゃないもの」
「何言ってるんだ?」
訳が分からないと顔をしかめるロータスに、ルネは勝ち誇った笑顔を見せつけた。
「私はルネ・フィオドール。フィオドール公爵の娘よ。貴方が攫おうとしたのは王女セレンディナ。敬愛するあの子を守るために私は身代わりになっただけ。残念だったわね! 貴方の誘拐計画は失敗に終わったのよ!」
おーっほっほっほっほ、と高笑いまでお見舞いするが、ロータスは不思議そうな顔をするだけだった。期待していた反応と違い、ルネは少し不服に思う。
(何よ。もっと悔しがると思ったのに)
こっちは腹を括ったのだ。今すぐ抜け出す望みも無いなら、魔族に思いっきり屈辱を味わせて死ぬのも本望だと。それなのに、なんだその反応は。
「月の娘はルネだろう。昔俺がつけた印があるじゃないか」
「だから、それも私がセレンディナを庇っただけで……ちょっと待って、今、貴方がつけたって言った?」
「言った」
「はあああ? つまり、私に呪いをかけたのも貴方の仕業だったってわけね!?」
まさかあの時の魔族に対面する日が来るとは。二度もセレンディナに危害を加えようとしたこの男を許すわけにはいかない。一発殴ってやらねば気が済まない。
「さっさと解きなさい! いえ、その前にまず殴らせなさい!! 屈みなさいよ!!」
拳を振り上げるがロータスの頬には届かない。仕方なく胸部をぽかぽかと殴るが、まったく効いていないようだった。
ロータスがルネの手首を掴み、要望通り屈む。
「呪いを解きたいか?」
「当たり前でしょう!! 今すぐ解きなさい!!」
「なら──」
ロータスの笑みに嫌な予感を覚えた。だが、交わった視線は逃げることを許さない。
「俺の妻になるしかないな? その呪いはかけた相手と結婚するまで解けないから」
「絶対嫌よ!! 魔族の妻になんかならないから!! なんでそんなふざけた呪いを私にかけるのよ!!」
断固お断りだ。それだけ見目麗しい男性であっても、魔族というだけで却下だ。
掴まれた手首をどうにか解放させようともがくルネに、ロータスは可笑しそうに笑う。
「まあ、まだ時間はあるしな。そう急ぐ必要も無い。今日はもう遅いだろう? 部屋に案内するよ」
こちらを殺す気が無いならさっさと帰してほしいが、こんな夜では狼の餌になってしまうかもしれない。脱出は明日にして、一晩我慢しよう。
バルコニーから城の中へ入る。ロータスの背中を睨みつけながら、ルネもその後に続いた。
「殿下!! お戻りになられましたか!!」
回廊を歩くロータスを見つけた少年が大慌てで駆けつけてきた。
「夜風はお身体に障ります! 陛下が不在だからと、一体どちらまで行かれていたのですか! 早くお部屋へ! おや、こちらのお方は?」
「チージャ、紹介してやる。俺の妻だ」
「違うわよ」
ルネがロータスを睨む。チージャという少年は目を白黒させていた。
「お、奥様? 駄目ですよロータシウス殿下、陛下の許可もなく勝手なことをなさっては」
「父上は口を出したりしないだろ」
「そういう問題ではなく!」
魔族の中でもまともな者はいるらしい。このチージャという従者に、そこまで嫌悪感は抱かなかった。ロータスに散々振り回されてきたであろう彼に同情すら覚える。
「まあいい。チージャ、ルネを部屋に案内してくれ」
「お部屋ですか? それなら、お客人のお部屋が空いておりますからそちらにご案内いたします」
「俺の妻だと言っただろう。俺の部屋の隣以外どこがある」
「客人用の部屋で結構よ」
ロータスの隣の部屋など絶対に嫌だ。それなら、客人用どころか粗末な使用人用の部屋の方がよっぽどマシだ。
(どうせ一晩しかいないのだし、どんな部屋だろうと我慢してやるわよ。コイツの隣の部屋以外は)
ゴネにゴネた結果、なんとか客人用の部屋を勝ち取ることができた。ロータスがひどく不満そうでチージャが怯えていたが、知ったこっちゃない。
「で、では、ご案内いたします……」
ぷるぷる震えているチージャの後ろをルンルンで歩きながら、ルネはロータスに勝者の余裕で手を振った。やっと一息つける。
「あ、あの、ルネ様は外の国から来られたのですよね?」
「誘拐されたのよあの男に。と言っても、私はただの身代わり。あの男が本当に攫おうとしたのは私の従妹だけど」
「それは殿下が大変無礼な振る舞いを……ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございませんでした」
「ご迷惑どころの話じゃないわよ。国中大騒ぎだったんだから」
今頃セレンディナはどうしているだろうか。無事であることは間違いないが、ルネが連れ去られたことに心を痛めているかもしれない。優しい子だから。
呪われ姫を誰も探そうとしなくとも傷つかない。ただ、自分が消えたことでセレンディナを傷つけているかもしれないことが苦しかった。
(早く…早く帰らなきゃ)




