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02 転移ミスもありますよ?

数分して、俺はようやく我に返った。


結界を何重にもかけた扉にもたれたまま、深呼吸をひとつ。落ち着け。まずは情報を整理しよう。


俺はアイテムボックスから、ペンと手帳を取り出した。考えごとをするときは、頭の中だけで回すより、紙に書き出したほうが早い。これもロリババアに叩き込まれた習慣のひとつだ。


『疑問その一。第一王女が俺に声をかけてきた理由は何か』

『疑問その二。なぜ、目立たない俺の名前を知っているのか』

『疑問その三。あのラインハルトに話しかけたのは、俺のクラスに自然に入り込むための口実だったのか』


書き出してから、ペンの尻でこめかみを叩く。


いやいや、そんなはずはない。俺とロリババアが持つ称号『覇王』のことを知っているのは、剣聖や賢者といった頂天者の連中と、ここの学園長と、国王陛下くらいのものだ。王族ですら、陛下以外は知らされていない。仮に何かの拍子で知ったとしても、それは先代であるロリババアのほうであって、俺がその称号を継いだことまでは知らないはずだ。


『仮説:第一王女は何も知らない』


その他にも、浮かんだ疑問を片っ端から手帳に書き留めていく。王女が一年のフロアに来た理由。ラインハルトの件を国王が把握していた理由。俺に声をかけたタイミング。そうやって並べていくと、だんだんと流れが見えてきた。


結論。あれは、第一王女のハッタリだ。


たぶん彼女自身は、本当にただ、目に入ったクラスメイトに挨拶しようとした程度だったのだろう。王族として、下級生の顔と名前くらいは覚えておくのが礼儀なのかもしれない。最下位の俺の名前まで覚えているのは怖いけど。


それを俺が不自然すぎるほど全力で回避したから、王女の頭の中で、俺は「何かを隠している人物」に分類されてしまった。そこで、かまをかけてみたのだ。「ハスト様」と呼んで、反応を見るために。


そして俺は、見事に引っかかって逃げ出した。


……うん。最悪だな。


だが、裏を返せば、まだ何も確定はしていない。今後、なるべく自然に対応していれば、彼女も「自分の見当違いだった」と諦めてくれるだろう。


俺は、ニタリと口角を吊り上げた。


今の俺の顔を見た人間は、誰もが口をそろえて「犯罪者だ」と言って指をさすだろう。実際、クラスの連中があれだけ持ち上げている剣聖様にも、「キミって本当によくアーネットに似てるね」と馬鹿にされたことがあるくらいだ。あのとき俺は、誰がロリババアと一緒だコラ、と本気で言いたかった。言ったけど。


そんなふうに昔のことを思い出していると、屋上の扉の向こうから、声が聞こえてくることに気がついた。


耳を澄ます。


「王女様、この結界、賢者様に相当する魔力がなければ開きません!! 多重結界の構築式が複雑に絡み合っていて、式そのものが解読不可能です! 外から飛行魔術で回り込んで突破します!!」

「宮廷魔術師でも解読できない構築式……一体、誰が……?」


俺は身を震わせた。


あ、これ、とても不味いやつだ。


逃げ込むのに必死で、自分でも解けないレベルまで結界を固めたのが裏目に出た。学園の一生徒が張れる結界じゃない。宮廷魔術師まで呼ばれている。ハッタリどころか、王女様は本気で俺を探しに来ている。


だが。


『(・)覇(・)王(・)』(・)に(・)不(・)可(・)能(・)は(・)な(・)い(・)。


この考え方はあのロリババアと同じで、正直なところ癪に障る。でも、これは俺が捨てられない矜持だ。


俺は床に手をつき、口角を上げて、心の中で魔術の名を叫んだ。


――『Spatial transition』!!


視界が一瞬で切り替わる。


次の瞬間、俺は保健室の一番奥、窓際の角のベッドの上にいた。カーテンで仕切られた、外からは見えない特等席だ。俺はローブを脱いでアイテムボックスに放り込み、そのまま布団の中に潜り込んだ。


ん〜、最高!!


消毒液の匂いがする。糊のきいたシーツが冷たくて気持ちいい。保健室の先生はちょうど席を外しているらしく、部屋はしんと静まり返っていた。腹痛で保健室に行った生徒が、保健室で寝ている。完璧なアリバイだ。


◇


授業を二コマほどサボり散らかしてから、俺は三コマ目に教室へ戻った。


案の定、扉を開けた瞬間に、クラス中の視線が突き刺さった。第一王女様に「様」付けで呼ばれた最下位の陰キャ。噂にならないはずがない。ひそひそ声が、あちこちから聞こえてくる。


俺はそれを、何とか耐え抜いた。


そう。俺はクラスの端にいる、暗くてボッチな陰キャだ。その本分を楽しむのは、俺の権利であり義務である。視線なんて、窓の外の雲を数えていればそのうち消える。


まぁ、この現状をロリババアに見られたら、間違いなく地獄のお仕置きタイムが待っているだろう。「覇王たる者が小娘ひとりに背を見せるとは何事じゃ!」とかなんとか言って、三日三晩の組み手コースだ。


