曇天の乙女心
通された部屋は決して豪華とまでは呼べないが、十分に広く清潔な部屋だった。
「何か必要な物があれば何なりとお申し付けください」
「分かったわ」
では、と一礼して下がろとしたチージャが足を止める。何か言いたいことがある、という表情だった。
「あの……もし良ければ、殿下のお傍にいてくださいませんか」
「はあ?」
思わず顔をしかめるルネ。冗談じゃない。ここで一晩過ごすだけでも屈辱だというのに。
腕を組んで続きを促せば、チージャがおずおずと言葉を紡ぐ。
「その、殿下が女性、というより、誰かに興味を持たれるなんて初めてのことで……せめて、殿下が──いえっ、何でもございません! ごゆっくりお過ごしください!」
失言でもしかけたのか、ルネが口を開く間もなくチージャは慌てて下がってしまった。
ポツン、とルネが残される。急に訪れた静寂が耳に痛い。
「なんなのよ……」
ロータスなど知るか。なぜ連れ攫われてきたこっちが気遣わねばならぬのか。
不機嫌を隠さず、ルネはベッドに腰掛けた。
「あら、なかなか良いベッドじゃない」
包み込むようマットレスの感触。掛け布団は空気をたっぷりと含んでふわふわ。しかし程よい重さもある。枕の硬さ、高さも悪くない。
試しにそのまま寝転んでみる。身体全体が雲に包まれているような気分だ。
ふう、と自然と息が漏れた。日暮れまで、あれほど緊張していたのに。目元に乗せた腕から、ふわりと香油の香りが漂ってきた。何もかもセレンディナに似せるためにと、普段彼女が使っている香油を使わせてもらった。
(セレ……無事よね)
いけ好かない王子が守ってくれているはずだ。
自分の腕を抱く。初めて嗅ぐ香りだったが、セレンディナを傍に感じられた。
だからだろうか、やっと訪れた静かな時間にいつの間にかルネは眠りに落ちていた。
窓の外は曇天。灰色の光がルネの眠る室内にも忍び込んでくる。瞼がうっすらと開き、アイオライトが夢から覚醒した。
「ん……ここは……」
見慣れない白い天井。白い壁。身体を起こして辺りを見回し、ルネは混乱する。
どこだここは。
「ええと……たしか、セレのふりをして魔族に攫われて、それから……」
記憶を辿って少しずつ思い出す。そうだ、魔王国まで連れてこられたんだった。思いのほかベッドが気持ちよく、つい寝落ちてしまった。
歯を磨いて顔を洗いたいし着替えたい。誰かいないのか。曇天のせいで今が何時かも分からない。
本当に誰もいないのだろうか。 侍女の一人も訪ねてくる様子がなく、痺れを切らしたルネはそっと部屋の外を覗き──。
「おはようルネ。よく眠れたか?」
真後ろから聞こえた声に驚いて、体感数メートルは飛び上がった。大慌てでベッドの傍まで逃げれば、ロータスが入り口に寄りかかって立っていた。
「なんなのよ!! 音もなく現れないでちょうだい!!」
「ノックをする前にルネが部屋から出てきただけだ」
俺は悪くないが? という態度にルネが目を険しくさせる。
「私が呼びたいのはアナタなんかじゃないの。身支度を整えたいのに、ここには侍女の一人もいないの?」
「ああ、必要だろうと思ってルネの世話を任せる子を連れてきたわけだが、俺はお呼びじゃないようだからな。立場上、侍女は俺の許可無しにルネにつくことはできないんだけどなあ」
顎に手を添え、にまにまとロータスが笑う。そのよく整った顔に枕でも投げつけてやろうかと思った。
「ふん! ご配慮くださりありがとうございます王子殿下、とでも言えば満足かしら!!」
やけくそに言えば、ロータスは可笑しそうにくすくす笑う。どこまでも腹の立つ男だ。
「仕方ないな。今回は多めに見てやる。ランナ、入れ」
「失礼致します。おはようございます、ルネ様。ルネ様のお世話を仰せつかりました、ランナと申します」
深々とお辞儀をするのはチージャと同じ年頃の少女。白い髪をきっちりまとめあげ、一番上までブラウスのボタンを留めた姿からは謹厳実直な様が伺える。
(昨日は暗くてあまり分からなかったけど、この子もチージャも、白い髪に灰褐色の肌をしてるのね。兄妹かしら?)
