31 鞘だけが残った家
第十二試合。
俺の相手は、三年のボルド・グラン先輩だった。全体の序列は五十一位。身の丈ほどもある戦鎚を担いだ、筋骨隆々の大男だ。
試合場の白砂の上で向かい合った瞬間、先輩は俺を見下ろして、にやりと笑った。
「おう、お前が噂の万年最下位か。生徒会長に吹っ飛ばされて、生きてたってやつ」
「は、はい……。その節は、どうも……」
「安心しろ。俺は手加減してやる。一発で終わらせてやるから、痛くないぞ」
優しい。この人、見た目に反してめちゃくちゃ優しい。
……ごめんなさい先輩。その一発、ありがたく使わせてもらいます。
「――始めッ!!」
合図と同時に、俺は木剣を振りかぶって、全力で突っ込んだ。
もちろん、全力なのは見た目だけだ。足運びは素人。重心は前のめり。木剣の軌道は、教本の一頁目に「やってはいけない例」として載っているやつ。
ボルド先輩は、ちょっと困ったような顔をした。それから、戦鎚を、ものすごく手加減した速さで、横に払った。
――よし、来た。
俺は、その戦鎚に、自分から当たりに行った。
正確には、当たる直前に、木剣を戦鎚の柄に引っかけて、勢いを全部もらった。仕込みは三つ。皮膚の内側に防壁、重心をずらす重力魔術、それから、木剣だけを派手に砕く小さな衝撃の術式。流血の幻術は、今日はなし。フィアットに「完璧すぎます」と言われたからな。
バキィッ!!
木剣が、粉々に砕け散った。俺の身体が、くるくると三回転しながら宙を舞う。それから白砂の上に背中から落ちて、ずざざざざっと滑っていき、試合場の端の柵に、こつん、と頭をぶつけて止まった。
「……」
観客席が、静まり返った。
それから、どっと笑い声が起きた。
「回ったぞ今!!」
「三回転!! 三回転した!!」
「なんだあれ、新しい芸か!?」
……うん。今回は、ちょっと、コミカル寄りにしてみた。血も出てないし、骨も折れてないし、ただ、間抜けに飛んで、間抜けに転がっただけ。怪我人が出なかったことに、会場全体がほっとしている空気がある。我ながら、イイ感じの負け方だ。
ボルド先輩が、慌てて駆け寄ってきた。
「お、おい!! 大丈夫か!? 俺、そんな強く振ったつもりは……!!」
「だ、大丈夫です……。目が、回ってるだけで……」
先輩は、本気で心配そうな顔をして、俺を助け起こしてくれた。いい人だ。この人、絶対いい人だ。順位戦が終わったら、サンドイッチを差し入れしよう。
「勝者、三年、ボルド・グラン!!」
拍手の中、俺はふらふらと試合場を後にした。
柵の外では、フィアットが、腕を組んで仁王立ちしていた。頬を、ぷくっと膨らませている。
「……今度は、完璧じゃなくて、わざとらしすぎます」
「難しいな、お前の注文」
隣で、セルカが真顔で言った。
「……ハストさま、三回転は、さすがに不自然」
「お前もか」
生徒会席のほうを見上げると、アイシャ先輩が、机に突っ伏して肩を震わせていた。笑っている。たぶん、全部見えていたのだ。
◇
第一回戦がすべて終わり、第二回戦の組み合わせが発表された。
試合場の脇に立てられた大きな掲示板に、係の生徒が新しい札を掛けていく。観客席から、どよめきが上がった。
『第二回戦・第四試合 一年、フィアット・セルジーネ 対 三年、ディエゴ・エスピノーザ』
「エスピノーザ……」
フィアットが、小さく呟いた。顔が、わずかに強張っていた。
無理もない。この国で、その家の名を知らない者はいない。
エスピノーザ家。王国最古の剣術の名門。初代剣聖シャロンの直系の子孫であり、代々、剣聖を輩出してきた家だ。ディエゴ・エスピノーザは、その現当主の嫡男。全体の序列は、四位。
「……今年のエスピノーザ家の嫡男は、剣の型を一つも崩さないって有名です。七つの型を、全部、教本どおり完璧に振るって」
フィアットが、掲示板を見上げたまま言った。
