第六話 バルドー子爵:聞き分けのいい娘だと思っていた
年が明けて、王立薬院の更新審査の季節になった。
この審査は毎年、形式的なものだった。
過去一年の処方記録を提出し、抜き取りで数枚を検められ、判が押される。二十二年、一度も落ちたことがない。
今年も同じだと思っていた。
審査官が三人で来たと聞いたときに、少し引っかかった。例年は一人である。
「バルドー子爵。直近三月分の記録について、確認したい点があります」
「どうぞ」
「返品が十四件出ております。前年の同時期は二件です」
「季節の変わり目でして」
「季節で肺と胃と皮膚が同時に増えることは、通常ありません」
私は言葉に詰まった。
審査官は紙束を机に広げた。返品の記録である。私が帳場でざっと見て、多いな、と言って戻したあの記録だ。
「この、ラフォン夫人の件を伺います。八月目の妊婦に、五月目の配合をそのまま出しておられます」
「控えの通りに出しました」
「控えの通りに出すのが問題です」
審査官は淡々としていた。責めてもいなかった。それが余計に応えた。
「三年前から昨年末までの記録には、この種の誤りが一件もありません。全五千枚以上、一件もです。ところが今年に入って、急に出始めた。何か変わりましたか」
私は答えた。
「次女が嫁ぎました」
言ってから、自分でも妙なことを言ったと思った。
審査官の一人が顔を上げた。
「次女の方は、薬房でどのようなお仕事を」
「清書です」
そう答えたのは、そう思っていたからである。
三人は顔を見合わせた。
判は、押されなかった。
「王立薬院への納入は、来年度から一時停止といたします。半年後に再審査を行いますので、それまでに体制の見直しを」
年間納入契約は、薬房の売上の四割を占めていた。
その半月後に、公開調薬会があった。
王都の薬師が集まって、自分の代表的な処方を披露し、質疑を受ける催しである。ユリアは去年から呼ばれるようになり、今年は壇上に立つ番だった。
私は客席の前から三列目にいた。テオドール君と、彼の父君も一緒だった。
娘は落ち着いて見えた。薄青のドレスで、白い作業台の前に立ち、産み月の近い方への処方について話した。去年、ギルベルト薬院長に褒められたあの処方である。
説明は流暢だった。私は誇らしかったと思う。
質疑になった。
最初の質問は、乾燥の温度についてだった。ユリアは答えた。次は保存期間で、これも答えた。
三つ目に、ギルベルト薬院長が立ち上がった。
「この配合には、子宮を収縮させる働きのある根が入っております。微量ですから単体では問題ない。ですが、同じ患者が胃薬を併用していた場合、どうなさいますか」
会場が静かになった。
ユリアは、白い作業台に手を置いたまま動かなかった。
私はその横顔を見ていた。娘が何かを言おうとして、言葉を探しているのが分かった。九年、帳場で客の話を聞き続けてきた娘である。人と話すことに詰まる姿を、私は見たことがない。
十秒か、二十秒か。
もっと長かったかもしれない。
「……併用は、していないものと」
「していた場合を伺っております」
ユリアは、答えなかった。
ギルベルト薬院長は、しばらく待ってから、静かに言った。
「この処方を書いた方は、今日この場においでですか」
その問いの意味を、私はその場では理解しなかった。
理解しなかったのは、私と、たぶん娘だけだった。
会場を出るとき、テオドール君は私と目を合わせなかった。
三日後、婚約の解消を申し入れる書状が届いた。
理由は「仕入れ計画の見直しに伴い」とあった。
ユリアについての言及は、一行もなかった。
娘は書状を読んで、それを机に置いて、しばらく座っていた。
泣かなかった。
「お父様。あの人が好きだったのは、私の処方でしたね」
「ユリア」
「私が好きだったのも、そう言ってもらえる私でした」
そう言って、娘は帳場に戻った。その日の客の応対は、いつも通り丁寧だった。
