葬られた人が、まだ追っている
第十日――総攻撃まで、あと七日。
朝の中間報を、二度読んだ。搬出票は無記名、日付は監査の内示の当日、鍛冶場に受け入れなし。そして、返済の原資、不明。
動機の匂いが、また濃くなった。第三には金の問題があり、第三の写しには数字の相違がある。役者が揃いすぎている、と手帳の隅に書いて、六日目の頁を読み返した。動機で追うと外れる。だが今度は動機ではない。写しの数字が、指しているのだ。
昼、工房へ行った。提出綴りの追加確認、という監査の名目で。
ドミニク・サールは、私の顔を見ると、あからさまに狼狽した。
「か、監察官殿。あの、借用の綴りの件は、その」
「私文書は返却します。監査の対象外です」
「面目ない。……いや、お恥ずかしい話で」
橋を架けさせれば軍で一番の男が、私文書一つで、架けかけの橋のような顔をした。狼狽は、疑いの目には燃料になる。隠し事のある人間の顔だ、と読むことも、借金を上官に知られた人間の顔だ、と読むこともできる。私は前者に傾いていた。傾いたまま、渡河点の座標に係る文書の受領記録だけ確認して、工房を出た。
夜。執務室で、私は所見の紙を出した。
書くべき文面は、決まっていた。第三騎士団長の受領写しに数字の相違三箇所、文書改竄の疑い、要調査。この一文を書いて文書課へ回せば、明朝には司令部が動く。憲兵が工房へ行き、綴りを検め、彼の借財を数え、そして総攻撃の六日前に、工兵統括が調査対象になる。
私はペンを取った。
書き出しの一画の手前で、癖が出た。書く前に、数える。教わった通りに。
相違の三箇所を、もう一度並べた。渡河点の座標。だが、正確には座標そのものではない。桁の書き方の異体字が一つ。支流の名が、今は使われない旧名になっているのが二つ。……妙だ。改竄というのは、敵を利するために数字を変えることだ。この三箇所は、変えても誰も利さない。橋の位置は変わらず、部隊は迷わない。実害のない改竄。害のない毒。そんなものを、危険を冒して仕込む人間がいるか。
ペンを置いて、私は師の控えの束を、全部机に出した。
件は四つあった。渡河点整備の指示。哨戒線再編の通達。補給集積の覚書。攻勢準備区域の境界。この五日と六日に配布された、定例の作戦関連文書。私は四つの束を、一枚ずつ突き合わせた。
哨戒線再編の通達。九枚は同じ。一枚だけ、違う。——第七の写し。実在しない渡河点の警戒指定が、三箇所。
補給集積の覚書。九枚は同じ。一枚だけ、違う。——第五の写し。集積番号の桁が、三箇所。
攻勢準備区域の境界。九枚は同じ。一枚だけ、違う。——第一の写し。境界標の番号が、三箇所。
手が、止まった。
改竄者が、四人いるのか。第三と、第七と、第五と、第一に、それぞれ別の改竄者が。全員が三箇所ずつ、全員が実害のない位置を、行儀よく書き換えたのか。
あり得ない。
なら、これは受け手の細工ではない。
配り手の細工だ。
写しごとに、少しずつ違う版を配る。どの版がどこから漏れたかを、差異で特定する。一件につき一人、対象を替えながら、網を順に張っていく——
知っている。私はこの手法を、知っている。十二年前、監察局の資料室で、書き損じの報告書の山と一緒に、教わった。文書は追跡できる、写しに癖を仕込めば、と。あの時は、技法の一つとして聞き流した。使っているところを見たことは、一度もなかった。
これは、あの人の手癖だ。
顔が熱くなった。恥だ。純粋な、職業上の恥だった。私は十日間、あの人の残した紙を読み続けて、あの人の指の染みまで読んで、それで、あの人が張った網を、改竄と読み違えた。第三を追い込み、所見を書きかけた。あと一画で、書いていた。
書いて流していれば、明朝、軍はドミニク・サールを調べ、網は雑音に埋もれ、師の最後の仕掛けは、誰にも気づかれないまま死んでいた。
私の一筆が、あの人の最後の仕事を、殺すところだった。
恥の底が抜けると、別のものが上がってきた。
あの人は、死ぬ前に網を張り終えていた。四件。輪番。実害のない差異。捕まえるためではなく、特定するための、静かで完璧な網。回覧の健全を証明し、物流に目を移し、そして配布の側から罠を張った。私が十日かけて辿り着いた場所に、あの人は独りで、もっと深くまで潜っていた。
文書の数字を、正しいと思い込むな。紙は、嘘も運ぶ。
そして師は、こうも言った。
——俺が、運ばせることもある。
十二年越しに、教えの後半が届いた。あなたが運ばせた嘘を、私はいま、読んでいる。
名簿を開いた。九番目。ガーヴィン・モロー。
容疑者の欄に書いたその名に、私は初めて線を引いた。晴らしたのは私ではない。あの人の仕掛けが、あの人を晴らした。内通者は、追跡の網を自分で張らない。
サールの欄の疑いも、消した。写しの差異は師の仕込みで、残るのは借金だけだ。借金は、罪ではない。所見の紙は、破って火にくべた。
それから、遺品の目録を、もう一度手に取った。綴り、印章、鍵、革帯。目録に、筆記具の項はない。当然のことだ。それでも私は、無いことを確かめるように、目録を最後まで読んだ。
ペンが、ない。
持って出たのだ。あの夜も。書くために。
私は腰の物入れから、餞別のペンを抜いた。あの人の古いペンで、新しい紙の頭に、こう書いた。
配布写し差異対応表。件A、第三。件B、第七。件C、第五。件D、第一。
網は張られている。まだ生きている。どの糸が震えるかを、見張る者がいなくなっただけだ。
なら、見張るのは私だ。
私は師の疑いを、いま初めて晴らした。あの人は、死んだ後もまだ追っている。
——罠の続きは、私が張る。




