36 お願いと、二番目の編入生
表彰式が終わって、アリーナの観客がまばらになり始めたころ。
俺は、選手用の通路の入口で、フィアットを待っていた。
夕日が、古代の石柱を橙色に染めていた。試合場の白砂の上では、係の生徒たちが、明日の片付けのために縄を張り始めている。二日間の喧騒が、嘘みたいに静かだった。
「……ハスト様」
通路の奥から、フィアットが出てきた。
制服に着替えて、首から、優勝者に贈られる銀のメダルを下げている。サイドテールは、ほどけかけていた。頬の切り傷には、レイラさんが貼ってくれた小さな布。目元は、まだ少し赤かった。
「お疲れ。……優勝、おめでとう」
「……ありがとうございます」
フィアットは、俺の前で立ち止まった。それから、メダルを両手でぎゅっと握りしめて、俯いた。
「あの。……昨日の、約束」
「あぁ」
「勝ったら、お願いを聞いてもらう、って」
「……覚えてるよ」
フィアットは、しばらく黙っていた。夕日の中で、耳の先が、どんどん赤くなっていくのが見えた。
それから、意を決したように、顔を上げた。
「こ、今度の、お休みの日に」
「うん」
「わ、私と、一緒に……王都の、中央市場に……」
声が、どんどん小さくなっていく。
「……二人で、お出かけ、してくださいっ……!!」
最後だけ、やけに大きな声だった。通路の石壁に跳ね返って、わん、と響いた。
俺は、固まった。
二人で。お出かけ。中央市場に。休みの日に。
それは、つまり。
……いや、考えるな。陰キャの思考回路で、その単語を最後まで組み立てるな。爆発する。
「……それ、だけ?」
辛うじて、それだけ言った。
フィアットは、真っ赤な顔のまま、こくこくと頷いた。
「それだけ、です。……だ、駄目、ですか」
「……いや」
俺は、頭を掻いた。それから、目を逸らしながら、言った。
「……いいよ。行こう」
フィアットの顔が、ぱぁっと、夕日よりも明るくなった。
「ほ、本当ですか!?」
「本当」
「約束ですよ!! 絶対ですよ!! すっぽかしたら、ピーマン山盛りですからね!!」
「すっぽかさねぇよ」
フィアットは、メダルを握りしめたまま、その場でぴょんと小さく跳ねた。それから、はっと我に返って、恥ずかしそうに咳払いをした。
――その背後の柱の陰に。
白い冷気が、ゆらりと立ち昇っていた。
「……ハストさま」
セルカだった。柱の陰から、半分だけ顔を出していた。その足元の石畳に、薄い霜が広がっている。
「……わたしも、行く」
「えっ」
「えっ!?」
俺とフィアットの声が、重なった。
「だ、駄目です!! これは、私が、優勝して、勝ち取ったお願いなので……!!」
「……じゃあ、わたしも、優勝する。来年」
「来年まで待てるんですか!?」
「……待てない」
セルカは、むすっと頬を膨らませた。それから、俺の制服の裾を、ぎゅっと掴んだ。
「……ハストさま。わたしとも、行って」
「お、おう……。それは、また、今度な……」
「今度って、いつ」
「修行が、一段落したらな」
セルカは、しばらく俺を睨んでいた。それから、こくりと頷いた。
「……すぐ、一段落させる」
フィアットが、なぜか、ものすごく嫌な予感がする、という顔をしていた。
◇
それから、二週間が経った。
順位戦の熱気は、学園からすっかり消えて、いつもの日常が戻ってきていた。
一年生のフィアット・セルジーネが順位戦で優勝したことは、王都中の新聞の一面を飾った。毎日王都新聞の一面には、「学園の新星、序列一位を破る」という見出しと、フィアットの写真がでかでかと載った。その隅のほうに、小さく、「ヴァルドラン伯爵家、ローズマイト伯爵家に捜査の手」という記事も載っていた。
