37 二人で、中央市場
約束の休日。
俺は、王都中央広場の噴水の前で、もう三十分も立っていた。
待ち合わせの時間まで、あと十五分ある。早く来すぎた。陰キャは、待ち合わせに遅れるのが怖すぎて、いつも早く来すぎる。そして、早く来すぎたことを相手に悟られるのが恥ずかしくて、噴水の周りを意味もなく三周くらい歩く。俺は今、四周目に入ったところだった。
服装は、ロリババアに選ばれた。
昨日の夜、森の家に寄ったら、セルカの着せ替えに飽きたらしいロリババアに捕まった。「デートじゃろう? ならば儂が選ぶ」と言われて、二時間、鏡の前に立たされた。結局、白いシャツに、濃紺の上着と、黒のズボンという、驚くほど無難な格好に落ち着いた。二時間かけて、無難。ロリババア曰く、「お主は素材が地味じゃから、服で目立とうとすると事故る」らしい。ひどい。
あと、デートじゃない。たぶん。
「……ハスト様!」
声がして、振り返った。
人混みの向こうから、フィアットが小走りに駆けてきた。
――いつもと、違った。
淡い若草色のワンピース。腰のところで、細いリボンが結ばれている。肩には、白いカーディガン。足元は、歩きやすそうな革の靴。それから、髪。いつものサイドテールじゃなかった。耳の後ろで、ゆるく編み込んで、片側に流している。
剣を、下げていなかった。
俺は、学園の制服か、試合用の軽装のフィアットしか、ほとんど見たことがなかった。腰に剣のないフィアットは、なんだか、知らない女の子みたいだった。
「お、お待たせしました……!! あの、遅くなって、ごめんなさい……!!」
「いや、まだ十五分前だぞ」
「えっ」
「えっ」
「……ハスト様、何分前から、いらっしゃったんですか」
「……今来たとこ」
「噴水の周り、三周くらいしてましたよね」
「見てたのかよ」
「……私も、三十分前に着いて、向こうの角から、見てました」
二人で、黙った。
それから、どちらからともなく、吹き出した。
「……なんだそれ」
「なんでしょうね、本当に」
フィアットは、笑いながら、ワンピースの裾を少しだけつまんだ。
「……あの。変じゃ、ないですか。母に、選んでもらったんですけど」
「……変じゃない」
俺は、目を逸らしながら言った。
「似合ってる、と、思う」
フィアットの顔が、ぼっと赤くなった。
「……ハスト様も。今日、かっこいいです」
「ロリババアに選ばれた。二時間かかった」
「サリナ様に!?」
◇
王都の中央市場は、休日の朝から、人でごった返していた。
石畳の大通りの両側に、色とりどりの天幕を張った露店が、どこまでも続いている。焼きたてのパンの匂い。炭火で焼かれる串肉の煙。果物の山。干した香草の束。遠い南の国から運ばれてきた、見たこともない色の布。呼び込みの声と、値切る声と、子どもの笑い声が、ごちゃごちゃに混ざり合って、空の上まで響いていた。
「わぁ……!!」
フィアットが、目を輝かせていた。
「私、お屋敷の外の市場って、ほとんど来たことがないんです。買い物は、いつも使用人の方がしてくれて……」
「お嬢様かよ」
「お嬢様です」
「そうだった」
俺は、毎週末この市場に来ている。サンドイッチの具材を探すためだ。だから、どこにどんな店があるのか、だいたい頭に入っている。
「まず、あそこの串焼き。塩だけで焼いてるのに、異様に美味い。それから、あの角のパン屋。朝の一回目の窯出しは、昼前に売り切れる。その向かいのチーズ屋は、試食させてくれるけど、三回以上もらうと睨まれる」
「……詳しいですね」
「サンドイッチのためなら、俺は何でもする」
フィアットは、くすくすと笑った。
俺たちは、串焼きを一本ずつ買って、歩きながら食べた。フィアットは、歩きながら物を食べるのが初めてらしく、最初はおっかなびっくりだった。でも、一口かじった瞬間、目をまん丸にした。
「……おいしい……!!」
「だろ」
パン屋では、窯出しの丸パンを二つ。チーズ屋では、試食を二回ずつもらって、硬い山羊のチーズをひとかたまり買った。香草の店では、俺が乾燥させたローズマリーとタイムの束を真剣に選んでいる横で、フィアットが、ラベンダーの匂い袋を手に取って、ずっと嗅いでいた。
「……それ、気に入ったのか」
「えっ、あ、いえ、その、いい匂いだなって……」
俺は、店主に銅貨を二枚渡して、その匂い袋を受け取った。それから、フィアットの手に、ぽんと乗せた。
「……優勝祝い」
「えっ……」
「いや、安いけど。メダルの代わりにはならないけど」
