46 白の都の、裏通り
聖都ジセリオンは、三重の城壁に囲まれていた。
一番外側の城壁の内側を、人々は「外環」と呼ぶ。巡礼者と、貧しい民と、行き場をなくした者たちが暮らす場所だ。その内側に、商人と下級聖職者の住む「中環」。そして、一番内側の、白い大理石の城壁に守られた「内環」に、大聖堂と、教皇宮と、枢機卿たちの館がそびえている。
遠くから見たときは、あれほど白く見えた都だった。
近づいてみると、白いのは、内側の城壁から上だけだった。
◇
外環の門の前には、長い長い行列ができていた。
聖火祭まで、あと六日。国中から集まった巡礼者たちが、門をくぐるのを待っていた。荷車を引く老人。赤ん坊を抱いた女。杖をついた病人。誰もが、やつれた顔に、それでも何かに縋るような光を目に宿して、白い尖塔を見上げていた。
門の脇には、小さな屋台が並んでいた。
『入都免罪符 銀貨三枚』
『聖火祭特別免罪符 金貨一枚 ――浄めの火の粉がひとつ、あなたの罪をひとつ焼く』
『献身免罪符 子ども一人につき、家族全員の罪を十年赦す』
最後の看板の前で、俺は、足を止めた。
看板の下には、木の柵で囲まれた一角があった。柵の中に、子どもたちが座っていた。五歳くらいから、十歳くらいまで。十人ほど。全員、首から木の札を下げている。札には、焼き印で、光の神の聖印が押されていた。
子どもたちは、泣いていなかった。泣き疲れた顔をしていた。
「……おい」
アルスの声が、低くなった。
「行くぞ、アルス」
俺は、アルスの袖を引いた。自分の声が、思ったより冷たかったことに、自分で驚いた。
「今は、行く」
アルスは、しばらく、柵の中の子どもたちを見ていた。それから、黙って、俺に引かれるまま歩き出した。
入都免罪符の銀貨は、昨日、街道沿いの森で狩った大猪の魔石を、門前の商人に売って工面した。相場の半値で買い叩かれたが、文句を言っている場合じゃなかった。
◇
外環の中は、ひどい有様だった。
道の両脇に、粗末な小屋がひしめいている。どぶ川の匂いが、鼻をつく。路地の奥では、痩せた男たちが、地面に座り込んで、焦点の合わない目で空を見上げていた。
なのに、その頭上には、どこを見上げても、白い大聖堂の尖塔が見えた。
まるで、見せつけるみたいに。
「……ひでぇな」
アルスが、ぼそりと言った。
「サロバニアの下町も、たいがいひでぇけど。ここは、それ以上だ」
「サロバニアの下町には、少なくとも、見上げたら腹が立つような建物はない」
「違いねぇ」
俺たちは、外環の大通りを抜けて、中環の門へ向かった。中環に入るには、もう一枚、別の免罪符が要った。それも、魔石の残りで払った。
中環に入った途端、景色が、変わった。
道には、きれいな石畳が敷かれていた。家々の壁は白く塗られ、窓辺には花が飾られている。行き交う人々の服も、外環とは比べものにならないほど上等だった。
そして、その中心の広場に、人だかりができていた。
「――奇跡だ!! 奇跡が起きるぞ!!」
人垣の隙間から覗き込むと、広場の真ん中に、白い壇が設けられていた。壇の上に、金糸の法衣をまとった司教が立っている。その前に、担架に乗せられた、一人の少年。
少年の足は、膝から下が、紫色に腫れ上がっていた。毒を持つ魔物にでも噛まれたのだろう。壇の脇で、身なりのいい商人風の男と女が、手を合わせて祈っていた。少年の両親らしい。
壇の前には、献金箱が置かれていた。両親は、そこに、金貨の詰まった袋を、まるごと入れた。
「光の神よ。敬虔なる信徒の祈りに、御手を差し伸べたまえ」
司教が、両手を少年の足にかざした。
その手のひらから、柔らかな白い光が溢れ出した。
光が、少年の足を包み込む。紫色の腫れが、みるみるうちに引いていく。肌の色が戻っていく。少年が、目を見開いて、自分の足を見下ろした。それから、恐る恐る、担架から降りて、立ち上がった。
広場が、割れんばかりの歓声に包まれた。
「奇跡だ!!」
「光の神の御業だ!!」
人々が、次々と膝をつき、壇に向かって祈りを捧げる。両親は、泣きながら息子を抱きしめていた。
俺の隣で、アルスが、顎に手を当てていた。
目を細めて、壇の上の司教の手元を、じっと見ている。ほんの一瞬、その目が、答えを拾い上げたように揺れた。
