↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/142

46 白の都の、裏通り

聖都ジセリオンは、三重の城壁に囲まれていた。


一番外側の城壁の内側を、人々は「外環」と呼ぶ。巡礼者と、貧しい民と、行き場をなくした者たちが暮らす場所だ。その内側に、商人と下級聖職者の住む「中環」。そして、一番内側の、白い大理石の城壁に守られた「内環」に、大聖堂と、教皇宮と、枢機卿たちの館がそびえている。


遠くから見たときは、あれほど白く見えた都だった。


近づいてみると、白いのは、内側の城壁から上だけだった。


◇


外環の門の前には、長い長い行列ができていた。


聖火祭まで、あと六日。国中から集まった巡礼者たちが、門をくぐるのを待っていた。荷車を引く老人。赤ん坊を抱いた女。杖をついた病人。誰もが、やつれた顔に、それでも何かに縋るような光を目に宿して、白い尖塔を見上げていた。


門の脇には、小さな屋台が並んでいた。


『入都免罪符 銀貨三枚』

『聖火祭特別免罪符 金貨一枚 ――浄めの火の粉がひとつ、あなたの罪をひとつ焼く』

『献身免罪符 子ども一人につき、家族全員の罪を十年赦す』


最後の看板の前で、俺は、足を止めた。


看板の下には、木の柵で囲まれた一角があった。柵の中に、子どもたちが座っていた。五歳くらいから、十歳くらいまで。十人ほど。全員、首から木の札を下げている。札には、焼き印で、光の神の聖印が押されていた。


子どもたちは、泣いていなかった。泣き疲れた顔をしていた。


「……おい」


アルスの声が、低くなった。


「行くぞ、アルス」


俺は、アルスの袖を引いた。自分の声が、思ったより冷たかったことに、自分で驚いた。


「今は、行く」


アルスは、しばらく、柵の中の子どもたちを見ていた。それから、黙って、俺に引かれるまま歩き出した。


入都免罪符の銀貨は、昨日、街道沿いの森で狩った大猪の魔石を、門前の商人に売って工面した。相場の半値で買い叩かれたが、文句を言っている場合じゃなかった。


◇


外環の中は、ひどい有様だった。


道の両脇に、粗末な小屋がひしめいている。どぶ川の匂いが、鼻をつく。路地の奥では、痩せた男たちが、地面に座り込んで、焦点の合わない目で空を見上げていた。


なのに、その頭上には、どこを見上げても、白い大聖堂の尖塔が見えた。


まるで、見せつけるみたいに。


「……ひでぇな」


アルスが、ぼそりと言った。


「サロバニアの下町も、たいがいひでぇけど。ここは、それ以上だ」

「サロバニアの下町には、少なくとも、見上げたら腹が立つような建物はない」

「違いねぇ」


俺たちは、外環の大通りを抜けて、中環の門へ向かった。中環に入るには、もう一枚、別の免罪符が要った。それも、魔石の残りで払った。


中環に入った途端、景色が、変わった。


道には、きれいな石畳が敷かれていた。家々の壁は白く塗られ、窓辺には花が飾られている。行き交う人々の服も、外環とは比べものにならないほど上等だった。


そして、その中心の広場に、人だかりができていた。


「――奇跡だ!! 奇跡が起きるぞ!!」


人垣の隙間から覗き込むと、広場の真ん中に、白い壇が設けられていた。壇の上に、金糸の法衣をまとった司教が立っている。その前に、担架に乗せられた、一人の少年。


少年の足は、膝から下が、紫色に腫れ上がっていた。毒を持つ魔物にでも噛まれたのだろう。壇の脇で、身なりのいい商人風の男と女が、手を合わせて祈っていた。少年の両親らしい。


壇の前には、献金箱が置かれていた。両親は、そこに、金貨の詰まった袋を、まるごと入れた。


「光の神よ。敬虔なる信徒の祈りに、御手を差し伸べたまえ」


司教が、両手を少年の足にかざした。


その手のひらから、柔らかな白い光が溢れ出した。


光が、少年の足を包み込む。紫色の腫れが、みるみるうちに引いていく。肌の色が戻っていく。少年が、目を見開いて、自分の足を見下ろした。それから、恐る恐る、担架から降りて、立ち上がった。


