79 出し物会議と、碧い小鬼亭
「――というわけで! 一年は、喫茶店をやるべきだと思います!」
ラインハルトが、教壇の前で、拳を握りしめていた。
学園祭まで、あと、ひと月。その日の最後の授業は、まるまる、クラスの出し物を決めるための話し合いに充てられていた。教壇の横には、学級委員のフィアットが、白墨を持って立っている。黒板には、すでに、いくつかの案が並んでいた。
お化け屋敷。射的。魔術の演武。古本市。
そして、一番下に、ラインハルトの字で、でかでかと。
『喫茶 碧い小鬼亭』
「……なんだ、その名前」
レオンが、前の席から、呆れた声を上げた。
「よくぞ訊いてくれた、レオン!」
ラインハルトは、待ってましたとばかりに、黒板を、ばんと叩いた。
「今、王都で一番熱い噂を知ってるか? 四年前の聖火祭で、ジセリアの神様の心臓を叩き割った碧い小鬼! そして、こないだの聖火の夜にも、迷いの森の奥で、碧い光を見たって奴が何人もいるんだ! 王都新聞にも、ちらっと載ってた!」
「ちらっとって、隅っこの投書欄だろ」
「投書欄だろうと、載ったは載った! つまり! 今、碧い小鬼は、王都の子どもたちの憧れの的なんだよ! それにあやかった喫茶店なら、客がわんさか来るに決まってる!」
教室が、ざわついた。半分は笑い声で、半分は、「意外とありかも」という囁きだった。
俺は、窓際の一番後ろの席で、机に突っ伏していた。
突っ伏したまま、こめかみを、指で押さえた。
……なんで、よりにもよって、それなんだ。
「料理は、どうするんだよ」
レオンが、腕を組んだ。
「喫茶店ってことは、何か出すんだろ。茶と菓子くらいは。このクラスに、まともに料理できる奴、いるのか」
教室が、しんと静まった。
貴族の子弟が、半分以上を占めるクラスだ。家に帰れば、料理番がいる。茶ひとつ、自分で淹れたことのない奴も、珍しくない。
そのとき、教壇の横で、フィアットが、すっと手を挙げた。
「――あの。心当たりが、あります」
嫌な予感がした。
フィアットは、白墨を持ったまま、まっすぐに、教室の一番後ろを見ていた。
俺を、見ていた。
「ハスト君、お料理が、とても上手なんです」
教室中の視線が、一斉に、俺に集まった。
俺は、机に突っ伏したまま、ぴくりとも動かなかった。俺は空気だ。俺は机の木目だ。
「……え、最下位が?」
「ハストが、料理?」
「寝てばっかりのくせに?」
囁き声が、教室じゅうに広がった。
フィアットは、少しもひるまなかった。
「パンを、一晩で、三十二個も焼いたそうです。丸いのも、細長いのも、編み込んだのも、胡桃入りのも、無花果入りのも。……セルカさんが、教えてくれました」
教室の真ん中の席で、セルカが、膝の上で両手を重ねて、ちょこんと座っていた。
教室中の視線が、今度は、セルカに移った。
セルカは、淡い水色の目で、ぼんやりと前を見たまま、こくりと、ひとつだけ、頷いた。
「……ほんと。……おいしかった」
教室が、どよめいた。
◇
「――待て」
俺は、ようやく、顔を上げた。
全力で、寝ぼけた顔を作った。
「誤解だ。あれは、たまたま、パン生地をこね始めたら止まらなくなっただけで。料理が得意とか、そういうんじゃ」
「三十二個、止まらなくなる人を、料理が得意じゃないとは言いません」
フィアットが、にこにこしながら、言い切った。
蒼い瞳が、ほんの少しだけ、悪戯っぽく光っていた。
……こいつ、わざとだ。
最近、フィアットは、こういうことをするようになった。俺が教室で目立たないようにしているのを知っていて、それでも、ほんの少しだけ、俺を、人の輪の中に引っ張り出そうとする。
「異議あり!」
ラインハルトが、手を挙げた。
「料理長は、ハストで決まりとして! 店名は、碧い小鬼亭で決まりってことでいいか!」
「なんでそっちが先に決まるんだよ」
「多数決だ、多数決!」
俺が止める間もなく、多数決が取られた。
碧い小鬼亭。賛成、二十八。反対、二。
反対したのは、俺と、レオンだけだった。セルカは、俺の顔をちらりと見てから、迷うことなく、賛成のほうに手を挙げていた。
「……レオン」
「なんだよ」
