04 もう俺に休みはないんですか?
「おいおい。これ、どういうことだね?」
学園長室の革張りのソファに浅く座らされた俺の前で、学園長は腕を組んでいた。
部屋の壁一面は本棚で、残りの壁は過去何十年分の王都新聞の縮刷版で埋まっている。机の上には読みかけの朝刊が三紙。窓際には、なぜか学園長室にあるはずのないテレビ。ここの主の趣味が、部屋の隅々にまで染み出していた。
「いや、ちょっとそれは、あのロリババアが全部悪いのでして、俺は別に何も……」
「うん? じゃあ、このニュースは何なのかな?」
学園長はリモコンを手に取り、テレビの音量をぐっと上げた。今朝から何度も流れている、例のニュースだ。
『――先日夕方ごろ、旧市街の一角において、大型殲滅魔術、ならびに剣風による弊害とも見られる大規模な陥没が、王宮騎士団により確認されました。剣風の発生する斬撃について、今代の剣聖様は「僕は一切関与していない」とキッパリ否定しています。また現場からは、剣聖様の斬撃の後に必ず残る聖因子の残留が確認できず、代わりに未知の因子が検出されたことから、王宮騎士団は警戒を強めていく方針です』
画面の中では、剣聖シュベルト・ロードが記者たちに囲まれていた。いつもの爽やかな笑顔だ。ただ、こめかみに青筋が一本、くっきりと浮いている。
俺は、黙りこくることしかできなかった。
王宮騎士団に、ここまで調べ尽くされてしまっては、もう何も言えない。俺が剣風で地面を抉ったのは事実で、その跡に俺の覇権の因子が残っていたのも事実だ。
恐る恐る顔を上げる。
学園長は、かなりお怒りのようだ。眼鏡の奥の目が、まったく笑っていない。とっても不味いネ!!
「学園長としてではなく、同胞である博識王エトワールとしての立場から言わせてもらうがね。ハスト」
「ハイ……」
俺はもう諦めた。たぶん今、第三者が俺の顔を見たら、まず最初に「え、何この白いマネキン」と思うだろう。
「キミがこの辺りでケンカを起こすと、毎回僕ら頂天者のうち誰かが被害を被るんだよ。絶対にね!! しかも、会見を受けているときのシュベルトのあの顔……。たぶんキミ、明日にはみじん切りにでもされるんじゃないかな?」
「…………」
「とにかく!! 頼むから、今度からケンカするときは山奥でしてくれ!! いいね!?」
「ハイ、スイマセンデシタ」
そこから、説教は延々と続いた。
体感では三時間。実際は四十分だったらしい。壁の時計の針が一周するのを、俺は三回くらい見た気がする。
「――よろしい!!」
ようやく学園長が、ぱんと手を叩いた。
「そろそろ授業が始まる。それに、せっかく昨日、僕にうざったらしく自慢しに来た例のパートナーさんが、外で待っているからね。行ってやりなさい」
昨日の夜、俺はセルジーネ家からの帰り道、ロリババアとのケンカの合間を縫って学園長室に転移し、契約書を学園長の顔の前でひらひらさせてやったのだ。白目を剥く顔を連写する予定だったが、学園長は「おめでとう」とにっこり笑っただけだった。つまらない。
それから、学園長はふと思い出したように付け加えた。
「ああ、それと。彼女には僕から、パートナーとしての最初の仕事を頼んでおいたよ」
「……最初の仕事?」
「キミをちゃんと授業に出席させること」
「は?」
「覇王の正体を隠すには、普通の生徒として振る舞うのが一番だ。サボり魔の最下位が、ある日突然いなくなったら目立つだろう? ……というのは建前で、単位が本当に危ないんだよ、キミ」
嫌な予感しかしなかった。
◇
学園長室の扉を出ると、廊下の窓際に、見慣れたサイドテールが立っていた。
「終わりましたか? 『覇王』様」
「ここではそう呼ばないでくれって言っただろ。何だ、今代がゴミだって言いたいのか? お? やんのかコラ」
「いいえ〜、そんなつもりなんてないですよ〜?」
そう言って俺をからかってくるのは、昨日、正式に二代目『覇王』のパートナーに就任したフィアットだった。
一昨日、保健室で青ざめて震えていたのは何だったのか。昨日、実家で父親を前に気絶したのは何だったのか。この切り替えの早さ。いや〜、時間の流れって早いんだな〜。
「というより、お前、学級委員だろ? なんで授業直前にこんなとこにいるんだよ。お前人気者なんだから、クラスの奴らが心配するんじゃないか?」
