藩境の町
翌日。
午後7時少し前。
敏夫がやって来た。
その隣には大野がいた。
「敏夫さん、いらっしゃい。お連れは大野さんだったんですね」
「うん。実は前に話しているときに2人ともビートルズのファンだったことが分かってね。昔のレコードを持ち寄ろうということになったんだ」
大野が少し照れたように笑う。
「高校時代は小遣いを貯めて買ったんですよ。今でも捨てられなくて」
「大野さんもビートルズファンだったんですね」
「ええ。私はどちらかというとジョージ・ハリスン派ですが」
「お、渋いですね」
敏夫が笑った。
「あと2人来るから先に席についていていいかな」
「もちろんです」
2人が席につく。
だがグリフは少し違和感を覚えていた。
大野。
敏夫。
そしてあと2人。
ビートルズ好きが偶然4人集まる。
もちろんあり得る。
あり得るのだが――
敏夫らしくない。
そんな気がした。
10分ほどして2人の男が店に入ってきた。
「金子先生、柴田先生、こちらです」
敏夫が席へ案内する。
2人とも60代。
町の人間なら顔を知っている。
「じゃあ、ご主人。先にコーヒーをお願いしていいですか」
先生。
その呼び方でグリフは察した。
――議員か。
コーヒーを運ぶ。
テーブルにはレコードが並んでいた。
「このジャケットは名盤ですよ」
「いやいや、こちらも負けてません」
「初来日の映像を見ましたか」
本当にビートルズの話をしていた。
少なくとも今は。
*
夕方の店は混んでいた。
カウンター席にいた商店街の店主がグリフに声を掛ける。
「あそこにいる人たち議員だろ」
「そうなんですか。ビートルズで盛り上がってるみたいですね」
店主は呆れたように笑った。
「のんきだね、お前は」
そして小声になる。
「金子さんは牛山派だ」
「へえ」
「柴田さんは革新系の無所属」
「へえ」
「藤田さんは武藤派」
グリフは相槌だけ打った。
だが頭の中では別の計算が始まっていた。
――これは偶然じゃない。
グリフは厨房に入った。
まずはスープからだ。
定番のトムヤムクン。
鍋に水を張り、レモングラスを刻む。包丁の音が一定のリズムで響いた。
――敏夫さん、なんであの人たちを連れてきたんだ。
厨房からホールをちらりと見る。
4人はまだビートルズの話をしている。
だが、あの顔ぶれが偶然集まったとは思えなかった。
――店に政治色を出したくないな。
グリフはそう考えていた。
この店には商店街の店主も来る。
農家も来る。
建設会社の人間も来る。
町役場の職員も来る。
どちらの陣営にも属さない場所だからこそ、人が集まる。
だからこそ政治の匂いはできるだけ避けたい。
包丁を置く。
エビの殻をむきながら考えた。
――だからビートルズか。
敏夫はグリフの叔父だ。
温厚で、人当たりが良くて、誰とでも仲良くできる。
だが、今日のやり方は少し違った。
店に入ってきた議員たちの組み合わせ。
大野の同席。
そしてレコード。
全部が偶然とは思えない。
――確かに、いきなり事務所で会えば怪しまれる。
――だから店。
――しかも人気店。
――人目につく。
グリフはトムヤムクンペーストを鍋に入れた。
赤い色がスープに広がる。
――でも、親戚の店だってことはいずれ分かる。
それなのにわざわざここを選んだ。
それはつまり、
分かっても構わないということだ。
いや。
むしろ分かってほしいのかもしれない。
武藤派にも。
牛山派にも。
町の有力者たちにも。
――俺を軽く見るなよ。
そんな言葉が聞こえてくるような気がした。
グリフは少し苦笑した。
敏夫さんらしくないな。
そう思った。
だが同時に、
敏夫さんも男の子か。
そういう面があっても不思議はないか。
今までの敏夫は、誰かの後ろで支える側だった。
調整役。
まとめ役。
衝突を避ける側。
だが、ずっとそうだった人間が、一度くらい前に出たくなることもあるのかもしれない。
グリフは鍋をかき混ぜながらそう考えた。
ふとホールを見る。
ちょうど敏夫と目が合った。
敏夫は、見たこともないような満面の笑みを浮かべていた。
そして口だけを動かした。
「よ」
「ろ」
「し」
「く」
グリフは思わず吹き出しそうになった。
