↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/142

36 お願いと、二番目の編入生

表彰式が終わって、アリーナの観客がまばらになり始めたころ。


俺は、選手用の通路の入口で、フィアットを待っていた。


夕日が、古代の石柱を橙色に染めていた。試合場の白砂の上では、係の生徒たちが、明日の片付けのために縄を張り始めている。二日間の喧騒が、嘘みたいに静かだった。


「……ハスト様」


通路の奥から、フィアットが出てきた。


制服に着替えて、首から、優勝者に贈られる銀のメダルを下げている。サイドテールは、ほどけかけていた。頬の切り傷には、レイラさんが貼ってくれた小さな布。目元は、まだ少し赤かった。


「お疲れ。……優勝、おめでとう」

「……ありがとうございます」


フィアットは、俺の前で立ち止まった。それから、メダルを両手でぎゅっと握りしめて、俯いた。


「あの。……昨日の、約束」

「あぁ」

「勝ったら、お願いを聞いてもらう、って」

「……覚えてるよ」


フィアットは、しばらく黙っていた。夕日の中で、耳の先が、どんどん赤くなっていくのが見えた。


それから、意を決したように、顔を上げた。


「こ、今度の、お休みの日に」

「うん」

「わ、私と、一緒に……王都の、中央市場に……」


声が、どんどん小さくなっていく。


「……二人で、お出かけ、してくださいっ……!!」


最後だけ、やけに大きな声だった。通路の石壁に跳ね返って、わん、と響いた。


俺は、固まった。


二人で。お出かけ。中央市場に。休みの日に。


それは、つまり。


……いや、考えるな。陰キャの思考回路で、その単語を最後まで組み立てるな。爆発する。


「……それ、だけ?」


辛うじて、それだけ言った。


フィアットは、真っ赤な顔のまま、こくこくと頷いた。


「それだけ、です。……だ、駄目、ですか」

「……いや」


俺は、頭を掻いた。それから、目を逸らしながら、言った。


「……いいよ。行こう」


フィアットの顔が、ぱぁっと、夕日よりも明るくなった。


「ほ、本当ですか!?」

「本当」

「約束ですよ!! 絶対ですよ!! すっぽかしたら、ピーマン山盛りですからね!!」

「すっぽかさねぇよ」


フィアットは、メダルを握りしめたまま、その場でぴょんと小さく跳ねた。それから、はっと我に返って、恥ずかしそうに咳払いをした。


――その背後の柱の陰に。


白い冷気が、ゆらりと立ち昇っていた。


「……ハストさま」


セルカだった。柱の陰から、半分だけ顔を出していた。その足元の石畳に、薄い霜が広がっている。


「……わたしも、行く」

「えっ」

「えっ!?」


俺とフィアットの声が、重なった。


「だ、駄目です!! これは、私が、優勝して、勝ち取ったお願いなので……!!」

「……じゃあ、わたしも、優勝する。来年」

「来年まで待てるんですか!?」

「……待てない」


セルカは、むすっと頬を膨らませた。それから、俺の制服の裾を、ぎゅっと掴んだ。


「……ハストさま。わたしとも、行って」

「お、おう……。それは、また、今度な……」

「今度って、いつ」

「修行が、一段落したらな」


セルカは、しばらく俺を睨んでいた。それから、こくりと頷いた。


「……すぐ、一段落させる」


フィアットが、なぜか、ものすごく嫌な予感がする、という顔をしていた。


◇


それから、二週間が経った。


順位戦の熱気は、学園からすっかり消えて、いつもの日常が戻ってきていた。


一年生のフィアット・セルジーネが順位戦で優勝したことは、王都中の新聞の一面を飾った。毎日王都新聞の一面には、「学園の新星、序列一位を破る」という見出しと、フィアットの写真がでかでかと載った。その隅のほうに、小さく、「ヴァルドラン伯爵家、ローズマイト伯爵家に捜査の手」という記事も載っていた。


