↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
85/142

85 剣劇の稽古と、廊下の向こうの自分

学園祭まで、あと十日。


放課後の講堂からは、毎日、剣の打ち合う音と、誰かの朗々とした声が、響いてくるようになっていた。


三年A組の、劇の稽古だった。


演目は、『初代剣聖シャロンと茨の姫』。建国以前の、伝説の剣士の物語だ。茨の魔王に囚われた姫を、ひとりの女剣士が、たった一振りの剣で救い出す。王都の子どもなら、誰でも寝物語に聞かされて育つ、古い話だった。


主役のシャロンは、レイアーヌ。


茨の姫と、姫を癒す聖女の二役は、ミリエル。


茨の魔王は、アイシャ会長。


そして、演出は。


「――違う! 違うんだよ、殿下!」


講堂の舞台の下で、銀髪の男が、両腕を大きく広げていた。


「シャロンは、ここで、ただ剣を振り下ろすんじゃない! 茨の魔王の前で、一瞬、迷うんだ! 姫を救いたい心と、魔王もまた、かつては誰かに愛された者だったという哀しみの間で! その迷いが、剣の切っ先に、ほんのわずかな震えとなって宿る! 観客は、その震えに、涙するんだ!」


槍聖、リュシアン・ヴェルディだった。


北から帰って、三日後。暇を持て余していたところを、レイアーヌが、劇の剣術指導を頼みに行ったらしい。剣術指導のはずが、気がついたら、演出も、台本の直しも、衣装の意見まで、全部、引き受けていた。


「……リュシアン様、私、剣を振るときに迷ったことなんて、一度もないのだけれど」


舞台の上で、王家の剣ならぬ、稽古用の木剣を構えたレイアーヌが、困ったように眉を下げた。


「だからこそ、だよ、殿下! 迷わない剣士が、一度だけ迷う! それこそが、劇だ! 詩だ!」

「……詩なの?」

「人生は、すべて、詩だよ」


リュシアンは、片手を胸に当てて、天井を仰いだ。


舞台の袖で、黒い衣装を羽織ったアイシャ会長が、肩を震わせて笑っていた。


◇


俺は、講堂の一番後ろの席に座って、それを眺めていた。


膝の上には、籐の籠。中には、碧い小鬼亭の献立の、新作の試作品が入っている。三年A組の差し入れにしてくれと、フィアットに押しつけられたのだ。……というのは建前で、本当は、レイアーヌに「たまには稽古を見に来なさい」と、半ば命令されたからだった。


隣には、セルカが、ちょこんと座っていた。


「……ハストさま」

「なんだ」

「……あの銀色の人、ずっと、しゃべってる」

「槍聖だからな」

「……槍聖って、しゃべる人のこと?」

「違う」


舞台の上では、稽古が、再開されていた。


シャロンが、茨の魔王の城へ乗り込む場面だった。レイアーヌが、舞台の中央へ、木剣を構えて進み出る。その前に、黒い衣装のアイシャ会長が、両腕を広げて、立ちはだかった。