エトワールは、その新聞を三十部買い占めて、学園長室の壁に貼っていた。気持ち悪い。
それと、もうひとつ。
順位戦の翌日、俺は、学園長室で、エトワールと陛下に、第一王女の封印のことを報告した。剣が鍵になって、一番上の一枚に、ひびが入ったこと。
陛下は、しばらく黙って聞いていた。それから、言った。
「……娘の剣は、そのままにしておいてくれないか」
「でも、それだと、いつか封印が――」
「わかっている。だが、あの剣を握るようになってから、娘の剣は、変わったのだ。前よりずっと、まっすぐに、楽しそうに剣を振るようになった。……父親として、それを取り上げたくはない」
陛下は、窓の外を見た。
「封印が解けるなら、それもまた、あの子の運命だろう。そのときは、はっす〜。……娘を、頼む」
作戦の日にも、同じことを言われた。
俺は、黙って頷いた。
◇
そして、二週間ぶりに、森の家を訪ねた日のこと。
「……なんだこれ」
玄関の扉を開けた瞬間、俺は、絶句した。
居間のソファの上に、セルカが、座っていた。
フリルのついた、淡い水色のドレスを着て。頭には、大きなリボン。足元には、白いレースの靴下と、小さなエナメルの靴。髪は、ふわふわに巻かれて、両側で二つに結ばれていた。
悪の組織の女幹部の面影は、どこにもなかった。
完全に、お人形さんだった。
「……ハストさま」
セルカが、虚ろな目で、俺を見た。
「……たすけて」
「おお、ハスト。来たか」
奥の部屋から、ロリババアが出てきた。両腕に、色とりどりのドレスを、山のように抱えている。
「見よ。似合うじゃろう。この娘、何を着せても似合うのじゃ。素材がいい。儂の目に狂いはなかった」
「……おい、ロリババア。修行はどうした」
「しておるぞ。毎日な。……ほれ」
ロリババアは、ドレスの山をソファの端に置くと、セルカの右手を取って、俺に見せた。
関節に残っていた白い痕が、ほとんど、消えていた。
「冷気の魔術は、一から組み直した。手を焼かずに、冷気だけを外に出す流れ方をな。読み書きも、算術も、この国の歴史も、学園の一年で習う分は、全部叩き込んだ。剣も少し、体術も少し。……ついでに、礼儀作法とドレスの着こなしもな」
「最後の二つ、絶対ついでじゃないだろ」
「いや、ついでじゃ」
「目が輝いてんだよ」
……それにしても。
「二週間で、そこまで詰め込んだのか」
「外では二週間じゃがな」
ロリババアは、にやりと笑って、奥の部屋の扉を、ちらりと見た。
あぁ、そうか。あの部屋か。
ロリババアの時空魔術で、外の一日が、中では一か月になる修行部屋。俺も、七歳から十年間、さんざん放り込まれた部屋だ。外での十年間が、中では何倍になっていたのか、考えたくもない。
「この娘は、あの部屋の中で、半年ほど過ごしたかの。……よう頑張った。泣き言ひとつ言わずにな」
ロリババアは、セルカの頭を、ぽんぽんと撫でた。
「……着せ替えのときは、泣き言しか言わなかったがの」
「……当たり前。毎日、十二回、着替えさせられた」
セルカが、ぼそりと呟いた。
「……一回、着替えるたびに、可愛い、可愛いって、言われた。……もう、可愛いって言葉、聞きたくない」
「可愛いのじゃから、仕方なかろう」
「……ハストさま、たすけて」
俺は、セルカの肩に、そっと手を置いた。
「……強く生きろ」
「……裏切りもの」
◇
さらに、その三日後。
一年生の教室の、朝の会。
担任の先生が、教壇の上で、咳払いをした。
「えー、今日は、皆さんに、新しいクラスメイトを紹介します。学園長の推薦で、本日付けで、このクラスに編入することになりました」
教室が、ざわめいた。
「どうぞ、入ってきてください」
扉が、からりと開いた。
