新町長の宿題
2015年を迎えた。
年が明けて間もない倉沢は、朝から底冷えしていた。
前夜に降った雪が道路の脇に薄く残り、日陰では白い地面が凍りついている。グリフは足元に気をつけながら、町役場へ向かって歩いていた。
吐く息が白い。
今日は、地域活性化推進委員会の初会合が開かれる。
グリフはコートのポケットに両手を入れ、役場まで続く道を歩きながら、ここまでの経緯を思い返していた。
村田が町長に就任したのは、前年の11月だった。
就任すると間もなく、地域活性化推進委員会を動かすための準備に入った。
観光、農業、商業、福祉。
これまで担当部署ごとに分かれて扱われてきた町の課題を、分野を越えて議論する。
若い町長らしく、既存の枠にとらわれず町を改革するための、村田肝いりの委員会だった。
11月中に委員候補の推薦が始まり、12月には人選がおおむね固まった。
年明けから本格的に動き出したい。
それが村田の意向だった。
靴の裏で、凍った雪が小さく音を立てた。
村田がそこまで急ぐのには、町長なりの理由がある。
1年半後には、町議会議員選挙が控えていた。
それまでに町長として目に見える実績を作り、自分に近い町議を増やしたいのだろう。
村田の政策に協力すれば成果を得られる。
村田の応援を受ければ、選挙でも有利になる。
そうした構造ができれば、自然と村田の周囲に人が集まる。
やがて、それが一つの派閥になる。
現在の村田は町長ではあっても、その政治基盤の多くを牛山グループに頼っていた。
悪く言えば、まだ牛山の傀儡だった。
――いつまでも、そのままでいるつもりはないんだろうな。
選挙事務所で見た村田の控えめな態度を思い出す。
あのときは牛山の隣で、周囲への気遣いを忘れない若い候補者に見えた。
だが、町長になれば話は違う。
自分の力で人を動かし、自分の政策を実現しなければならない。
地域活性化推進委員会は、町の改革を進めるための機関であると同時に、村田が自分の政治基盤を築くための一歩でもあるのだろう。
グリフは道の端へ寄り、後ろから来た車をやり過ごした。
タイヤが、湿った路面を擦る音を立てて通り過ぎていく。
この数か月で変わったのは、町の政治だけではなかった。
ワルン・クラサワは、正式に藤樹堂の傘下へ入った。
春子から突然誘われたときには、何を言われているのか理解するまで時間がかかった。
加藤をワルン・クラサワへ移す代わりに、グリフが藤樹堂へ入る。
選手と監督、あるいは選手と球団オーナーを交換するような、妙なトレードの話だと思った。
しかし、敏夫を交えて条件を整理すると、意外にも合理的だった。
ワルン・クラサワの店名とブランドは、そのまま残す。
経営主体だけを、田辺直人個人から株式会社藤樹堂へ移す。
グリフは藤樹堂の役員待遇となり、一般社員のように出退勤時間を拘束されない。店の運営に関わりながら、町の活動やルンザットの若者の受け入れ準備にも自由に動くことができる。
敏夫は事情をすべて知っている。
技能実習生の計画にグリフが時間を使うことも、最初から了承してくれた。
これによって、曖昧だったいくつかの関係も整理された。
加藤は藤樹堂に籍を置いたまま、ワルン・クラサワを主な職場とする。
グリフが敏夫の政治活動を手伝っても、以前ほど不自然には見えない。
最初にルンザットから呼ぶ4人についても、藤樹堂が学費を立て替えることになった。
4人は日本語学校へ通いながら、ワルン・クラサワと藤樹堂で働く。
日本での生活に慣れたあとは、後から来る者たちの相談役や教育係にもなってもらう予定だった。
ジョコの将来にも道がついた。
4月から調理の専門学校へ進学することが決まり、その学費についても藤樹堂が支援する。
卒業後の雇用まで視野に入れた話である。
店の経営。
ジョコの進路。
4人の留学生の受け入れ。
資金の問題。
グリフが1人で抱えていた直近の課題は、藤樹堂へ入ることで一度に整理された。
経営上の責任がなくなったわけではない。