「――よくぞ、来た、剣士よ。だが、この茨の城から、姫を連れ出すことは、叶わぬ」


アイシャ会長の台詞は、ものすごく、棒読みだった。


「……会長、もう少し、怖そうに」


リュシアンが、こめかみを押さえた。


「怖そうに……?」


アイシャ会長は、少しだけ考えて、それから、にこっと笑った。


その姿が、ふっと、ぶれた。


次の瞬間、アイシャ会長は、レイアーヌの背後に立っていた。幻影体術の、影渡り。舞台の上から、消えて、現れた。


講堂の、稽古を見ていた三年生たちが、悲鳴を上げた。


レイアーヌは、振り返りもせずに、木剣を、背後へ突き出した。起こりのない、突き。


アイシャ会長の額の、指一本手前で、木剣の切っ先が、止まった。


講堂が、しんと静まり返った。


それから、割れんばかりの拍手が、湧き起こった。


「――それだ!!」


リュシアンが、舞台の下で、跳び上がった。


「それだよ、会長! 殿下! 今のを、本番でやってくれ! 台詞なんか、要らない! 剣と拳だけで、語ってくれ!」

「……台詞、覚えなくていいんですか?」

「いいとも! 君たちの剣と拳が、何よりの詩だ!」


アイシャ会長が、心の底から、ほっとした顔をした。


◇


茨の姫の場面では、ミリエルが、舞台の真ん中に立っていた。


白い衣装。薄い面紗。茨の魔王の城の、一番高い塔に囚われた姫。


舞台の上には、茨の城の塔を模した、大きな書き割りが立てられていた。……その書き割りの、塔の窓のところに、何か、きらきらと光るものが、はめ込まれていた。


氷だった。


溶けない、透き通った氷が、塔の窓の形に、薄く、張られていた。舞台の灯りを受けて、その氷が、まるで、本物の硝子の窓のように、輝いていた。


「……セルカ」

「……なに」

「あれ、お前か」


セルカは、膝を抱えたまま、こくりと、頷いた。


「……ミリエルに、頼まれた。……塔の窓、きれいにしたいって」


いつの間に、そんな話をしていたのか。


舞台の上で、ミリエルが、氷の窓の向こうから、客席のほうを見た。講堂の一番後ろの、俺とセルカに気づいて、面紗の下で、ふわりと笑った。


それから、小さく、手を振った。


セルカは、少しだけ、迷うように、目を泳がせた。


それから、膝の上から、ほんの少しだけ、手を持ち上げて、ひらひらと、振り返した。


……いつの間にか、仲良くなってるな。


屋上で、ミリエルがセルカの冷たい指先を治してから、まだ、ひと月も経っていない。あのとき、セルカは、ミリエルのことを、「へんな人」と言った。今は、塔の窓に、溶けない氷を張ってやっている。


セルカは、俺の視線に気づいたのか、ぷいと、そっぽを向いた。


耳の先が、ほんの少しだけ、赤かった。


「……べつに。……ミリエル、ハストさまの、恩人だから」

「俺の恩人じゃないだろ。俺が助けたほうだ」

「……ハストさまに、パン、くれた」

「……それは、そうだな」


四年前、地下牢の鉄格子の隙間から、温かいパンを差し入れてくれた手。


セルカは、俺の袖を、指先で、ほんの少しだけ、つまんだ。


「……だから、恩人」


◇


休憩の合図がかかると、リュシアンが、客席の通路を、まっすぐにこちらへ歩いてきた。


銀の髪を、指先で優雅にかき上げて、俺の前で、足を止めた。


「やあ。九人目の君」

「……その呼び方は、やめてくれ。ここは学園だ」

「おっと、これは失敬」


リュシアンは、少しも失敬だと思っていない顔で、笑った。それから、俺の膝の上の籠を、ひょいと覗き込んだ。


「差し入れかい? ……ほう。焼き菓子の上に、碧い砂糖細工。小鬼の形だ。これは、詩的だね」

「……クラスの出し物の、試作品だ。三年A組に渡してくれって、頼まれた」

「では、遠慮なく」


リュシアンは、碧い小鬼の焼き菓子を一つつまんで、口に放り込んだ。目を閉じて、ゆっくりと噛んで、それから、目を開けた。


「……うん。いい味だ。甘いのに、どこか、寂しい」

「寂しい?」

「褒め言葉だよ」


リュシアンは、指についた砂糖を、ハンカチで丁寧に拭った。


「北で、バルトロの爺さんと二人きりで三か月も過ごすとね、人の作ったものの味が、よくわかるようになる。あの爺さん、ふむ、しか言わないから」

「……想像がつく」

「だろう? だから、僕が、二人分しゃべった」


それは、たぶん、三人分くらいしゃべっていたんだろう。


リュシアンは、舞台のほうを振り返った。レイアーヌが、木剣を片手に、台本に何か書き込んでいる。アイシャ会長が、黒い衣装の裾を踏んで、転びかけている。ミリエルが、氷の窓の前で、それを見て、笑っている。


