01 最下位と覇王
「なぁレオン、知ってるか? 昨日の真夜中も、学区内にランク18以上のバケモンが出たらしいぜ」
二時間目と三時間目のあいだの休み時間。教室の真ん中あたりで、男子生徒が身を乗り出していた。ラインハルト・アルク。噂話と陰謀論が三度の飯より好きな、クラスのお調子者だ。
「近所の住民が王宮騎士団を呼んで避難したんだけどさ、騎士団が駆けつけたときにはもう、誰かが斬撃一発で倒して消えてたんだって。そんな奴がこの王都のどっかにいると思うと、なんかワクワクしてこねぇか?」
鼻息が荒い。机に両手をついて、今にも椅子から立ち上がりそうな勢いだ。
「そうだな。確かに、その人に会えたらいいなとは思うよ」
向かいの席で頬杖をついているのは、レオン。ラインハルトの幼馴染で、こいつの暴走を止める役をいつも押しつけられている苦労人だ。
「なんでも、目撃した人の話だと、背の低い人影だったらしいな。俺が思うに、それは今代の剣聖様だと思うんだよ。ほら、まだ正式なお披露目前で、顔を出せない事情があるとかさ」
「その可能性はあるな!! ……でも、やっぱり俺は、本当に存在するかもわかんねぇ『覇王』だと思うんだよな」
「お前、まだそんなの信じてたのかよ」
レオンは、はぁ〜、と盛大にため息をついた。
「いるわけねぇだろ。剣術も魔術も、弓技も体術も銃技も槍術も、学問まで、何でもできる奴なんて。そんなのがいたら、とっくに頂天者の席に座ってるっての」
剣聖、賢者、格闘王、博識王、弓王、槍聖、銃王、錬成帝。この国でそれぞれの道の頂点に立つ八人を、人は『頂天者』と呼ぶ。そしてその八人のさらに上に、すべてを極めた『覇王』がいる――というのは、子どもでも知っているおとぎ話だ。実在を信じている奴なんて、この学年ではたぶんラインハルトくらいのものだろう。
「いや、確かに俺は読んだんだって! 王立図書室の禁書庫に忍び込んで!」
「は?」
レオンの顔から、血の気が引いた。
「お前それ、十分に国家反逆だぞ!! どうすんだよ、聞いた俺まで捕まっちまうじゃねぇか!!」
「内緒にしときゃバレないって」
「バレるとかバレないとかの問題じゃねぇよ!」
二人のやり取りに、周りの生徒たちがくすくすと笑っている。
「ふ〜ん。『覇王』……ねぇ……」
俺はその光景を片目で眺めながら、教室の一番後ろ、窓際の隅の席で、頬杖をついて外を見ていた。
あ、どうも。俺は正真正銘、陰キャでボッチのハストです。
ペーパーテストの成績は、なんと学年最下位。そして悲しいことに、実技試験も「終了のお知らせ」をいただくほどのレベルです。剣を振れば手からすっぽ抜け、魔術を唱えれば三回に一回は不発。担任からは「お前、本当にどうやってこの学園に入ったんだ?」と真顔で聞かれたことがある。俺も知りたい。
へぇ、そんなわけないだろう、と思うだろう? これが事実なんだな。俺も今すぐ泣きたいくらいだ。
まぁ、でも、俺はこのくらいがちょうどいいんだけどな。
だって、さっきの話に出てきたような「何でもデキる奴」って、正直気持ち悪いと思うだろう? 俺も同感だ。そういう奴は目立つ。目立つと人が寄ってくる。人が寄ってくると話しかけられる。話しかけられると、返事をしなきゃいけない。
地獄だ。
誰にも期待されず、誰にも話しかけられず、教室の隅で空気と同化して過ごす。それが俺の理想の学園生活なのである。
おっと、もうすぐチャイムが鳴りそうだ。次の授業の教科書を出さなくちゃな。
俺は鞄の中をごそごそと探った。
一瞬、手が止まる。
もう一度、ごそごそと探った。鞄をひっくり返す勢いで、底のほうまで指を這わせる。
……ない。
あ、これ、忘れちゃったやつだわ。
ただでさえボッチなのに、このミスは大きすぎる。教科書を忘れた生徒は、隣の席の奴に見せてもらうのがこの学園の決まりだ。つまり、隣の席の奴に「見せてください」と話しかけなければならない。そして授業中ずっと、机をくっつけて、肩が触れそうな距離で、一冊の本を二人で覗き込まなければならない。
無理だ。死ぬ。
しょうがないので、俺は教室を出て、この授業をサボることにした。
椅子を音を立てないように引き、気配を消して、後ろの扉へ向かう。扉に手をかけた、そのときだった。
「ハスト君? どこへ行くのですか? もう授業が始まりますよ?」
にっこりと笑う声が、背後から降ってきた。
振り返ると、サイドテールを揺らした女子生徒が立っていた。このクラスの学級委員、フィアット・セルジーネ。王国屈指の名門、セルジーネ家の長女でもある。成績優秀、品行方正、教師からの信頼も厚い。そして俺がサボろうとするたびに、どこからともなく現れて俺を連れ戻す、笑顔の悪魔である。
何か、脱出策を考えなければ。……あ!
