23 俺の日常らしいですよ?
あの撃ち合いのあと、その日はそのまま解散になった。
日はとっくに沈んでいたし、クレハおば……お姉さんは「もう一本!!」と叫んでいたし、生徒会長は「師匠、明日もお願いします!!」と叫んでいたし、フィアットは、なぜかずっと黙り込んでいた。何か、考え込むような顔で。
「……フィアット?」
帰り際に声をかけると、フィアットは、はっとしたように顔を上げた。
「あ、いえ。……なんでもないです。今日は、ありがとうございました、ハスト様」
それだけ言って、ぺこりと頭を下げて、帰っていった。
……まぁ、仕方ないか。初日から、序列一位と銃王の試合を立て続けに見せられたのだ。頭の中を整理する時間が要るのだろう。俺は、そう気持ちを切り替えた。
それから数日。
予定表どおり、二日目はシュベルトとの剣、三日目はレイラさんとの魔術……と、特訓は進んでいった。そして、そのどの日も、フィアットは、特訓が終わったあとも、ひとりで演習場に残っていた。
俺は何度か、帰り道にこっそり振り返って、その姿を見た。
照明の魔石が灯る赤土の上で、ひたすら、剣を振っていた。杖を構えて、詠唱を繰り返していた。そして、時々、何もない空間をじっと見つめていた。目を細めて、何かを探すように。
――見えない相手を、見つける目。
あいつは、もう、自分で始めていた。
◇
それはさておき。
本日の放課後の特訓は、二周目のレイラさんの日だ。内容は、学園で習う魔術基礎Ⅰの応用編、とでも言えばいいのだろうか。正式な名前は、魔術探究Ⅲ。王都でも最難関の魔術大学でしか教えていない科目らしい。
今さらだと思うかもしれないが、これは、フィアットが順位戦で一位をもぎ取るための、ただの練習だ。……そう、この学園で、一位を取るためだけの。
決して、やりすぎではないかとは、言ってはいけない。
◇
そんなことはさておき、俺は今日も、ほぼ遅刻の時間に登校して、途中から魔術基礎Ⅰの授業に滑り込んでいた。
扉を開けた瞬間、当然のように、周りから蔑みの目を向けられる。ひそひそと、嘲笑が聞こえる。
「また遅刻かよ」
「生徒会長にボコボコにされたくせに、懲りないよな」
「いや、あれ、生きてるだけすごくね?」
俺は、まぁこんなもんだろうと無視して、窓際の席に座った。
教壇では、魔術理論の担当教師が、黒板に魔素循環の基本式を書いていた。俺は、それをぼんやりと眺めた。
「――では、ハスト君。この式の、第三項の係数を答えなさい」
指名された。
「……わかりません」
「……座りなさい」
その場を凌ぐ。周りから、またくすくすと笑い声が上がる。
ふと視線を感じて横を見ると、フィアットが、不思議そうな顔でこちらを見ていた。俺は、無視した。
しばらくして、また指名された。今度は、黒板の前に出て、魔術式を書けと言われた。
俺は、チョークを手に取った。
そして、わざと、数値を少しだけずらした数式を書いた。それだけだとつまらないので、ついでに、まだこの国の学会では発見されていない魔素因子をひとつ、こっそり紛れ込ませておいた。ロリババアの書庫にあった、三百年前の古文書に載っていたやつだ。
教師は、黒板を見て、眉をひそめた。それから、赤いチョークで、大きく、×をつけた。
「全然違う。こんな因子は存在しない。……教本をちゃんと読みなさい」
「……はい」
×印。
俺は、席に戻りながら、内心でにやにやしていた。×をもらうなんて経験は、今まで一度もなかった。ロリババアの家では、間違えたら×ではなく、拳が飛んできた。だから、こうして普通に×をもらえると、ああ、俺は今、高校生活を送っているんだな、という実感が湧く。
どうだ、最高だろう?