だが、ありがたいことに、ここにロリババアはいない。完全に勝利したと言っていいだろう。


そんなことを考えているうちに、昼休みがやってきた。俺は誰とも目を合わせないように、急ぎ足で教室を出て、屋上を目指した。


階段を上りきり、屋上の扉の前に立つ。


「……あぁ、そうだった。俺、自分で面倒くさいことしちゃったんだったわ」


扉には、今朝の俺が張り巡らせた多重結界が、まだしっかりと残っていた。宮廷魔術師たちは結局、扉を開けることを諦めたらしい。


「しょうがないなぁ。はぁ〜……『Magic destruction』っと」


手をかざすと、碧い魔力が扉全体を覆い、溶けるように消えていった。扉は何事もなかったかのように、ぎぃ、と開く。


屋上は、朝来たときよりも暖かくなっていた。日差しが石の床をほどよく温めていて、最高の環境に仕上がっている。


俺はアイテムボックスからローブを取り出して羽織り、それと一緒に、今朝家で作ってきたサンドイッチを取り出した。今日の具は、甘めに焼いた卵と、薄切りのハムと、レタス。パンの耳はあえて落とさない派だ。


大口を開けて、かぶりつく。


「あぁ〜、我ながらうまくできてるなぁ。最高かよ。やっぱ王族とかクラスメイトとか、堅っ苦しい奴らといるより、ボッチのほうが楽だわ〜」


誰もいない屋上で、俺はひとり、空に向かって喋っていた。


「まったく。こんなとこで、俺(・)の(・)パ(・)ー(・)ト(・)ナ(・)ー(・)な(・)ん(・)て(・)見(・)つ(・)か(・)る(・)わ(・)け(・)な(・)い(・)だ(・)ろ(・)。何考えてんだか、あの博識王は。俺に言うくらいなら、ロリババアのほうを心配してやれって話だぜ。はははっ」


先月、学園長室に呼び出されたときのことを思い出す。この学園の学園長にして、頂天者のひとり、博識王エトワール。あいつは紅茶をすすりながら、こう言ったのだ。「ハスト君。君もそろそろ、パートナーを見つけたほうがいい。覇王の仕事は、ひとりで背負うには重すぎる」と。


余計なお世話だ。


誰かに聞かれたら、キモいと思われても仕方ないレベルの独り言を、俺は延々とこぼしていた。


――その途中で、異変に気がついた。


空気の流れが、変わった。頭上から、複数の魔力の気配が近づいてくる。


顔を上げると、校舎の上空に、いくつもの人影が浮かんでいた。宮廷魔術師のローブ。朝、扉の向こうで話していた連中だ。扉が駄目なら空から、と本当に回り込んできたらしい。仕事熱心なことで。


「『覇権(はけん)ソルバート』……フォルムガン」


小さく呟くと、俺の手に、碧く燃え盛る実体のない銃が現れた。


このまま見つかれば、ローブを着た正体不明の人物が屋上にいた、という報告が王女様に上がる。それは困る。かといって、王宮の魔術師を怪我させるのも、それはそれで困る。


だから、撃つのは実弾じゃない。忘却術を込めた魔力弾だ。


俺は上空に浮かぶ「人間」全員(・・)に照準を合わせ、引き金を引いた。


音もなく放たれた碧い弾が、一発ずつ、魔術師たちの額に吸い込まれていく。当たった者から順に、目の焦点がふっと外れた。ここ数分の記憶だけが、きれいに抜け落ちたはずだ。飛行魔術はそのまま残しておいたから、彼らはぼんやりした顔のまま、ふわふわと中庭のほうへ降りていく。


目が覚めたら、「屋上には誰もいなかった」と報告してくれるだろう。


「……はぁ〜。面倒くさくなってきやがったな」


念のため、食べかけのサンドイッチをアイテムボックスにしまう。ここにいたら、また誰かが来るかもしれない。俺はもう一度、保健室の一番奥のベッドへ転移した。


視界が切り替わる。カーテンに囲まれた、白いベッドの上。


ため息をつきながら、俺はローブを脱いだ。


そのとき、目の前から、予想外の声が聞こえた。


「え……っ? ハスト君……? そのローブ……」


カーテンの内側に、一人の女子生徒が立っていた。


サイドテール。片手に、見覚えのある教科書を抱えている。今朝、俺が忘れてきたのと同じ科目のやつだ。


「……!? なんで……サイドテール悪魔学級委員がここに……!?」


フィアット・セルジーネ。


たぶん、腹痛で保健室に行ったはずのクラスメイトの様子を見に来たのだろう。今朝、俺をあっさり見逃したことを、学級委員として気にしていたのかもしれない。午前中ずっと俺がいなかったベッドに、教科書を置いていくつもりだったのかもしれない。