エトワールは、その新聞を三十部買い占めて、学園長室の壁に貼っていた。気持ち悪い。


それと、もうひとつ。


順位戦の翌日、俺は、学園長室で、エトワールと陛下に、第一王女の封印のことを報告した。剣が鍵になって、一番上の一枚に、ひびが入ったこと。


陛下は、しばらく黙って聞いていた。それから、言った。


「……娘の剣は、そのままにしておいてくれないか」

「でも、それだと、いつか封印が――」

「わかっている。だが、あの剣を握るようになってから、娘の剣は、変わったのだ。前よりずっと、まっすぐに、楽しそうに剣を振るようになった。……父親として、それを取り上げたくはない」


陛下は、窓の外を見た。


「封印が解けるなら、それもまた、あの子の運命だろう。そのときは、はっす〜。……娘を、頼む」


作戦の日にも、同じことを言われた。


俺は、黙って頷いた。


◇


そして、二週間ぶりに、森の家を訪ねた日のこと。


「……なんだこれ」


玄関の扉を開けた瞬間、俺は、絶句した。


居間のソファの上に、セルカが、座っていた。


フリルのついた、淡い水色のドレスを着て。頭には、大きなリボン。足元には、白いレースの靴下と、小さなエナメルの靴。髪は、ふわふわに巻かれて、両側で二つに結ばれていた。


悪の組織の女幹部の面影は、どこにもなかった。


完全に、お人形さんだった。


「……ハストさま」


セルカが、虚ろな目で、俺を見た。


「……たすけて」

「おお、ハスト。来たか」


奥の部屋から、ロリババアが出てきた。両腕に、色とりどりのドレスを、山のように抱えている。


「見よ。似合うじゃろう。この娘、何を着せても似合うのじゃ。素材がいい。儂の目に狂いはなかった」

「……おい、ロリババア。修行はどうした」

「しておるぞ。毎日な。……ほれ」


ロリババアは、ドレスの山をソファの端に置くと、セルカの右手を取って、俺に見せた。


関節に残っていた白い痕が、ほとんど、消えていた。


「冷気の魔術は、一から組み直した。手を焼かずに、冷気だけを外に出す流れ方をな。読み書きも、算術も、この国の歴史も、学園の一年で習う分は、全部叩き込んだ。剣も少し、体術も少し。……ついでに、礼儀作法とドレスの着こなしもな」

「最後の二つ、絶対ついでじゃないだろ」

「いや、ついでじゃ」

「目が輝いてんだよ」


……それにしても。


「二週間で、そこまで詰め込んだのか」

「外では二週間じゃがな」


ロリババアは、にやりと笑って、奥の部屋の扉を、ちらりと見た。


あぁ、そうか。あの部屋か。


ロリババアの時空魔術で、外の一日が、中では一か月になる修行部屋。俺も、七歳から十年間、さんざん放り込まれた部屋だ。外での十年間が、中では何倍になっていたのか、考えたくもない。


「この娘は、あの部屋の中で、半年ほど過ごしたかの。……よう頑張った。泣き言ひとつ言わずにな」


ロリババアは、セルカの頭を、ぽんぽんと撫でた。


「……着せ替えのときは、泣き言しか言わなかったがの」

「……当たり前。毎日、十二回、着替えさせられた」


セルカが、ぼそりと呟いた。


「……一回、着替えるたびに、可愛い、可愛いって、言われた。……もう、可愛いって言葉、聞きたくない」

「可愛いのじゃから、仕方なかろう」

「……ハストさま、たすけて」


俺は、セルカの肩に、そっと手を置いた。


「……強く生きろ」

「……裏切りもの」


◇


さらに、その三日後。


一年生の教室の、朝の会。


担任の先生が、教壇の上で、咳払いをした。


「えー、今日は、皆さんに、新しいクラスメイトを紹介します。学園長の推薦で、本日付けで、このクラスに編入することになりました」


教室が、ざわめいた。


「どうぞ、入ってきてください」


扉が、からりと開いた。


入ってきたのは、小柄な少女だった。


真新しい学園の制服。ただし、襟元と袖口には、ロリババアが勝手に付け足したらしい、控えめなレースのフリル。銀色がかった淡い髪は、肩の上で切り揃えられていて、両側の一房だけ、小さな水色のリボンで結ばれている。


