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姉の代わりに処方を書くのをやめました ~白い結婚の夫だけが、私の名を知っています~  作者: 九葉(くずは)


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2/8

第二話 家族なのだから、と言われましたので

写し間違いは、分量だった。


私が書いた処方には、鎮痛のための根を一日あたり二匁と記してある。貼り紙には、二匁半とあった。


半匁。指先に載る程度の差だ。


その程度でどうということはない、と大抵の人は言う。実際、健康な人が一度飲んだところで何も起きない。


けれどセヴラン様の内臓は五年前の毒で削れている。この根は肝で分解される。半匁の上乗せを、二年間、毎日である。


私は貼り紙を明るいところで三度読み直し、それから朝を待った。


本邸の朝食室に上がると、セヴラン様はすでに席に着いていた。盆の上には六つの瓶。私が上がるのを待って、まだ一本も開けていない。


律儀な方だと思う。


「おはようございます。琥珀色の三番から、順に」


「その前に、聞きたいことがある顔をしている」


「顔に出ておりましたか」


「昨夜から、盥の前で立っていたと聞いた」


見られていた。侯爵家の使用人は優秀である。


私は昨夜の貼り紙を机に置いた。


「この処方箋の写しについて、伺ってもよろしいですか。分量が、少し多めに出ております」


「私の薬だ。薬院長が組み、王都の薬房で調えている」


「その薬房の名前を、伺っても」


「バルドー薬房。二年前から出入りしている」


そうですか、と言った。声が思ったより平らに出たので、我ながら三年の訓練は無駄ではなかったと思う。


実家である。


貴族の患者の名は、薬房の紙には書かない決まりだった。どこの誰が何を患っているかを残せば、それだけで商いになってしまう。だから私が三年間書いてきた処方の何割かは、北三番、西七番といった符牒でしか呼ばれていない。