席に戻ると、フィアットが、まだこっちを見ていた。
いや、正確には、俺ではなく、黒板を見ていた。俺が書いて、×をつけられた、あの式を。
フィアットは、眉を寄せて、手元のノートに、何かを書き写していた。それから、首を傾げて、何度も計算をし直している。
……あ。
こいつ、気づいたかもしれない。あの式が、ただ間違っているんじゃなくて、自分たちの知らない何かで組まれていることに。レイラさんの特訓で、魔術探究Ⅲなんかをやっているせいで、目が肥えてきているのだ。
俺は、知らないふりをして、ノートを開いた。
今まで、計算と記録にしか使ったことのなかったノート。その余白に、落書きをする。屋上から見た空の雲。サンドイッチ。ロリババアの似顔絵(角が生えている)。シュベルトの似顔絵(アホ毛が三本ある)。
俺にとっては、これが楽しくて仕方がないのだ。授業中に、ノートに落書きをする。それは、森の家では、決してできなかったことだから。
……まぁ、ノート提出の日に、怒られそうな気はするけど。
そして、その間も、終始、不思議そうな顔でこちらを見つめてくる人間が、一人いた。
◇
あぁ、そうだ。今日のレオン君とラインハルト君のお話も、こっそり盗み聞きしていたけど、面白かったな。
「なぁレオン、聞いてくれ!! 俺、すごいことに気づいたんだ!!」
休み時間、ラインハルトが、教科書を振り回しながら叫んでいた。
「魔術基礎Ⅰの、この魔素保存の法則な。ここと、こっちの魔素変換の式、よく見ると矛盾してるだろ? この矛盾をうまく使えば、無限に等しい魔力を取り出せるんじゃないかって!!」
「……お前、それ、去年の学会で否定されてたやつだぞ」
「なにぃっ!?」
「その矛盾は、教本の書き方が雑なだけ。実際は、変換のときに熱として魔素が逃げてるから、ちゃんと保存されてる」
「くそぉっ……!! 俺の永久魔力機関がぁ……!!」
ラインハルトが、机に突っ伏した。
いや、レオン君、詳しいな。ちゃんと勉強してるんだな。……ていうか、ラインハルト君、着眼点は悪くないぞ。その矛盾、実は熱で逃げてるだけじゃなくて、もうひとつ抜け道があるんだけど。まぁ、それを使うには、さっき俺が黒板に書いた、存在しないはずの因子が要るんだけどな。
俺は、窓の外を見ながら、こっそりと笑った。
◇
時間は進み、昼休み。
俺は、チャイムと同時に教室を飛び出して、いつもの場所へと向かった。
屋上の扉を開ける。
残念ながら、本来立ち入り禁止のはずの屋上には、すでに先客がいた。
「やぁ!!」
手すりにもたれて、陽気に手を振ってくる、金髪の男。
「……ってなんだい、その顔は。僕が何をしたっていうんだい……? はっはっは!!」
俺の素晴らしい日常を、今日も今日とて奪い去っていったのは、相変わらずのシュベルト――馬鹿野郎だった。
俺は、わざとらしく、深いため息をこぼした。
「まったく。フィアットの束縛がちょっと緩んだかと思えば、毎日お前とここで会うなんてな」
特訓が始まってから、フィアットは昼休みも、図書館で魔術探究の予習をしているらしい。俺を屋上まで追いかけてくる回数は、ぐっと減った。その代わりに、ここに来るのが、こいつだ。
「で? 今日は、何の打ち合わせだ?」
俺は、手すりにもたれて、サンドイッチの包みを開けた。
「また、フィアットの試合を妨害しようと企んでる、馬鹿貴族でもいるのか?」
そう。
フィアットが特訓に打ち込んでいる間、俺とシュベルトは、裏でちょいちょいっと、別の仕事をしていた。
入学一週間で二属性混合を撃ち、学園に出た魔物の前にひとりで立ち、剣聖と賢者に目をかけられている、名門セルジーネ家の一年生。順位戦を前に、フィアットの名前は、一部の貴族たちの間で、急に注目を集め始めていた。
注目は、そのまま、邪魔をしたいという悪意にも変わる。