「お前だけが、味方だ」
「別に、お前の味方じゃねぇよ。ラインハルトの案に、乗りたくなかっただけだ」
レオンは、そっぽを向いた。
それから、ぼそりと、付け加えた。
「……まぁ、料理長、頑張れよ」
◇
話し合いは、そのあとも、とんとん拍子に進んだ。
店の内装は、窓際の席の女子たちが、張り切って引き受けた。給仕の衣装は、ラインハルトが「碧い外套に、角の飾り!」と言い出して、全員から却下された。
「――菓子は、どうしますか」
フィアットが、黒板に、白墨で『献立』と書きながら、言った。
「お茶だけだと、寂しいと思うんです」
「……冷たいの」
ぽつりと、声がした。
セルカだった。膝の上で両手を重ねたまま、淡い水色の目で、黒板を見ていた。
「……溶けない氷で、果物を、冷やす。……氷の、器に、盛る。……わたしが、やる」
教室が、一瞬、静まり返った。
それから、窓際の女子たちが、身を乗り出した。
「え、すごい!」「氷の器!?」「溶けないの!?」
セルカは、少しだけ、肩をすくめた。人に囲まれるのは、まだ、慣れていない。それでも、逃げ出さなかった。俺の席のほうを、ちらりと見て、それから、また、黒板に目を戻した。
「……ハストさまの、お茶と、パンと。……わたしの、氷」
それだけ言って、セルカは、口を閉じた。
耳の先が、ほんの少しだけ、赤かった。
教室の隅の席で、銀髪の男子生徒が、小さく、手を挙げた。
クルトだった。いつも無口で、クールな顔をしているくせに、実はただの人見知りだということを、俺は知っている。
「……俺、皿洗い、やる」
それだけ言って、クルトは、手を下ろした。
ラインハルトが、目を丸くした。
「クルト!? お前が自分から!?」
「……厨房なら、客と喋らなくていいから」
教室が、どっと笑った。
俺は、机に頬杖をついて、その様子を、ぼんやりと眺めていた。
ジセリアの使節団が来ていた頃、このクラスは、どこか、浮き足立っていた。聖騎士たちが校舎を練り歩いて、親善試合があって、そのあとに、あの騒ぎがあった。王都の東門と、学園と、分館が、同時に襲われた夜。学園の生徒たちは、陛下の夜市の手伝いに出されていて、何も知らなかったはずだ。それでも、翌朝の王都新聞を読んで、青い顔をしていた奴は、たくさんいた。
それが、今は、碧い小鬼亭で、笑っている。
……まぁ、いいか。
俺は、頬杖をついたまま、小さく、息をついた。
◇
授業が終わって、教室を出たところで、フィアットが、小走りに追いついてきた。
「――怒ってますか」
「怒ってる」
「ですよね」
フィアットは、少しも悪びれずに、俺の隣に並んで歩き始めた。
廊下の窓から、午後の日差しが、斜めに差し込んでいた。どこかの教室から、学園祭の出し物を決める、にぎやかな声が漏れてくる。
「……なんで、わざわざ」
俺が言うと、フィアットは、少しだけ、前を向いたまま、黙った。
それから、ぽつりと、言った。
「ハスト様が、みんなと笑ってるところ、見てみたかったんです」
「…………」
「教室では、いつも寝たふりで。屋上では、いつも空ばっかり見てて。……誰かを守るときには、すごく、すごく遠くまで行ってしまうのに。すぐ隣の、クラスの輪の中には、絶対に入ってこないじゃないですか」
フィアットは、俺のほうを向いた。
蒼い瞳が、まっすぐだった。
「ちょっとくらい、こっちにいてくれても、いいと思うんです。……碧い小鬼亭の、料理長として」
俺は、何も言い返せなかった。
廊下の角を曲がったところで、ラインハルトとレオンが、すでに献立の話で揉めていた。
「肉だ! 喫茶店でも肉を出せば客は来る!」
「喫茶店で肉を焼くな。煙で内装が台無しになる」
「じゃあ、碧い小鬼にちなんで、碧い色の何か!」
「碧い食いもんなんか、腹壊すだけだろ」
二人の声を聞きながら、俺は、頭の中で、勝手に献立を組み始めていた。
薄焼きの胡桃パンに、森の蜂蜜。干し無花果を練り込んだ焼き菓子。ロリババアの森で育てた茶葉の、冷たい茶。それに、セルカの溶けない氷の器に盛った、季節の果物。
……碧い色の食い物は、出さない。
「ハスト様」
「なんだ」
「今、献立、考えてましたよね」
