25 盛大に楽しめ
みなさんごきげんよう。今、俺は最高に疲れている。
理由? そんなもん決まってる。昨日の夜遅くまで、クソ貴族どもが順位戦に勝つために雇った組織を、片っ端から潰して回っていたからだ。
王立学園の順位戦。年に一度、全学年の生徒が入り乱れて学園の序列を決めるための公式トーナメントだ。勝てば序列が上がり、上がれば就職先も縁談も選び放題。負ければ一年間、下の席で指をくわえて過ごすことになる。……で、その「選び放題」を金で買おうとするバカが、毎年わんさか湧いてくるわけだ。
対戦相手の飲み水に毒を混ぜる。試合前の控室に呪符を仕込む。家族を人質に取って八百長を飲ませる。手口はいくらでもある。そしてそういう汚れ仕事を請け負う連中が、王都の裏側には掃いて捨てるほどいる。
順位戦の日程が発表されてから、俺は毎晩それを潰しに行っていた。西区の倉庫、南の歓楽街の地下、運河沿いの廃教会。潰すたびにまた別のが湧いて出て、それを追ってはまた潰す。その様子はまるで、一匹見かけたら百匹はいると思えというGのようだった。
そして残念ながら、昨夜のうちにすべてを潰しきることはできなかったらしい。この国の裏側、マジで終わってんじゃねぇかと錯覚するほどだ。
……ってことは、今日も楽しい労働(笑)が待っているということだ。最高の職場だな。福利厚生はゼロ、残業代もゼロ、ついでに睡眠時間もほぼゼロ。
言っておくが、俺もいちおう順位戦の出場者だからな!? 一回戦で華麗に敗退する予定とはいえ、だ。
……っていうか、さっきから両隣がうるさい。
「おい万年最下位の無能! 開会式はもう始まってるぞ! おいラインハルトも手伝えよ、こいつ全然起きないんだよ!」
「というかなんでコイツ立ったまま寝られるんだ!? ……わかったよ。おーい、万年最下位のハスト君、起きたまえ~」
おいおい、二人がかりで揺するなって。わかった、わかったから。起きるから!!
「んあ……ふぁぁぁあ……」
俺は膝をかくんと崩しながら、眠そうな声とともに顔を上げた。どうやら俺の人生に「休み」という概念は実装されていないらしい。ブラック企業かな……?
ふと横を見ると、見るからに不機嫌そうなラインハルト君がいた。整えた金髪に、皺ひとつない制服。俺の肩を揺すった手を、汚いものでも触ったようにハンカチで拭いている。ひどくない?
どうやら俺は、知らないうちに「立ったまま寝る」スキルまで習得してしまったらしい。ロリババアに叩き込まれた修行の成果が、こんなところで発揮されるとは思わなかった。
改めて、目の前の光景を見渡す。
王立学園大アリーナ。すり鉢状に三層の観客席が積み重なった、巨大な円形闘技場だ。もとは数百年前の古代王朝が建てた闘技場で、それを学園がほとんどそのまま改修して使っている。観客席を支える白い石柱には、今では誰も読めない古い文字と、剣を掲げた戦士たちの浮き彫りがびっしりと刻まれていた。風雨に削られて輪郭の丸くなった列柱が、ずらりと並んで試合場を見下ろしている。その前に立つと、どれだけ騒がしい開会式でも、背筋が少しだけ伸びる。そういう、厳かな場所だった。最上層には貴族たちの来賓席が並び、日除けの天幕の下で扇子がひらひらと揺れている。中層には保護者や王都の見物客。最下層、試合場を囲む柵のすぐ内側に、俺たち出場者がずらりと整列させられていた。
空は腹立つくらいに晴れている。寝不足の目にはまぶしすぎて、涙が出そうだ。
そして試合場の中央に設けられた演台では、案の定、ここの学園長の毎日王都新聞が話をしていた。
うわ、キッモ。
目にモザイク処理を入れなきゃ直視できないだろ、あの汚物。……あ、モザイク入れたらただの新聞になっちゃった。というか、あいつが真面目な顔で真面目な話をしてるとこ見ると、吐き気がするんだよな。ゔぉえ……。
演台の上と、その脇に設けられた生徒会席から、ギロリと刺すような視線が二本、同時に飛んできた気がした。
スルーすることにした。
「――であるからして、順位戦とは単なる序列争いではありません。己の積み上げてきたものを、正々堂々とぶつけ合う場です。勝利も、敗北も、すべては次へと繋がる糧となるでしょう」