自分の家の子を勝たせたい家。セルジーネ家の台頭を面白く思わない家。順位戦の結果に、裏で大金を賭けている家。そういう連中が、試合の組み合わせに口を出したり、フィアットの対戦相手に禁止薬物を渡そうとしたり、最悪の場合は、試合当日にフィアットを襲わせようとしたりしていた。
それを、俺とシュベルトで、ひとつずつ、潰して回っていたのだ。
ここ数日、俺の睡眠時間は、だいたい三時間くらいだった。
「まぁ、これだけやってれば、毎日いちいち説明しなくてもいいよね」
シュベルトは、にっこりと笑った。
「というわけで。本日の夕方、ローズマイト家が雇った暗殺組織『ラガー』を、壊滅させに行きま〜すっ!!」
……こいつ。
もう、市場に買い物に行く感覚で、国家規模の暗殺組織を潰そうとしてる……。やばいな。
まぁ、別に、俺はどうってことないんだけどな。
「ローズマイト家って、確か、三年に跡取りがいるとこだろ」
「そう。順位戦で、今年こそ上位十人に入れたいらしくてね。で、その跡取りくんの山に、フィアットちゃんが入っちゃった。……それだけの理由で、暗殺組織を雇うんだから、貴族ってのは怖いねぇ」
シュベルトは、肩をすくめた。
「なんだい、その顔は。……あぁッ!! もしかして、僕のこと、戦闘狂か何かだと思ってない!? 違うからね!? 僕は、そんな、クレハみたいな――」
「ア タ シ が な ん だ っ て ?」
シュベルトの背後から、低い声がした。
シュベルトは、ギギギ、と錆びた蝶番のような音を立てて首を回した。そして、背後に立つクレハおば……お姉さんを視認するなり、人間とは思えない音域で絶叫した。
そして、その場で、白目を剥いて倒れた。リタイアだ。
「ちょっと、可愛いアタシのハス坊を見に来ただけで、なんだい?」
クレハおば……お姉さんは、眉をへの字に曲げて、やれやれと首を振った。それから、色が抜けて倒れているシュベルトを、つま先でつんつんとつついた。
返事がない。ただの屍のようだ。
「そんなにビビられちゃ、アタシだって悲しくなるじゃないか」
「いや、日頃の行いだと思うよ」
「なんか言ったか、ハス坊?」
「なんでもないです」
クレハおば……お姉さんは、ふん、と鼻を鳴らした。それから、にやりと笑った。
「それはそうと。なかなか、面白そうな話をしてるじゃないか」
屋上の手すりに、どかりと腰を下ろす。
「それ、アタシも手伝ってやろうじゃないか。仲間は、多いほうがいいだろう?」
……確かに、そうだな。
クレハ姉がひとりいれば、組織の構成員なんて、ほとんど一掃できる。それに、俺とシュベルトは、主に剣を使って前に出ることが多い。遠くまで攻撃が届く人間がひとり後ろにいれば、最前線の負担は確実に減る。逃げようとする幹部を、遠くから撃ち抜くこともできる。
要は、断る理由がない。
「そうだな。クレハ姉の支援があれば楽になるし、おっけ――」
「嫌だ嫌だ嫌だァァッッ!!」
さっきまで屍だったシュベルトが、跳ね起きた。
「僕は断固拒否する!! クレハと一緒の現場なんて、命がいくつあっても足りな――」
パァン!!!
クレハおば……お姉さんの腰のリボルバーが火を噴いて、シュベルトの足元、つま先から指一本分の床に、弾痕を穿った。
シュベルトは、びくっと跳び上がって、俺の右足にしがみついた。さっきより、強く。
「これは、ハス坊が決めることだ。お前の口出しは、聞いてないッッ!!」
「ひぃぇぇぇッッーーーー!! イエス・アイ・マムゥゥ!!」
やめろ。二十七歳の大の大人が、そんな目で俺を見上げるんじゃない。そんなに目をうるうるさせても、屈しないからな。
とはいえ。
どうやら俺には、最初から、断るという選択肢は存在しなかったらしい。
俺は、ふっと笑って、ノリに乗るように、親指を立てた。
「じゃあ、俺も。イエス・アイ・マム、っと」
クレハおば……お姉さんが、満足げに頷いた。シュベルトが、俺の足にしがみついたまま、さめざめと泣いた。
俺は、サンドイッチの最後の一口を放り込んだ。
今夜も、睡眠時間は三時間くらいになりそうだ。
――これが、俺の日常らしいですよ?