「君は、劇には、出ないのかい」

「出ない。厨房担当だ」

「惜しいなあ。名前のない英雄の役なんて、君にぴったりなのに」


俺は、リュシアンを、横目で見た。


リュシアンは、相変わらず、楽しそうに笑っていた。


「詩人というのはね、九人目の――おっと、失敬。……君。名前のない詩が、一番、厄介なんだ。読んだ者が、勝手に、名前をつけてしまうから」

「……どういう意味だ」

「さあ。詩の意味を、詩人に訊くものじゃないよ」


リュシアンは、片目をつぶってみせると、焼き菓子をもう一つつまんで、舞台のほうへ戻っていった。


「――さあ、諸君! 休憩は終わりだ! 次は、茨の姫の場面から! 聖女殿、今度は、もっと儚げに! 窓の氷の向こうから、世界のすべてを諦めた目で!」

「……諦めた目、ですか? 私、あんまり、諦めたことがなくて」

「それも、詩だ!」


セルカが、俺の袖を、くいと引いた。


「……あの人、やっぱり、しゃべる人」

「……そうだな」


◇


稽古が一段落したところで、講堂の扉が、勢いよく開いた。


「――三年A組の劇の稽古、取材させてくださいっ!」


ペトラだった。


栗色の三つ編みを揺らして、革の手帳を胸に抱えて、講堂の通路を、小走りに駆けてきた。


リュシアンが、舞台の下で、くるりと振り返った。


「おや。これは、可憐な記者殿。……槍聖リュシアン・ヴェルディだ。この劇の演出を務めている。取材なら、喜んで受けよう。僕の演出論を、三時間ほど」

「さ、三時間……!?」


ペトラは、一瞬だけ、怯んだ。それから、すぐに、目を輝かせた。


「お、お願いしますっ! 槍聖様が演出なんて、それだけで記事になりますっ!」


リュシアンは、満足げに頷いた。


舞台の上で、レイアーヌとアイシャ会長とミリエルが、顔を見合わせて、そっと、舞台の袖へ逃げていった。


◇


結局、ペトラは、リュシアンの演出論を、二時間半、聞かされたらしい。


講堂を出てきたときには、日が、すっかり傾いていた。


俺は、講堂の外の廊下の、窓辺にもたれて、待っていた。


別に、誰かに頼まれたわけじゃない。ただ、王城でバルトロの話を聞いてから、どうにも、落ち着かなかった。顔のない女。自分とそっくりな誰かが、村の中を歩いている。……そんな話を聞かされたあとで、学園に毎日出入りしている外の人間を、ひとりで夕暮れの廊下に放り出す気には、なれなかった。


「……お、お疲れ、さまでした……」


ペトラは、ふらふらと、廊下に出てきた。革の手帳は、ぎっしりと文字で埋まっていた。


「……大丈夫か」

「だ、大丈夫……。槍聖様の演出論、すごかった……。半分以上、詩だったけど……」


ペトラは、窓辺の俺に気づいて、目を丸くした。


「あれ、ハスト君。待っててくれたの?」

「……差し入れの籠を、返しに来ただけだ」

「ふーん」


ペトラは、にやりと笑った。それから、俺の右手を、ちらりと見た。


俺は、右手を、外套のポケットに突っ込んだ。


ペトラは、くすくす笑いながら、廊下を歩き出した。俺も、少し離れて、その後ろを歩いた。


夕暮れの廊下には、もう、ほとんど人がいなかった。窓から差し込む橙色の光が、床に、長く伸びていた。


廊下の、ずっと先の、突き当たりの角を。


誰かが、曲がっていった。


ほんの一瞬だった。栗色の髪の、後ろ姿。耳の下で、二つに編んだ、三つ編み。くたびれた革の手帳を、胸に抱えて。


ペトラの足が、止まった。


「……え」


ペトラの声が、震えていた。


「……今の」

「どうした」

「……今の、私だった」


ペトラは、廊下の突き当たりを、じっと見つめていた。


「私と、同じ髪で。同じ三つ編みで。同じ手帳、持ってて。……私が、角を、曲がっていった」


俺は、ペトラの横を、すり抜けて、走った。


身体強化を、足に通した。廊下の突き当たりまで、ひと息で。角を、曲がった。


誰も、いなかった。


長い廊下が、まっすぐに続いているだけだった。教室の扉は、全部、閉まっていた。窓も、全部、閉まっていた。隠れる場所も、逃げる時間も、なかったはずだった。


なのに、誰も、いなかった。


◇


ペトラが、息を切らせて、追いついてきた。


「……ハスト君。いた?」

「いや」

「……そっか。……そう、だよね」


ペトラは、笑おうとした。笑おうとして、うまく、笑えていなかった。


「疲れてるのかな、私。槍聖様の演出論、二時間半も聞いてたから。……きっと、見間違い」

「…………」

「うん。見間違い。そうに決まってる」


ペトラは、自分に言い聞かせるように、何度も頷いた。それから、手帳を胸に抱きしめて、いつもの元気な声を、無理やり、絞り出した。


「じゃ、じゃあね、ハスト君! また、明日!」


ペトラは、反対方向へ、小走りに駆けていった。


俺は、その背中が、階段の下に消えるまで、見送った。


それから、誰もいない廊下の突き当たりを、もう一度、振り返った。


「――ハストさま」


いつの間にか、隣に、セルカが立っていた。


淡い水色の目が、廊下の先を、じっと見つめていた。


「……さっき、ここに、においが、二つあった」

「二つ?」

「……ペトラのにおい。……パンと、インクの、におい。……それと」


セルカの声が、ほんの少しだけ、低くなった。


「……もうひとつ。……ペトラと、同じ形をしてるのに。……においが、なかった」


廊下の窓の外で、夕暮れの鐘が、ひとつ、鳴った。


「……においが、ない人なんて。……いない」


セルカは、俺の袖を、ぎゅっと、握った。


冷たい指先だった。


俺は、その手を振りほどかずに、廊下の突き当たりを見つめた。


顔のない女。自分とそっくりな誰かを、次の日に見る。バルトロが、北の砦で聞いてきた話。


……北の話じゃ、なかったのか。


ポケットの中で、右手の親指が、勝手に、人差し指の横をこすっていた。


……誰に、嘘をつこうとしてるんだ、俺は。


たぶん、自分にだ。気のせいだ、大丈夫だ、と。俺は、親指を人差し指から引き剥がして、拳を、強く握りしめた。


学園祭まで、あと十日。


窓の外の空は、もう、冬の色をしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。