頭のてっぺんからつま先まで遠慮なくランナを観察する。特殊なのは肌の色くらいで、やはり想像していた魔族よりも随分人間らしい形をしている。
「ランナと言ったわね? 早く私の支度をしてちょうだい。アナタはさっさと出てって」
シッシッとロータスを手で追い払う。どこか残念そうに立ち去る背中をルネは最後まで睨みつけた。
歯を磨き、顔を洗い、髪を梳いてもらう。ランナの仕事は丁寧かつ迅速だ。公爵家の侍女にも劣らない。
「なかなか良いドレスじゃない。けど、勝手に借りていいのかしら。王女殿下の物じゃないの?」
ルネが着替えた濃紺のドレスは、オーダーメイドでもしたかのように彼女の身体にぴったり合った。鏡の前で満足そうに一通り眺めた後、ルネは少しだけ不安に思ってランナに尋ねる。
「この城にいらっしゃるのは国王陛下と二人のご子息のみですので、王女殿下はいらっしゃいません。こちらは亡き王妃殿下が召されていたものです」
「それを私が着て大丈夫なの?」
「ロータス殿下がご用意されましたから、問題ございません。どうかご安心ください」
「そ……」
今一度鏡の中の自分を眺める。悔しいが、あの魔王子の見立てはかなりセンスが良い。濃紺のドレスはルネの銀髪と青い瞳をよく引き立てていた。
支度を終えたルネが外に出ると、ロータスは廊下で待っていた。自分が選んだドレスに身を包んだルネに彼は満足そうにうなずく。
「さすが、俺が選んだだけあるな。よく似合ってる」
「残念だけど、アナタのセンスが良いんじゃなくて私という人間が素晴らしいだけよ」
「たしかに、そうとも言える」
どういうわけか、ルネが何を言ってもロータスは笑うのだ。嫌味が嫌味として伝わらず調子が狂う。祖国にいた頃は少し意地悪を言えば、誰も彼もが眉をひそめたのに。
「早く行くぞ。可愛い弟を待たせてる」
「ちょっと。アナタの家族に紹介される気なんかないけど」
「家族に紹介? それも早いうちにするつもりだが、食事はしなきゃだろ?」
「ちょ、朝食に向かうだけならそう言えばいいでしょ!! 紛らわしいのよ!!」
「残念ながら朝食じゃなくて昼食だ。ルネは随分ぐっすり寝てたみたいだな」
「なっ──」
顔を真っ赤にして口をパクパク動かすルネ。誘拐された先で昼近くまで爆睡をかますなど呑気すぎる。
いや、あれはやたら寝心地が良いベッドが悪いのだ。決してルネが寝坊助なわけではない。それから、朝なのか昼なのか分からないこの天気が悪い。
「ほら」
ロータスに差し出された手をルネは無視した。
「結構よ! 一人で歩けるわ!!」
「そうか。で、食堂はそっちじゃないぞ」
「もう!!」
本当に調子が狂う。なんなんだこの男は。何をしても空回りで、ロータスの手の上で踊らされてる気がしてならない。
今だって、ロータスのエスコートを受け入れない限り食堂まで案内してもらえないだろう。
(絶対に逃げ出してやるわよ!! こんな所、今すぐにでも出てってやりたいわ!!)
新月が待ち切れない。こんな男とはさっさとおさらばするに限る。
渋々、本当に渋々ロータスにエスコートされながら着いた食堂。背丈の倍以上ある扉が開かれ、長いテーブルが現れた。
「兄上!」
一人、席に座って待っていた少年が駆けつけてくる。白い髪に灰褐色の肌。そして天を写したような空色の瞳。
ここでようやくルネは悟る。恐らくこの国の民は皆、この色の髪と肌、そして目を持っているのだ。
真っ黒な髪に真っ白な肌、そして真紅の瞳を持つロータスが異質なのだと、嫌でも感じ取ってしまう。
「アスター、待たせて悪かったな」
「今朝の食事にはいらっしゃらなかったから、きっと具合が悪いのだと……」
「ちょっと寝すぎただけだ」
しょんぼりと項垂れる少年の髪を、ロータスがわしゃわしゃと撫でる。仲の良さそうな兄弟の姿に、ルネはどこか懐かしい気持ちに駆られる。
「そして、あの、こちらの方は?」
「彼女はルネ。俺の妻になる」
「ちょっと! ならないわよ!!」
やっぱり紹介する気だったじゃないか。掴んでいたロータスの腕を乱暴に振り払う。
「あ、兄上のお嫁さんですか!」
「違うってば!!」
「そして、こいつは俺の弟、アステル・ロイド・セレネシア。この国の王太子だ」
「は、初めまして」
第一王子のロータスではなく、その弟が王太子? 疑問に思ったが、その国の王族にも色々あるのだろう。詮索するのは野暮、と判断し、簡単な挨拶だけで済ませた。
ルネの席は当然のようにロータスの隣。その向かいにアスターが一人で座っている。国王の席は空いたまま。食事も用意されていないことから、今は城を空けているらしい。
「あら、美味しそうじゃない」
ここは魔王国だ。どんなゲテモノが用意されるのかと思ったが、食事も見る限り色の良い野菜とよく煮込まれた牛肉。味は絶品、珍しいものではなく食べ慣れた味に近い。
(もしかして本当に、魔王国という名は私達が勝手に呼んでただけなのかしら……)
心の内でそう思いながら、ルネは皿の端に苦手なニンジンを避けた。




