22 人間観察って大切だと思いませんか?
「いってぇ!!」
ずさずさと赤土の上を引きずられたあと、俺は、演習場の真ん中へ放り投げられた。受け身を取り損ねて、肩から地面に落ちる。
打ったところに痣ができていないか確かめて、膝についた砂を払いながら立ち上がった。
十五歩ほど先で、クレハおば……お姉さんが、背中の機関銃を下ろしていた。代わりに、腰の左右に吊った二丁のリボルバーに、両手をかける。
機関銃じゃなく、リボルバー。本気のときの得物だ。
「よし、ハス坊」
クレハおば……お姉さんの目が、ぎらりと光った。
「さぁ、抜け。アーネット姉のじゃない、おまえ自身の『覇権』をな!! アタシはもう、待ちきれないくらいなんだッッ!!」
やべぇぞ、この戦闘狂……。さすが、頂天者の中で一番、戦うのが好きな人だ。
森の家にいた頃、俺はこの人に、数十回はぼこぼこにされている。ロリババアが「たまには他流の相手もせい」と言って、遊びに来たクレハおば……お姉さんに、俺を放り投げたのだ。七歳の俺に向かって、ゴム弾を三百発。八歳で、五百発。九歳のときは、ゴム弾じゃなかった気がする。
今回に限っては、どうにでもなる相手じゃないのは確かだった。
「はは……やっぱり、こうなっちゃうのね……」
あどけなく苦言をこぼして、それから、目を上げた。
――やるか。
◇
私は、試合を見守りながら、ずっとハスト様を観察していました。
審判役を任された以上、試合の全体を見なければなりません。でも、気がつくと、私の目は、ハスト様にばかり向いていました。
アイシャ先輩と戦っていたときのハスト様は、どこか楽しそうでした。面倒くさいと言いながら、口元は緩んでいた。相手の技を受けて、褒めて、直すところを教えて。まるで、先生のようでした。
でも、今は違いました。
クレハさんの前に立った瞬間から、ハスト様の肩に、ほんの少しだけ、力が入っていました。指先が、一度だけ、小さく握られて、ほどかれた。息を吸う間隔が、さっきより短い。
余裕が、ない。
あのハスト様が。魔物を一太刀で斬り、剣聖様と互角以上に打ち合い、アイシャ先輩を幻の中から見つけ出したハスト様が。今、この人の前では、余裕がないのです。
私にできることは、何かないのでしょうか。審判として、止めるべきなのでしょうか。
「――やぁ。二人とも、お疲れさん」
「きゃっ……!!」
すぐ後ろから声がして、私は思わず跳び上がりました。
振り返ると、いつの間にか、剣聖様が立っていました。石柱の陰から、音もなく。
「……ッ!?」
隣にいたアイシャ先輩も、驚いて身構えていました。それから、ほっと息をつきました。
「……シュベルトさん、でしたか。あの、エトワール様は、今どちらに……? 私はパートナーとして、本来ならあの方のおそばに……」
「この試合は、見ておいたほうがいいよ」
アイシャ先輩の言葉を遮って、剣聖様は言いました。
いつもの、へらへらとした笑顔ではありませんでした。真剣な目で、演習場の真ん中を見つめていました。
「それも、目を逸らさずにね。はっす〜の全部、とまでは言わないけど。それに近いものが、見られるよ」
「それって――」
私が、何ですか、と訊きかけた、そのときでした。
パァンッ!!