グリフには、「君ならこの状況察してくれるでしょ、よろしくね」という意味に感じた。
が、単に料理を出してくれと言う意味かもしれない。
ただ、あの表情が気になった。
――俺を巻き込むな
*
少しグリフは腹が立ってきた。
敏夫さんがそうくるなら、俺は俺で敏夫さんを利用させてもらう。
同時に
――まあ、いいか。
とも思った。
敏夫には敏夫の事情がある。
自分には自分の事情がある。
ルンザットから来春やって来る20人。
あれを考えれば、政治に関わりたくないなどと格好をつけていられる立場でもない。
――困ったときはお互い様だよな。
トムヤムクンが完成した。
器を4つ並べる。
その横には、ジョコの家伝来のサンバルがあった。
辛味が強い調味料だ。
普段なら客に出すときはほんの少しだけ加える。
入れすぎると汗が止まらなくなる。
グリフはスプーンを手に取った。
1皿。
2皿。
3皿。
そして敏夫の皿だけ。
少し多めに入れた。
そして何食わぬ顔で4人のテーブルへ料理を運んでいった。
敏夫が一口飲んだ。
「!」
一瞬、目を見開いた。
が、そのあとすぐに笑顔に戻った。
グリフは満足そうに頷いた。
*
敏夫は食事が終わると席を立った。
「マスターにお礼を言いたいので、私はここで失礼します」
そう言って3人と別れ、店へ戻ってきた。
夜の空気は少し涼しくなっていた。
店内はまだ営業中だったが、客はまばらになっている。
敏夫はカウンター席に腰を下ろした。
「コーヒーをもらえるかな」
「ホットですか」
「そうだね。今日はホットにしよう」
グリフがコーヒーを淹れる。
その間、敏夫は店内を見回した。
観光客らしい若い女性。
地元の商店主。
仕事帰りの会社員。
そして常連らしい年配客。
以前のワルン・クラサワにはいなかった顔ぶれだ。
――ずいぶん変わったな。
敏夫はそう思った。
この店は、いつの間にか人が集まる場所になっていた。
それも特定の層だけではない。
様々な人間が自然と交わる場所だ。
政治家から見れば、少し羨ましい空間だった。
やがて最後の客が帰った。
ジョコが片付けを始める。
グリフはその様子を確認すると、敏夫の隣に腰掛けた。
「敏夫さん、お連れは大野さんと議員さん2人だったんですね。前もって言っていただければよかったのに」
「いや、申し訳ない」
敏夫は苦笑した。
「今日いきなり電話したんだよ。誰が来るか決まったのも直前だった」
「そうだったんですか」
「うん」
敏夫はコーヒーを一口飲んだ。
そして少しだけ真面目な顔になる。
「君には、今日の集まりはどんな風に見えた」
グリフは少し考えた。
「……何かしらの政治的アピールですね」
「ほう」
「しかも露骨じゃない。微妙なニュアンスを持たせた感じです」
敏夫の口元がわずかに緩む。
「君がそういう印象を持ってくれたなら狙い通りだ」
「やっぱりですか」
「そんな顔をするなよ」
「だって気持ち悪いですよ」
「気持ち悪い?」
「議員同士が集まってビートルズを語る会です、なんて言われても」
敏夫は思わず笑った。
「本当にビートルズを語っていたんだぞ」
「それが余計に気持ち悪いんです」
「ひどいな」
2人は少し笑った。
だがグリフはすぐに表情を戻した。
*
「ひょっとして敏夫さん、町長選に出るつもりですか」
「まさか」
敏夫は首を振る。
「そこまでは考えちゃいないよ」
そして窓の外に目を向けた。
「ただね……」
「はい」
「現職の武藤さんでほぼ決まりの無風選挙が、少しでも盛り上がればいいなとは思っている」
グリフは敏夫の横顔を見た。
以前の敏夫なら、こんな言い方はしなかった気がした。
町のため。
住民のため。
そういう言葉を使っただろう。
だが今は違う。
選挙そのものを見ている。
勝敗や駆け引きも含めて。
少しずつ政治家らしい発想になってきている。
そんな気がした。
「町議の1人は牛山グループの人だったんですよね」
「そうだね」
「敏夫さんは今のところ武藤グループ。その2人が選挙直前に会っているとなれば、何か含みがあると思われますよ」
「いやいや」
敏夫は肩をすくめた。
「何もない。ビートルズが好きな者同士が集まっただけだ」