「あのぉ……俺、今日お腹が痛くって……保健室に行こうかなと……」
俺はお腹に手を当てて、さする動作をしてみせた。眉を八の字に下げ、少しだけ前かがみになる。完璧だ。さぁ、これなら突破できまい。
表面上は弱々しい表情を浮かべつつ、俺は心の中で真っ黒な笑みを浮かべていた。
学級委員は、じっと俺の顔を見た。いつもなら、ここで「嘘ですね」と笑顔のまま言って、俺の襟首を掴んで席まで引きずっていくところだ。
けれど今日は、ほんの少しだけ首を傾げて、俺の目の下あたりを見つめていた。
「……あら、そうなのですか。それは失礼なことをしてしまいましたね。早く行って、休んでくださいね」
「へ?」
「それでは」
学級委員はくるりと踵を返し、自分の席へ戻っていった。
……よっしゃぁぁぁぁぁ!!
今日は突破できたぞ!! いつもなら笑顔で俺を教室に連れ戻すあいつが、なぜか許してくれた。最高か? ついに俺の演技力が、学級委員の鉄壁を上回る日が来たのだ。
俺は内心でガッツポーズを決めながら、サボりの定位置である校舎の屋上へと、上機嫌で歩き始めた。
もちろん、屋上は学園の立ち入り禁止区域だ。扉には鍵がかかっているし、教師もめったに上がってこない。だが鍵なんてものは、開けて入って閉め直せば、最初からかかっていたのと同じである。
重い鉄の扉を押し開けると、真っ青な空が広がった。
屋上は、王都の街並みを一望できる。赤い瓦屋根が波のように連なり、その向こうに王宮の白い尖塔がそびえている。風が気持ちいい。
俺は真ん中あたりの、一番日当たりのいい場所に寝転がった。日の光で温められた石の床が、背中にじんわりと心地いい。昼休みなんかも、俺はよくここに一人で来る。ここなら誰も来ない。誰にも話しかけられない。
俺はアイテムボックスから、ちょうどいいローブを一枚取り出した。それを掛け布団代わりに身体にかけると、すぐにまぶたが重くなってきた。
ここ数日、夜の寝不足が続いていた。理由は、まぁ、いろいろだ。
俺は深い眠りに落ちていった。
◇
目が覚めたとき、日はもう沈みかけていた。
空が橙色に染まっている。石の床はすっかり冷たくなっていて、ローブの外に出ていた指先がかじかんでいた。
ぼんやりした頭で、空の色を眺める。夕方。夕方か。
……夕方?