毎日王都新聞は、無駄にいい声でそんなことを言っていた。正々堂々ねぇ。その正々堂々を金で買おうとしてる連中が、今この瞬間も観客席の上の方でふんぞり返ってるんだけどな。
「……さて。少し話は逸れますが」
あいつは眼鏡を指で押し上げると、懐から四つ折りにした新聞を取り出した。おい、開会式の挨拶で新聞出すな。
「今朝の王都新聞の一面をご覧になった方もいらっしゃるでしょう。西区で起きた銀行強盗殺人事件。犯人とされる魔術師集団は、いまだ捕まっていないそうです。会場の警備は万全ですが、皆さんもくれぐれも身の回りにはお気をつけて」
眼鏡の奥の目が、ほんの一瞬だけ、整列した生徒たちの中の一点で止まった。
俺だ。
……あー、はいはい。そういうことね。仕事を振るなら、もうちょっとマシな振り方があるだろうがよ。開会式の挨拶に業務連絡を混ぜるな。
「――え〜、そろそろ皆さんの集中力が切れてきましたね。少し長話をしすぎてしまったようなので、僕からのお話はここまでにしようと思います。みなさん、本日は全力で頑張りましょう」
毎日(以下略)が話し終えた瞬間、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。正直、睡眠不足の民である俺にとっては頭に響くからやめてほしい。
俺は拍手の波に紛れて、ポケットから紙包みを取り出した。今朝、家で適当に作って持ってきたサンドイッチだ。
厚めに焼いた卵焼きと、塩を振ったハム、しゃきしゃきのレタス。パンには自家製のマヨネーズを、端から端まで薄く均一に塗ってある。ここをケチると最後の一口がぱさぱさになるから、手は抜かない。
がぶり。
……うめぇ。朝ごはん、まじうめぇ。
(※彼が食事を楽しんでいるのは開会式の真っ最中です)
やっぱり俺って料理のセンスはあるんだな、と再自認した。剣術も魔術も体術も、ロリババアに負けたくなくて身につけたものだ。でも料理だけは違う。これは俺が、俺のために覚えたものだった。
優雅な朝食を楽しんでいるうちに、周りの生徒たちは各々散っていく。どうやら試合がもうすぐ始まるから、出番の遠い者は観客席に移動しろとのことらしい。
「……スト様! ……ハスト様!!」
人の流れに逆らうように、一人の女の子がこっちに駆けてきた。
透き通るような蒼い髪をサイドテールに結い、試合用の軽装に身を包んでいる。腰には細身の剣。王国屈指の名門、セルジーネ家の長女にして、俺のパートナー。
「ん? あぁ、フィアットか。メシ食うのに集中してて気づかなかったわ。すまんな」
「きょ、今日は私の鍛錬の成果を発揮する日なので! ぜひとも、見ててくださいね!」
フィアットはそう言って、ぎゅっと両手の拳を握った。
声がうわずっている。拳を握る指の関節が白い。呼吸が浅くて、肩が上がりっぱなしだ。剣の柄に添えた左手が、さっきから三回も握り直されている。
緊張しすぎだ。このままだと、一太刀目で力みすぎて剣筋がぶれる。
「そんなこと伝えに来なくても、ちゃんと見てるよ。それと、そんなに緊張しなくていいと思うぞ」
「で、でも……!」
「俺を誰だと思ってるんだ? 俺はバカ貴族どもと違って、“勝利”だけを見るんじゃあない」
俺は食べかけのサンドイッチの残りを、フィアットの口にずぼっと突っ込んだ。
「んむっ!?」
目を白黒させる彼女の頭に、ぽんと手を置く。それから少しだけ屈んで、目線を合わせた。
「大切なのは、見て、感じて、それを自分のものにすることだ。たとえ負けたとしても、それはその先にある勝利のためのプロセスでしかない。それと――ひとつだけ、『覇王』としてのアドバイスだ」
フィアットが、サンドイッチをもぐもぐと頬張りながら俺を見上げる。ごくん、と飲み込む。強張っていた頬が、少しだけ緩んだ。上がりっぱなしだった肩が、すとんと落ちた。
よし。いいぞ、リラックスは大切だ。
俺は「そうだな……」とでも言うように一度空を見上げてから、歯を見せてニカッと笑った。
「――盛大に楽しめ」
「……っ! はいっ!!」
フィアットの顔が、ぱっと明るくなった。
「ハスト様のおかげで、なんだか気分が楽になりました! 私のこと、ちゃんと見ててくださいね!」
そう言って人混みの中へ駆けていく背中を、俺は気だるげに後ろを向いたまま、ひらひらと手を振って見送った。
…………。
……っぶねぇぇぇぇ!!
