8
サキ子は、力を自分の心の深層から汲み取るように、勢い良く立ち上がって、黙って玄関へ向かった。一樹はその背中を追った。
サキ子の家を出て、向かいの畦道を歩いていく。両手側は田んぼになって、青い稲が茂っているが、規則正しく並ぶ稲と稲の間隔がいやに広くて、秋の豊穣を想像すると寂しくなるような、まるでカラスのためのエサみたいに貧弱な田んぼだった。
道中、一樹は尋ねた。
「頼所教の建物を、お母さまは訪問されてみたことはないのですか?」
少しの間をおいて、サキ子が答えた。
「一年間くらい、毎日通い詰めたよ。でも、チャイムを鳴らしても、誰も出て来ないんだ。ドアを千回くらいノックしたような気がする」
畦道からアスファルトの道路に抜けて、合わせて三十分くらい歩くと、パンフレットの写真で見た建物が右手に見えた。周囲にある民家は少し遠くの方に見えた。
三階建てのテナントビルくらいには規模がある立派な宗教施設だった。ドア以外に、窓はない。
「お母さん」
まるで、血のつながった母親をいたわるような口調で、一樹はサキ子に呼びかけた。
「後は自分で調べますから、お母さんは、帰ってください」
「え、でも……、どうするんだい?」
サキ子は戸惑うような様子を見せた。
「大丈夫。帰ってください」
目を動揺したようにパチパチさせながら、サキ子は、元来た道を、後ろを振り返り気にしつつ帰っていった。
心配そうなサキ子の姿が見えなくなるのを待って、見えなくなってから三分間待った。
一樹は、頼所教の敷地内に入った。灰色の壁は、ペンキの塗られていないコンクリートだった。ピンクのドアの横のインターフォンを鳴らす。インターフォンにはカメラレンズが付いていた。
一分待った。応答はない。もう一度鳴らす。
三分待ったけれども、返事はない。そのあと鳴らすごとに、待つ時間を延ばしていったが、返答は全くなかった。
鼻の奥に緊張の青い匂いが広がっていった。握りしめた拳が熱を持つ。
一樹は、ドアを力いっぱい乱暴にノックしだした。
「教祖に殺人の疑惑がかかっていますよ! 証拠も証言もありますよ! 私たちが被害届を出しました!」
大声で叫んだら、インターフォンから即座に返答があった。
「何ですか? あなたは⁉」
「ジャーナリストの藤堂一樹です。取材に応じていただけないのなら、他から聞いてまわりますよ。ここで、教祖にかかった疑いをご近所の人に大きな声で訴えてから」
息をのむ声が聞こえた。
「少々お待ちください」
ややあってから、ドアの錠を外す音がした。一樹の背後の道路で足音がしたから、少しだけ振り向くと、具合が悪そうに俯いて青い顔をした小学生の女の子が通っていった。
その力ない青い顔が目に残ったまま、
「入っても構いません」
と中から聞こえて、一樹は、ピンクのドアを押し開けた。
幅が狭く、奥行きのある玄関の壁際に、長い靴箱が置かれていた。信者らしき男性が玄関の三和土の終わった場所で、三人並んでいる。少し離れているせいか、全員同じような顔に見えた。
のっぺりとした、伸し餅みたいな。
手ごわそうだなと思いながら近づいていくと、スリッパが用意されていた。一樹は、それに履き替えて、三人の顔をもっとよく見た。
成程。三つ子というわけではない。当然だ。顔立ちは全員違っているし、鼻の高さも頬の膨らみも違う。肌色も違う。
しかし、印象としては、全員から同じものを受けるのは変わりない。
「大変失敬な話ですが、教祖に関する誤解を解く必要は我々としてもありますので、特別に施設内に入ることを許可します。空いている部屋にご案内します」
真ん中の男が言った。
伸し餅三人組は、二十代か、三十代か、四十代か、よくわからない。肌艶が良くも見えないのに、年輪を感じる人間らしい皺も見つけられない。
中に入ると、すぐにロビーらしき開けた場所があった。テレビがあり、ソファがあり、今時珍しいVHSのテープが並んだ本棚がある。床には淡いピンクと水色のマーブル模様の絨毯が敷かれていて、そこで、何人かが図鑑のようなものをめくっていた。
傍らのテーブルには、水の入ったラベルのない二リットルペットボトルが四本と、ガラスのコップが十個くらい無造作に置いてあった。
案内をする男のうちの一人が図鑑をめくりながら、腹ばいになっている男に声を掛けた。
「佐々木君」
男は、涎が垂れそうなくらい平和に微笑んで顔を上げた。
「テーブルの上。もう少し、整理しなさい」
「はい」
立ち上がる男が片付けるのも確認せずに、三人組と一樹は先に進んだ。廊下に並ぶ部屋のうち、突き当りの部屋に一樹は案内された。施設内の電灯が明るすぎて、廊下の壁の素材がよく分からなかった。色は、白か、クリーム色だとは思うのだが。床は、板張りだった。よくニスが塗られていて、ピカピカと反射する。
