21 やってみYO
そういうことがあったので、俺は、ほかの生徒が完全に下校した今、学園裏の森の演習場にやってきていた。
エトワールが管理している、木々に囲まれた円形の広場だ。地面は踏み固められた赤土で、周囲を古い石柱がぐるりと取り巻いている。石柱には結界の紋様が刻まれていて、中で何が起きても外には漏れない。……らしい。少なくとも、エトワールはそう言っていた。
空は、すっかり夕焼けに染まっていた。木々の梢の向こうで、太陽が赤く溶けていく。石柱に埋め込まれた照明の魔石が、ぽつり、ぽつりと灯り始めていた。
俺は、入るなり、大きなため息を吐いた。
「……はぁ〜……。ほんと、なんでこんなことになっちゃったんだろ……」
足元の小石を蹴飛ばす。石ころは、からころと赤土の上を転がっていった。
俺の独り言は、誰にも届かなかったらしい。
「さぁ!! 早速始めようじゃないかっ!!」
生徒会長が、演習場の真ん中に駆け込むなり、両手を広げて高らかに宣言した。
「『覇権』というものが、どんな代物なのか!! 早く見てみたいよ!!」
俺のため息は、さらに深いところへ沈んでいった。
振り返ると、フィアットが、さっきからずっと、にこにこ顔でこっちを見ている。これが、笑顔の圧力ってやつか。
そして、その隣には。
「いやぁ〜、陛下の説教、三十分で抜け出してきたぜ!! ハス坊の特訓を見られるってのに、王城でお茶なんか飲んでられるか!!」
クレハおば……お姉さんが、石柱の一本にもたれて、腕を組んでいた。なぜか、孫の運動会を見守る祖母のような、温かい目をしている。陛下、ごめん。止められなかったんだね。
俺は、ここでも折れた。
「へいへい、そうだな」
生徒会長の誘いに、超適当に答えながら、右手をひらひらと振って、演習場の真ん中へ歩いていった。
◇
生徒会長の正面、十歩ほどの距離で、俺は足を止めた。
「ルールは、いつもの決闘形式な。それと、俺の『覇権』の殺傷性能は、ゼロにする。斬っても殴っても、怪我はしない。ただ、痛みと衝撃だけは、本物と同じだ」
「本物と、同じ」
生徒会長が、ごくりと唾を飲んだ。……なんで嬉しそうなんだろう。
「決着は、どちらかの降参で。いいか?」
生徒会長は、うん、と力強く頷いた。
俺はそれを確認してから、演習場の端に立つフィアットに目配せをした。審判役は、フィアットに頼んである。
それから、もうひとつ。
「フィアット」
「はい?」
「審判やりながら、よく見てろよ。今日の特訓は、お前のためのもんだからな」
フィアットが、きょとんとした。
「生徒会長の幻影体術は、順位戦でお前が当たるかもしれない、いちばん厄介な相手だ。見えない相手を、どうやって見つけるか。俺がそれをやるから、目に焼きつけとけ」
フィアットの表情が、ぴりっと引き締まった。
「……はいっ!!」
フィアットは、片手を高く掲げた。
「両者、用意をしてくださいっ!!」
薄暗い夕焼け空の下、フィアットの掛け声が、石柱に跳ね返って演習場に響き渡った。
その瞬間、俺は、半ばやけくそ気味に、己の相棒の名を呼んだ。
「『覇権ソルバート』……フォルムペネトレーター……!!」
俺の両手に、碧い炎が渦を巻いた。
炎は、指先から手首、肘の手前までを覆い尽くして、ひとつの形に固まる。実体を持たない、碧く燃え盛るガントレット。拳を握ると、指の関節のひとつひとつに、炎の装甲がぴたりと沿った。
生徒会長の目が、まん丸に見開かれていた。
「……これが……」
石柱の陰で、クレハおば……お姉さんが、ひゅう、と口笛を吹いた。
俺は、「ふーっ」と息を吐いて、その場で三回、全身の力を抜いて軽く跳ねた。それから、いつもどおり、我流に両拳を構えた。
そして、覇気を、放った。
演習場の空気が、ずしりと重くなった。木々の梢で、鳥が一斉に飛び立つ。
生徒会長のほうを見る。