あんなキザでカッコつけたセリフ、人生で一回も言う機会なかったんだよ! 表情、漏れてなかったか? ちゃんとクールに決まってたか? 内心はバクバクだった。心臓が肋骨を突き破って出ていくかと思った。
俺は息をふぅーっと長く吐き出して、自分に一区切りをつけた。それから、包み紙をくしゃりと丸めてポケットに突っ込み、アリーナに背を向けた。
フィアットの試合は第八試合。まだ時間はある。
その時間で、片付けなきゃいけないことがある。
通路の入口へ向かう途中、俺は一度だけ足を止めて、観客席を見上げた。
中層の東側。第八試合の出場者が控える区画の、ちょうど真上あたり。日差しが照りつける中、そこだけ妙に人の座り方がまばらな一角がある。
その真ん中に、外套のフードを目深にかぶった男が一人、座っていた。
この陽気に外套。それだけなら、ただの日焼け嫌いかもしれない。けれど、男が膝の上で組んだ指先から、白い靄がうっすらと立ち昇っていた。真夏の陽だまりの中で、吐く息でもないのに白く凍る空気。
男の視線は、試合場ではなく、フィアットが消えていった人混みのほうを追っていた。
「……みーっけ」
俺は誰にも聞こえない声で呟いて、ポケットの中で指を一本だけ曲げた。忘却術の応用で、男の外套の裾に、ほんの小さな印をつける。触れた本人すら気づかない程度の、碧い糸くずみたいな目印だ。
男はぴくりともしなかった。気づいていない。
上で見張っている雑魚は、どうせ合図役か見届け役だ。本命は別にいる。だったら、こいつが合図を送る先を辿ればいい。……ま、それをわざわざ辿るまでもなく、どこにいるかはだいたい見当がついてるんだけどな。
今朝の新聞の一面。西区の銀行強盗。現場は真夏だというのに、金庫室の壁一面が霜に覆われていたらしい。
「冷気、ね」
俺は首の後ろを掻きながら、もう一度だけ観客席を見上げた。
上層の来賓席の天幕の下。扇子をゆったりと揺らしている貴族たちの中に、さっきから第八試合の組み合わせ表を何度も眺めている顔がいくつかある。その中のどれが今回の雇い主なのかは知らない。知る必要もない。
どうせ、全部まとめて同じ穴のムジナだ。
◇
さて、そんな俺がやってきたのは、巨大なアリーナを三層の円形に取り囲むようにして造られた、舞台裏とでも言うべき通路だった。
観客席の真下を走るこの通路は、もともと古代の闘技場で、剣闘士や猛獣を出番まで待たせておくための回廊だったらしい。上の層は改修の手が入って、選手の控室や倉庫として明るく整えられている。けれど下に降りるほど、学園の予算は届かなくなる。分厚い石積みの壁、低く垂れ込めたアーチ型の天井、ところどころに残る鉄格子の跡。下層には、古代の姿がほとんどそのまま残っていた。今俺がいるのは、最下層のひとつ手前だ。
まるでバケモノの巣窟とでも言うように、薄暗くて湿っている。古い燭台の窪みに後から嵌め込まれた照明の魔石は半分以上が切れかけていて、ジジ、ジジ、と嫌な音を立てて明滅していた。頭の上からは、観客席の歓声が分厚い石を通して、くぐもった地鳴りのように響いてくる。
正直、怖いから早く帰りたい。
コツ、コツ、とブーツの音が鳴る。心なしか、気温まで低い気がする。
「うん、ちゃんと時間通りに来たね。今日は本番の日だ」
通路の曲がり角の先、壁にもたれていた男が顔を上げた。
無駄に整った顔。無駄にさらさらの金髪。無駄に長い脚。今代の剣聖、シュベルト・ロード。本来なら今ごろ最上層の来賓席で、貴族どもに愛想を振りまいているはずの男だ。
「そうだな。で、俺達の育成時間をパーにしようとしてる馬鹿どもはどこだ?」
シュベルトは、すぐには答えなかった。
壁から背を離し、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。いつものへらへらした笑顔はどこにもない。切れかけの照明に照らされたその横顔は、冬の湖の底みたいに冷えていた。
こいつがこの顔をするのは、本気で腹を立てているときだけだ。
「それを今から探しに行くんだよね」
シュベルトは腰の剣の柄に、そっと指をかけた。
「…………さてと。潰しに行くよ、はっす〜」




