05 助け舟と
やばいやばいやばい。どうしよう、どうすれば……!!
シュベルトが、うちの学園に来る!? しかも、俺のクラスの剣術講師として!?
嫌だよ。ただでさえ俺はコミュ障なのに。……あぁ、そうか!! わかったぞ。実技の授業で、手加減しかできない俺ばっかり指名しまくって、全校生徒の前で醜態を晒させる気だ!!
最下位の陰キャが、剣聖様に剣を向けられる。俺は正体を隠さなきゃいけないから、本気は出せない。適当に打ち合って、適当に負けるしかない。でもあいつのことだ、適当に負けさせてくれるはずがない。ギリギリ受けられる絶妙な速さで、延々と打ち込み続けてくるに決まっている。受け続ければ「最下位のくせになぜ受けられる?」と怪しまれ、わざと食らえば普通に痛い。
おのれシュベルトォ。やり方がセコいぞ。
「のおぉぉぉぉぉぉ……」
俺は枕を抱きしめて、うめき声を上げながら、保健室のベッドの上をゴロゴロと転がった。
数分後。
ようやく正気を取り戻した俺は、布団から這い出して、ベッドの上にあぐらをかいた。考えろ。考えるんだ。
案その一。授業でうっかり何かやらかしても、その場にいた全員に忘却術を吹っかけて、俺がやった部分だけをきれいに消し去る。
……いや、却下だ。クラス三十人の記憶を、一人ずつ同じ範囲だけ、矛盾なく削るなんて芸当、そう都合よくいくとは限らない。誰か一人でも消し損ねたら、そいつだけ話が噛み合わなくなって、かえって怪しまれる。
案その二。そうだ、パートナーがいるではないか!!
……と思い立ったものの、すぐに肩を落とした。この学園の生徒が、忘却術を完全にマスターしているはずがない。というかそもそも、忘却術も幻術も幻影体術も、そんな分野があること自体知らないはずだ。
確か、エトワールのパートナーは、かなり優秀な幻影体術士だったはずだ。ああいう人材が俺にもいれば。くぅぅ、そんな人間、どこを探せば見つかるんだよ!!
あのサイドテールの悪魔の実力は、まだよく知らない。でも、学級委員として実技の授業で見ている限りでは、上位の体術と剣術と魔術が、やっと形になってきたくらいだろう。授業の真ん中で何かあっても、正直、見守ってもらうことくらいしかできないと思う。
「……こんなとき、ロリババアがいればなぁ……」
俺はそう呟いて、ベッドに大の字に寝転がった。
天井の染みを数える。ひとつ、ふたつ。
すると、開け放したままの窓辺に、一羽のハトがぱたぱたと舞い降りてきた。灰色の羽に、首元だけが緑と紫に光っている。どこにでもいる、ごく普通のハトだ。
ハトは窓枠の上で、ちょこちょこと首を前後に振りながら、こちらを見ていた。
平和じゃないけど、平和だなぁ。
俺は手招きして、ハトをこちらへ寄せた。人慣れしているのか、ハトは素直にベッドの縁まで歩いてくる。首元を指でこしょこしょとくすぐってやると、ハトは気持ちよさそうに目を細めて、くるっぽー、と鳴いた。
次の瞬間。俺の和やかモードは、終止符を打った。
「お困りかな? ハスト・アーネット君?」
「!?」
いきなり目の前のハトが、人の言葉を話し始めた。驚きすぎて、俺の口からはひらがな一文字すら出てこなかった。
だが、この声には聞き覚えがあった。低くて、よく通って、どこか楽しそうに弾んでいる声。
「あ、アークさん……?」
「うむ、そうだが? 私こそが、十四代目国王アーク・フォン・フラハイトだが、何か?」
ハトが、胸を張った。羽毛がふわっと膨らむ。
「あ、あの……仕事はどうしたんですか?」
「そんなもの、池に捨てた!! はっはっはっは!! 池に書類を投げ込むのは、実に気分が良くなるものなのだな!!」
ハトが、くちばしを天に向けて高笑いした。
そう。この、目の前でハトの姿に化けてゲラゲラ笑っている仕事サボり魔は、この国の現国王陛下なのだ。ロリババアの茶飲み友達で、俺の契約書を用意してくれた張本人で、そしてたぶん、この国で一番、王様に向いていない王様である。
「はぁ……。それ、王族の人とか、特にうちの学園にいる第一王女様とかが聞いたら、やばいことなのでは……?」
「なぁに、私の身体変化の魔術は、いまだにお前とアーネットにしか見せておらんからな。バレはせんよ」