俺の意識が、一気に覚醒した。
「あぁぁああぁああ!! 寝すぎたァ!!」
ヤバい。ヤバいって。これ、授業四コマ分寝てたってことだよな? 一時間サボるつもりが、午後の授業を丸ごと飛ばしてるじゃねぇか。俺、かなりヤバくないか? どうしよう……。
不安に駆られながら、屋上の縁から少しだけ顔を出して下を覗く。校門のあたりに、もう帰宅し始めている生徒がちらほらと見えた。
校舎の中には、まだ教師が残っている。今ここから階段を降りれば、職員室の前を通ることになる。そこで見つかったら、四コマ分の無断欠席の理由を問い詰められる。腹痛で保健室に行ったはずの生徒が、保健室の記録に名前がない。確実にシバき上げられるやつだ。
かといって、屋上から飛び降りて帰るのもまずい。この学園の上空には、生徒や教師が残っている間ずっと、侵入者を感知する警報の術式が張られている。下手に空を飛べば、真っ先に引っかかる。
しょうがない。全員が帰るまで待つしかないか。
俺はがっくりと肩を落として、その場に座り込んだ。肌寒さを感じて、さっきまで掛け布団にしていたローブに袖を通す。
途端に、ふわりと身体が温かくなった。
「あったけぇ……。さすがだな、温度調節機能。認識阻害もバッチシだな。ロリババアのくせして、やるじゃん」
思わず、感動の声が漏れていた。
このローブは、俺の師匠であり育ての親である人からもらったものだ。着ている者の周りの温度を快適に保ち、ついでに他人の目には「そこに誰かいる」と認識しにくくしてくれる。見た目はただの古ぼけた黒いローブだが、中身は国宝級の魔道具である。本人は「余り物じゃ」と言って放り投げてきたけど。
時間は、ゆっくりと進んだ。
夕日が沈み、空に星が出る。校舎の窓の明かりが、ひとつ、またひとつと消えていく。教師たちが帰っていく。最後に警備員が懐中魔灯を揺らしながら校舎を一周し、門に鍵をかけて詰め所へ引っ込む。警報の術式が夜間用の弱いものに切り替わるのは、その最終巡回が終わったあとだ。
「や……っと……全員……帰った……!!」
現在時刻、深夜二時。
俺はまたもや、昨日と同じ時刻に帰る羽目になった。
やっっっと、家に帰れる!! よっしゃ、行くぜ。
「『flow sky』」
小さく唱えると、身体がふわりと軽くなった。空中を移動するための魔術だ。授業中は三回に一回不発になるくせに、こういうときだけは一発で成功する。不思議だなぁ。
俺は屋上の縁を蹴って、勢いよく飛び降りた。夜風が耳元で鳴る。着地地点は校門の前。魔術のおかげで、石畳に降り立っても膝ひとつ痛まなかった。
俺は気分よく鼻歌を歌いながら、夜の街を歩き始めた。
◇
家を目指して歩き始めて、数分。
周りの空気が、少し違うことに気がついた。
静かすぎる。さっきまで聞こえていた虫の声が、ぴたりと止んでいる。街灯の魔石の光が、ちらちらと揺らいでいる。肌を撫でる夜風が、妙にざらついている。
なんだ、と首を巡らせて周囲を見回していると、目の前の空間に、大量の魔素が渦を巻いて集まり始めた。
色でわかる。黒く濁った、紫がかった光。どれも邪の魔素だ。
俺の顔が、引きつった。
渦はみるみるうちに膨れ上がり、形を成していく。太い四肢。鱗に覆われた胴体。長い首と、裂けたような口。背中から広がる、蝙蝠のような翼。
ドラゴン系統の、かなり図体のでかいモンスターだった。家二軒分はある巨体が、石畳を踏み砕きながら、夜の通りに立ちはだかる。
「あぁぁあぁああもぉぉぉ!! またランク18以上かよ!!」
俺はその巨体を見上げながら、少しキレ気味に叫んだ。近所迷惑だって? そんなの知るかよ。だってコイツが悪いんだろ? 俺が疲れてるときに、のこのこと出てきてさぁ。
何? 最近の異常発生モンスターって、嫌がらせが目的なの?