フィアットは、手のひらの小さな匂い袋を、じっと見つめていた。
それから、両手で、ぎゅっと胸に抱きしめた。
「……一生、大事にします」
「大げさだろ」
「大げさじゃないです」
◇
――ちなみに。
香草の店の、三軒先の果物屋の天幕の陰に、さっきから、妙な二人組がいた。
一人は、つばの広い帽子を目深にかぶった、十歳くらいの銀髪の少女。もう一人は、その少女の後ろに隠れるように立っている、フリルたっぷりの淡い桃色のドレスを着た、小柄な少女。
二人とも、林檎を一つずつ手に持って、じっとこちらを見ていた。
「……ハストさま、匂い袋、あげた」
「うむ。悪くない選択じゃ。値段ではない、相手が手に取ったものを見ておったかどうかじゃ」
「……わたしも、欲しい」
「お主は、儂が買ってやろう。ついでに、そのドレスに合う帽子もな」
「……もう、着替えたくない」
俺は、そちらを見ずに、ため息をついた。
気配も魔力も、隠す気がまるでない。ロリババアのやつ、絶対わざとだ。
フィアットも、気づいているらしかった。俺のほうを見て、困ったように笑った。
「……見なかったことにしましょうか」
「そうしてくれ」
◇
昼過ぎ。
市場の北の外れ、鍛冶屋が軒を連ねる通りに差しかかった。
通称、鍛冶通り。石造りの工房が、ずらりと並んでいる。どの工房からも、炉の熱気と、鉄を打つ槌の音が、規則正しく響いていた。店先には、剣や斧や槍、包丁や鍋まで、ありとあらゆる鉄の品が並べられている。
フィアットの足が、自然と、ゆっくりになった。
ある工房の店先で、フィアットは、立ち止まった。壁に掛けられた、何振りもの長剣を、じっと見上げている。
「……剣、見たいのか」
「……少しだけ」
フィアットは、壁の剣から目を離さずに、言った。
「私が今使っている剣、父のお下がりなんです。セルジーネ家に代々伝わる剣のひとつで、父が若い頃に使っていたもの。……いい剣です。でも」
フィアットは、自分の右の手のひらを見下ろした。潰れたマメの痕が、まだ残っている。
「順位戦で、何度も思ったんです。この剣は、父の手に合うように作られた剣だって。重心も、柄の太さも、ほんの少しずつ、私の手とずれている。……ずっと、借り物を振っているような気がして」
俺は、黙って聞いていた。
フィアットは、しばらく黙っていた。それから、ゆっくりと、俺のほうを振り返った。
「……ハスト様」
「ん」
「レイアーヌ殿下の剣、覚えてますか」
――あぁ。
「あの剣、殿下の手に、すごく馴染んでました。殿下の踏み込みに、殿下の構えに、ちゃんと応えてて。……あれを打った人は、殿下のことを、ちゃんと見てたんだと思います」
フィアットは、両手を胸の前で、ぎゅっと握った。匂い袋が、指の間で、かさりと鳴った。
「だから。……もし、もしよかったら、なんですけど」
声が、震えていた。
「私の、剣を。……ハスト様に、打ってほしいんです」
鍛冶通りの、槌の音が、遠くに聞こえた。
◇
俺は、すぐには答えられなかった。
打ってやりたい、と思った。こいつの手に、こいつの踏み込みに、こいつの道に、一番よく応える剣を。
でも。
「……覇権で打つのは、やめておいたほうがいい」
フィアットの顔が、少しだけ曇った。
「……駄目、ですか」
「駄目じゃない。……違うんだ」
俺は、頭を掻いた。どう言えばいいのか、わからなかった。
レイアーヌ殿下の剣。覇権で打ち直して、最後のひと押しで強くして、その結果、刃の奥に俺の碧が残った。そして、その碧が、殿下の封印にひびを入れた。
それだけじゃない。
「覇権で打った剣には、俺の色が残る。どんなに丁寧に打っても、刃の奥に、俺が残っちまう。……そうするとな、その剣は、お前の剣じゃなくて、半分、俺の剣になる」
フィアットが、目を瞬かせた。
「剣ってのは、持ち主と一緒に育つもんだ。持ち主が強くなれば、剣もそれに応える。でも、最初から俺の色が混じってたら、お前が強くなっても、剣のほうが、俺のほうを向いちまう。……お前の剣は、お前の道だけを向いてなきゃ駄目なんだ」
シャロンの誓い。その剣は、己が信じる道のために。
他人の色が混じった剣で、自分の道は歩けない。
「……じゃあ」
フィアットが、小さな声で言った。
「私の剣は、誰が……」
「俺が打つよ」
「えっ?」
「覇権じゃなくて、本物の炉と、本物の鉄と、本物の槌で。……ただ、俺ひとりじゃ、炉の扱いまでは手が回らない。覇権を使わないなら、なおさらだ」