ハトは、ベッドの縁でくるりと一回転してみせた。
「ついでに言ってしまうと、あのレイアーヌはな、見た目こそ魔術師然としておるが、実のところ魔術より剣術と体術のほうがずっと得意なのだ。お前のように全てを極めようとするわけでもなし、ロクに魔術など学ばんはずだから、こんな術は見破れんよ。はっはっは!!」
「……それって、かなりの重要機密なのでは……? 俺なんかが知っていいことじゃないでしょうに」
「どちらにせよ、お前もこの国最高の重要機密なのだから、説得力に欠けるな」
ハトは、首をかしげた。
「で、だ。お前、助け舟は欲しくはないか? 今なら、見返りはなしにしてやろう」
国王陛下から、直々に助け舟。
俺は思わず、目を見張った。
俺の反応を見たハトは、少し身を引いた。
「おいおい、なんだその驚きようは。まさか、この私が嘘をついているとでも思ったのか?」
「正直、思ってたっていうのは、まぁ、そうなんですけど」
「正直すぎるな、お前は」
「というか、俺が今置かれてる、このかなり絶望的な状況を、どうにかできる策なんてあるんですか?」
「あるから、ここに来ているのだよ」
ハトは、窓枠の上へひょいと飛び戻った。夕方の光を背にして、羽が金色に縁取られる。
「シュベルトの奴は、お前に仕返しをしたい。お前は、授業で醜態を晒したくない。ならば話は簡単だ。仕返しを、授業の前に、誰にも見られぬ場所で済ませてしまえばよい」
「……先払い、ってことですか?」
「そういうことだ。あやつも、気が済むまでお前と打ち合えば、授業でまでちょっかいを出す気は失せよう。場所は、私の幻術で覆い隠してやる。音くらいは漏れるかもしれんが、姿は誰にも見えん。どうだ?」
幻術。
この人がまだ王子だった頃、王位継承戦で見せた幻術は、今でも語り草になっている。人呼んで、旧幻術帝。その人が隠すと言うなら、たぶん本当に、誰にも見えない。
「……乗ります」
「うむ。では、詳しい段取りはこうだ」
ハトが語る作戦を聞きながら、俺はだんだん、楽しくなってきた。剣聖様との、誰にも見られない、手加減なしの打ち合い。それはそれで、悪くない。
ハトが窓から飛び去ってしばらくすると、保健室の扉が、控えめにノックされた。
「……ハスト君、いますか?」
カーテンの隙間から顔を覗かせたのは、フィアットだった。さっき教室で、何か言いかけていた顔のままだ。
「なんだよ。授業はどうした」
「休み時間です。……さっきは、その、少しやりすぎました。ごめんなさい」
フィアットはベッドの脇の丸椅子に腰を下ろすと、膝の上で両手をぎゅっと握った。屋上で青筋を立てていた魔王と、同じ人間とは思えない。
「別に。慣れてるし」
「慣れてるって……」
「ロリババアのほうが百倍怖い」
フィアットは、くすりと笑った。それから、少しだけ身を乗り出した。
「あの、剣聖様が講師にいらっしゃるって、さっき職員室で聞きました。ハスト君……いえ、覇王様の、お知り合いなんですよね。何か、私にお手伝いできることはありませんか?」
俺は、少し考えた。
「……フィアットさんさ。得意な魔術って、何?」
「えっ? あ、はい! 風と水の中位魔術なら、詠唱を短縮して撃てます。剣は、セルジーネ家の流派を一通り。体術も、上位の型までは修めました」
フィアットは、少し誇らしげに胸を張った。
学年で見れば、間違いなくトップクラスだ。普通の学生としては、何の不足もない。
でも、剣聖とまともに打ち合える域ではない。ましてや、記憶をいじったり、何かを隠したりする類の術は、たぶん名前も知らない。
「そっか。じゃあ、今回は見守っててくれればいいよ」
「……見守る、だけ、ですか?」
「うん。それで十分」
悪気はなかった。本当に、それで十分だと思ったのだ。
でも、フィアットは一瞬だけ、目を伏せた。膝の上の手が、きゅっと制服のスカートを握った。
「……わかりました。では、次の授業がありますので」
フィアットは立ち上がり、ぺこりと頭を下げて保健室を出ていった。扉が閉まる音が、ほんの少しだけ、いつもより強かった気がした。
……俺、何か間違えたか?