「……考えてねぇよ」
フィアットは、くすくすと笑った。
◇
放課後。
学園長室に呼び出されて、扉を開けると、エトワールが、長椅子で、毎日王都新聞を広げていた。
「――料理長に、就任したそうだね」
「……なんで、もう知ってんだ」
「学級委員のセルジーネ嬢から、出し物の届け出が来た。店名、碧い小鬼亭。料理長、ハスト・アーネット」
エトワールは、新聞の陰で、くっくっと、喉を鳴らして笑った。
「名前を伏せる気が、まるでないね」
「伏せようとしたら、多数決で負けた」
「民主主義の勝利だ」
俺は、長椅子の向かいに、どかりと腰を下ろした。
「で。用は、それだけじゃねぇんだろ」
エトワールは、笑うのをやめた。
新聞を、くるりと裏返して、俺のほうへ、差し出した。
裏の白い面ではなかった。表の、紙面のほうだった。社会面の、隅のほう。小さな囲み記事。
『新連載 碧い小鬼を追え!――聖火の夜、王都を救ったのは誰か 文・ペトラ・リンクス』
「毎日王都新聞の、新人記者だ」
エトワールは、眼鏡を押し上げた。
「入社一年目。下町の、パン屋の娘。……鼻が利く。四年前の聖火祭と、こないだの聖火の夜を、碧い光という一点で、繋げてきた。今のところ、根拠は、ほとんど噂話だけだがね」
「……で」
エトワールは、新聞の束の中から、もう一部、古い号を抜き出して、俺の前に置いた。
三か月ほど前の日付だった。社会面の、やはり隅のほうに、小さな記事が載っていた。
『西区の商人組合長、孤児院への寄付金を横領か ――組合の帳簿、二重に 文・ペトラ・リンクス』
「入社して、半年目の記事だ」
エトワールは、言った。
「誰も相手にしなかった噂話を、ひとりで、三か月かけて追いかけた。組合の倉庫の裏口で、三晩、張り込んで、帳簿を運び出す荷車を見つけた。……組合長は、先月、王都警備隊に捕まったよ。新聞社の上の連中は、彼女の手柄を、ほとんど自分たちのものにしたがね」
俺は、その小さな記事を、しばらく、見ていた。
孤児院への寄付金。下町の、パン屋の娘。
「……真っ当な記者だな」
「真っ当すぎるくらいにね」
エトワールは、少しだけ、苦い顔をした。
「だから、困っている。……真っ当な人間ほど、闇に踏み込んだとき、引き返し方を知らない」
「彼女から、学園祭の取材の申し込みが来た」
エトワールは、にこりと笑った。
「許可した」
「……は?」
「学園祭の三日間、彼女は、この学園に、自由に出入りできる。各クラスの出し物も、生徒への聞き取りも、すべて、ご自由に、と」
俺は、エトワールの顔を、じっと見た。
眼鏡の奥の目は、穏やかに笑っていた。でも、その奥で、博識王の目が、すうっと冷えていた。
「……餌か」
「察しがいいね」
エトワールは、新聞を畳んだ。
「北に、真眼の持ち主がいる。その持ち主は、二十二年間、死んだふりをしながら、ずっと、この王都を見ていた。……ならば、今、この王都で一番、北の目が欲しがっている情報は、何だと思う」
「……碧い小鬼の、正体」
「そう」
エトワールは、窓の外を見た。
「ガブリエルを倒したのが、誰なのか。九人目の頂天者が、本当にいるのか。いるなら、それは、どこの誰なのか。……北の目は、必ず、それを確かめに来る。この学園に。学園祭の、人混みに紛れて」
エトワールは、俺に向き直った。
「新人記者が、碧い小鬼を追って、学園の中を嗅ぎ回る。北の目にとって、これほど、都合のいい隠れ蓑はない」
俺は、黙って、エトワールを見返した。
「……そのペトラって記者は、知ってんのか。自分が、餌にされてること」
「知らない」
エトワールは、眼鏡を外して、目頭を押さえた。
「だから、ハスト。君に、頼みたい」
エトワールは、眼鏡をかけ直した。
「料理長の仕事の合間に、彼女から、目を離さないでくれ。……彼女が、餌のまま、喰われてしまわないように」
窓の外で、夕暮れの鐘が、ひとつ、鳴った。
俺は、長椅子から立ち上がった。
「……わかった。ただし、料理長の仕事は、手を抜かねぇからな」
「頼もしいね」
エトワールは、また新聞を広げた。その陰で、小さく、ありがとう、と言ったのが、聞こえた気がした。