広場が、割れんばかりの歓声に包まれた。


「奇跡だ!!」

「光の神の御業だ!!」


人々が、次々と膝をつき、壇に向かって祈りを捧げる。両親は、泣きながら息子を抱きしめていた。


俺の隣で、アルスが、顎に手を当てていた。


目を細めて、壇の上の司教の手元を、じっと見ている。ほんの一瞬、その目が、答えを拾い上げたように揺れた。


「……第三階梯の治癒魔術だ」


アルスが、唇をほとんど動かさずに言った。


「『ライト・ヒール』。解毒の術式を、ひとつ混ぜてある。サロバニアなら、魔術学校の三年生が習うやつだ。金貨どころか、銀貨一枚の価値もねぇ」

「でも、あの司教の魔素量じゃ、あの規模は無理だろ」

「あぁ。だから、借りてる」


アルスの視線が、司教の首元に向いた。


金の鎖に下がった、乳白色の石。昨日、村で見た徴税司祭の指輪と、同じ石だった。ただ、大きさが段違いだった。拳ほどもある。


その石の奥で、光が、脈打っていた。


そして――その光から、細い、細い、目には見えない糸のようなものが、広場の向こう、内環の城壁の方角へと、まっすぐに伸びていた。


俺には、それが見えた。


覇権を宿してから、俺の目は、魔素の流れを、色のついた糸のように見るようになっていた。


あの糸の先にあるのは、大聖堂だ。


「……アルス。あの石、どこかと繋がってる」

「ああ。俺も、今、感じた」


アルスが、目を細めた。


「あの石は、ただの器だ。中身は、別のところから吸い上げてる。……大聖堂の中にある、何かからな」


そのとき、広場の反対側で、悲鳴が上がった。


◇


「離して!! 離してください!! この子は、熱を出していただけなんです!!」


白い鎧の兵士が二人、一人の女の両腕を掴んで、引きずっていた。


女は、まだ若かった。つぎはぎだらけの服。外環の人間だ。その足元で、五歳くらいの女の子が、泣きながら母親の服の裾を掴んでいた。


兵士の後ろから、黒い法衣を着た男が、ゆっくりと歩み出た。


黒い法衣。胸元に、銀の天秤の刺繍。


――異端審問官、だと、周りの誰かが囁いた。


「この女は、昨夜、外環の自宅にて、己が娘に、無許可の治癒術を施した」


審問官の声は、広場の隅々にまで、よく響いた。


「光の神の御業を、神の許しなく、穢れた手で真似る。これを、異端と呼ばずして、何と呼ぶか」

「ち、違います……! 私はただ、おばあちゃんに教わった、熱冷ましのおまじないを……!」

「おまじない。そう、異端者は皆、そう言う」


審問官は、女の顔を、冷たく見下ろした。


「聖火祭の前に、浄めの火を待つ者が、ひとり増えたな」


女が、悲鳴を上げた。


広場の人々は、誰も、何も言わなかった。


ついさっきまで、壇の上の司教に涙を流して祈っていた人々が、今は、目を逸らしていた。中には、女を指差して、「異端者め」と吐き捨てる者さえいた。


同じだった。


壇の上の司教がやったことと、あの女がやったことは、同じ魔術だった。違うのは、金を払ったかどうか。法衣を着ているかどうか。それだけだった。


法衣を着た者がやれば、奇跡。


外環の母親がやれば、異端。


俺の手のひらから、碧い炎が、滲み出しかけていた。


今度は、アルスが、俺の手首を掴んだ。


「――ハスト」

「…………」

「今じゃない」


アルスの手は、熱かった。紅が、手のひらの内側で、必死に押し殺されているのがわかった。


俺たちは、二人とも、動かなかった。


動けなかった。


女と、泣き叫ぶ女の子は、兵士に引きずられて、内環の門の向こうへ消えていった。


◇


広場の掲示板に、一枚の羊皮紙が貼られていた。


金の縁取り。光の神の聖印。そして、大きな文字。


『告示


聖火祭最終日、正午。大聖堂前広場にて、浄火の儀を執り行う。


浄めを受ける者――


隣国サロバニアの王家に連なる、魔女の血を引く娘。


レイアーヌ・フォン・フラハイト


この者、禁じられし古の書を読み、光の神を冒涜し、偽りの神を讃えた罪により、浄めの火に処す。


民よ、薪を捧げよ。火の粉ひとつが、汝の罪ひとつを焼くであろう』


俺は、その名前を、何度も読み返した。


フォン・フラハイト。


サロバニアの王家の家名だ。


「……陛下の、娘だ」


俺は、呟いた。


ロリババアが、ときどき、楽しそうに話していた。今の王様は、ジャージを着て、仕事を池に投げ捨てて逃げる、変な王様だと。それでも、娘のことだけは、目に入れても痛くないくらい可愛がっているのだと。