ここ一か月、王都のあちこちで、こういう高ランクのモンスターが突然湧いて出る事件が続いていた。原因は誰にもわかっていない。そしてなぜか、そのうち何回かは、俺の帰り道のど真ん中に出てきやがる。
俺が内心で悪態を吐き捨てていると、目の前のとにかくでかいドラゴンが、こちらを見下ろして咆哮を上げた。
「グオオオオオッ!!」
空気がびりびりと震える。近くの家の窓硝子が、がたがたと鳴った。
「ひぃっ、そんな怒んなって!! ……あぁあぁぁもぉぉ!!」
俺はやけくそで、その名を呼んだ。
「『覇権ソルバート』……フォルムスライサー!!」
右手に、熱が集まる。
次の瞬間、俺の手には、実体を持たない一本の権が握られていた。碧く燃え盛る炎を、そのまま刃の形に押し固めたような権。夜の通りが、碧い光に照らし出される。
そして、ひとつ訂正しよう。
俺は、ただの学年最下位じゃない。こんなパッとしなくて、どの成績も最下位で、本当に申し訳ないが
――いちおう、二代目『覇王』だ。
俺はソルバートを我流に構えて、地面を蹴った。
跳んでいく先は、もちろんドラゴンの首だ。巨体が反応して首をもたげるより早く、俺の身体は奴の懐、俺の間合いの中に入っていた。
一閃。
音は、なかった。
ドラゴンは一ミリも動かなかった。動けなかった、と言うべきかもしれない。咆哮の形に口を開けたまま、その長い首だけが、すうっと斜めにずれていく。切り口が碧く光り、巨体がゆっくりと傾いて、石畳に倒れ込む前に、黒い霧となってほどけていった。
魔素で構築された身体が、夜風に溶けて霧散していく。
後には、ころん、と拳大の魔石がひとつ転がっているだけだった。
「……ふぅ」
俺は権を消して、息を吐いた。
ああ、そういえば、今の動きは本来、他人に見せるものではなかったな。
俺はこの動きを、学園生活では一度もしたことがない。当たり前だ。だって陰キャがこんな動きをしたら、正直言ってキモいと思うだろう? それに、こんなことができると知られたら、間違いなく人が寄ってくる。俺は周りから、あまり相手にされたくないんだ。
遠くのほうから、蹄の音と、いくつもの魔灯の光が近づいてくるのが見えた。王宮騎士団だ。さっきの咆哮を聞きつけた誰かが呼んだのだろう。
まぁ、気持ちを切り替えて、魔石を拾って帰ろうじゃないか。
俺は転がっていた魔石を拾い上げて、月明かりにかざした。濁りのない、深い紫色。
……あっ、これ高く売れそう。ラッキー!!
魔石をアイテムボックスに放り込み、ローブのフードをかぶる。騎士団の光が角を曲がって通りに入ってくる頃には、俺はもう三本先の路地を歩いていた。
こうして俺は、今日も夜遅くに家へ帰るのだった。
◇
翌日。
「なぁなぁレオン! また昨日、ランク18以上のバケモンが何者かに一撃で倒されてたらしいぜ!! もうこれ、絶対俺が調べた『覇王』だろ!?」
朝の教室に入るなり、ラインハルトの声が響いていた。昨日の今日で、よくもまぁそこまで元気が出るものだ。
「まぁ落ち着けって、ラインハルト。騎士団が現場の魔素反応を調べた結果、切り傷だったって話だろ? だったら剣聖様でしょ」
レオンが呆れたように返すと、近くにいた数人の女子生徒が、面白がってその周りに集まってきた。
「なぁに、今ラインハルト、また『覇王』って言った? もう、いるわけないじゃない、そんな人。まだ信じてたの?」
「いるんだとしたら、国民集会の日とかに、剣聖様たちと一緒に壇上に座ってるはずじゃない?」
「ぐっ……そっ、それはだな! この前読んだ資料によると、覇王は相当シャイな性格らしいからだ! そんな人物が、人前に出るわけないじゃないか!!」
ラインハルトが、女子生徒たちに噛みつくように言い返す。
シャイ、か。間違ってはいない。
すると、女子生徒たちの輪の中から、一人がすっと前に出た。
「ふぅ〜ん。資料、ねぇ……。アンタ、一体どこでそんな重要機密っぽい資料を読んだのかしらねぇ……?」
「そうですよ。どこで、そのようなものをご覧になったのですか?」
最初の声とは別の、柔らかくて上品な声が続いた。
輪の後ろから、一人の少女が姿を現す。長く艶やかな髪。上級生の徽章。どこから見ても育ちの良さがにじみ出る、穏やかな微笑み。