室内の電灯は、まだ少し落ち着いていた。
ポリエステルのような白い壁に、リノリウムの病院のような床。
「何に使う部屋ですか?」
「信者の教育です」
一樹は、椅子を勧められた。家庭用に使えそうな木材のテーブルと椅子だった。テーブルの一辺に三脚、その向かいに三脚用意されている。
一樹は、扉から離れた側に座らされた。向かいに三人が座る。
一樹は、何故かふと、自分のことを顧みた。佐藤のことを利用する自分。友人のことも利用する自分。仕事で成果を上げたいがために、自尊心と自我の充足のために、手段を選ばない自分……。
一樹は、ストーカーのような真似をしてきた会社員時代に付き合っていた男としか、男女の付き合いをしたことがなかった。他の男性からの告白も佐藤を除いて、三回くらいあったが、断ってきた。変なろくでもない、情けない男しか寄り付かないと思っていた。陰気な奴。卑劣な奴。卑屈な奴。どこか女性蔑視を感じさせる男ばっかりだった。馬鹿にできる、自分の下における女を探しているような奴ばっかりに見えた。
そいつらが見下げることができるものが、一樹の中にあるのだろう。
一樹自身、きれいじゃない淀みを孕んだ人間だ。
どうせ私は、どう扱ってもいいように見えるのだろう。
横のラックに、厚みが様々な、教団の書籍やパンフレットが表紙を向けて並んでいた。自嘲を相手に対する嘲笑に見せて口を歪ませながら、一樹は聞いた。
「一人ずつ教育するのですか?」
「新しく入信した人には、丁寧に時間をかけて説明して差し上げています」
「あなたたちは、男性の根っこを切り取ったのですか?」
真ん中に座った男が目を剝いて、テーブルを叩いた。
「ただの女の分際で、なんて口を利く! そんなことを私たちの教祖は要求しない!」
一樹は、一気に冷めた気分になった。
「時間を掛けて、どんな説明をするのですか?」
向かって左の男が答えた。
「女性であるあなたには言う必要はありません」
「どうしてですか?」
右の男が呆れたように答えた。
「女性は入信できない規則になっています。本来ならば、あなたはここの施設には入ってはいただけません」
「それは、どうして?」
「決まりだからだ!」
真ん中の男がいきり立った。
「教祖は女性では?」
「教祖は巫女だから別だ! 教祖様は、われらを神の御許に導く役目を授けられている」
一樹は、鼻で笑うのを止められなかった。
「何がおかしい⁉」
「ここの宗教に入った人が、男性器を切り取って自分で東京に埋めにいき、帰ってから海岸で遺体になって発見されています。何か言い訳はありませんか?」
「そんな人間はいない。出鱈目を言うな!」
「山辺敏彦さんは、こちらに入信されていましたよね?」
「そいつは、教祖に特別に取り立ててもらえたのに、いつの間にか勝手にいなくなった。我々は関係ない」
「他にもそんな人間がいたのでは?」
男は押し黙った。その時。閉められていたドアが外から開いた。
「あんまり喚き散らして話すものじゃないよ」
ドアを開けた男性が、男をたしなめた。
「お嬢さん、お名前は?」
「藤堂と申します。こちらの宗教の不審な点についてご説明をいただきたく訪問させて頂きました」
「そうですか。この部屋は結構声が筒抜けのようだから、二階の部屋で私がお話しても?」
「是非」
ドアを開けた男は、入り口に立っていた身を横にして背中をドアに付け、一樹に対して「どうぞ」と廊下に通した。
「どうも」
一樹は、軽くうなずいて従った。
背が高く、ほっそりして、身体のバランスのいい、目鼻立ちの整った男だった。四十代くらいに見える。毛髪が豊かで、さっぱりとした印象だった。
どこか悟りを含んだ横顔で、階段を上がりながら、男は自己紹介した。
「足立薫です」
一樹も改めて自己紹介した。
「藤堂一樹です」
そこはかとなく苦し気に息を吐くようにして、足立は、
「それは、それは……」
と言い、
「さっき、女性は入信できないといったのは……」
と説明を始めた。
「女性はそのままで神のそばに上がることができるから、入信する必要がないという意味ですよ」
「そうですか」
「だから、女性を蔑視しているわけではありません。むしろ、崇めているのです」
どうだか、と一樹は思った。
世の中の男たちが言う「女を馬鹿にしているわけじゃない」という言い訳は、うまくできた嫌がらせのように上手にできているものだ。その言い訳は、さらなる女性に不利な言い訳を生んでループして、消えずに残り続けている。
こんな宗教に入れてもらわなくて結構だが。教祖は、女より男が滅法好きなのだろう。
それか、男に逆らうことはしない代わりに、同性を貶めるタイプか。
それとも……、男を貶めたい……?
