故郷の音
第十二日――総攻撃まで、あと五日。
夕刻、私はフェルゼンの許可を得て、営倉に近い幕営の一室でヨルグ・ヴェルナと向き合った。記録係が一人、隅の卓に着いた。
机の上に、私は紙を並べた。切断された報告書の綴り。憲兵中間報の写し。搬出票の写し三葉。第七の哨戒日誌の写し。訊く前に、読ませる。それが私のやり方で、そして彼は、読める男だった。
彼は並んだ紙を、端から順に、時間をかけて読んだ。読み終えると、顔を上げた。
「……全部、繋げたのか。紙だけで」
「はい」
「なら、話が早い」
彼は椅子に座り直して、記録係の方を一度見た。書き取れ、という意味の目だった。
「ガーヴィン・モローを殺したのは、俺だ」
記録係のペンが、一拍遅れて走り出した。
「順に言う。第七日の夕、閲覧請求の写しが俺のところに回ってきた。当直記録と通行記録は、中継所を含めてうちの管轄だ。管轄の記録に請求が入れば、団長の目を通る。請求者の欄に、第九騎士団長とあった」
彼は机の上の、切断された綴りを指で示した。
「文書統括が、中継所の夜の記録を洗い始めた。読まれている、と分かった。あの人がどこまで読んだかは、分からなかった。だから、確かめるしかなかった」
「第七日の夜」
「拾いの夜回りに出た。いつも通りにだ。中継所の近くで、鉢合わせた。あの人は灯りも持たずに、集配台の周りを検めていた。俺は闇の中にいて、あの人は俺に気づかなかった。……気づかなかったと、思う」
最後の一言だけ、わずかに揺れた。
「帰路を追った。未明に、追いついた」
「装備は」
「庫から出しておいたものだ。監査が来ると聞いた日に出した。魔王軍の得物なら、魔王軍の仕業になる。いつか要ると思った。……要る日が、来た」
「彎弓と短剣は」
「川に沈めた。矢だけが、現場に残った」
「搬出票は無記名でした」
「俺が書けば、手が残る。無記名は慣行だ」
彼はそこで、初めて眉を動かした。
「――庫の主を疑ったのなら、筋が悪いぞ、監察官殿。自分の庫から出すのに、票を通す馬鹿がいるか。票が要るのは、外の人間だけだ」
「報告書の三枚は」
「読んで、焼いた。あの人は、物流まで辿り着いていた。具体はまだだったが、時間の問題だった。……綴りごと持ち去らなかったのは、失敗だったな。全部消えれば戦死で終わった。半端に残せば、読む奴が読む」
彼は私を見た。責める色はなかった。採点する教官の目に、少し似ていた。
「日誌は、直した。南を回ったことにした。それだけだ」
記録係が追いつくのを待って、私は調書の要点を読み上げさせた。閲覧請求。夜の遭遇。未明の襲撃。装備の事前確保。頁の抜き取りと焼却。日誌の改変。彼は一項ずつ、認めた。全部で六度、頷いた。
調書が閉じられ、記録係が退がった。
部屋には、私と彼が残った。ここから先は、記録に残らない時間だった。私は監査官として、この十二日間、訊けることだけを訊いてきた。今夜、訊けることは全部訊き終わった。残っているのは、訊かなくてもいいことだけだった。
「一つだけ、監査でも尋問でもない問いを」
「……珍しい役人だな。いいだろう」
「灰の谷の話を」
彼は少し黙った。それから、窓のない壁の方を見て、話し始めた。
「灰の谷。……谷には、集落が五つあった。俺の村は、川の一番上だ。灰鉄が出る。出るから、道ができた。道ができたから、王都の商人が来た。商人の後ろに、徴税吏が来た。鉱脈の上がりは、道を下って全部出ていく。谷に残るのは、掘る仕事と、冬だ」
「集落は、もうない、と」
「俺が十五の年に、村が死んだ。飢えて死んだのじゃない。数字で死んだ。上納の割当が、村の出せる量を超えた年が三年続いて、若い者から順に谷を出た。出た者の半分は王国の町へ下りて、半分は――峠の向こうへ行った。谷の民には、どちらも他所だ。峠のこちら側が祖国で向こう側が敵国だと決めたのは、谷の外の人間だからな」
彼は自分の手を見た。
「俺は町へ下りた側だ。兵に志願した。飯が出るからだ。それだけの理由だった。八年前に戦が始まって、審査を受けた。谷の生まれの魔族系は、全員受けた。あのときの俺に、疚しいことは何もなかった。……二年目の冬に、峠の向こうへ行った側の縁者が、俺を訪ねてきた。哨戒線の際でだ。闇の中から、谷の音で、俺の子供の頃の名を呼んだ」
そこで彼は、言葉を切った。続きを促す資格が、私にあるのかどうか、分からなかった。彼は勝手に続けた。
「その後のことは、朝の調書の通りだ。六年、拾って、写して、流した。どれだけ運んだかは――俺が一番知らない。拾える夜と、拾えない夜がある。それだけだ」
差し入れの盆が、扉の脇に置かれたままになっていた。岩麦の粥が、とうに冷めていた。彼はそれに目をやって、少しだけ口元を緩めた。
「岩麦か。……谷の言葉で物の名を言うのは、三つだけにしていた。川と、麦と、谷の名前だ。八年、それだけにした。全部を捨てると、何のためにやっているのか、分からなくなる。三つだけ残して、あとは王国の音で生きた。規律というのは、そういうものだろう、監察官殿。あんたの『口は監査』と、同じだ」
知られていたのか、と思ったが、驚きはもう出てこなかった。この男は八年、人の目を読んで生き延びてきたのだ。十二日の新参の規律くらい、読める。
「最後に、一つ」
私は言った。
「開戦の審査から、六年。あなたは軍歴に一点の曇りもなく、哨戒の指揮は模範とされ、誰にも尻尾を掴ませなかった。……訊きます。誰も、気づかなかったと思いますか」
ヨルグ・ヴェルナは、冷めた粥から目を上げて、私を見た。
「気づかれなかったと思うか」
彼は静かに言った。
「審査は俺を白と言った。目は、一度も白と言わなかった。廊下で、食堂で、配置の会議で、八年。谷の生まれの魔族系が通ると、声が半拍止まる。八年だ。あんたたちは俺を八年疑って――一度も、間違っていなかった。
……それが、どういうことか、分かるか」
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