乾いた銃声が、一発、演習場に響き渡りました。
◇
振り返った先の光景に、私は、目を疑いました。
クレハさんの両手には、二丁のリボルバー。その両方の銃口から、細い煙が立ち昇っていました。
そして、ハスト様の両手には。
右手に、碧く燃え盛る、実体のないリボルバー。左手に、同じく碧い炎でできた、銃身の短い連射式の銃。
ハスト様の足元に、碧い光の粒が、ぱらぱらと散っていました。そして、その光の粒に混じって、ひしゃげた鉛の塊が、ふたつ。
「……やっぱり、ハス坊は、アタシの弾を壊してくるんだな」
クレハさんが、楽しそうに、口の端を吊り上げました。
「しかも、その精度が、三年前より上がってる。……成長したな」
「今のは、比較的当てやすい弾だったからな」
ハスト様は、左手の連射銃を軽く振りました。
「連射式で対応できるうちは、そうしとかないと。この先が、苦しくなるだろうし」
銃声は、一発しか聞こえませんでした。
でも、クレハさんの二丁の銃口からは、両方とも煙が出ている。ということは。
「今、はっす〜は、左手の連射銃で、クレハの二発を、狙って撃ち抜いたんだ」
剣聖様が、静かに言いました。
「クレハの二発と、はっす〜の連射の何発か。全部が、ほぼ同時に鳴ったから、一発に聞こえた」
「ッ!! そんなことが、できるはずが――」
アイシャ先輩が叫びかけました。
剣聖様は、額に冷や汗を浮かべながら、それでも、口の端を上げました。
「できちゃうんだよ。あのはっす〜にはね」
◇
そこから先は、私の目では、ほとんど追いきれませんでした。
クレハさんが、走りました。赤土を蹴り、石柱の陰から陰へ、身体を低くして滑るように移動しながら、二丁のリボルバーを交互に撃ちます。一発撃つたびに、立ち位置が変わる。どこから撃たれるのか、予測させないための動きです。
ハスト様は、ほとんど動きませんでした。
演習場の真ん中に立ったまま、両手の銃を、まるで指揮棒のように、わずかに傾けるだけ。そのたびに、碧い炎の弾が放たれて、クレハさんの弾を、空中で、正確に撃ち落としていきます。
パァン。カキン。パァン。カキン。
銃声と、弾と弾がぶつかる金属音が、規則正しく、交互に響きます。
クレハさんが、リボルバーの弾を撃ち尽くしました。シリンダーを振り出し、空薬莢を捨て、新しい弾を込める。その時間は、まばたき一回分もありませんでした。
その一瞬に、ハスト様が、右手のリボルバーを撃ちました。
一発。
クレハさんの、装填途中の左手のリボルバーが、手から弾き飛ばされました。
「――ッ、やるじゃないかッ!!」
クレハさんは、笑っていました。残った右手のリボルバーで、ハスト様ではなく、すぐ脇の石柱を撃ちます。
跳弾。
石柱の結界の紋様に当たった弾が、鋭く角度を変えて、ハスト様の左腕のほうへ――
ハスト様の左手の連射銃が、跳ね返った弾を、迎え撃ちました。
弾と弾が、ハスト様の腕のすぐ脇でぶつかって、火花を散らします。でも、ほんのわずかに、角度が足りなかった。砕けた弾の破片のひとつが、ハスト様の制服の袖を裂いて、腕をかすめていきました。
赤い線が、一本。
「ハスト様っ……!!」
思わず、声が出ました。
ハスト様は、ちらりと自分の腕を見下ろしただけでした。それから、右手のリボルバーを、まっすぐに、クレハさんに向けました。
三発。
喉元。鳩尾。右の太腿。
碧い炎の弾が、クレハさんの身体に、次々と吸い込まれていきました。殺傷性能はゼロ。血は流れない。でも、痛みと衝撃だけは、本物と同じ。
クレハさんの身体が、くの字に折れて、赤土の上に膝をつきました。
◇
私は、息をするのも忘れて、その光景を見つめていました。
ハスト様は、ほとんど動いていなかった。それなのに、クレハさんの弾は、一発も、ハスト様の身体に届かなかった。最後の、跳弾の破片を除いては。
「……さっきから、ずっと撃ち合ってるけど。はっす〜、一発も被弾してないでしょ?」
剣聖様が、ぽつりと言いました。
「まぁ、これで、勘のいい人なら、はっす〜が、たったひとつだけ、できることがわかるかもね」
たったひとつだけ、できること。
大体の見当は、ついていました。さっきの、アイシャ先輩との試合。消えた先輩を、ハスト様は、正確な角度で見つけ出した。今の撃ち合い。何十発もの弾を、空中で、一発残らず撃ち落とした。
でも、それが本当なのか、とても信じられませんでした。そんな人間が、いるはずがない、と。
私は、意を決して、口を開きました。
「あの……もしかしたら、なんですけど」
剣聖様が、こちらを見ました。
「ハスト様は……頭の回転が、普通の人より、ずっと速いのでは……?」
恐る恐る言った私の言葉に、剣聖様は、「やるねぇ」とでも言うように、目を見開きました。それから、にっと口の端を上げました。
「……はっはっは!! 面白いこと言うね、フィアットちゃん」
剣聖様は、腕を組みました。
