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奇襲という住民投票

数日後。

グリフは総一郎の道場で、久しぶりに竹刀を振っていた。

アリと再会したせいかもしれない。

ルンザットにいたころなら、もう少し動けたはずだ。

今では身体が重い。

竹刀を振るたび、頭の中では別のことを考えていた。

メガソーラーを完全に止める方法。

場所を変える。

規模を縮める。

町が引き取る。

事業者へ別の場所を紹介する。

いくつも思いつく。

だが、どれもきれいには終わらない。

場所を変えれば、新しい地域から反対が出る。

規模を縮小しても、「建設を認めた」と言われる。

町が買い取れば、「税金で事業者を助けた」と批判される。

――完全勝利なんて、ないのか。


竹刀を振り下ろした。

頭の中に、ふとアリの顔が浮かんだ。

あの人を食ったような笑み。

――敵側で動いてるのは、お前なのか?

証拠はない。

ただ、今回の話の裏にアリがいるような気がしてならなかった。

想像の中で竹刀を打ち込む。

アリは軽くかわす。

『遅くなったな、グリフ』

そんな声まで聞こえた気がした。

「うるさい」

誰もいない道場で、グリフは小さく呟いた。

もう一度、竹刀を構える。

事業者にも事情がある。

地元の反対を押し切れば、会社の評判に傷がつく。

町との対立が長引けば、時間も金もかかる。

おそらく向こうだって、何が何でもこの場所に建てたいわけではない。

条件を少しでも良くするために、町議や県議を使って村田を追い込んでいる。

――なら、どこかで妥協できる。


問題は、時間だった。

村田は就任したばかりで、政治基盤が弱い。

工事が始まれば、引き返すための費用も増える。

しかも、どんな決着をしても「公約違反だ」と攻撃される可能性は残る。

グリフは竹刀を止めた。

――だったら、傷が浅いうちに終わらせるしかない。

メガソーラーを完全に潰す。

それが目的だと思っていた。

だが違う。

町にも、事業者にも、誰にも傷の残らない答えなどない。

ならば、できるだけ早く妥協点を見つける。

そして村田が、その後も町長として仕事を続けられる程度に、政治的な損害を抑える。

それが現実的なゴールだった。

地域活性化。

観光。

農業。

外国人材の受け入れ。

その後に別の成果を積み重ねれば、今回の妥協も「失敗」ではなく、「現実的な決着」に変えられるかもしれない。

――村田町長の傷を、できるだけ浅くする。

そう考えた瞬間、頭の中が少し整理された。

町のため。

景観のため。

事業者のため。

どれも大事だ。

だが、自分が今やるべきことは一つだった。

村田が倒れない場所に、落としどころを作る。

それでいい。

気がつくと、頭の中にいたアリの姿は消えていた。

アリに勝つことが目的ではない。

そう思うと、竹刀が少し軽く感じられた。


*


そのとき、道場の引き戸が開いた。

冷たい風とともに、総一郎が入ってきた。

手には竹刀を持っている。

「おう、直人」

「……じいちゃん」

総一郎は、床に置かれたグリフの上着と、汗のにじんだ額を見た。

「久しぶりにやる気になったか」

「まあ、少し体を鍛え直そうと思って」

「そうか」

総一郎は満足そうに頷いた。

そして何の前触れもなく、竹刀を構えた。

「なら、1本やるべ」

グリフは目を細めた。

構えに隙がない。

久しぶりの孫だからといって、手加減する気配もない。

むしろ、久しぶりだからこそ、どこまで鈍ったか確かめようとしている顔だった。

――ゴールは村田の政治的な損害を最小限にすることだ。

――だが、このままでは俺が先に肉体的な損害を受ける。

「今日は素振りだけにしておくよ」

「なに言ってんだ。体は相手がいねば戻らねえ」

総一郎が一歩前へ出た。

グリフは同じだけ後ろへ下がった。

「急に店の仕込みを思い出した」

「さっき加藤君が、今日は任せていいって言ってたぞ」

――根回し済みか。

