07 フィアットしょげる
放課後の屋上は、夕焼けで赤く染まっていた。
「はぁ〜……ホント疲れたよ。この件、陛下に報告したら、お前終了するかもしれないぞ? わかってんのか?」
俺は手すりにもたれて、呆れた顔で目の前の男を見た。シュベルトは、相変わらずのイケメンスマイルでにこにこしている。昼休みに屋上で気絶させてしまった第一王女様は、こいつが「貧血で倒れていたのを見つけた」ことにして、保健室まで運んでいった。記憶は、俺がきれいに書き換えてある。……はずだ。
「いや〜、まさかここまで発展するとは思ってなくてねぇ〜。あはは。なんか色々とゴメンね?」
「まぁ、一大事にはならなかったから、とりあえずはいいとして、だな」
俺は、ふと思い出して眉をひそめた。
「……お前、第一前線はどうした?」
王都の北、三日ほど馬を走らせた先の平原で、今、魔物の大量発生――スタンピードが起きている。王都近郊の異常発生とは比べものにならない規模で、国の防衛線の最前列、通称「第一前線」には、頂天者が交代で張りついているはずだった。今週の担当は、こいつだったはずだ。
「あぁ、それは今、レイラちゃんに全部任せてるんだ!!」
さらっと、とんでもないことを言いやがったぞ、こいつ。
「おいおい。さすがにそれは、賢者さんの扱いが雑すぎないか……? じゃあ、そろそろスタンピードは止まりそうな感じか?」
「あぁ、たぶん数日後くらいには終わると思うよ〜。彼女、わりかし余裕そうな顔してたし。……まぁ、どこかの二代目『覇王』様が出てくれたら、本当は数秒で殲滅し終わるんだろうけどねッ!!」
シュベルトは、言いつけるように俺の肩をとんと叩いた。
「俺にだって、社会経験ってもんをしてみたい気持ちはあるんだよ。たった三年間くらい、いいだろ? というか、お前に至っては十年近く社会経験してるくせに」
「ヴッ……そこを突かれると、さすがの僕も反論できないねぇ……」
シュベルトは苦笑して、それから、ふと屋上の扉のほうへ目をやった。
「まぁいいや。そろそろ、キミの本来のパートナーが来そうな気がするよ? 僕は久々に、キミと朝と昼と授業の三回も剣を交えられたし、満足かな」
朝は、陛下の幻術で隠した校舎裏で。昼は、屋上で。そして午後の剣術の授業で。陛下の「先払い」作戦は、結局のところ、こいつの気が済むまで三回分の先払いをさせられただけだった。授業では陛下の幻術のおかげで、クラスの連中には「剣聖様が最下位をいいように転がしている」光景が見えていたはずだ。
シュベルトがそう言い終わると同時に、屋上の扉が、勢いよく開け放たれた。
「ハスト様!!」
フィアットだった。息を切らしている。階段を駆け上がってきたのだろう。
「……良かった……!! 無事で……」
「お、おう……。どうした、フィアットさん……? 俺はいつでも無事だけど……?」
俺が少し引き気味に返すと、フィアットの目から、ほろりと涙がこぼれた。
「私が……私が、隠蔽の魔術を身につけていれば……ハスト様は、国王様を頼らずに済んだのに……」
「……ぇ」
喉の奥から、変な声が漏れた。
なんで、フィアットが、陛下に頼ったことを知っている? 俺は記憶という記憶をひっくり返してみたが、思い当たる節がない。俺は顎に手を当てた。
フィアットは、涙を拭いながら続けた。
「剣術の授業のとき、ハスト様と剣聖様が打ち合っているのを見ていて、気づいたんです。私が見ているものと、|みんなが見せられているもの《・・・・・・・・・・・・・》が、違うことに」
「……は?」
「私の目には、ハスト様が圧倒的に優勢に見えていました。剣聖様の剣を、全部紙一重でかわして、逆に何度も懐に入っていた。なのに、周りのクラスメイトたちは、剣聖様のほうを見て『さすが剣聖様だ』『最下位がボコボコにされてる』って……」
シュベルトが、あちゃ〜、と自分の額に手を当てた。
「あぁ〜、そうか。アークさんの専門分野だからなぁ……。僕もなんかおかしいと思ってたんだよね〜。くぅ〜、キミに一枚上手を行かれたよ。ははっ」
それから、しみじみと感心したように頷く。