「それに関しては大丈夫です。クラスのみんなには、学園長先生とお話があるって言ってきたので」
「その学園長ってワード、いろいろと危ないと思うんだが……」
学級委員が学園長に呼ばれる。それ自体は不自然じゃない。でも、同じ朝に最下位の陰キャも学園長室にいた、なんてことが知られたら、ラインハルトあたりが絶対に余計な推理を始める。
「まぁいい。とりあえず、一緒に教室へ戻るのはよろしくない。タイミングをずらすぞ。さすがに優等生と一緒はまずいからな。お前が先に戻ってくれ。俺は授業の途中あたりで戻るから。じゃ、また後で」
「あ、ちょっと!! ……むぅ。わかりました。……はい、また後で」
何か言いたそうな顔をしていたフィアットを置いて、俺はいつものように屋上へ向かって歩いていった。
授業の途中で戻る。嘘は言っていない。一時間目の途中か、二時間目の途中かは、言っていないだけだ。
◇
結局、俺が教室に戻ったのは二コマ目の頭だった。
まぁ、ただの陰キャボッチなので、誰も俺に見向きはしない。……はずだったのだが、フィアットだけが、ちらりとこちらを振り返って、じとっとした目を向けてきた。俺は気づかないふりをした。
遅刻しても罪悪感がないのは、とっても素晴らしいことだ。陰キャボッチの特権とでもいえるだろう。俺は密かに口角を上げた。
席について、何事もなかったように次の科目の準備をする。すると、またもや例の話し声が聞こえてきた。
「お前、ほんと災難だったよな。この前、国王陛下直々に、たっぷりお説教されたんだろ?」
「も〜、ほんと絞られたね。レオンのせいでな!!」
「悪かったって。だって、あの第一王女様が来たら、ああなるだろう? 今度アイスおごってやるからさ。な?」
「よっしゃ、許してやろう。王都で一番高い、あの丸いカップのやつ十個な!!」
「くッ……痛い出費だが、それでいいだろう……」
いや、アイス十個で許しちゃうのかよ。ちょろいな、ラインハルト君。俺だったらもっと高級品を頼むぞ。
「それと、今朝のニュース見たか? 何者かの戦闘で、聖因子じゃない因子が見つかったって。しかも剣風でだぜ? もう、いいよな? これ絶対『覇王』だって!! 近くの空き家には、殴った跡まで見つかったって言うし!!」
「あのなぁ。それはフツーに考えて、国家反逆者と、どこかの無名の拳闘士がやり合ったんだろ?」
そうそう。レオン君は、そう思っといたほうが幸せだぞ。君の言うその国家反逆者は、このクラスにいるんだからさ。ついでに言うと、拳闘士のほうは何百歳かのロリババアだ。
俺はひとり窓のほうへ顔を向け直して、フッと笑った。
「おーい、もう授業始めるぞ〜。席つけ〜」
おっと、先生が来たみたいだ。集中するか。
……三分で寝た。
◇
時間は進み、昼休み。
俺はクラスメイトたちをかき分けるようにして教室を出て、もはや俺の定位置となっている、本来立ち入り禁止の屋上へ向かった。
屋上の扉に手をかける。
ガチャガチャガチャ。
……あれ?
「開かない……?」
昨日、俺が壊した結界の代わりに、学園側が新しい鍵を取り付けたらしい。宮廷魔術師たちが「屋上が怪しい」と報告したのかもしれない。忘却弾で記憶は消したはずなんだけどな。
「まぁ、別にこれくらいならっと」
俺は鍵穴に直接魔力を流し込み、中の仕掛けを内側から回して、強制的に開けた。
屋上に出て、まず何よりも先に、アイテムボックスからローブを取り出して羽織る。それからその場にごろりと寝転がり、ついでにぐーっと背伸びもしてみた。
「あぁ〜、やっぱボッチは気が楽でいいな〜」
青空に向かって、ひとりごちる。
「あのサイドテール悪魔も、今ごろ他の連中とワイワイやって楽しんでるだろうし。お互いウィンウィンの関係だなっ!! ……アイツがいると気ィ使わなきゃいけないし、たぶん性格上、融通が利かないお堅物人間だから、こんなとこにいるのがバレたら、地獄の教室へ連れて帰られるだろうしな!!」
「誰がお堅物人間ですって? 『覇王』様?」
何か、声が聞こえたような気がする。
でもまぁ、幻聴だろう。屋上の扉には、ちゃんと鍵をかけ直したし。
「ははっ。俺、疲れすぎて幻聴が聞こえるや……。幻聴なら、お堅物人間ボイスじゃなくて、もっとカワイイ子の声がよかったぜ……」
…………。
……え?