ラインハルトの顔が、固まった。
「レッ……レイアーヌ様……!? どうして第一王女様がここに……!? ここは一年生のフロアのはず……!?」
レイアーヌ・フォン・フラハイト。この国の第一王女にして、この学園の上級生。お淑やかな顔立ちから、魔術の名手だと噂されている人だ。
ラインハルトの顔が、みるみるうちに白くなっていく。
俺は遠目に、心の中で「お疲れ」と呟いた。
「ラインハルト……俺はもう、カバーできねぇぞ……」
「レオンまでッ!?」
「ラインハルト・アルクさん。後でお父様から、少々お話があります。……いらしてくださいね?」
第一王女様は、それはそれは美しいスマイルをラインハルトに向けた。
うわ、こっわ。あの人、目が笑ってねぇじゃん。俺、あんな顔初めて見たよ。お父様ってつまり国王陛下だぞ。禁書庫に忍び込んだ件、完全にバレてるじゃねぇか。
俺の通っている学校は、腐っても王立の学園なのだ。王族も貴族も平民も、同じ校舎に通っている。こういうことになるのも仕方がない。
え? なんでお前みたいな奴がそんな学園に通えているのかって? そりゃあ、学園長とグル……
おっと、誰かが来たようだ。
俺は本能で危機を察知すると、ごく自然に、顔の向きを窓の外へスライドさせた。この自然さは、入学してからの数か月で磨き上げた、俺の唯一の特技だ。どうだ、すごくて、どこか虚しいだろう?
……そんなことを思いつつも、実際の俺は、冷や汗をだらだらと流していた。
顔を逸らした俺の視界の端で、さっきの第一王女様が、まっすぐこちらへ歩いてくるのが見えたからだ。
なんで? なんでこっち来んの? ラインハルトの件はもう終わっただろ?
俺は全力で、無視を決め込んだ。
「ハストさん……でしたよね」
「…………」
「ハストさん? どうかしましたか?」
「………………」
窓の外の雲を数える。一、二、三。あの雲、サンドイッチみたいな形してるな。
「……私としたことが。話しかける相手を間違えたようです。ごめんなさいね。それでは」
足音が遠ざかっていく。
俺は、ひそかに口角を上げた。
よっし!! 俺の無視スキル、かなり上達してないか!? 第一王女様相手に完封だぞ。最高かよ!!
俺はゲス顔で、小さく一言呟いた。
「……俺の勝ちィ……!!」
「あら。何が勝ちなのですか?」
耳元で、柔らかい声がした。
「ハスト様?」
「!?!?!?!?!?」
俺の脳内が、全部「!?」に置き換わった。
ギギギ、と錆びた蝶番みたいな音を立てながら、首を回す。
すぐ目の前に、第一王女様の顔があった。にっこりと微笑んでいる。さっき確かに遠ざかっていったはずの足音は、いつの間にか戻ってきていたらしい。
というか、今、なんて言った? 様? 俺に? 一切面識のない第一王女様が、学年最下位の俺に、様?
体中から、冷や汗が止まらない。
気づけば、教室中の視線が俺に集まっていた。ラインハルトも、レオンも、女子生徒たちも、学級委員も。みんなが、ぽかんと口を開けて、俺と第一王女様を見比べている。
陰キャボッチの俺にとって、この状況は、地獄を三百周するより辛い。
ついに俺は、周りの人間が怖すぎるあまり、ところどころ声を裏返らせながら言った。
「……あのゥ……おっ、オレ、ボク、ちょっとオなか痛いのデ、ホケンシツいきマーす……」
言い終わるより早く、俺は教室を飛び出していた。
廊下を駆ける。階段を駆け上がる。贅沢にも無詠唱で身体強化の魔術までかけて、全速力で屋上まで逃げ込んだ。実技試験ではまともに発動したことのない魔術が、こういうときだけは完璧に決まる。不思議だなぁ。
屋上に着くなり、まず師匠から受け継いだローブを羽織った。それから、屋上へ繋がる扉に結界魔術を重ねがけする。自分でも解けないレベルまで、何重にも、何重にも。
その一連の動作を終えて、俺はその場にへたり込んだ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」
空は、昨日と同じように青かった。
「……もういやだぁぁぁぁぁぁ!!」
その掠れた叫びは、誰にも届いていなかった。
リメイクになります。長い付き合いになりますがよろしくお願いいたします。