「本物、か」


アルスが、羊皮紙を睨みながら言った。


「わからない。でも、この国の連中が、わざわざ王家の家名を出してるってことは」

「本物じゃなくても、本物だってことにするつもりだ、ってことだな」

「あぁ」


俺は、羊皮紙の一番下の行を、指でなぞった。


――禁じられし古の書を読み、光の神を冒涜し、偽りの神を讃えた罪。


「……偽りの神」


その言葉が、喉に引っかかった。


この国で言う「偽りの神」が誰のことなのか、俺は、なんとなく知っていた。ロリババアの家の書斎で、昔、一度だけ読んだ古い歴史の本に書いてあった。


二百年前、この大陸で、ひとりの神が、人の手で断罪された。


その神は、今では、ただ「創成神」とだけ呼ばれている。名前は、どの本からも、削り取られていた。


◇


掲示板の前を離れようとしたとき、大通りの向こうから、鈴の音が近づいてきた。


人々が、一斉に道の両脇に退いて、膝をついた。


現れたのは、白い輿だった。八人の修道士が、肩に担いでいる。輿の四隅には白い薄布が垂らされていて、その向こうに、ひとりの少女が座っていた。


年は、たぶん、俺より少しだけ上。十五くらいか。白い衣に、白い面紗。面紗の下から覗く頬は、雪のように白く、透き通るように細い。


「聖女様……」

「ミリエル様だ……」

「光の神の御子……」


人々が、口々に囁きながら、額を石畳にこすりつけていく。


輿が、俺たちの前を通り過ぎていく。


ほんの一瞬だけ、薄布が風に揺れて、少女の顔が見えた。


目が、空っぽだった。


眠っているのとも、何かを見つめているのとも違う。ただ、目を開けているだけの、目。


そして、俺の目には、見えてしまった。


少女の胸の真ん中から、何十本もの、細い光の糸が伸びていた。さっきの司教の首飾りに繋がっていたのと、同じ糸。その糸は、少女の胸から伸びて、大聖堂の方角へ、一本残らず吸い込まれていっていた。


少女の命の灯りは、今にも燃え尽きそうな蝋燭みたいに、細く、細く、揺れていた。


「……アルス」

「ああ」


アルスの声は、ひどく静かだった。


「見えた。……あの石の、中身だ」


◇


その夜。外環の、一番安い宿の、一番狭い屋根裏部屋。


「――よし。正面から殴り込むか」

「馬鹿か」


アルスの提案を、俺は、一秒で却下した。


「なんでだよ。大聖堂だろ? でかいだけの建物だろ? 俺とお前なら、半刻で更地にできる」

「更地にしたら、牢屋の中の王女ごと潰れる」

「……あ」

「それに、あの石の糸。大聖堂の中にある『何か』と繋がってる。正体もわからないまま突っ込んだら、何が起きるかわからない」


アルスは、腕を組んで、天井を睨んだ。


「じゃあ、どうすんだよ」

「中に入る。正面からじゃなくて、内側から」


俺は、昼間、中環の広場で見たものを、頭の中で並べていった。


聖火祭の六日前。国中から、巡礼者と聖職者が集まってきている。地方の教区から、巡回司祭が何十人も上ってくる。聖歌隊も、各地から子どもが集められている。


人が多い。顔を知らない者同士が、ひしめき合っている。


「お前、司祭になれ」

「……は?」

「地方の、巡回司祭。大聖堂の聖火祭に呼ばれて上ってきた、田舎の司祭だ。俺は、その司祭が連れてきた、聖歌隊の子ども」


アルスは、しばらく、口をぽかんと開けていた。


それから、自分の顔を指差した。


「俺が? 司祭?」

「顔は悪くない。黙ってれば、それっぽく見える」

「黙ってれば、ってなんだよ」

「口を開くと、全部台無しになるから」

「……お前、本当に十三か?」

「問題は、身分を証明するものだ。巡回司祭には、教区の印章が入った任命状があるはずだ。それがないと、内環の門は通れない」


俺は、窓の外を見た。


外環の向こう、中環の大通りに、白い馬車が一台、止まっていた。


扉には、金色の聖印。


昨日、村で見た、あの馬車だった。


「……あの、徴税司祭」


アルスが、俺の視線を追って、それから、にやりと笑った。


この旅で初めて見る、心の底から悪い顔だった。


「なるほどな。あいつも、祭りに上ってきてたか」

「八本の指に、宝石の指輪。あれだけ見せびらかしたがる奴なら、任命状も、印章も、肌身離さず持ってるはずだ」

「借りるか」

「借りる」

「返すのか?」

「返さない」


アルスは、腹を抱えて笑い出した。


笑い声が、屋根裏部屋の低い天井に響いた。俺も、ほんの少しだけ、口の端が上がるのを感じた。


窓の外で、大聖堂の鐘が、夜の祈りの刻を告げていた。


その鐘の音は、昼間よりも、ずっと、冷たく聞こえた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。