03 パートナーが出来ました。
翌朝、俺は盛大に後悔していた。
昨日渡したあの契約書に、フィアットがサインするはずがない。俺は本気でそう思っていた。名門のお嬢様が、一晩冷静になれば、得体の知れない陰キャとの契約なんて破り捨てるに決まっている。
ところが、だ。
朝のホームルームが始まる前、教室の扉を開けた瞬間、目をきらきらと輝かせたフィアットが、契約書を両手で捧げ持って待ち構えていたのである。署名欄には、几帳面な字で「フィアット・セルジーネ」。おまけに、家の紋章入りの封蝋まで押してあった。
「お、おう……」
若干顔を引きつらせながら、俺はそれを受け取った。クラス中の視線が刺さる。昨日の「ハスト様」事件に続いて、今度は学級委員が最下位の陰キャに何かを手渡している。噂の燃料を自分から投下しているようなものだ。
俺が契約書をそそくさと鞄に仕舞おうとした、そのときだった。
フィアットが、すっと俺の耳元に顔を寄せた。
「お父様が、覇王様に本日お会いしたいと仰っております」
……えげつないことを、さらっと言われた。
◇
そういうわけで、その日の放課後。
俺は、あのロリババアを無理やり引きずって、セルジーネ家にお邪魔していた。
迷いの森の家で昼寝をしていたところを叩き起こし、「菓子なら向こうで出るから」と言いくるめ、転移で王都まで連れてきたのだ。道中ずっと「わしは行かぬと言うたじゃろうが」とぶつぶつ文句を垂れていたが、セルジーネ家の門の前に着いた途端、ころりと黙った。門から屋敷までの並木道が、馬車で五分かかる長さだったからだ。
屋敷は、でかかった。
白い石造りの本館に、左右に伸びる翼棟。玄関ホールの天井は三階分の吹き抜けで、水晶のシャンデリアが夕日を受けて虹色の光を撒き散らしている。磨き上げられた床に、俺の冴えない顔が逆さまに映っていた。王国屈指の名門というのは伊達じゃないらしい。
通された応接間で、その人は待っていた。
「貴公が、あの頂天者の銘『覇王』殿であるか?」
フィアットの父親、セルジーネ家当主のルキウスさんだ。
でかい。とにかくでかい。肩幅は扉の幅と同じくらいあって、豊かな白い口髭を蓄えている。腰には、使い込まれた長剣。貴族界では名の知れた剣士だと、フィアットから聞いていた。座っているだけで、部屋の空気が一段重くなるような威圧感がある。
まぁ、そんなもんで怖気づく俺じゃないので。
「はい、そうでごぜーますけど」
俺がそう言い終えると同時に、隣に座っていたフィアットの顔色が、さあっと青ざめた。
どうしたんだろう、と心配して顔を覗き込むと、フィアットはこちらに顔を寄せて、小声で囁いた。
「……敬語……習ったことないの……?」
敬語?
えぇ? あれ、おかしいな。国王陛下とお話しするときは、これでイケたんだけどなぁ……。
俺は助けを求めて、反対隣に座っているロリババアのほうを向いた。
「……? 何か問題でもあったかの?」
ロリババアは、出された焼き菓子を両手に一個ずつ持って、きょとんと首を傾げていた。
駄目だ。俺にわからないものは、師匠にもわからないらしい。考えてみれば、俺の言葉遣いはほぼ全部この人から教わったのだった。
ルキウスさんの目が、そこで初めてロリババアに向いた。
「……ところで、そちらの幼子は? 覇王殿のご兄弟か何かかね。菓子なら別室にたくさん用意させてあるゆえ、大人の話の間はそちらで――」
ぴしり。
焼き菓子を持ったロリババアの指に、ひびが入るような音がした。
「……幼子、じゃと?」
応接間の温度が、一気に下がった。窓硝子にうっすらと霜が降り、シャンデリアの水晶がかたかたと震え出す。ロリババアの背後に、紅い何かが陽炎のように揺らいでいた。
あ、これ、まずいやつだ。
「小僧。わしはの、お前の曾祖父が産着にくるまれておった頃から、この国を見ておるのじゃ。それを、幼子、じゃと?」
「も、申し訳……」
「茶菓子の礼儀も知らぬ若造が、誰に向かって口をきいておる!!」
そこから五分間、ロリババアはキレ散らかした。