身長は、教壇の横に立つと、黒板の下半分に隠れそうなくらいだった。


少女は、教壇の前で立ち止まると、教室をぐるりと見回した。それから、ロリババアに一か月かけて叩き込まれたであろう、完璧な角度で、一礼した。


「……セルカ・アーネット、です。よろしく、お願いします」


アーネット。


ロリババアの家に入ったから、ロリババアの家名をもらったらしい。俺と同じだ。


教室中が、一斉に、ざわついた。


「ちっちゃ……!!」

「え、何年生? 飛び級?」

「かわいい……妹にしたい……」


窓際の席で、ラインハルトが、レオンの肩を掴んで揺さぶっていた。


「お、おいレオン!! 学園長の推薦だってよ!! 絶対なんかあるぞ、あの子!! 実は伝説の――」

「はいはい、また『覇王』の話な」


教壇の上で、セルカが、俺の席のほうを見た。目が合った。セルカは、ほんの少しだけ、口元を緩めた。


そして。


俺の斜め前の席で、フィアットが、固まっていた。


「……せ、セルカ、さん……?」


フィアットの声が、震えていた。


「ど、どうして、一年生の、教室に……?」


担任の先生が、手元の書類を見ながら、にこやかに言った。


「セルカさんは、皆さんと同じ、十六歳です。少し事情があって、これまで学校に通えていなかったのですが、学園長の試験で、一年生の学力は十分にあると認められました。皆さん、仲良くしてあげてくださいね」


十六歳。


皆さんと、同じ。


フィアットが、がたん、と椅子を倒して立ち上がった。


「ええぇぇぇ!? 同い年だったんですかぁぁぁあぁあ!??!??」


教室中の視線が、フィアットに集まった。


セルカは、教壇の上で、こてん、と首を傾げた。


「……言ってなかった?」

「聞いてません!! 一言も!! だって、その、背が、背丈が、てっきり、年下だとばっかり……!!」

「……背は、関係ない」


セルカは、むっと頬を膨らませた。それから、ちらりと俺のほうを見た。


「……ハストさまだって、背、低いのに、十七」

「誰がチビだコラ」


思わず、声が出た。


教室中の視線が、今度は、俺に集まった。


……あ。


「え、今、ハストって……」

「ハスト、さま……?」

「なんで万年最下位が、編入生に様付けで呼ばれてんの……?」


ひそひそ声が、教室中に広がっていく。ラインハルトの目が、獲物を見つけたように、ぎらりと光った。


俺は、そっと、教科書で顔を隠した。


斜め前の席で、フィアットが、ゆっくりと、こちらを振り返った。


にっこりと、笑っていた。


目だけが、笑っていなかった。


「……ハスト様。今度の、お休みの日の、約束。……覚えてますよね?」

「……覚えてます」


教壇の上で、セルカが、小さく、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。


担任の先生が、困ったように笑いながら、空いている席を指さした。


「えーと……では、セルカさんの席は、ハスト君の隣で」

「先生!?」


フィアットの悲鳴が、教室に響き渡った。


セルカは、とことこと教壇を下りて、俺の隣の席に、ちょこんと座った。それから、机の下で、俺の制服の裾を、きゅっとつまんだ。


「……よろしく、ハストさま。……二番目、だけど、隣の席は、一番」

「……お手柔らかに頼む」


窓の外は、腹が立つくらいに晴れていた。


――どうやら俺の人生に、「休み」という概念は、当分、実装されないらしい。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。