「勝てるかどうか、正直、わかりません」
「わからないなら、やってみればいい」
俺はそう言いかけて、ふと、隣の気配に気づいた。
シュベルトが、黙っていた。
いつもなら、こういうときに真っ先に軽口を叩く男だ。「フィアットちゃんならいけるって〜」とか、「エスピノーザなんてお堅いだけだよ〜」とか。それが、何も言わずに、掲示板の『エスピノーザ』の文字を、じっと見つめていた。
冬の湖の底みたいな目だった。最下層で見た、あの目とは、少し違う。怒りじゃない。もっと、静かで、重たいもの。
「……シュベルト?」
「あぁ、ごめんごめん。ちょっと、昔のことを思い出してた」
シュベルトは、いつもの笑顔を作った。作った、とわかる笑顔だった。
「フィアットちゃん、次の試合まで、少し時間あるよね。……ちょっとだけ、昔話をしてもいいかな。エスピノーザ家の話」
◇
選手用の通路の、人のいない一角。古代の石柱に背を預けて、シュベルトは話し始めた。
俺と、フィアットと、セルカと、クレハおば……お姉さん。四人が、黙ってそれを聞いた。
「初代剣聖シャロンの話は、知ってるよね。この国ができるずっと前、まだ世界がぐちゃぐちゃだった頃に、創成神を最後まで信じ抜いた剣士」
フィアットが、こくりと頷いた。歴史の授業で、一番最初に習う話だ。
「みんなが神を見捨てて、それぞれ勝手な旗を掲げて争ってた時代に、シャロンだけは、創成神の示した道を信じて、たった一人で剣を振り続けた。そして最後に、その剣が、聖剣になった。……それが、聖剣フェリクス」
シュベルトは、自分の左手を、軽く握って開いた。いつもなら、そこに白い聖剣が現れる手だ。
「シャロンの死後、聖剣はエスピノーザ家に預けられた。シャロンの血を継ぐ家だからね。それから何百年も、聖剣はエスピノーザの聖堂に祀られて、十年に一度、『選定の儀』が開かれるようになった。聖剣が、次の剣聖を選ぶ儀式だ」
「選ぶ……?」
「そう。聖剣のほうが、持ち主を選ぶんだ。台座に刺さった聖剣を、候補者が一人ずつ握る。聖剣が応えれば、その人が剣聖。応えなければ、抜けない」
シュベルトは、少しだけ笑った。
「何百年もの間、聖剣はずっと、エスピノーザ家の誰かを選び続けてきた。だから、みんな思ってたんだ。聖剣は、シャロンの血に応えるんだって。剣聖は、エスピノーザ家のものなんだって」
「……でも、十年前は、違った」
俺が言うと、シュベルトは頷いた。
「十年前の選定の儀。候補者は、エスピノーザ家の当時の嫡男。ディエゴくんのお兄さんだね。誰もが、彼が選ばれると思ってた。でも、彼が聖剣を握っても、聖剣は、ぴくりとも動かなかった」
通路の上から、観客席の歓声が、くぐもって響いてきた。
「で、その儀式の警護役として、辺境の小さな領地から駆り出されてた、十七歳の田舎貴族の小僧がいた。魔物の多い北の果ての、ロードっていう名前だけの男爵家の三男坊。……儀式が全部終わって、片付けをしてたときにさ。台座の前を通りかかったら、聖剣が、勝手に光ったんだ」
シュベルトは、左手を見下ろした。
「僕が手を伸ばしたら、抜けちゃった。……それだけ」
しばらく、誰も何も言わなかった。
「それから、エスピノーザ家はね、ずっと僕を恨んでる。まぁ、当然だよね。何百年も守ってきた聖剣を、どこの馬の骨とも知れない辺境の小僧に、持っていかれたんだから。ディエゴくんのお兄さんは、その日から剣を握らなくなったって聞いた。ディエゴくんは当時八歳。……たぶん、お兄さんの代わりに、家の名誉を取り戻すために、ずっと剣を振ってきたんだと思う」
「……どうして」
フィアットが、ぽつりと言った。
「どうして、聖剣は、シュベルトさんを選んだんですか」
シュベルトは、すぐには答えなかった。
それから、懐から、一枚の古びた紙片を取り出した。何度も折り畳まれて、端がすり切れている。
