書く
第十六日――総攻撃まで、あと一日。
五刻の鐘が、五つ鳴った。
廊下を従卒の足音が来て、軍報が机の端に置かれ、足音は戻っていった。私は、開かなかった。
鐘は鳴った。文書も、来た。私が読むべき一枚だけが、まだこの世にない。
今日の紙は、私が書く。
昼、フェルゼンの使いが来た。報告は今夜のうちに、と。発起は明暁で、裁可の伝令は夜のうちに発たねば間に合わない。宛先は王——実際に受け取るのは、裁可の名代として司令部に着いている勅使だ。今夜書けば、明朝、王の名で裁可が下りる。あるいは、下りない。
どちらになるかは、私の一枚が決める。
夕刻まで、私は何もしなかった。何もしない、という仕事をした。証拠はもう増えない。推理はもう動かない。十五日かけて運んできたものは、全部この机の上にある。あとは、書くだけだ。
書くだけだ、と十六日前の私なら言っただろう。事実を並べて、判を捺す。監察官の仕事のうち、いちばん簡単な工程だと。
夜になって、私は下書きを二枚、書いた。
一枚目。内通者は二名。第七騎士団長の経路は閉鎖された。第二の経路は輜重統括アルノー・ギース、手口は文書の合成と投下、目的は総攻撃の阻止による終戦、証拠は日付の包含と筆癖と暗号の平文。全容は、解明された。
二枚目。内通者は一名。第七騎士団長の経路は閉鎖された。ただし敵に渡った情報の中に、閉鎖された経路では説明のつかない一件が存在する。第二の経路の存在を否定できず、その全容は、なお不明。
餞別のペンは、どちらの下書きも、同じ滑らかさで書いた。
一枚目は、一字一句、正しい。書けば、正しさの分だけ仕事をする。特定は閉鎖に変わり、閉鎖は認定に変わり、認定は明暁、渡河点で数千の兵の背を押す。正しい紙は、よく働く。誰の手の中でも。
二枚目は、一箇所だけ、正しくない。「否定できず」ではない。私は、肯定できてしまう。全容は、私の手の中にある。書かない、という一点においてだけ、あの紙は嘘になる。嘘の紙は、働かない。誰の手の中でも働かないから、軍は止まる。
机の隅に、第一日の通達の綴りがあった。なお、本件に関する追加の調査は予定されない。十六日前の紙は、もう何も知らない顔をしている。
この軍の紙は、どこかで嘘をついている——十六日前の夜、私はそう書いた。あの夜の私は、その頁を探す側だった。今夜の私は、全部の頁を知っている。最後の頁の書き手が、私であることも。
四人の声が、机の上にあった。私はそれを、来た順に、一つずつ下ろした。
いいか、小僧。報告書には、事実だけを書け。祈りも、憶測も、お前の望みも書くな。事実だけだ。
あの時攻めていれば、次の朝は来なかったかもしれん。
あんたたちは俺を八年疑って——一度も、間違っていなかった。……それが、どういうことか、分かるか。
で、監察官殿。報告書には、何と書く?
……全部、下ろした。報告書に、他人の声は書けない。あの人の教えも、八年の朝も、答えられなかった問いも、委ねられた問いも、書けない。報告書に書けるのは、事実と——それから、事実のふりをした一行だけだ。
物証と八年を、両方同時に持っているしかなかった夜が、あった。九日目の、庫の前だ。あの夜の私は、両方を持ったまま、どちらも捨てずに立っていることしかできなかった。
今夜も、同じだ。二枚を同時に持っている。
正しくて、人を殺す紙。正しくなくて、人を止める紙。
どちらか一枚だけが、明朝、王の名で読まれる。
窓の外で、軍が最後の支度をしている。灯りの列が倉から渡河点の方角へ延びて、荷駄の音が絶えない。空の車は、一両も走っていないのだろう。あの男の帳面の通りに。
私は机に戻って、二枚の下書きを重ね、脇に置いた。
真ん中に、新しい白紙を一枚、置いた。
宛名の行だけは、どちらの紙でも同じだ。国王陛下。差出も同じだ。監察官、エリアス・ヴェント。そこから先の全部が、違う。
一度、ペンを置いた。手のひらを、机に置いた。白紙は白紙のまま、灯りの下で待っていた。十六日間、毎朝五刻に紙が届いた。今夜だけ、紙が待っている。私を。
私はペンを取った。