逃げ道を塞がれていた。

グリフは道場の出口と総一郎の位置を見比べた。

交渉の余地はない。

代替案もない。

規模縮小も、条件変更も通用しない。

この案件に限っては、完全撤退が最善だった。

「また今度!」

グリフは竹刀を置き、上着をつかむと道場の外へ駆け出した。

「こら、直人! 逃げるな!」

背後から総一郎の声が飛んでくる。

グリフは振り返らなかった。

政治では妥協が必要である。

そして戦況によっては、撤退もまた立派な戦略だった。


***


その後、グリフは聞き取った内容を整理し、資料作りに取りかかった。

町民との会話は、地区、年代、職業、メガソーラー計画への関心度、町長選での投票理由などに分けて表へまとめた。

正式な世論調査ではない。

話を聞けた相手にも偏りがある。

それでも、町の人間が何を考えているのか、おおよその傾向をつかむ材料にはなる。

さらに、インターネットや新聞記事を調べ、太陽光発電所や大規模開発をめぐって、事業者と自治体が対立した過去の事例も集めた。

計画の縮小。

代替地への移転。

自治体や関係団体による土地の取得。

防災設備や植栽の追加。

地域貢献金や協定の締結。

どの事例も完全な勝者はいなかった。

事業者は計画を変更し、自治体は一定の負担を受け入れ、住民も当初の要求をすべて通したわけではない。

結局、何らかの妥協によって決着している。


*


グリフは資料の最後に、今回目指すべきゴールを書き加えた。

『メガソーラー計画をめぐる村田町政の政治的損失を、最小限に抑える』

翌日、グリフは資料を抱えて藤樹堂へ向かった。

事務所では敏夫が1人で待っていた。

グリフから資料を受け取ると、表紙から順に黙って目を通していく。

ページをめくる音だけが、しばらく事務所に響いた。

やがて敏夫が顔を上げた。

「選挙前にも、同じように町の声を集めてくれていたな」

「はい」

「しかし、短期間でよくこれだけの人間と、政治に関わる話ができるものだ」

資料には、商店街だけでなく、熊田地区を含む農村部で聞き取った内容も記されている。

「人と話すこと自体は苦にならないんです」

グリフは椅子へ腰を下ろした。

「1人と話していると、近くにいた人が会話へ入ってくることもありますし。最初は天気や農作物の話でも、そのうち自然に町の話になります」

「それで、メガソーラーの話まで持っていけるのか」

「いきなり聞けば警戒されますけどね。選挙のことや村田さんのことを話していると、そこからつながります」

*


敏夫は感心したように資料へ目を戻した。

「稀有な才能だと思うよ」

「そこまでですか」

「役場の職員には、なかなかできない」

「役場の人の方が、調査は得意なんじゃないですか」

「質問票を持って正式に訪問すれば、相手も正式な答えしか返さない」

敏夫は資料の一行を指した。

「『メガソーラーなんて、選挙が終わってからはすっかり忘れていた』などとは、役場の調査には書いてくれないだろう」

「確かに、酒を飲みながらだから出てきた話もありますね」

「直人君は、相手に調査されていると思わせずに本音を聞ける。それは政治では大きな力だ」

「そう言われると、少し照れますね」

グリフが頭を掻くと、敏夫は軽く笑った。

「それはさておき」

すぐに表情を戻す。

「調査対象にある程度の偏りはある。しかし、町民の意識について、おおよその傾向はつかめたと考えていいだろう」

「はい。正式な世論調査ではないので、数字そのものを表に出すのは危険ですけどね」

「類似した事例も分かった」

敏夫は後半の資料をめくった。

「事業者も、どこかでは妥協する可能性が高い。そして、村田さんの政治的損失を最小限にすることが、今回の目標だというのも理解できた」

「そこが見えてから、少し考えやすくなりました」

「それで」

敏夫は資料を閉じた。

「何か具体的な対応策は思いついたか」

グリフは少し姿勢を正した。

「一つあります」

「聞かせてくれ」

「少し奇襲に近い方法なんですが」

「奇襲?」

敏夫の眉が動いた。