理由はどうあれ、最悪だ。


このローブを着たまま、しかも転移魔術で、何もないところから現れるところまで見せてしまった。


俺は一瞬で、自分がとるべき行動を選んだ。


まず、保健室全体に完全防音の結界を張る。外に声が漏れないように。それから。


「『覇権ソルバート』……フォルムダガー」


碧く燃え盛る、実体のないナイフが、俺の手に現れた。


「……申し訳ないが、俺の正体がバレてしまった以上、生きては帰せない。これは、二代目『覇王』としての判断なんだ。ごめん、フィアットさん」


なるべく申し訳なさそうな顔をしつつ、俺はナイフの切っ先を彼女に向けた。


フィアットは、ようやく自分の置かれた立場に気づいたらしい。顔からみるみる血の気が引いていく。抱えていた教科書が、腕の中でかすかに震えていた。


それでも彼女は、意を決したように口を開いた。


「……わっ、私が……覇王様のことを、口外しなければ……問題は、ないんですよね……?」

「一般的には、そうだな」


俺はナイフを下ろさないまま、答えた。


本当は、殺すつもりなんてない。忘却術で今日のことを忘れてもらえば、それで済む話だ。でも、その前に、ひとつだけ確かめたいことがあった。


「ただ、この学園で生活していて、思うことがあってな」


俺は、ゆっくりと言葉を選んだ。


「まず、弱い奴を見下すこと。最下位だからって理由で、掃除当番も雑用も、何かと俺に押しつけすぎだ。次に、身分の差が露骨すぎること」

「……身分?」

「俺は『覇王』だから、師匠――アーネットの名を継ぐことになる。でも所詮、俺もあのロリババアに拾われた子どもだ。だから元々、苗字なんてものはない。学園長に掛け合って、苗字なしで入学した。それだけで、周りからはずいぶん距離を置かれたよ」


フィアットの目が、揺れた。


「最後に。俺は、人が苦しむところなんて見たくなかった。この学園は、剣聖――シュベルトが勧めてくれたところだから、安心して入ったんだ。でもやっぱり、あいつが卒業したあとは、名前だけの場所になってた」

「……!!」

「今言ったこと、ただの陰キャボッチの愚痴だったら、お前はたぶん聞き流してたろ。でも、この世の頂点だって明かしたあとだと、態度が変わるだろう?」


俺は、くすりと笑うように言った。


確かめたかったのは、それだ。この女は、俺の言葉を、肩書きで聞くのか。それとも、言葉そのものとして聞くのか。


目の前で、フィアットの肩が震えていた。


涙が、ぽろぽろとこぼれている。抱えた教科書の表紙に、ぽつりと染みができた。


……あぁ、ちょっとやりすぎたか?


脅しすぎた。泣かせるつもりはなかった。慌てて、冗談めかした逃げ道を差し出す。


「まぁ、別に。お前が俺のパートナーになるなら、話を考えてやらないこともないん――」

「覇王様のおそばに、お供させてください!!」


ありえないぐらいの即答だった。


「……エッ」


思わず、間の抜けた声が出た。


「いや、お前、普通拒むだろ。というか拒めよ。頂天者がやらせることなんて、ほぼろくなことじゃないんだぜ? というか別に、お前はバラさなそうだし。最後に『嘘だよ』って言って、記憶だけ消して帰す予定だったのに……」


俺が引き気味にそう返すと、フィアットは、さっきまでとはまるで違う、わくわくに満ちた顔で身を乗り出してきた。


「だって、あの幻とまで言われた『覇王』の、パートナー役ができるんですよ!? 何があっても、このチャンスを逃すわけにはいかないじゃないですか!」


私、嬉しくて泣いているんですよ? と言わんばかりの顔だった。


……いや、違う。


泣いていたのは、たぶん、それだけじゃない。俺がさっき並べた学園への不満を聞いているとき、こいつは肩書きのことなんて一度も口にしなかった。代わりに、唇を噛んでいた。学級委員として、俺への雑用の押しつけを止められなかったことを、悔しがるみたいに。


そういえば今朝、こいつは俺の目の下のクマを見て、黙って見逃してくれたんだった。


「……はぁ。まぁ、いいか」


俺はナイフを消して、念のため張っていた完全防音の結界を解いた。


それから、アイテムボックスから一枚の書類を取り出した。パートナー契約の用紙だ。前にシュベルトから「いつか必要になるからね」と押しつけられて、そのまま放り込んであったやつ。発行元の欄には、なぜか国王陛下の印章が押してある。


「フィアットさん。本気でやるなら、明日までにこの書類にサインして、俺に渡してくれ」

「は、はいっ!」

「ま、俺としては、別にやらなくてもいいと思ってる。ボッチのほうが気楽な人種だから。……じゃあな」


そう言い残して、俺は保健室を後にした。


廊下に出て、扉を閉める。


その瞬間、どっと疲れが押し寄せてきた。壁に背中を預けて、天井を仰ぐ。


……何やってんだ、俺。


記憶を消して終わらせるつもりだった。なのに、契約書まで渡してしまった。


まぁ、いい。どうせあいつは、一晩寝て冷静になれば、サインなんてしないだろう。名門セルジーネ家のお嬢様が、得体の知れない陰キャのパートナーになんて、なるはずがない。


そう思っていた。


このときは、まだ。


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