客は減っていた。
その夜、私は薬房の記録室に入った。
二十二年、この部屋には入っていない。帳場は娘に任せ、作業場は職人頭に任せ、私は社交と取引の話をしていればよかった。
棚には、処方箋の控えが年ごとに綴じてある。
私は三年前の束を取り出した。
一枚目を開いた。
配合、分量、患者名、日付。その隅に、小さな字がある。
『確認済み ローゼ』
次をめくった。
『確認済み ローゼ』
次も。
私は最初、そういう体裁なのだと思った。清書した者が記名する決まりなのだろうと。
十枚めくって、気づいた。
赤い印のあるものが混じっている。
配合の一部が消され、書き直され、余白に細い字で理由が書いてある。この根はこの季節に湿気を吸うため量を減らす。この患者は昨年、同じ配合で発疹が出ている。この組み合わせは三日以上あけること。
書き直した字と、確認済みの署名は、同じ字だった。
私は束を持ったまま、床に座り込んだ。
一枚ずつ、めくった。
五十枚。百枚。二百枚。
赤い印は、十枚に一枚ほどの割合であった。三年で、五千枚以上ある。
私は数えるのをやめて、次の束を取った。二年前。同じである。一年前。同じである。
記録室の蝋燭が短くなるまで、私はそこにいた。
三年分だ。
一枚残らず、次女の字だった。
夜が明ける前に、私は一つだけ思い出したことがあった。
三年前の春である。
ローゼが私の書斎に来て、こう言った。
「処方に、姉さんの名前を書いてもよろしいですか。そのほうが、お客様に通りがいいと思いますので」
私は帳面から目も上げずに、ああ、と言った。
たぶん三秒もかからなかった。
十六の娘が、四日かけて何かを決めてきた顔をしていたかどうか。私は見ていない。見ていないから、覚えていない。
あのとき、なぜと聞いていれば。
いや、そうではない。
なぜと聞かなくても、記録室に一度でも入っていれば、私は三年前の夏には気づいていた。
私はこの部屋に入らなかった。入る必要がないと思っていた。薬房が滞りなく回っていたからである。
滞りなく回っていた理由を、私は考えたことがなかった。
朝、私はマルクを呼んだ。
「体質台帳というものが、あるそうだな」
「ローゼ様がおつけになっておいででした」
「どこにある」
「ローゼ様の頭の中かと」
私は黙った。
マルクは少し迷ってから、続けた。
「三年前、私は一度だけ申し上げたことがございます。ローゼ様に、なぜご自分の名で出さないのかと」
「なんと答えた」
「そのうち、とおっしゃいました」
そのうち。
「毎年、同じことを申し上げました。三年で三度です。三度目のとき、ローゼ様は」
マルクは言葉を切った。
「なんと」
「もう、いいです、と」
私はその場に立っていた。
もう、いいです。
聞き分けのいい娘だと思っていた。
怒らない娘だと思っていた。文句を言わず、家のために働くことを喜びだと思っている娘だと。
娘は三年かけて、諦め終えていた。
私が三秒で承知したあの春から、諦め終えるまでに、三年かかった。
その三年、私は一度も記録室に入らなかった。
机に戻り、私は便箋を出した。
書き出しで手が止まった。
何を書けばいいのか分からない。返してもらう、と書くべきなのか。
だが、何を返してもらうというのだろう。
娘が置いていったものは、この記録室に全部ある。持っていったのは、あの子自身だけだ。
私は結局、こう書いた。
一度、話がしたい。
三行の返事は来なかった。代わりに、王都の親戚筋から仲介の申し出が来た。私はそれに頼った。
その頃には、薬房の客はさらに減っていた。
そして、王立薬院の掲示に、新しい名前が出た。
アシュフォード侯爵領薬院、処方監査役。
ローゼ・アシュフォード。
私は掲示板の前で、その名前をずいぶん長く見ていた。
うちの控えのどの一枚にも、その大きさで書かれたことのない名前だった。