「……第三階梯の治癒魔術だ」
アルスが、唇をほとんど動かさずに言った。
「『ライト・ヒール』。解毒の術式を、ひとつ混ぜてある。サロバニアなら、魔術学校の三年生が習うやつだ。金貨どころか、銀貨一枚の価値もねぇ」
「でも、あの司教の魔素量じゃ、あの規模は無理だろ」
「あぁ。だから、借りてる」
アルスの視線が、司教の首元に向いた。
金の鎖に下がった、乳白色の石。昨日、村で見た徴税司祭の指輪と、同じ石だった。ただ、大きさが段違いだった。拳ほどもある。
その石の奥で、光が、脈打っていた。
そして――その光から、細い、細い、目には見えない糸のようなものが、広場の向こう、内環の城壁の方角へと、まっすぐに伸びていた。
俺には、それが見えた。
覇権を宿してから、俺の目は、魔素の流れを、色のついた糸のように見るようになっていた。
あの糸の先にあるのは、大聖堂だ。
「……アルス。あの石、どこかと繋がってる」
「ああ。俺も、今、感じた」
アルスが、目を細めた。
「あの石は、ただの器だ。中身は、別のところから吸い上げてる。……大聖堂の中にある、何かからな」
そのとき、広場の反対側で、悲鳴が上がった。
◇
「離して!! 離してください!! この子は、熱を出していただけなんです!!」
白い鎧の兵士が二人、一人の女の両腕を掴んで、引きずっていた。
女は、まだ若かった。つぎはぎだらけの服。外環の人間だ。その足元で、五歳くらいの女の子が、泣きながら母親の服の裾を掴んでいた。
兵士の後ろから、黒い法衣を着た男が、ゆっくりと歩み出た。
黒い法衣。胸元に、銀の天秤の刺繍。
――異端審問官、だと、周りの誰かが囁いた。
「この女は、昨夜、外環の自宅にて、己が娘に、無許可の治癒術を施した」
審問官の声は、広場の隅々にまで、よく響いた。
「光の神の御業を、神の許しなく、穢れた手で真似る。これを、異端と呼ばずして、何と呼ぶか」
「ち、違います……! 私はただ、おばあちゃんに教わった、熱冷ましのおまじないを……!」
「おまじない。そう、異端者は皆、そう言う」
審問官は、女の顔を、冷たく見下ろした。
「聖火祭の前に、浄めの火を待つ者が、ひとり増えたな」
女が、悲鳴を上げた。
広場の人々は、誰も、何も言わなかった。
ついさっきまで、壇の上の司教に涙を流して祈っていた人々が、今は、目を逸らしていた。中には、女を指差して、「異端者め」と吐き捨てる者さえいた。
同じだった。
壇の上の司教がやったことと、あの女がやったことは、同じ魔術だった。違うのは、金を払ったかどうか。法衣を着ているかどうか。それだけだった。
法衣を着た者がやれば、奇跡。
外環の母親がやれば、異端。
俺の手のひらから、碧い炎が、滲み出しかけていた。
今度は、アルスが、俺の手首を掴んだ。
「――ハスト」
「…………」
「今じゃない」
アルスの手は、熱かった。紅が、手のひらの内側で、必死に押し殺されているのがわかった。
俺たちは、二人とも、動かなかった。
動けなかった。
女と、泣き叫ぶ女の子は、兵士に引きずられて、内環の門の向こうへ消えていった。
◇
広場の掲示板に、一枚の羊皮紙が貼られていた。
金の縁取り。光の神の聖印。そして、大きな文字。
『告示
聖火祭最終日、正午。大聖堂前広場にて、浄火の儀を執り行う。
浄めを受ける者――
隣国サロバニアの王家に連なる、魔女の血を引く娘。
レイアーヌ・フォン・フラハイト
この者、禁じられし古の書を読み、光の神を冒涜し、偽りの神を讃えた罪により、浄めの火に処す。
民よ、薪を捧げよ。火の粉ひとつが、汝の罪ひとつを焼くであろう』
俺は、その名前を、何度も読み返した。
フォン・フラハイト。
サロバニアの王家の家名だ。
「……陛下の、娘だ」
俺は、呟いた。
ロリババアが、ときどき、楽しそうに話していた。今の王様は、ジャージを着て、仕事を池に投げ捨てて逃げる、変な王様だと。それでも、娘のことだけは、目に入れても痛くないくらい可愛がっているのだと。
「本物、か」
アルスが、羊皮紙を睨みながら言った。
「わからない。でも、この国の連中が、わざわざ王家の家名を出してるってことは」
「本物じゃなくても、本物だってことにするつもりだ、ってことだな」
「あぁ」