俺はローブのフードをずらして、ゆっくりと横を向いた。
青い髪の、サイドテールの魔王が、そこにいた。
腕を組んで、俺を見下ろしている。口元はにっこりと笑っているのに、こめかみにはくっきりと青筋が浮かんでいた。片手には、俺がさっき掛け直したはずの屋上の鍵が、ぶらぶらと揺れている。
……職員室から、正規に借りてきやがった。
全身から、血の気が引いていく感覚に襲われた。
「ぎゃあぁぁぁぁあっぁぁあ!! 魔王再降臨だぁぁぁあぁぁああ!!」
◇
「誰が、お堅物人間で、サイドテールの魔王ですって……?」
目の前のフィアットは、口は笑っているが目が笑っていない。俺の思考回路は、一瞬で停止した。
「ぁっ……あ、あぁ、あ……」
口から漏れ出たのは、嗚咽とも奇声ともつかない音だった。俺の身体は本能的に、目の前の魔王から逃れようと、仰向けのまま後ろへずるずると移動していく。それに合わせて、フィアットも一歩、また一歩と近づいてくる。
背中が、屋上の縁の手すりに当たった。
もう後がない。
「いやだぁぁぁ、来るなぁぁぁああぁぁ!! 『フィジカル・アクセル』ゥゥ!!」
俺は恐怖のあまり跳ね起きると、自分に身体強化の魔術をかけて、全力で逃げた。
というより、飛び降りた。
「ちょっ、ハスト君!?」
背後でフィアットの悲鳴が聞こえる。四階分の高さを落下しながら、俺は着地点に向けて手をかざした。
「『マルチウィンド』!!」
足元に上昇気流が巻き起こり、落下の勢いを殺す。俺はふわりと中庭の芝生に降り立つと、そのまま人目のない校舎裏へと駆け込んだ。
「ふぅ……。ここまで来れば、さすがにあのお堅物人間には出くわさないだろうな……。俺の勝ちィ……!!」
どうにか呼吸を整えて、俺は校舎裏の花壇の縁に腰を下ろした。園芸部が手入れしているらしい、背の低い黄色い花が風に揺れている。日陰で、静かで、誰も来ない。悪くない場所だ。
アイテムボックスから、さっき食べ損ねたサンドイッチを取り出して、頬張る。
「自分で言うのもあれだけど、やっぱボッチ飯うますぎ!! 最高かよ!?」
ザッ。
決して、寂しいわけじゃない。俺はこれまで、こういう普通の学校生活というものを経験したことがなかった。ロリババアと二人きりで、森の奥で修行と勉強に明け暮れていたから。だから、こうして学校の片隅でひとりで昼飯を食べる、というだけのことが、本当に新鮮で楽しいのだ。これぞ俺の望んだ陰キャボッチ生活というものだと、改めて実感する。
ザッ。
「というか、あのお堅物人間は、なんであんなに人と群れたがるんだろう? 俺にはいまいち、よくわかんないや……。あぁ、そうか。ロリババアの言う『りあじゅう』ってやつか。確か、下の身分の奴らをいじめて楽しむ奴らのことだっけ?」
ザッ。
いや、でも実際そうなのか? あいつ、いじめとかしなさそうだけどな。俺はひとり、頭に手を当てて考え込んだ。
……というか、さっきから足音が聞こえるような気がするけど、何なんだ?