閉まった扉を、しばらく眺めていた。
俺は、人に何かを頼むのが苦手だ。頼めば、頼んだ分だけ相手に借りができる。借りを作るくらいなら、自分ひとりで片付けたほうが早い。ロリババアと二人きりの森で、ずっとそうやって生きてきた。
だから、「見守っててくれればいい」は、俺なりの気遣いのつもりだった。危ないことはさせない。面倒なことは背負わせない。それで十分だろう、と。
でも、あいつの手は、スカートを握りしめていた。
パートナーって、何なんだろうな。
契約書の文面くらい、ちゃんと読んでおけばよかった。俺はそう思いながら、天井の染みの続きを数え始めた。
◇
その日の帰り道。
俺はいつも通り、ひとりで、少し薄暗くて人の気配がまったくない裏道を歩いていた。
街灯の魔石が、ちらちらと揺れている。民家の窓には明かりが灯っているのに、通りには誰もいない。夕飯の匂いだけが、どこかの家から漂ってくる。
「はぁ〜……。人気がないな〜って思ってたら、これが原因かよ……。とほほ、俺ついてねぇな」
目の前で、大量の魔素が渦を巻いて集まり始めていた。黒く濁った、邪の魔素だ。
渦の中から、轟音とともに、一体の巨大な熊型モンスターが姿を現した。後ろ脚で立ち上がると、二階建ての家の屋根に頭が届く。黒い剛毛の隙間から、赤く光る目が俺を見下ろしていた。
またランク18以上か。ここ一か月、本当に多い。
……でも、今日の俺は、ちょっとばかりストレスが溜まっている。剣聖の脅迫状、国王の鳩、サイドテールの魔王。ちょうどいい。
「はっ。鬱憤晴らしでもしようかなぁ!! 『覇王』様の前に出ちゃったら、終了だぜ?」
誰もいない夜道で、俺は声に出してそう言った。
「『覇権ソルバート』……!! フォルムスライサー!!」
怒りのままに叫ぶと、右手に、実体のない碧い権が現れた。
今日の碧は、いつもより輝きが強い。苛立ちが、炎の勢いに出ている。まぁ、俺が本気になると、色そのものが変わるんだけどな。今回はそこまで怒っているわけでもないし、色は変わらないか。
俺は目の前のランク18モンスター――もとい、本日のオモチャを見据えて、我流に権を構えた。
刃を向けられた熊は、「グウォォォォォォォッ!!」と雄叫びを上げ、四つ足に戻って突進してきた。石畳がめくれ上がり、地面が揺れる。
「じゃあな」
その言葉と同時に、俺の間合いに踏み込んだ熊の胴体が、真っ二つに分かれた。
切り口から、血のような黒い液体が噴き出す。俺はそれを、避けられるだけ避けた。巨体は二、三歩よろめいてから、魔素の霧となって崩れていく。
「あちゃ〜……ローブ羽織ってなかったから、返り血浴びちゃったよ」
袖口に、黒い染みがついていた。魔素の液体だから、しばらくすれば消えるけど、気分のいいものじゃない。
「まぁでも、こんなもんかな。このくらいの雑魚なら秒殺できるし、地味に魔石も高く売れるからありがてぇんだけど……。ここらへんに出るモンスターが、全部これってわけじゃないしな。やっぱ、山奥のほうがいい稼ぎ場になるのかな」
俺は覇権を元に戻し、転がっていた魔石を拾ってアイテムボックスに放り込んだ。
それから、さっきまで熊がいた場所を、ぼんやりと眺めた。
よくよく考えてみると、普通は冒険者が何人がかりかで、数時間かけて討伐するものなんだろうな。改めて、自分の立ち位置というものを思い知った気がする。
うちの学園の生徒たちは、冒険者よりずっと弱い。もし今のが学園のど真ん中に出たら、クラス総出でかかっても、無傷では済まないだろう。……誰かが、取り返しのつかない怪我をするかもしれない。
そういうことが起きないように、俺は夜道を歩いているのかもしれない。
……いや、違うな。ただ家に帰りたいだけだ。
「寒いし、さっさと帰るか」
俺はそう呟いて、その場を立ち去った。
ローブを羽織っていなかった。認識阻害も、何もかけていなかった。誰もいない夜道だと、思い込んでいた。そして、「覇王」と、自分の口で、はっきり声に出していた。
この一連の流れが、致命的なミスにつながっているとは、このときの俺は、まだ知らなかった。