「まぁ、ニュアンス的には、フィアットちゃんの言うその感じで、間違いないかな。でもね、正確に言うなら――」
剣聖様は、演習場の真ん中の、ハスト様を見つめました。
「彼は、この世のすべての事象を、頭の中で演算することができるんだ」
「……演算」
「例えば、魔素の流れを演算して、相手がこれから何の魔術を使うのかを、詠唱が終わる前に理解する。今みたいに、弾の速さと、距離と、風と、跳ね返る角度を演算して、どのタイミングで、どこに照準を合わせて、引き金を引けばいいのかを、全部計算する」
剣聖様の声は、静かでした。
「さっき、アイシャちゃんを見つけたのも、それだよ。幻で姿は隠せても、土の沈みや、風の渦や、魔素の歪みまでは隠せない。はっす〜は、それを全部、同時に計算して、答えを出してる」
アイシャ先輩が、自分の胸元を、ぎゅっと握りしめていました。
「……でもね」
剣聖様の声が、少しだけ、低くなりました。今まで聞いたことのないほど、真剣な声でした。
「勘違いしないでほしいのは。はっす〜のあれを、才能とは、呼ばないでくれ」
私は、剣聖様の横顔を見上げました。
「あの力は、全部、極限の努力の末に手に入れたものだ。七歳の子どもが、クレハに五百発の弾を撃ち込まれて、一発一発、全部の軌道を頭に叩き込んで。アーネットに、毎朝、茶を一滴もこぼさずに注げって言われて、何年もかけて、魔力の一粒まで制御できるようになって」
剣聖様は、ふっと息を吐きました。
「『覇王』を継ぐための、絶対の条件は、強さじゃない。絶対の向上心なんだって、アーネットは言ってた。どれだけ強くなっても、まだ足りないって思い続けられること。……僕たちみたいに、才能でどうにかなってる人間とは、違うんだよ」
そう言い切ると、剣聖様は、まるで我が子を見守るような、嬉しそうな顔で、演習場の真ん中を見つめました。
私は、何も言えませんでした。
入学したての頃、私は、ハスト様のことを、授業をサボってばかりの、努力をしない人だと思っていました。教室の隅で、いつも眠そうにしている、やる気のない人だと。
違ったのです。
あの人は、私たちが教室で教本をめくっていた頃には、もう、誰も見ていない森の奥で、誰よりも努力していたのです。
人間観察って、大切ですね。……私は、ずっと、何も見えていなかった。
◇
「くははっ……。こうも、ハス坊にやられるとはね……」
クレハおば……お姉さんが、赤土の上に膝をついたまま、喉を押さえて咳き込んだ。
「ゴフッ……ゲホ、ゲホッ……。殺傷性能ゼロでも、痛ぇもんは痛ぇなぁ……」
「伊達に、あの森で十年も鍛えられてきたわけじゃないですからね……」
俺は、そう言いながら、左腕のかすり傷を押さえた。じんじんと、熱い痛みが走る。こっちは、本物の弾の破片だ。
……痛ってぇ。
跳弾までは、予測しきれなかった。石柱の結界の紋様が、弾の角度をほんのわずかに狂わせた。その誤差を、演算に入れ損ねた。……悔しい。三年前なら、たぶん、もっと酷くやられていた。でも、ロリババアの家にいた頃の俺なら、たぶん、かすりもしなかった。
やがて、宙を舞っていた砂埃と、覇権の碧い炎が、さらさらと音を立てて消え去っていった。
「まぁ、これ以上は、クレハ姉がきついだろうからさ」
俺は、両手を広げた。
「復元魔術、Restoration body……っと」
淡い光が、俺とクレハおば……お姉さんを、同時に包み込んだ。俺の腕のかすり傷が、すうっと塞がっていく。クレハおば……お姉さんの、喉と鳩尾と太腿の痛みも、消えていったはずだ。
クレハおば……お姉さんは、ゆっくりと立ち上がった。それから、ばつが悪そうに、肩を落とした。
「……やっぱり、もう、アタシはハス坊には勝てないか」
空になったリボルバーを、腰のホルスターに戻す。
「まぁ、かすり傷ひとつつけられただけ、いいほうか。……アタシも、まだまだだな」
俺は、クレハおば……お姉さんに、手を差し伸べた。
「いや。跳弾は、完全に読み負けた。……次は、かすらせない」
クレハおば……お姉さんは、俺の手を見て、それから、にかっと笑って、その手をがしっと握った。……握力。握力が、強い。
ちょうどそのとき、夕日が、木々の向こうに完全に沈みきった。石柱の照明の魔石が、一斉に明るく灯って、演習場を白く照らし出した。
「……ッ!!」
演習場の端で、フィアットが、はっと我に返ったように、片手を高く掲げた。審判の仕事を、すっかり忘れかけていたらしい。
「しょ、勝者……ハスト・アーネット……!!」
その声は、少しだけ、震えていた。
俺は、フィアットのほうを見た。
フィアットは、片手を掲げたまま、まっすぐに、俺を見ていた。いつもの、にこにこ顔でも、じとっとした目でもなかった。何かを、確かめるように。何かを、胸の奥に刻み込むように。
……なんだ、その目。
俺は、少しだけ居心地が悪くなって、頭を掻いた。