それでも、すべてを1人で背負う必要がなくなったことで、心理的にはずいぶん身軽になった。
――ただし。
グリフは足を止め、コートの肩についた細かな雪を払った。
春子が、正式に上司になった。
新年度から、敏夫は会長へ退き、政治活動へ軸足を移す予定である。
その代わり、春子が藤樹堂の社長に就任する。
経営の判断が早く、商品を見る目もある。
ココまるへの改名も、タピオカがもう一度流行るという予言も、根拠はよく分からないが妙に説得力があった。
経営者としての能力は、おそらく高い。
ただし、思いついた話を翌日には実行しようとする。
――身軽にはなったけど、自由になったとは限らないな。
グリフは苦笑し、再び歩き始めた。
前方に町役場が見えてきた。
玄関のガラス戸の向こうには明かりが灯り、中は暖かそうだった。
春になれば、ルンザットから4人の若者がやって来る。
彼らは、倉沢の寒さに耐えられるだろうか。
南の島で暮らしてきた人間にとって、雪を見ること自体が初めてかもしれない。
コートや防寒靴も、こちらで用意しておいた方がよさそうだ。
そんなことを考えながら、グリフは役場の入口へ向かった。
自動ドアが開き、暖房の空気が冷えた頬に触れた。
地域活性化推進委員会。
ルンザットの若者を倉沢へ呼ぶための、本当の勝負はここからだった。
***
定刻になると、事務局の役場職員が立ち上がった。
「ただいまより、第1回倉沢町地域活性化推進委員会を開会いたします」
簡単な出席確認のあと、村田が挨拶に立った。
「人口減少、農業の担い手不足、観光、空き店舗。町の問題は、それぞれ別のものではありません」
村田は会議室を見渡した。
「この委員会も、話し合って報告書を作るだけの場にはしたくありません。すぐ試せるものは、できるだけ早く試します」
何人かの委員が顔を上げた。
「3月までに、実行できそうな案をまとめたいと思っています」
就任して間もない町長としては、かなり急いでいるようだった。
そのためなのか、役場側の準備も徹底していた。
委員会が始まる前から、担当職員が各委員を訪ね、町の問題や提案を聞き取っていた。
グリフの店にも3人の職員が来た。
1時間ほど話した内容が、後日送られてきた資料では数項目にきれいに整理されていた。
――役所の人も大変だな。
グリフは少し感心した。
村田が会議を早く進めるため、その分を事務局が先に働いているのだろう。
その資料があるため、委員たちは最初から長々と説明する必要がなかった。
商工会は空き店舗。
観光協会は宿泊客と滞在時間。
福祉関係者は高齢化。
それぞれが要点だけを補足していく。
村田も、話を聞いて終わりにはしなかった。
「その数字は次回までに確認してください」
「既存制度で対応できるか、事務局で調べてください」
その場で次の仕事を決めていく。
――ずいぶん急ぐ人だな。
もっと形式的な会議を想像していたグリフには、少し意外だった。
やがて順番が回ってきた。
「田辺委員、お願いします」
「はい」
グリフは観光と飲食業の立場から話した。
光明神社を訪れる観光客は多い。
だが、神社を見て、そのまま別の観光地へ移動してしまう人も多い。
「観光客を増やすだけじゃなく、この町にもう1時間、2時間いてもらう方法を考える必要があると思います」
その例として、ワルン・クラサワについても話した。
地元客を大切にしながら、雑誌や口コミによって観光客も訪れるようになったこと。
そして、ジョコが料理や英語の勉強会で力を発揮していること。
村田が尋ねた。
「ジョコさんは、単なる従業員ではないわけですね」
「はい。店づくりにも意見を出してもらっています」
「外国から来た人が、新しい知識や文化を町へ持ち込むこともある」
「そう思います」
村田はそこで話を広げず、次の委員へ移った。
「では、倉林委員。お願いします」
倉林は農協の職員だった。
50代半ばで、農家との付き合いも長い。
愛想のいいタイプではなかったが、話は簡潔だった。