つまり私は、二年前から自分の夫になる人の薬を書いていた。符牒しか知らないまま。そして姉が写すときに、半匁が増えていた。


「量を、二匁に戻していただけますか。今日から」


「根拠は」


「あなたの肝が、二年分の余りを抱えているからです」


セヴラン様は瓶を手に取り、しばらく眺めていた。


「薬院長は八年、私の身体を診ている。あなたは昨日来た」


「その通りです」


「それでも言うのか」


「はい」


言い切ってから、少し後悔した。嫁いで二日目の妻が言う台詞ではない。


けれどセヴラン様は、意外にもうなずいた。


「では二匁にする。三日試して、具合が悪くなれば戻す」


「よろしいのですか」


「試すだけなら、どちらの言い分でも安い」


そういう考え方をする方らしい。私は少し安心して、それから、この人が薬を飲む間ずっとそばに立っていることにした。


三日目の朝、セヴラン様は「よく眠れた」と短く言った。


その日、実家から招待状が届いた。


姉の婚約祝いである。


バルドー邸の広間は、私が出ていったときよりずっと明るかった。


蝋燭の数が増えている。壁には新しい織物がかかっている。薬房の景気がいいのだと分かった。ここ三年で顧客が倍になったことは、私が誰より知っている。


姉のユリアは、薄紅のドレスで人の輪の中心にいた。


「ローゼ。よく来たわね」


「おめでとうございます、姉さん」


「そのドレス、去年のじゃない」


「はい」


「侯爵家に嫁いだのだから、少しは見栄というものを」


姉は笑いながらそう言って、すぐ別の話題に移った。悪意はない。姉の言葉にはいつも悪意がない。それが一番、扱いにくいところだった。


婚約者のテオドール様は、薬種問屋の跡取りだという方だった。背が高く、姉の隣で満足そうにしている。


「妹君ですか。ユリアからよく聞いています。清書がお上手だとか」


「……はい」


「助かりますね。書き手が二人いれば、薬房も回りましょう」


書き手が二人。


私は微笑んで、グラスの水を飲んだ。


しばらくして、王立薬院の役人の方が姉に声をかけた。銀縁の眼鏡をかけた年配の方で、名をギルベルト様といった。薬院長だと後で知る。


「バルドー嬢。昨年の、産み月の近い方への処方は見事でした。あの配合は、どなたの発案です」


姉は、ほんの少しだけ間を置いた。


その間の長さを、たぶん私だけが数えた。


「ええ。あれは苦労いたしました」


ギルベルト様は満足そうにうなずき、次の話へ移った。


私はグラスを持ったまま、その場に立っていた。


あの処方を書いた夜のことは覚えている。冬で、書き物机の指先が凍えて、羽根ペンを三度落とした。四日かけて組んだ。姉はそのとき、社交の集まりに出ていた。


苦労した、というのは本当だ。


ただ、苦労した人間がここにいない。


食卓に移ってから、母が薬包を取り出した。


「近ごろ、めまいが治まらなくてね」


私は反射で手を伸ばし、薬包の中身を見た。見なければよかったのだが、三年の癖はそう簡単に抜けない。


配合が変わっている。眠りを促す草が増え、代わりに血を巡らせる根が抜けていた。


「お母様。これは量を減らしてください。できれば別のものに」


「あら、どうして」


「めまいの原因が血の巡りでしたら、この配合は逆に働きます。眠くなって、余計にふらつきます」


一瞬、食卓が静かになった。


母は薬包を手元に戻し、私を見た。


「余計なことを言わないで」


「お母様」


「ユリアが可哀想でしょう」


私は口を閉じた。


父が咳払いをして、話を明るいほうへ引き取った。


「いや、次女が嫁いだので、これからは薬房も身軽になりましてな。ユリアひとりで十分に回りますとも」


笑い声が起きた。姉も笑っていた。テオドール様も笑っていた。ギルベルト様だけが、少し不思議そうな顔をしていたように思う。


私は微笑んで、水を飲んだ。テーブルの下で、右手を一度だけ強く握った。


三年間、この家で私は一度も怒鳴っていない。物を投げたこともない。皿を割ったことすらない。


家族はそれを、聞き分けがいいと呼んだ。


違う。命の話をしているのに、姉の面子のほうが重いと言われたら、返す言葉がないだけだ。返す言葉がない状態が三年続くと、人はもう言わなくなる。


そういう仕組みである。


帰りの馬車で、私は膝の上の包みを見ていた。


帰り際、姉が「ついでに」と言って渡してきた、次の処方の依頼書である。四十枚ほど。


離れに戻ると、暖炉に火が入っていた。ノエルが気を利かせてくれたらしい。


私は包みを解き、依頼書を一枚ずつ読んだ。読みながら、いつものように顧客の名前と体質を頭の中で照らしていく。


二枚、赤い印をつけた。


肺の弱い老人への処方に、咳を止める代わりに痰を固める草が入っている。もう一枚は、去年の夏に胃を焼いた方への処方で、空腹時に飲めば穴が開く配合だった。


その二枚を封筒に入れ、余白に書いた。


『この配合は中止。理由は同封の通り』


三年間、毎週押してきた印である。


残りの三十八枚を、私は膝の上でそろえた。


それから、一枚ずつ暖炉にくべた。


紙は端から丸まって、赤いインクの跡が黒くなって、消えた。三十八枚は思ったより早く終わった。三年分の私の字が、三十八枚分だけ先に燃えた。


火を見ながら、私は自分の手が震えていないことを確かめた。


震えていなかった。怒っていないからではない。怒りは、たぶんもっと前に燃え尽きている。


背後で扉が開いた。


セヴラン様だった。夜着の上に外套を羽織っただけの、ひどく無防備な格好で立っている。


「明かりが」


「起こしてしまいましたか」


「いや。……何を燃やしている」


私は答えなかった。答えられなかった、というほうが近い。


セヴラン様は、それ以上聞かなかった。


暖炉の前まで来て、私の隣に腰を下ろし、火を見た。


「よく燃えますね」


「……ええ」


「紙は、乾いていると燃える」


当たり前のことを言う人だと思った。当たり前のことしか言わない人と、当たり前のことを何も聞かない人は、たぶん違う生き物だ。


私たちはしばらく、黙って火を見ていた。


炎が小さくなってから、私は立ち上がって机に向かい、便箋を一枚取った。


書いたのは三行だった。


『今後、処方は書きません。


同封の二枚は、配合を中止してください。


ご息災を』


封をして、封蝋を落とした。


三年分の私の字は、この三行で終わりだ。


炎は、残りをきれいに食べ終えていた。

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