俺は、鍛冶通りの、さらに奥のほうを見た。通りの一番奥。他のどの工房よりも大きな煙突から、真っ白な煙が、まっすぐに空へ昇っている。
「……腕のいい鍛冶屋を、一人知ってる。この国で一番の、錬成の使い手だ」
「この国で、一番……」
フィアットは、しばらく考え込んでいた。それから、はっと顔を上げた。
「ま、まさか……錬成帝様、ですか!?」
「……あぁ」
「頂天者の、錬成帝、ラーク・ドルク様……!? 王家の宝剣の修繕も、騎士団の剣も、全部あの方の工房が手がけてるっていう……!? お、お会いしたこと、あるんですか!?」
「あるっていうか……」
俺は、遠い目をした。
「……俺のこと、『親父』って呼んでくる」
「……はい?」
「昔、ちょっとな。あいつの前で、錬成魔術を使ったことがあるんだよ。そしたら、なんか、ものすごく感動されて。その日から、勝手に舎弟になった」
「しゃ、舎弟……? 錬成帝様が……? ハスト様の……?」
「俺より年上なのにな。色黒で、背が高くて、無駄に顔のいい男で、一人称が『オレ』で。……会うたびに、『親父ィ!!』って叫びながら突進してくる」
フィアットは、口を開けたまま、固まっていた。
たぶん、頭の中で、頂天者・錬成帝の荘厳なイメージが、音を立てて崩れているのだろう。
「……で、だ」
俺は、フィアットのほうに向き直った。
「設計は、俺がやる。お前の手を測って、お前の踏み込みを見て、お前の道に合う剣を、俺が考える。炉と鉄は、ラークに任せる。……それから」
「それから?」
「最後の仕上げの槌は、お前が自分で打て」
フィアットが、目を見開いた。
「わ、私が……?」
「お前の剣だろ。お前の手で、お前の道を、打ち込め。……それなら、その剣は、最初から最後まで、お前の剣だ」
フィアットは、しばらく、何も言えないでいた。
それから、目元を、手の甲でぐいっと拭った。
「……はいっ……!!」
その声は、鍛冶通りの槌の音にも負けないくらい、大きかった。
◇
夕暮れ。
中央広場の噴水の前で、俺たちは、朝と同じ場所に立っていた。
フィアットの手には、ラベンダーの匂い袋と、俺が勧めた硬い山羊のチーズ。俺の手には、香草の束と、丸パンの残り。
「……今日は、ありがとうございました」
フィアットが、深く頭を下げた。
「楽しかったです。……すごく」
「……俺も」
口に出してから、少しだけ驚いた。本当に、そう思っていた。
フィアットは、顔を上げて、にっこりと笑った。今日一日で、一番の笑顔だった。
「剣のこと。……楽しみに、してます」
「あぁ。ラークに、連絡しとく」
「はい。……じゃあ、また、学園で」
フィアットは、何度も何度も振り返りながら、人混みの中へ消えていった。最後に振り返ったとき、匂い袋を、ひらひらと振っていた。
俺は、その姿が見えなくなるまで、噴水の前に立っていた。
……さて。
俺は、懐から、一枚の紙を取り出した。それから、指先に、ほんのひとつまみの魔力を灯す。紙の上に、さらさらと文字を綴っていく。
『ラークへ。剣を一振り、頼みたい。俺の、パートナーの剣だ。近いうちに、工房に行く。――ハスト』
書き終えた紙を、ふっと宙に放る。紙は、鳥の形に折り畳まれて、鍛冶通りの奥の、あの白い煙のほうへ、まっすぐに飛んでいった。
伝言の術式。返事は、たぶん、明日の朝くらいに――
ばさっ。
三十秒後。
俺の顔面に、紙の鳥が、すごい勢いで突っ込んできた。
「ぶっ」
顔から引き剥がして、広げる。
そこには、紙からはみ出しそうなほどの、太くて大きな字で、こう書かれていた。
『親父ィィィィィィ!!!! ついに!!!! 親父が!!!! オレに!!!! 仕事を!!!! 頼んでくれるなんて!!!! パートナーの剣!? 親父のパートナーの!? 任せてくれ!!!! オレの全身全霊をかけて打つ!!!! 炉は今から温めとく!!!! いや、もう温めた!!!! 明日と言わず今から来てくれ!!!! いや、オレが今から行く!!!! 待っててくれ親父ィィィィィ!!!! ――あなたの舎弟、ラーク・ドルク』
俺は、紙を、静かに折り畳んだ。
鍛冶通りの奥のほうから、地響きのような足音が、こちらへ近づいてくるのが聞こえた。
「……逃げよ」
俺は、噴水に背を向けて、全力で走り出した。
背後から、聞き覚えのある、野太い声が響いてきた。
「親父ィィィィィィィ!!!! どこだァァァァ!!!!」
……どうやら俺の休日は、今日で終わりらしい。