「そういう名分を用意してるところが気持ち悪いんですよ」
「まだ言うか」
敏夫は笑った。
グリフも少しだけ笑う。
そしてふと思い出したように尋ねた。
「そもそも同じ保守政党なのに、なんで2つのグループに分かれているんですか」
「それはね」
敏夫はコーヒーカップを置いた。
「古い話なんだよ」
「どれくらいです」
「江戸時代からだ」
「江戸時代……古すぎませんか」
「まあ、そうだな」
敏夫は懐かしそうに語り始めた。
「この辺りは昔、光明神社の周辺から南側が関谷藩だった。その周りは仙台藩の領地だったんだ」
「へえ」
「関谷藩は譜代。仙台藩は外様」
「仙台藩の初代は伊達政宗ですよね」
「そう」
敏夫は頷いた。
「立派な外様だ」
そして少し面白そうな顔をした。
「ついでに教えておくと、関谷藩の藩主は田辺家だよ」
「田辺……」
グリフは思わず聞き返した。
「そうだ」
敏夫はさらりと言った。
「総一郎さんは旧藩主家と血縁のはずだ。もちろん直系じゃないと思うが、そんなに遠くもない」
「知りませんでした」
「まあ、そうだろうね」
敏夫は笑った。
「総一郎さん自身、そういうことを気にする人じゃないからな」
そして少し考えるように言う。
「私も春子と結婚するときに、私の父から田辺家の由来として一度聞いたきりだよ」
*
敏夫はコーヒーカップを手の中で回しながら話を続けた。
「話を戻すと、その江戸時代に藩が分かれていたことが、意外と今でも残っているんだよ」
「そんなものですか」
「祭りなんか分かりやすいな。今でも別々にやっているし、私が若いころは互いに結構ライバル意識があった」敏夫は懐かしそうに笑った。
「祭りの日になるとね。向こうに負けるなって大人たちが本気で言ってたよ」
「今ではあまり感じませんね」
「若い人はそうだろうね」
敏夫は頷く。
「子供も減ったし、学校も統合された。部活も同じ。昔みたいに地域ごとに固まることが少なくなった」
「確かに」
「ただね、私の少し下くらいの世代までは、まだ残っているよ」
「ということは、その江戸時代にどちらの藩だったかが、武藤グループと牛山グループの源流なんですか」
「そうだよ」
敏夫はあっさりと言った。
「武藤グループは田村衆。牛山グループは伊達衆」
「そんな昔の話が今でも」
「もちろんそれだけじゃない」
敏夫は笑った。
「でも土台にはなっている」
そして少し声を落とした。
「それに20年前くらいまでは、保守が割れるのは当たり前だったんだ」
「そうなんですか」
「国政でも同じ保守政党から複数の候補者が出ていた。地方議員はそのどちらかにつく」
「なるほど」
「だから同じ党なのに敵同士なんて普通だった」
グリフは曖昧に頷いた。
その頃はまだ中学生だった。
選挙よりも部活や友達の方が重要だった時代だ。
「その当時は今より利益誘導型だったからね」
「利益誘導」
「そう。自分が応援した候補が勝つか負けるかで、自分の生活に直接影響が出る」
「橋とか道路とかですか」
「そうだよ」
敏夫は即答した。
「例えば自分の店の前の道路が整備される」
「はい」
「駐車場ができる」
「はい」
「観光ルートが変わる」
「なるほど」
「客足が全然違う」
敏夫は少し笑った。
「だから商店主も従業員も必死だった」
「そんなにですか」
「今の若い人から見たら信じられないだろうけどね」
敏夫は懐かしそうに天井を見た。
「選挙カーが来たら店を閉めて応援に行く人もいた」
「へえ」
「投票率も今よりずっと高かった」
グリフは少し考えた。
「なるほど」
「ん?」
「投票率が下がったのって、政治意識が下がったからじゃないんですね」
敏夫は少し嬉しそうな顔をした。
「どういうことかな」
「政治が生活に直結しなくなった」
「そうだね」
「良い意味でも悪い意味でも」
「その通り」
敏夫は頷いた。
「昔より公平になったとも言えるし、政治家の力が弱くなったとも言える」
*
しばらく2人とも黙った。
店の奥ではジョコが食器を洗っている。
水の流れる音だけが聞こえた。
やがて敏夫が口を開く。
「そこでだ、直人君」
「はい」
「今度の町長選を少しでも面白くするにはどうしたらいいと思う」