内容はとても書き記せない。王国の歴史から始まって、セルジーネ家の何代前の当主が何をやらかしたか、ルキウスさんの子どもの頃の剣術大会の成績、果ては奥方へのプロポーズの言葉まで。なんでそんなことまで知ってるんだ、この人。
五分後。
でかい図体を極限まで縮こまらせたルキウスさんが、深々と頭を下げていた。
「……大変、失礼をいたしました。……姉様」
姉様。
名門の当主に、姉様と呼ばせた。俺は戦慄した。ロリババアは満足げに鼻を鳴らし、ひびの入った焼き菓子をばりばりと齧った。
フィアットは、口を半開きにして固まっていた。
「……さ、さて」
ルキウスさんは咳払いをして、どうにか威厳を取り戻そうとした。額に汗が光っている。
「その、覇王殿。礼儀作法というものを、どうもご存じないようだが……まさかとは思うが、我が娘フィアットが見せてきた書類は、偽物ではあるまいな?」
「そんなわけなかろう、戯けが」
間髪入れずに言い返したのは、もちろんロリババアだ。
「わしがわざわざアーク君に頼んで用意させたのだぞ。偽物なわけあるか、馬鹿者」
フンッ、とそっぽを向く。爆弾発言だった。
「アーク君……? あぁ、アーク・フォン・フラハイト国王陛下のことか……」
ルキウスさんは一瞬ぽかんとしてから、腹の底から豪快に笑い出した。
「くははっ! もはや国王陛下を『君』付けで呼ぶとはな! すまない、姉様。いや、初代『覇王』殿。私の間違いだったようだ」
ふぅ、危なかった。どうやら俺たちの死刑は免れたらしい。
「あれ? これ、信じてもらえたってことかな? やったな、フィアットさん」
「よ、良かった……私、もう、無理……」
フィアットの身体が、ふにゃりと横に傾いた。
「おい小娘、しっかりせんか!! 何を自分の父親ごときで倒れ込んでおる!!」
「え、ちょ、フィアットさん!? マジで言ってる!?」
慌てて駆け寄ろうとした俺たちより早く、ルキウスさんが手を叩いた。
「使用人、頼む。娘を部屋へ運んでくれ」
控えていた使用人たちが、手慣れた様子でフィアットを抱え上げ、どこか別の部屋へと運んでいった。……手慣れすぎじゃない? この家、娘が倒れるのはよくあることなのか?
そうして応接間には、俺とロリババアとルキウスさんの三人だけが残った。
ルキウスさんの表情が、すっと引き締まった。さっきまでの豪快な笑顔は消え、剣士の目になっている。
「さて。ここからは、貴公が本当に二代目『覇王』なのか、見させてもらう。何か、自身がそうだと示せるものを出してみてくれ」
おぉ? これは、ソルバートを出していく感じかな?
俺は一度ロリババアのほうを向き、目線で「出してもいいか」と尋ねた。返事は、焼き菓子を齧りながらの頷きひとつ。オーケーということだ。
そうと決まれば。俺は少しだけ口角を上げた。
「『覇権ソルバート』……フォルムスライサー」
その名を呼ぶと、俺の手に、実体を持たない一本の権が現れた。碧く燃え盛る炎が、刃の形に押し固められている。応接間の壁に、碧い光の波紋がゆらゆらと映った。
ロリババアは、至って普通の顔をしていた。
だが、それを初めて目にしたルキウスさんは、ごくりと喉を鳴らした。剣士だからこそ、わかるのだろう。これが、ただの魔術の炎ではないことが。
「……少し、触れてみても……?」
伸ばされかけた手に、俺は首を振った。
「あぁ、やめといたほうが身のためだと思う。もし触ったら、たぶん覇権に負けて、公爵様の手が吹っ飛ぶんじゃないかな」
「そうじゃな。並みの人間が下手に触ると、生命力ごと持っていかれる可能性が高いからの〜」
俺とロリババアが、そう軽〜く言うと、ルキウスさんは自分の手を即座に引っ込めた。
「それを先に言ってくださらんか。危うく、私がここで死ぬところだったではないか」
若干顔を青ざめさせながらも、ルキウスさんは笑った。
まぁ、これで俺が二代目『覇王』だって証明できたことだし。シメに入ろうかな。
「あの、公爵様。この件のことは……」
「わかっている。覇王の件は口外禁止、だろう? 私は別に、国王陛下と事を構えたいわけではないからな」
ルキウスさんは顎髭を撫でた。