「これはね。僕が剣聖になってしばらくして、アーネットに教えてもらったものなんだ」
「ロリババアに?」
「うん。あの人、何年生きてるのか知らないけど、シャロンが最後に残した誓いの言葉を、覚えてたんだよ。……エスピノーザ家では、いつの間にか失われちゃってた言葉を」
シュベルトは、紙片を開いて、読み上げた。
「『|その剣は、己が信じる道のために《・・・・・・・・・・・・・・・》。|絶対の向上心をもって振ること《・・・・・・・・・・・・・・》。|聖剣は、そのとき応えるだろう《・・・・・・・・・・・・・・》』」
通路の空気が、しんと静まった。
紙片に書かれた『道』の字には、小さなルビが振られていた。でも、そのルビは、今では誰も読めない、古い古い文字で書かれていた。
「エスピノーザ家に伝わってたのは、たぶん、剣の型と、聖剣と、シャロンの血だけ。シャロンが何のために剣を振ったのか、っていう一番大事なところが、何百年もの間に、どこかでこぼれ落ちちゃったんだ。残ったのは、『剣聖の家』っていう名誉だけ」
シュベルトは、紙片を丁寧に折り畳んだ。
「僕は、辺境の村を魔物から守りたくて、毎日剣を振ってた。誰に褒められるわけでもないし、名誉なんて、田舎の男爵家の三男坊には関係なかった。ただ、明日はもっと速く振れるように、もっと遠くまで届くように。それだけ考えて、毎日、毎日。……たぶん、聖剣は、それを見てたんだと思う」
「……絶対の、向上心」
フィアットが、その言葉を、噛みしめるように繰り返した。
俺は、黙っていた。
絶対の向上心。その言葉には、聞き覚えがあった。森の家で、ロリババアに、何度も何度も言われた言葉だ。『覇王』を継ぐための、ただひとつの条件。
あの人が、シャロンの誓いを覚えていたのは、当然だ。あの人は、シャロンと同じ時代を、その目で見てきたのだから。
シュベルトは、そのことを知らない。ロリババアが「何年生きてるのか知らないけど」くらいにしか思っていない。
それでいい。俺の口から言うことじゃない。俺は、黙って、シュベルトの手の中の紙片を見つめていた。
「シュベルトさん」
フィアットが、顔を上げた。
「この話、どうして、私にしてくれたんですか」
シュベルトは、少しだけ困ったように笑った。
「ディエゴくんの剣は、強いよ。型は完璧だし、才能もある。でも、たぶん、あの子は、自分が何のために剣を振ってるのか、本当のところは、わかってない。家の名誉のため、お兄さんの無念を晴らすため、僕から剣聖の座を取り戻すため。……全部、誰かのための理由で、あの子自身の道じゃない」
シュベルトは、フィアットの目を、まっすぐに見た。
「フィアットちゃんは、何のために剣を振ってる?」
フィアットは、答えなかった。
いや、答えられなかったのではない。答えは、たぶん、もうあった。でも、それを口にするのは、今じゃないと思ったのだろう。
「……試合で、見せます」
フィアットは、そう言って、剣の柄を握った。
シュベルトは、満足そうに頷いた。
◇
通路の向こうから、係の生徒が駆けてきた。
「セルジーネさん!! 第二回戦第四試合、まもなく入場です!!」
フィアットは、一度だけ俺のほうを振り返った。
俺は、何も言わなかった。今朝、もう言うべきことは言ってある。
――盛大に楽しめ。
フィアットは、小さく頷いて、試合場の光の中へと歩いていった。
その背中を見送りながら、シュベルトが、ぽつりと言った。
「……ねぇ、はっす〜」
「ん」
「僕、ディエゴくんに、勝ってほしいとも、負けてほしいとも思ってないんだ。ただ、あの子にも、いつか、聖剣が応えてくれたらいいなって。……そう思うのは、勝手かな」
「勝手だろ」
俺は、肩をすくめた。
「でも、悪くない勝手だと思う」
シュベルトは、ふっと笑った。
通路の上で、歓声が、ひときわ大きく沸き上がった。