「それにしてもアークさん、ひとりひとりに違う幻を見せる指定までできるようになったのか〜。さすが、旧幻術帝って呼ばれただけのことはあるね」
「えぇ……。アークさんには、フィアットさんにも絶対に見せないようにって頼んだのに……」
俺は頭を抱えた。こうやって落ち込まれるのが嫌だったから、わざわざ頼んだのだ。
……いや、待て。
陛下は、頼んだことを違えるような人じゃない。ふざけてはいても、約束は守る。だとしたら、陛下の幻術はちゃんと、フィアットにも「剣聖が最下位を転がしている」光景を見せていたはずだ。
それを、こいつは、見破った。
旧幻術帝の、ひとりひとり指定の幻術を。魔術の授業で教わる類のものじゃない。普通の学生なら、そもそも幻術にかかっていることにすら気づかない。
「……あ〜あ。俺がやったことが、おじゃんになっちゃったじゃないか。まぁ、気にすんなよ」
頭に浮かんだことは口に出さず、俺はそれだけ言った。
「いいえ。国王様のせいではありません」
フィアットは、首を横に振った。
「ただ、私が……他の頂天者の方々の側近なら、必ず身につけている幻術の類を、学んでいなかったのが悪いんです。昨日、ハスト様に『見守っててくれればいい』と言われたとき、わかっていたはずなのに。私は、見守ることしかできないって……」
昨日の保健室のことが、頭をよぎった。スカートを握りしめていた手。
慰めようと、何か言いかけた。でも、どう言っても、フィアットはどんどん沈み込んでいく気がした。
俺は、お前のせいだぞコラ、という目でシュベルトを睨んだ。
シュベルトは、少しびくつきながら、慌てて口を開いた。
「ま、まぁ、こうなったのは僕自身のせいでもあるからさ。う〜ん……そうだ、レイラちゃんを連れ戻して、指導してもらう? 賢者だし、隠蔽も幻術もお手の物だよ」
それから、わざとらしく顎に手を当てる。
「……でもなぁ、第一前線がなぁ。どこかの『覇王』様が行けば、秒速で終わるんだけどね〜?」
無理やりにでも意地を張って、こっちを見てくる。
こいつ……。
でも、まぁ。俺も、フィアットに幻術の類は向いていないだろうと、勝手に決めつけていた。実際には、陛下の幻術を見破るほどの目を持っていたのに。
面倒くさいけど、これくらいのことはしてやらないとな。
「はぁ〜……わかった、わかった。俺が出りゃいいんだろ?」
俺はフィアットに向き直った。
「フィアットさんは、普通にここで待ってろ。いい先生を連れてきてやるから」
それから、シュベルトに、目だけが笑っていない笑顔を向ける。
「シュベルト。誘ったのはお前だから、|もちろんお前も出るよな《・・・・・・・・・・・》?」
当の本人に、反論の権利などあるはずもなく。
「……ワカリマシタ……」
しょぼくれた声で、一言だけ返ってきた。
状況についていけていないフィアットが、不思議そうに首を傾げた。
「ハスト様が行かれるところには、私もお供しなければならないのでは?」
こういうときだけ優秀になるシュベルトが、すかさず答える。
「スタンピードの第一前線には、パートナーは連れていけない決まりなんだよね〜。ゴメンね? でも、秒で終わらせて帰ってくるから」
相変わらず、憎たらしいほどイケメン感あふれる返しだった。
「そういうわけで、フィアットさんに初任務、かな。内容は、俺が帰ってくるまでの留守番。兼、この学園の守護だ。よろしく頼んだぞ!!」
言いながら、我ながら適当な任務だと思った。留守番。守護。どうせ何も起きない。昨日の「見守っててくれればいい」と、大して変わらない。
でも、フィアットは、ようやく状況が飲み込めたというように、ぱっと顔を輝かせた。
「……っ!! はい!! わかりました。その任務、必ず果たします!! 絶対に、帰ってきてくださいね?」
花が咲くような笑顔だった。
さすがに恥ずかしくなって、俺は少しだけ顔を逸らした。
「おうよ。じゃあな」
それだけ言い残して、俺はシュベルトと一緒に、屋上から飛び降りた。
◇
ハスト様と剣聖様が、屋上の縁から飛び降りて、碧と白の光になって北の空へ消えていきました。