俺は、羊皮紙の一番下の行を、指でなぞった。
――禁じられし古の書を読み、光の神を冒涜し、偽りの神を讃えた罪。
「……偽りの神」
その言葉が、喉に引っかかった。
この国で言う「偽りの神」が誰のことなのか、俺は、なんとなく知っていた。ロリババアの家の書斎で、昔、一度だけ読んだ古い歴史の本に書いてあった。
二百年前、この大陸で、ひとりの神が、人の手で断罪された。
その神は、今では、ただ「創成神」とだけ呼ばれている。名前は、どの本からも、削り取られていた。
◇
掲示板の前を離れようとしたとき、大通りの向こうから、鈴の音が近づいてきた。
人々が、一斉に道の両脇に退いて、膝をついた。
現れたのは、白い輿だった。八人の修道士が、肩に担いでいる。輿の四隅には白い薄布が垂らされていて、その向こうに、ひとりの少女が座っていた。
年は、たぶん、俺より少しだけ上。十五くらいか。白い衣に、白い面紗。面紗の下から覗く頬は、雪のように白く、透き通るように細い。
「聖女様……」
「ミリエル様だ……」
「光の神の御子……」
人々が、口々に囁きながら、額を石畳にこすりつけていく。
輿が、俺たちの前を通り過ぎていく。
ほんの一瞬だけ、薄布が風に揺れて、少女の顔が見えた。
目が、空っぽだった。
眠っているのとも、何かを見つめているのとも違う。ただ、目を開けているだけの、目。
そして、俺の目には、見えてしまった。
少女の胸の真ん中から、何十本もの、細い光の糸が伸びていた。さっきの司教の首飾りに繋がっていたのと、同じ糸。その糸は、少女の胸から伸びて、大聖堂の方角へ、一本残らず吸い込まれていっていた。
少女の命の灯りは、今にも燃え尽きそうな蝋燭みたいに、細く、細く、揺れていた。
「……アルス」
「ああ」
アルスの声は、ひどく静かだった。
「見えた。……あの石の、中身だ」
◇
その夜。外環の、一番安い宿の、一番狭い屋根裏部屋。
「――よし。正面から殴り込むか」
「馬鹿か」
アルスの提案を、俺は、一秒で却下した。
「なんでだよ。大聖堂だろ? でかいだけの建物だろ? 俺とお前なら、半刻で更地にできる」
「更地にしたら、牢屋の中の王女ごと潰れる」
「……あ」
「それに、あの石の糸。大聖堂の中にある『何か』と繋がってる。正体もわからないまま突っ込んだら、何が起きるかわからない」
アルスは、腕を組んで、天井を睨んだ。
「じゃあ、どうすんだよ」
「中に入る。正面からじゃなくて、内側から」
俺は、昼間、中環の広場で見たものを、頭の中で並べていった。
聖火祭の六日前。国中から、巡礼者と聖職者が集まってきている。地方の教区から、巡回司祭が何十人も上ってくる。聖歌隊も、各地から子どもが集められている。
人が多い。顔を知らない者同士が、ひしめき合っている。
「お前、司祭になれ」
「……は?」
「地方の、巡回司祭。大聖堂の聖火祭に呼ばれて上ってきた、田舎の司祭だ。俺は、その司祭が連れてきた、聖歌隊の子ども」
アルスは、しばらく、口をぽかんと開けていた。
それから、自分の顔を指差した。
「俺が? 司祭?」
「顔は悪くない。黙ってれば、それっぽく見える」
「黙ってれば、ってなんだよ」
「口を開くと、全部台無しになるから」
「……お前、本当に十三か?」
「問題は、身分を証明するものだ。巡回司祭には、教区の印章が入った任命状があるはずだ。それがないと、内環の門は通れない」
俺は、窓の外を見た。
外環の向こう、中環の大通りに、白い馬車が一台、止まっていた。
扉には、金色の聖印。
昨日、村で見た、あの馬車だった。
「……あの、徴税司祭」
アルスが、俺の視線を追って、それから、にやりと笑った。
この旅で初めて見る、心の底から悪い顔だった。
「なるほどな。あいつも、祭りに上ってきてたか」
「八本の指に、宝石の指輪。あれだけ見せびらかしたがる奴なら、任命状も、印章も、肌身離さず持ってるはずだ」
「借りるか」
「借りる」
「返すのか?」
「返さない」
アルスは、腹を抱えて笑い出した。
笑い声が、屋根裏部屋の低い天井に響いた。俺も、ほんの少しだけ、口の端が上がるのを感じた。
窓の外で、大聖堂の鐘が、夜の祈りの刻を告げていた。
その鐘の音は、昼間よりも、ずっと、冷たく聞こえた。