「はい」

グリフは新しい紙を取り出した。

「村田さんが町長選で勝てた理由の一つは、出馬表明を告示直前まで伏せていたことだと思います」

「武藤陣営が無風選挙だと思っている間に、こちらは候補者と政策を準備した」

「確かに、あれは奇襲だった」

敏夫も認めた。

「相手が態勢を整える前に選挙へ入れたのは大きかった」

「村田さんにとって、奇襲は縁起がいい。だから、もう一度やってみてはどうかと思ったんです」

敏夫はすぐには賛同しなかった。

「次の町議選挙のことを考えているのか」

「それにも影響します」

「だが、今度は武藤派も警戒している。一度通じた手を、同じ相手にもう一度使うのは難しいぞ」

「私もそう思います」

「信長も、桶狭間のような賭けを何度も繰り返したわけではない」

「でも、義経は一ノ谷と屋島で似たようなことをやっていますよね」

「奇襲が好きだな、直人君は」

「正面から戦える兵力がないと、そうなります」

敏夫は苦笑した。


*


「それで、今回は何をするつもりなんだ」

グリフは一呼吸置いた。


「住民投票です」


敏夫の表情が止まった。

「住民投票?」

「はい」

「いや……分からなくはない」

敏夫は椅子の背へ体を預けた。

「だが、あまりに唐突だな」

「以前にも話したと思いますが、ルンザットで似たようなことがあったんです」

「村の農業施設と漁業施設のどちらを優先するかという話だったか」

「はい。そのときも、最終的には住民に投票してもらいました」

グリフは紙の中央に、いくつかの選択肢を書いた。

「指導者側で結論を決めてから住民へ伝えると、必ずどこかから反発が出ます」

「それぞれの立場の人間が、決定前に指導者や有力者へ働きかけていますからね。自分たちの意見が採用されなければ、それまでの働きかけが無駄になったと感じる」

敏夫が頷いた。

「特に妥協案は、双方から不満を持たれやすい」

「そうです」

グリフは紙へ3つの丸を描いた。

「ですが、事前に複数の現実的な案を示し、それぞれの利点と欠点を公表したうえで住民に選んでもらえば、考える時間ができます」

「建設を全面的に認める場合」

「規模の縮小や景観対策を条件に認める場合」

「町が費用を負担してでも中止を求める場合」

「例えば、そうした案です」

敏夫が紙をのぞき込む。

「ただし、投票で選ばれた案が実行できなければ意味がないぞ」

「はい。だから、先に事業者と協議して、実現可能な選択肢を絞る必要があります」

「事業者が受け入れない案を並べて、町民に選ばせるわけにはいかない」

「そこは大前提です」

グリフは続けた。

「その過程で、住民は事業者側の事情も知ることになります」

「すでに費用をかけていることや、適法な許可を受けていること。中止させるなら、町にも金銭的な負担が生じることを公表する」

「そうすれば、単純に『業者を追い出せ』という意見だけではなくなると思います」

「逆に、事業者にも、町が景観や観光を守ろうとする理由を説明する」

敏夫が言った。

「お互いの事情を表に出したうえで、町民に考えてもらうわけか」

「はい。ルンザットでは、それで極端な案への支持が減りました」

「最初は強硬だった人も、他の選択肢の負担を知ると、妥協案を受け入れるようになったんです」

敏夫は腕を組んだ。

「町長選挙の結果では不十分だ、という理屈も立つか」

「立つと思います」


グリフは資料の町長選挙に関する部分を開いた。

「前回の町長選では、メガソーラーが争点の一つでした」

「ですが、争点はそれだけではありません。人口減少、観光、農業、福祉、町長の年齢や人柄まで、さまざまな理由で投票先が選ばれています」

「実際、私が話を聞いた人の中にも、メガソーラーとは関係なく村田さんへ投票した人が大勢いました」

「つまり、村田さんの当選が、そのままメガソーラー反対への賛成多数を意味するわけではない」

敏夫が言った。

「そうです」

「だから、今度はメガソーラーだけを切り離して、町民の意思を確認する」

