欄外に、師は書かない
第七日――総攻撃まで、あと十日。
朝の調書を、私は二度読んだ。窓が閉じる前に送れ。敵は何かの期限を数えている。こちらの総攻撃の日取りか、あるいは別の何かか。伝令の男は知らないと言い、知らない者の言葉だからこそ、焦りの輪郭だけが正確に残っていた。
そして、ヘッダの一行。閲、第九騎士団長モロー。
尋問記録は団長決裁の等級だから、印があるのは当たり前だ。当たり前のことを、私は当たり前でなく読んだ。この調書を、あの人は私より先に読んでいる。
昼、書類の返却を口実に、第九の詰所へ寄った。
五日前と、同じ部屋のはずだった。紙の匂いも、書見台の位置も、老人の背中も。だが、差分があった。
書見台の脇に、綴りが平積みになっていた。背表紙の色で分かる。回覧記録の綴りだ。五日前には棚に収まっていたものが、今日は手元に下ろされている。それも、一年分。
師の右手の指に、インクの染みがあった。人差し指の第二関節の内側。ペンを長く握った者にだけ付く場所だ。書かない人の指に、書いた痕があった。
「返却か。そこに置け」
声は五日前と同じだった。ただ、こちらを見るまでに、一拍あった。読んでいたものから目を剥がすのに、一拍かかった。
私は綴りを置いて、訊けることを探した。監査の言葉で訊けて、しかも意味のある問いを。見つからなかった。回覧記録を、なぜ一年分、と訊くことは監査の範囲でできる。できるが、この人が答えないことも分かっている。答えない人に訊くのは、問いの浪費だ。
「失礼しました」
私はそれだけ言って、退がった。五日前、長居するなと追い出した人が、今日は何も言わなかった。追い出すことを、忘れていた。
午後、もう一つの差分を見た。
司令部の記録係の窓口に、師が立っていた。窓口の若い書記に紙を差し出している。閲覧申請の書式だと、紙の判型で分かった。何の記録を申請しているのかまでは、見えなかった。見える位置まで近づくことも、できた。しなかった。監査官が人の申請を覗き込む姿は、覗き込んだ内容より高くつく。
私は廊下の反対側を、まっすぐ通り過ぎた。師は、こちらを見なかった。見なかったのか、見ないことにしたのかは、分からない。
夜になった。
執務室で消去の表を睨んでいると、廊下に足音がした。この時刻の司令部に、こんな乾いた足音を立てる人間は一人しかいない。扉を叩く音より先に、私は立ち上がっていた。
師は、外套を着ていた。
夜気に出る身支度だ。この老人が、この時刻に、どこへ。問いが喉まで来て、止まった。訊けば答えない。訊けば、監査の外に出る。
「ガーヴィン殿。昼間は――」
「監査官が人の申請を覗くのか」
乾いた声だった。責める調子ではない。廊下を通り過ぎた私を、あの人はやはり見ていた。見て、覗かなかったことまで、見ていた。
師は外套の襟を立てて、それから、ほんの少しだけ声を落とした。
「明日の朝、俺の報告を読め。全部そこに書く」
それだけだった。
問い返す間もなく、老人は廊下の闇に歩き出していた。乾いた足音が、遠ざかって、消えた。
私は扉を閉めて、机に戻った。戻ったが、消去の表は、もう頭に入らなかった。
全部そこに書く。
あの人が、書くと言った。誤字の癖で人を当て、綴じ穴で写しの世代を数え、口で出した答えは監査に残らんと言い、弟子に十二年、便りの一つも寄越さなかった人が。監査の答えは紙で出す――その流儀の人が、何かを、全部、紙で出すと言った。
つまり、書くに値する何かを、あの人は掴んでいる。
私は灯りを消して、寝台に横になった。眠れる気はしなかったが、目は閉じた。明日の朝、五刻。鐘が鳴って、文書が届く。いつもの朝が来て、いつもの束の中に、あの人の報告がある。
それを待つ。
書かない人が、書くと言ったのだ。