グリフは思わず笑った。
「面白くするって言い方が政治家っぽくないですね」
「いいんだよ」
敏夫も笑う。
「勝負は面白くないと」
グリフは少し考えた。
そして口を開いた。
「私なら……まずメガソーラーを使いますね」
「ほう」
「景観の問題があります」
「うん」
「観光で飯を食っている人たちには結構刺さると思います」
敏夫は満足そうに頷いた。
「そこなんだ」
「え?」
「里山だよ」
敏夫の目が少しだけ鋭くなった。
「大野さんの話を聞いて思ったんだが」
「はい」
「里山そのものが観光資源になると思わないか」
グリフは一瞬考えた。
そしてゆっくり頷いた。
「なるほど」
「だろう」
「確かに倉沢は光明神社が強すぎます」
「そうなんだ」
「観光客は神社を見て帰る」
「うん」
「滞在時間が短い」
「そうだ」
「そこにもう一つ目的地ができれば」
グリフは頭の中で観光客の動きを想像した。
神社。
里山。
地元の飲食店。
宿泊。
土産物。
今まで繋がっていなかった線が一本に繋がる。
「宿泊客も増えるかもしれませんね」
「その通りだ」
敏夫は嬉しそうだった。
「倉沢は小さい町だから、大きなテーマパークなんか作れない」
「はい」
「でも里山ならできる」
「なるほど」
「遊歩道を整備して、案内板を置いて、休憩所を作る」
「それだけでも違う」
「そうだ」
グリフも次第に熱が入ってきた。
「周辺農家も巻き込めますね」
「そうなんだ」
「直売所もできるし、体験農園もできる」
「そう」
「うまくやれば観光と農業が繋がる」
敏夫は満足そうに頷いた。
「これなら戦えるかもしれない」
グリフが言うと、
敏夫は少しだけ笑った。
*
「選挙に勝つにはまだ足りないけどね」
「まあ、そうでしょうね」
「でも」
敏夫はコーヒーを飲み干した。
「やり方次第では、僅差での敗北と言われるところまでは持っていけると思う」
グリフはその言葉を聞いて、自分が妙に興奮していることに気付いた。
本来なら関わるべきではない。
政治に巻き込まれるのは面倒だ。
店にとってもリスクがある。
そう思っていたはずだった。
だが今は違う。
目の前にあるのは選挙というより、一つの戦略ゲームだった。
限られた駒。
限られた時間。
限られた人脈。
そこからどう勝ち筋を作るのか。
気付けば自分も、その盤面を真剣に見つめていた。
そして、それを少し面白いと思っている自分がいることも認めざるを得なかった。
*
グリフは敏夫のカップに目をやった。
いつの間にかコーヒーは空になっている。
話に夢中になっていたらしい。
「コーヒー、お代わり持ってきましょうか」
「いや、大丈夫だよ」
敏夫はそう言うと、少しだけ意味ありげな笑みを浮かべた。
「それより、直人君……」
「はい」
「ぼくに何か言うことがあるんじゃないのかな」
「……」
グリフの背中に冷たいものが走った。
――トムヤムクンだ。
――バレたか。
さっき敏夫の皿だけ、サンバルを少し多めに入れた。
本当に少しだけだ。
だが、敏夫だけが汗をかいていた。
気付いていてもおかしくない。
――いや。
――まだ確信は持ってないはずだ。
――ここは平常心だ。
グリフは一瞬で結論を出した。
「ああ、加藤さんの件ですよね」
敏夫が少し眉を上げる。
グリフはそのまま続けた。
「さっきご本人が来まして、来週からこちらを手伝ってくれるそうです。ありがとうございます」
――とぼけろ。
――とにかくとぼけろ。
敏夫は数秒グリフの顔を見ていた。
それから小さく笑った。
「そうそう、加藤君の件もそうだね」
“も”
と言った気がした。
グリフは聞かなかったことにした。
「ええ」
「彼は真面目だから大丈夫だと思う」
「助かります」
「よろしく頼むよ」
グリフは心の中で安堵した。
もっとも、敏夫が本当に気付いていないのか、それとも気付いたうえで流したのかは分からなかったが。
政治家と商売人の境界線に立ち始めた男同士の会話としては、その曖昧さの方が自然かもしれない。
グリフは話題を変えた。
「それにしても、メガソーラーと里山の件、うまくいきそうですね」
敏夫が顔を上げる。
「そうかな」