「教祖は体調がすぐれず、寝込んでいますので、彼女が普段書き物をしたりしている部屋を使わせていただきましょう」
よく掃除された白い階段を上がって、二番目の右手の部屋に通された。
執務室のような部屋で、正面に広い机があり、その手前に応接セットのような低いブラウン色のテーブル、向かい合った黒革のソファが鎮座している。床は黒っぽい赤の絨毯だった。
右と左の壁に向かい合ってかかっている二枚の風景画、両方とも油絵で、一枚はヨーロッパの田舎町、一枚はメキシコのお祭りの様子。その二枚の奇妙な嚙み合わせが、部屋をぎりぎりの調和で落ち着かせ、品を保った風にしていた。壁際に立つ縦に二列横に五列段が並んだ、天井より半分くらいの高さのピンクのカラーボックスの中には、ドールハウスが幾つか納まっていた。昔のアメリカのドラマの「フルハウス」みたいな家もあれば、ヨーロッパの貴族の屋敷みたいなものもあって、可愛らしい羨望を感じた。ホントに羨望してはいないかもしれない。他に右手側と左手側に扉が一つずつあった。
足立は、ソファの片側に座った。
「どうぞ」
手振りで、一樹に向かいのソファを勧めた。
「私どもに関係がありそうな、いくつの不審な遺体が分かっているのですか?」
足立は自分から話を振った。
そのセリフの間に、足立の顔は、まるで段々と透き通っていくかのように見えた。
諦めて降参して、投げ出すときの涼やかさに一樹には見えた。
「五人です」
足立は座りなおすような動作をして、
「それは、まさしく、我々が死に導いた人たちですよ」
「絞殺ですね」
「むしろ、首吊りですね」
「では、全員、自分で死んだと?」
「頼所教が殺したといった方がきっと正しいでしょうね」
一樹は、膝の上で両手を合わせてこするようにして、高ぶりそうな自分を抑えた。
「ごめんなさい」
足立は、突然謝罪を口にした。
「……、といっても、白々しいですね。ここまで教祖に協力してきて。大体、あなたは警察の人ですらない。本当は、物証とか証拠も少ないのでしょう?」
一樹は、答えなかった。
「何故、謝ったのですか?」
「その扉の方を見てください」
足立は、一樹の背後を指差した。
「開けて、見せて差し上げますよ」
足立は立ち上がって、扉まで向かった。扉には鍵はついておらず、鍵穴もなく、足立はただ、その扉を押し開いた。一樹は慌てて足立の横に立った。
その部屋には、布団が隅に重ねられてあった。小さな洗面所。その直ぐ横にあるドアはトイレだろうか――。床は粗末なくすんだ緑色のカーペットで、薄っぺらくて汚れたフェルト生地のようだった。はっきり言って、刑務所か留置所のよう。七畳くらいか。奥の壁に大きめの押し入れのような木製の引き戸がある。
「奥にあるのは、押し入れじゃなくて、クローゼットです。開けて見てください」
一樹は、部屋の中に入った。
「いっしょに入ってもらえますか?」
一樹が言うと、足立は、
「ええ。ですが心配しなくても、この部屋を施錠したことは一度もありませんよ」
「そうですね。つい怖くなって」
一樹は素直に恐怖を口にした。
「教祖様も、本来はとても素直な可愛い人です」
一樹はクローゼットに近づいた。
地獄に続く窯を開けるような気持で、引き戸を横に引いた。
中はがらんどうだった。質素な木の壁のおがくずみたいな匂いも少しする。ハンガーを掛ける横棒も渡されていない。天井の方を見上げた。
金属製の銀色に光るフックがぶら下がっている。足元を見た。
丁度、首を通すのに使えそうな大きさの輪を作ったロープが無造作に落ちていた。
「はっ」
一樹は、身を引いた。
「全員、ここで首を吊ったのですか?」
「はい」
「何の意味が? 全員、性器を切り取られていたのですか?」
「あれは原則的には自分で切るのですよ」
「では、無理矢理切ったこともあると?」
「はい。私と、教祖がね」
一樹は、部屋を見渡した。
「このクローゼットとこの部屋、写真に撮ってもいいですか?」
「どうぞ。ご随意に」
一樹は、鞄から小型のデジカメを取り出して、部屋のあちこちを十枚ほどの写真に収めた。全体を俯瞰した写真を、クローゼット側からと、部屋の入り口からので二枚撮ると、一樹は、
「まだお話をお伺いできますか? 聞くべきことは山ほどあります」
一樹が写真を撮った後、足立は生気の抜けたような目になっていた。一樹の声で我に返ると、一樹を元のソファに促した。その様子がどこか保護欲をそそるような感じがして、一樹は不思議に勝ち誇った気持ちが僅かに心に差し込んだ。
自分のいやらしさは取り敢えず脇に置いておいて、一樹は、
「五人は全員信者の方ですか?」
と生き生きとして尋ねた。
「そうです」
「何故、彼らは自分の性器を切り取る必要があったのですか?」
「教祖の指示です。お話します」
足立は、話し始めた。