「足音が聞こえるくらい疲れてんのかな、俺。はぁ〜、今日はもう早退して、家でゆっく――」
「駄 目 で す よ ?」
背筋が、凍りついた。
本能が叫んでいる。後ろを振り返ってはならない、と。俺は必死に前へ逃げようとした。が、右腕を、がっちりと掴まれていた。振りほどけない。華奢な指のどこにそんな力があるんだ。
心拍数が上がる。
もう無理だ。俺は観念して、後ろを振り向かないまま、話しかけてみることにした。
「あ、あのぉ〜……どちら様でしょうかぁ……。ボク、トモダチ一人もいないんですけど……。というよりは、関わってる人間自体、いないと思うんですけどぉ……」
完全に下手に出てみる。返ってきた答えは、
「うふふ。何を仰っていらっしゃるのですか、『覇王』様? 先日、私、契約書にサインしたばっかりなんですけれども〜?」
「はははっ。そんなわけないだろう。ボクの名前はアレン・ロドリゲス三十八世だから、たぶん別人じゃない?」
「何を仰います、『覇王』様。ロドリゲス家は、今代でまだ四世でございますよ〜?」
腕を掴む手の力が、どんどん強くなっていく。骨が軋む音がした気がする。
「ヴッ……はははっ、気のせいじゃないかな? あぁ、そうだ。もうそろそろ次の授業が始まりそうだし、ボクはもう教室に帰らないと……!!」
「大丈夫ですよ〜。私が先生に、少し遅れると報告済みなので〜」
フィアットは、俺の耳元に顔を寄せた。
「うふふ。いつまでこんなこと続けるのですか? ハスト・アーネット様?」
オワッタ。
俺の人生は、無事終了した。ご丁寧に家名まで言われてしまった。学園には苗字なしで入学したから、この名前を知っているのは、あの契約書を読んだ人間だけだ。逃げ道は、どこにもない。
「というわけで、教室に戻りますよ?」
「……ハイ……」
こうして俺は、一人の魔王に屈したのだった。めでたくねぇ、めでたくねぇ……。
◇
それからというもの、俺は全校生徒の前で醜態を晒すように、サイドテールの悪魔に襟首を掴まれて廊下を引きずられていった。すれ違う生徒たちの生温かい視線が、極度に痛かった。
教室に入ってからが、本当の地獄だった。
あちこちで、ひそひそ話が始まる。「学級委員が最下位を引きずってきた」「昨日も王女様に様付けで呼ばれてたよな」「何者なんだ、あいつ」。俺が今まで大切に育ててきた、静かで平和な陰キャボッチ生活が、「なんかよくわからない変人ボッチ生活」へと変貌させられようとしていた。
完全に地獄と化した教室の中で、俺はひとり机に突っ伏して、本気で高校中退を検討していた。
俺が、このサイドテール悪魔をパートナーに選んだのは間違いだったのか……? こいつ、そのうち俺の正体をうっかりバラしそうな気がしてきたんだが。
いっそ、面倒くさくなったら、適当に記憶をいじって、俺はここを中退して森に帰るか。
……いや。それをやったら、ルキウスさんのあの目が飛んでくる。娘に何かあれば覇王でも斬る、と言っていた、あの剣士の目が。
「……ト……スト……ハスト君……!!」
あれこれ考えていると、声が聞こえてきた。
考えるのをやめて横を向くと、今回の元凶である悪魔がそこにいた。休み時間になっていたらしい。
もう、こんなところにはいたくない。
「なんだよ。俺、気分悪いから保健室行くわ。じゃあな」
それだけ言い残して、俺は教室を後にした。背中に、何か言いかけたフィアットの視線が刺さっていた気がしたが、振り返らなかった。
◇
保健室にて。
「あぁぁああぁぁああぁあぁぁぁ!! 楽すぎて快適ィ!! 最高かよ!?」
教室から抜け出せた喜びと、授業をサボれる喜び。二つのコンボが決まって、俺の気分は最高潮に高揚していた。
俺がいるのは、保健室の一番奥、かつ窓際という、神の配置のベッドだ。カーテンを閉めれば、誰からも見えない。養護の先生は、相変わらず席を外している。
「さて、ひと眠りでもしようかな!! おやす……み……?」
布団をかぶって目を閉じかけた、そのとき。
開いた窓の隙間から、一通の手紙がひらひらと舞い込んできた。風に乗ってきたにしては、妙に狙いすましたように、俺の顔の上に落ちてくる。
……嫌な予感しかしない。
とりあえず、封を開けて中身を見てみる。
――なんじゃこりゃあ!?
『どうせ今ごろ授業をサボって、ベッドでのんきに寝ようとしているハスト・アーネット君へ。
僕は、キミのせいで冤罪を吹っかけられた、どこかの剣士だけど、ご機嫌いかがかな?
まぁ、そんなことは置いておこうか。単刀直入に言うね。
僕が、キミのクラスの実技科目の剣術講師になったからネ!!
僕はキミに、存分に仕返しをさせてもらおうと思うよ。はーっはっはっはっはっ!!
怯えて待っているがいい、二代目覇王!!』
手紙の最後には、剣の形をした、やけに凝ったサインが描かれていた。
俺は、笑顔のまま、フリーズした。
……もう俺に、休みはないんですか?