「ええ。僕も協力しますよ」
「ほう」
「まずは商店街ですね。この話を知っている人はほとんどいません。認知を広げるくらいなら力になれそうです」
敏夫は少しだけ嬉しそうな顔をした。
「そうだね」
そして静かに続ける。
「時間がない」
「投票日でしたっけ」
「来月26日」
「あと1か月ちょっとか」
「そうだ」
2人とも自然に選挙の日程を前提に話していた。
少し前までなら考えられなかったことだった。
「それなら急がないといけませんね」
グリフは腕を組んだ。
「明日からでも動けます」
「何から始める」
「うーん……」
しばらく考える。
「いきなりメガソーラーの話を始めても不自然ですね」
「確かに」
「きっかけが欲しいです」
「きっかけか」
「できれば新聞」
敏夫が頷いた。
「なるほど」
「小さくてもいいので記事になると違います」
「私も知り合いの記者はいるが……」
敏夫は少し考え込んだ。
「これは牛山グループ側から出た方が自然だな」
「そうですね」
「金子さんに相談してみるか」
「先ほどの議員さんですね」
「そうだ」
敏夫の表情が少し引き締まる。
「彼が牛山グループとの窓口になる」
グリフはそれを聞きながら、
――もう完全に動き始めてるな
と思った。
ついこの前まで、武藤派の集会で演説していた男である。
それが今では、対立陣営との連携を具体的に考えている。
政治の世界は思った以上に流動的だった。
「記事の内容はどんな感じがいいかな」
敏夫が聞く。
グリフは少し考えてから答えた。
「メガソーラーそのものを悪者にするのは早いと思います」
「うん」
「再エネはイメージが悪くないですから」
「確かに」
「だから最初は建設場所ですね」
「景観か」
「そうです」
グリフは頷いた。
「世界遺産との関係です」
「なるほど」
「まずは観光への影響ですね。世界遺産が取り消される可能性すらゼロじゃない、とか……」
「確かどこかの国では取り消される事例があったような気がします。記者の人に調べてもらえるといいですね」
*
敏夫の目が少し光る。
「光明神社、世界遺産取り消しか!?」
「いやいや」
グリフは苦笑した。
「それは強すぎます」
「そうかな」
「強すぎます」
今度ははっきり言った。
「最初からそれをやると相手も本気で潰しに来ます」
「なるほど」
「新聞社への圧力もあるでしょう」
「そうか」
「だから最初は弱く」
グリフは指で机を軽く叩いた。
「じわじわです」
「じわじわ」
「気付いたら何人かが同じ話をしている」
「うん」
「気付いたら商店街で話題になっている」
「うん」
「気付いたら農家も気にし始める」
「なるほど」
「それからです」
敏夫は感心したように頷いた。
「たしかに」
そして少し笑う。
「うちでの仕事ぶりを見て優秀だとは思っていたが」
「はい」
「こういう面でも鋭いんだな」
グリフは曖昧に笑った。
――警戒されたかな。
そう思った。
だが今さらだった。
もう互いに普通の親戚ではない。
同じ盤面を見ながら駒を動かし始めている。
そんな関係になりつつあった。
「時間がありません」
グリフは話を戻した。
「明日の夕刊か、明後日の朝刊」
「了解」
敏夫は立ち上がった。
「早速事務所に戻る」
「今からですか」
「今からだ」
「元気ですね」
「政治家は夜が長いんだよ」
敏夫は笑った。
そしてコーヒー代を置いて店を出ていった。
ドアベルが鳴る。
静かになった店内に、厨房の換気扇の音だけが残った。
グリフは厨房へ戻る。
ジョコが皿を洗っていた。
「終わったか」
「うん」
「難しい話だったな」
「そうだな」
グリフは空になった鍋を洗いながら考えた。
明日からどう動くか。
誰に会うか。
どこから話を広げるか。
頭の中では既にいくつもの案が浮かんでいた。
そしてふと口元が緩む。
――そういえば。
――トムヤムクンの件はうやむやになったな。
グリフは1人で頷いた。
そして誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。
「危機回避能力だけは成長してるな」
ジョコは意味が分からず首を傾げていた。