私は、その光が見えなくなるまで、手すりにしがみついて見送っていました。
「……留守番兼、学園の守護」
口に出してみると、なんだかくすぐったい響きでした。
わかっています。たぶん、気を遣ってくださったのでしょう。何も起きない学園で、ただ待っていればいいだけの任務。昨日の「見守っててくれればいい」と、本当は何も変わらないのかもしれません。
それでも、任務は任務です。
私は屋上の真ん中に立って、ぐるりと学園を見渡しました。夕日に染まった中庭。部活動の掛け声が響く運動場。図書館の窓に灯り始めた明かり。下校していく生徒たちの、小さな背中。
この景色を、ハスト様から任されたのです。
日が沈み、空が藍色に変わっていきました。部活動の生徒たちも、ひとり、またひとりと帰っていきます。中庭のベンチには、まだ数人の一年生が残って、何かを話し込んでいました。あれは、ラインハルト君とレオン君でしょうか。また『覇王』の話をしているのかもしれません。
そのときでした。
空気が、変わりました。
虫の声が、ぴたりと止みました。中庭の外灯の魔石が、ちらちらと不規則に明滅し始めます。肌を撫でる夜風が、ざらりと嫌な感触に変わりました。
中庭の真ん中、噴水の上の空間に、黒い魔素が渦を巻いて集まり始めていました。
「……うそ」
授業で習ったことがあります。邪の魔素。それが一か所にこれほど濃く集まるのは、魔物が生まれる前触れ。
ここ一か月、王都のあちこちで続いている、高ランク魔物の異常発生。それが、よりによって今、この学園の、真ん中で。
渦は見る見るうちに膨れ上がり、形を成していきます。
狼に似た、けれど狼よりずっと大きな四つ足の獣でした。体高は大人の背丈の倍ほど。黒い毛並みの隙間から、青白い炎がちろちろと漏れています。尻尾が三本。裂けた口の端から、焦げたような匂いのする涎が垂れていました。
噴水の縁で、ラインハルト君たちが、凍りついたように立ち尽くしていました。
獣が、ゆっくりと首を巡らせて、彼らのほうを向きました。
――ハスト様は、いない。剣聖様も、いない。北の空の、三日も先の平原にいる。
留守番兼、学園の守護。
私は屋上の手すりを蹴って、夜の中庭へ飛び降りました。
「ウィンド・クッション!」
落下の勢いを風で殺して、私は噴水とラインハルト君たちの間に着地しました。膝に衝撃が走ります。構わず腰の剣を抜きました。セルジーネ家に代々伝わる、細身の長剣です。
「フィ、フィアットさん!?」
「二人とも、校舎の中へ! 先生方を呼んでください! 早く!!」
「で、でも――」
「早く!!」
自分でも驚くほど、鋭い声が出ました。レオン君がラインハルト君の腕を掴んで、校舎のほうへ駆け出していきます。二人の足音が遠ざかるのを、背中で聞きました。
獣が、私を見ていました。
三本の尻尾が、ゆらりと揺れます。青白い炎が、その先端に灯りました。喉の奥から、地鳴りのような唸り声が響いてきます。
剣を握る手が、震えていました。
授業で、ランクの数字だけは習いました。ランク18以上。熟練の冒険者が、何人もがかりで、数時間かけて討伐する相手。学生がひとりで向き合っていいものではありません。
でも、ここで私が退いたら、この獣は校舎に向かう。まだ残っている先生方や、図書館の生徒たちのいるほうへ。
「――アクア・ウォール、ウィンド・ウォール!」
詠唱を短縮して、二重に障壁を張りました。水の壁と風の壁。私が今使える中で、一番硬い守りです。
獣が、地面を蹴りました。
一瞬でした。巨大な前脚が振り下ろされ、水の壁が弾け飛び、風の壁がガラスのように砕け散りました。衝撃が剣を伝って腕を痺れさせ、私の身体は後ろへ吹き飛ばされて、噴水の縁に背中を打ちつけました。
「……っ、かは……」
息が詰まります。視界が白く明滅します。
獣は、ゆっくりとこちらへ歩いてきました。まるで、もう急ぐ必要はないとでも言うように。
立たなきゃ。剣を握らなきゃ。
わかっているのに、膝が言うことを聞きませんでした。
これは、私ひとりでは、止められない。