入ってきたのは、小柄な少女だった。
真新しい学園の制服。ただし、襟元と袖口には、ロリババアが勝手に付け足したらしい、控えめなレースのフリル。銀色がかった淡い髪は、肩の上で切り揃えられていて、両側の一房だけ、小さな水色のリボンで結ばれている。
身長は、教壇の横に立つと、黒板の下半分に隠れそうなくらいだった。
少女は、教壇の前で立ち止まると、教室をぐるりと見回した。それから、ロリババアに一か月かけて叩き込まれたであろう、完璧な角度で、一礼した。
「……セルカ・アーネット、です。よろしく、お願いします」
アーネット。
ロリババアの家に入ったから、ロリババアの家名をもらったらしい。俺と同じだ。
教室中が、一斉に、ざわついた。
「ちっちゃ……!!」
「え、何年生? 飛び級?」
「かわいい……妹にしたい……」
窓際の席で、ラインハルトが、レオンの肩を掴んで揺さぶっていた。
「お、おいレオン!! 学園長の推薦だってよ!! 絶対なんかあるぞ、あの子!! 実は伝説の――」
「はいはい、また『覇王』の話な」
教壇の上で、セルカが、俺の席のほうを見た。目が合った。セルカは、ほんの少しだけ、口元を緩めた。
そして。
俺の斜め前の席で、フィアットが、固まっていた。
「……せ、セルカ、さん……?」
フィアットの声が、震えていた。
「ど、どうして、一年生の、教室に……?」
担任の先生が、手元の書類を見ながら、にこやかに言った。
「セルカさんは、皆さんと同じ、十六歳です。少し事情があって、これまで学校に通えていなかったのですが、学園長の試験で、一年生の学力は十分にあると認められました。皆さん、仲良くしてあげてくださいね」
十六歳。
皆さんと、同じ。
フィアットが、がたん、と椅子を倒して立ち上がった。
「ええぇぇぇ!? 同い年だったんですかぁぁぁあぁあ!??!??」
教室中の視線が、フィアットに集まった。
セルカは、教壇の上で、こてん、と首を傾げた。
「……言ってなかった?」
「聞いてません!! 一言も!! だって、その、背が、背丈が、てっきり、年下だとばっかり……!!」
「……背は、関係ない」
セルカは、むっと頬を膨らませた。それから、ちらりと俺のほうを見た。
「……ハストさまだって、背、低いのに、十七」
「誰がチビだコラ」
思わず、声が出た。
教室中の視線が、今度は、俺に集まった。
……あ。
「え、今、ハストって……」
「ハスト、さま……?」
「なんで万年最下位が、編入生に様付けで呼ばれてんの……?」
ひそひそ声が、教室中に広がっていく。ラインハルトの目が、獲物を見つけたように、ぎらりと光った。
俺は、そっと、教科書で顔を隠した。
斜め前の席で、フィアットが、ゆっくりと、こちらを振り返った。
にっこりと、笑っていた。
目だけが、笑っていなかった。
「……ハスト様。今度の、お休みの日の、約束。……覚えてますよね?」
「……覚えてます」
教壇の上で、セルカが、小さく、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
担任の先生が、困ったように笑いながら、空いている席を指さした。
「えーと……では、セルカさんの席は、ハスト君の隣で」
「先生!?」
フィアットの悲鳴が、教室に響き渡った。
セルカは、とことこと教壇を下りて、俺の隣の席に、ちょこんと座った。それから、机の下で、俺の制服の裾を、きゅっとつまんだ。
「……よろしく、ハストさま。……二番目、だけど、隣の席は、一番」
「……お手柔らかに頼む」
窓の外は、腹が立つくらいに晴れていた。
――どうやら俺の人生に、「休み」という概念は、当分、実装されないらしい。