「農協として一番困っているのは、やはり人です」
高齢化。
後継者不足。
耕作放棄地。
農地をまとめたり、機械を共同利用したりしてきたが、それだけでは追いつかない。
「外国人を受け入れている地域についても調べました」
倉林は資料を閉じた。
「ただ、農家にとっては、働いてもらうことより、受け入れた後の方が大変なんです」
「生活面ですか」
村田が聞く。
「はい。住む場所、役所の手続き、病院、日本語、近所との付き合い。農家にそこまでやれと言われても困ります」
倉林の言い方は淡々としていた。
外国人受け入れに反対しているわけではない。
ただ、できないものを「できます」と言う気もないらしい。
――この人、現場の人だな。
グリフはそう思った。
村田がグリフへ視線を向けた。
「田辺委員」
「はい」
「ジョコさんが来日したとき、そうした生活支援も田辺さんが?」
「やりました。住居や学校、役所の手続きなんかですね」
今度は倉林がグリフを見る。
「全部ですか?」
「最初のうちは、ほとんど」
倉林は少し考え込んだ。
村田が言った。
「農協には人手が必要で、田辺さんには外国人を受け入れた経験がある」
会議室の何人かが2人を見る。
「これは、一緒に考えてみる価値があるんじゃないでしょうか」
グリフは、村田の意図に気づいた。
以前、自分が提案したルンザットからの技能実習生受け入れ。
それを町長の案として押し出すのではなく、農協の課題と自然につなげている。
倉林はすぐには賛成しなかった。
「制度上できるかどうかは、きちんと確認しないといけません」
「もちろんです」
グリフが答えた。
「でも、農家の負担を減らす方法は考えられると思います」
「田辺さんが生活面を見る?」
「最初はそのつもりです。ただ、人数が増えれば組織にしないと無理でしょうね」
倉林は腕を組んだ。
「受け入れる人間の身元は?」
「私が長く住んでいたルンザット島から来てもらいます。父が今も島にいますし、本人だけじゃなく家族まで分かります」
「仲介業者は?」
「必要な正式手続きは通します。でも、人集めのために何人もの仲介業者を挟む必要はないと思っています」
倉林の表情が、少しだけ変わった。
「……それなら、普通の受け入れとは違うかもしれませんね」
村田がすぐに言った。
「では、田辺委員と倉林委員で、一度整理してみてください」
「私たち2人で?」
倉林が聞く。
「農協側から見た問題点と、田辺さんの経験を合わせて、実際に使える形になるか検討していただきたい」
倉林はグリフを見る。
グリフも頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「まだ、できるとは言ってませんよ」
「分かってます」
「ならいいです」
倉林はそう言って、資料に何かを書き込んだ。
愛想はない。
だが、最初から拒否するつもりもないらしい。
グリフは少し安心した。
会議はその後も続いた。
村田は議論が広がりすぎると止め、調べる必要があることは役場へ回し、当事者同士で詰めた方が早い話はその場で組み合わせていった。
会議が終わるころには、次に誰が何をするのかまで大体決まっていた。
グリフが想像していた役所の会議とは、ずいぶん違う。
その分、事務局の職員たちは大量のメモを抱えていた。
――町長が速く動けば、下は大変だな。
少し同情した。
最後に村田が立ち上がった。
「完璧な計画を作ることが目的ではありません」
委員たちを見る。
「できることから試しましょう。駄目なら直せばいい。そのための委員会にしたいと思っています」
第1回の会議は、それで終わった。
グリフが資料を片づけていると、隣から声がした。
「田辺さん」
倉林だった。
「はい」
「技能実習生の話、もう少し詳しい資料ありますか」
グリフは思わず笑った。
「あります。多すぎるくらいあります」
「じゃあ、必要なところだけ持ってきてください」
「……分かりました」
どうやら次は、農協を相手にすることになりそうだった。