「この件、他に知る者はいるのか?」
「知っておるのは、アーク君と、この馬鹿弟子の学園長と、頂天者の連中だけじゃ。王族であっても、アーク君以外に知る者はおらん。それだけ、わしら『覇王』は秘匿された存在なのじゃよ」
「んなッ!? 王族にすら、知らされていない……だと……?」
ルキウスさんは、しばらく絶句していた。それから、ゆっくりと、口の端を吊り上げた。
「……くははっ。これはまた、面白くなってきたな。道理で、あの契約書に記されていた保障の額にも頷けるわけだ。パートナーの身に万一のことがあった場合の補償金。あの金額、我が家の総資産の数百倍はあるのだよ」
え、そんなに書いてあったの? 俺、中身読まずに渡したんだけど。
「……いいだろう。この話、我がセルジーネ家が引き受けよう」
ルキウスさんは立ち上がり、俺の前で、深く頭を下げた。
「二代目『覇王』殿。娘のフィアットを、よろしく頼んだぞ」
顔を上げたルキウスさんは、幼い子どもみたいな、無邪気な笑顔を浮かべていた。
……ただ、その目の奥だけは、少しも笑っていなかった。娘に何かあったら、覇王だろうが何だろうが叩き斬る。そういう目だった。
俺は背筋を伸ばして、頷いた。
◇
フィアットが目を覚ますのを待って挨拶を済ませ、俺とロリババアがセルジーネ家を出た頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。
屋敷からの帰り道を、二人でのろのろと歩く。ロリババアの手には、使用人さんに持たされた焼き菓子の包みがぶら下がっていた。三つ目だ。
……よぉし。これであのクソ博識王に「バーカバーカ!!」と煽り散らかすことができる!! パートナーなんて見つかるわけないと言った俺が、見つけてきてやったぞ。待ってろエトワール!! お前が白目を剥いてるところ、俺が写真を連写しまくってやるからな!!
俺がひとりでニヤニヤと腹黒い顔をしていると、隣のロリババアが、ちらりとこちらを見上げた。
「お前さん、どうしてまた、あんな貴族の小娘を選んだのじゃ? お前の性格上、どーせ一生ボッチ生活を送るものと思うておったのに」
うぎぃ。
その痛いところ、聞かないでくれよ。何があっても、このロリババアに「転移魔術しくってバレました」なんて言えねぇよ……。言ったら最後、俺の人生はここで終わる。それは御免だ。
そうそう、こういうときは。
「んなわけねぇだろ。俺にだって、友達くらいいるっつの」
平気な顔をして、大嘘を吐いてみた。
完璧だ。声も震えていないし、目も泳いでいない。これは誰にも嘘だとはわからないはずだ。そう思うと、口角が自然と上がった。
「嘘じゃの」
即答だった。
「それに。誰がロリババアじゃて?」
「んなぁっ!? なっ、そんなこと、思ってるわけ……」
声に出してないはずなんだけど!?
ロリババアは、焼き菓子の包みを、そっと道端の石垣の上に置いた。丁寧に。崩れないように。
それが、開戦の合図だった。
「よろしい。ならば戦争じゃな」
ロリババアの小さな手のひらに、紅い光が渦を巻いた。
「……去ね!! ノヴァ・ブレイク!!」
「毎回毎回、そんな十五階梯以上の魔術、受けてられっかっての!! ……リフレクション!!」
◇
翌朝の王都新聞とテレビは、そのケンカの跡を大々的に取り上げていた。
王都の外れ、空き家の多い旧市街の一角。そこが一晩で、更地になっていた。焼け焦げた瓦礫の山と、巨大なすり鉢状の陥没。テレビの画面には、規制線の内側を調べる王宮騎士団の姿が映っている。
コメンテーターは、深刻な顔で「何者かによる、国家反逆の予兆ではないか」と語っていた。
……言っておくが、俺がやったのは、ちょっと地面を陥没させたことくらいだ。殲滅魔術をぶっ放したのも、破滅系の格闘技で空き家を殴り倒したのも、あのロリババアだ。言い方を変えようか。周りの空き家やらなんやら、全部燃やし尽くしたのはあのロリババアだから!! 俺じゃないから!!
だが。
その朝、教室に入る前に、俺は学園長室に呼び出されていた。