「その理屈なら、住民投票を行う理由になります」

敏夫はしばらく考えていた。

「ただ、住民投票の結果に、法的な拘束力はないぞ」

「県の許可を取り消せるわけでもない」

「はい」

グリフも承知していた。

「投票で発電所そのものを直接決めるのではなく、町がどの方針で事業者と交渉するかを問う形になると思います」

「最終的な判断は、村田さんと議会が行う」

「そうです。ただ、住民が選んだ方針に沿って決断したと説明できます」

「ただ、難しいのは事業者だ」

敏夫は表情を戻した。

「投票へかけるどの案も受け入れると、事前に了承してもらわなければならない」

「そうですね」

グリフも、それが最大の難点だと考えていた。

「ただ、事業者側にも弱点があります」

「どんな弱点だ」

「この問題を、大ごとにされたくないことです」

「町議や県議、有力者へ水面下で働きかけ、村田さんを包囲している」

「表立って住民と争うのではなく、内側で政治的な合意を作ろうとしていることからも、それは分かります」

敏夫は黙って聞いている。

「事業者にとって最悪なのは、全国的に報道されて、住民の反対を押し切る企業という印象を持たれることです」

「だからといって、脅すのか」

「脅しにはしません」

グリフは即座に答えた。

「報道機関へ不正があるような情報を流すつもりもありません。そんな証拠はありませんから」

「では、どうする」

「まず、4月の着工を一時延期できないか、正式に申し入れます」

「町が住民の意思確認を検討している。その間だけ待ってほしいと」

「事業者の反応を見るわけだな」

「はい」

「協議に応じるなら、そのまま交渉を進める」

「強硬に拒否するなら、町と事業者の協議が難航しているという事実を、公表することを検討します」

敏夫が目を細めた。

「さっきは、マスコミへリークすると言っていたな」

「言葉が悪かったです」

「悪いだけではなく、危険だ」

敏夫は資料を指で叩いた。

「都合のいい部分だけを匿名で流せば、あとで出所が分かったとき、こちらの信用を失う」

「はい」

「公表するなら、町が正式に経過を発表するか、記者から問い合わせを受けた際に、確認できる事実を説明する形にするべきだ」

「事業者の立場も載せてもらう」

「そうです」

グリフは頷いた。

「『住民の反対を無視する悪徳業者』という記事にするのではなく、事業者には事業者の事情があり、町には町の事情があることを報じてもらう」

「町民にも、単純な善悪ではないと知ってもらう」

「そのうえで、町はどう決断するのかと注目が集まったところで、住民投票を提案する」

敏夫は椅子へ深く座り直した。


*


敏夫は資料を最初からもう一度めくった。

グリフの案はまだ粗い。

実施までの日程も厳しい。

条例案を議会へ出し、投票人名簿を準備し、町民へ各案を説明し、3月中に投票を行わなければ、4月の着工に間に合わない。

「日程は綱渡りだな」

「はい」

「事業者が着工延期を拒めば、準備中に工事が始まる」

「だから、最初の交渉が重要です」

「住民投票にかかる費用も調べる必要がある」

「役場の選挙管理委員会へ相談しなければ、正確な金額は出ません」

「投票率が低かった場合、結果をどこまで尊重するのかも条例で決める必要がある」

「3つ以上の選択肢を設けるなら、最多得票だけで決めてよいのかも問題になります」

敏夫の指摘を、グリフは次々と書き留めた。

最初に思いついたときには、住民投票をすれば解決できるように感じた。

だが、制度へ落とし込もうとすれば、新しい問題がいくつも生じる。

それでも、敏夫の反応は完全な否定ではなかった。

「検討する価値はあると思う」

敏夫が最後に言った。

「少なくとも、町長と事業者だけが密室で妥協するより、決着に正当性を持たせられる」

「では、村田さんに話しますか」

「そうだな」

敏夫は資料をそろえた。

「まず私から、非公式に感触を聞いてみる」


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