さすが、エトワールのパートナーだ。脚は、がくがくと震えている。顔も、真っ青だ。それでも、構えは崩していない。今朝、学園長室では立っていられなかった覇気を、今は、歯を食いしばって耐えている。
たった半日で、慣れたのか。いや、慣れたんじゃない。耐えると、決めてきたのだ。
……ちょっと、どんなスタイルで来るのか気になった。
俺は口角を上げて、左手の指を、くいっと曲げてみせた。
来いよ、という合図だ。
生徒会長の目に、火が灯った。
赤土を蹴る。
そして、その場から、消えた。
◇
影踏み。影渡り。
生徒会長の気配が、演習場の空気に溶けていく。照明の魔石の光が、ほんの一瞬、揺らいだ。
さっきの競技場では、補助魔術で目を強化して、生徒会長の幻を透かして見た。でも、今日は、それだけじゃ足りない。生徒会長は、たぶん、さっきとは違う手を使ってくる。同じ手が二度通じる相手だとは、思っていないだろう。
だから、こっちも、少しだけ本気を出す。
「『覇権』ソルバート。……全てを演算させろ」
碧いガントレットの炎が、ふっと揺らいだ。
次の瞬間、俺の頭の中に、世界が流れ込んできた。
目に映る光の、一粒一粒の揺らぎ。耳に届く、草のこすれる音、遠い鳥の羽ばたき、石柱の結界がかすかに唸る音。鼻をくすぐる、赤土と、夕暮れの湿った空気と、汗の匂い。肌を撫でる、風の向きと、温度と、湿度の変化。
覇権が、俺の五感を、普通の人間には処理しきれない量まで引き上げていく。
頭が、軋んだ。こめかみの奥で、鈍い痛みが脈打つ。情報が多すぎる。全部が同時に、同じ大きさで、頭の中に押し寄せてくる。このままじゃ、何も見えないのと同じだ。
だから、もうひと押し。
「――ソルバート、最後のひと押しだ」
覇権が、もう一段、深く燃えた。
洪水のように押し寄せていた情報が、すうっと整理されていく。不要なものが沈み、必要なものだけが浮かび上がり、それらが、俺の視界の上に、重ねて描き出されていく。
演習場の空気の中で、魔素が、川のように流れていた。
その流れの、一か所だけが、不自然に歪んでいた。
風が、そこだけ、渦を巻いていた。土埃が、そこだけ、ありえない方向へ舞っていた。赤土の上に、足跡のない、踏み込みの圧だけが、点々と残っていた。
――そこか。
俺の左後方。死角。生徒会長は、正面から来ると見せかけて、大きく回り込んでいた。そして、今、まさに、俺の背中へ向かって、拳を放とうとしている。
狙いは、今度は、背骨の付け根。さっきの鳩尾とは、真逆の位置。
……やるじゃん。
俺は、一瞬の制御で、身体を右へ、五十七・三一度、回転させた。
回転の勢いを、そのまま、右の拳に乗せる。碧いガントレットが、夕暮れの空気を裂いて、弧を描く。速さは、生徒会長の拳が届くより、ほんのわずかだけ速く。重さは、生徒会長の身体を、ちょうど十歩分だけ飛ばせる程度に。
ズガンッ!!
鈍い音が、演習場に響き渡った。
俺の右ストレートが、幻の中から現れた生徒会長の鳩尾に、まっすぐに突き刺さっていた。
「ガ……ハッ……!!」
生徒会長の口から、空気が押し出される。その身体が、くの字に折れ曲がり、後ろへ吹き飛んだ。赤土の上を、一度、二度と跳ねて、ちょうど十歩先で、仰向けに転がって止まった。
……うん。
予想していた方角、速さ、距離。全部、パーフェクトだ。
◇
――届いた。
夕焼けの空が、ぐるぐると回っていた。
息ができない。鳩尾の奥で、熱い塊が弾けて、全身に痺れが広がっていく。痛い。とても、痛い。三年間、一度も味わったことのない痛み。
届いたのは、私の拳ではなかった。
あの子の拳が、私に、届いたのだ。
幻の中に隠れた私を、あの子は、見つけた。今度は、目を強化しただけではない。何か、もっと深いところで、世界そのものを読み解いて、私の居場所を、正確に、言い当てた。
そして、私の拳が届くより、ほんのわずか先に、あの子の拳が、私を捉えた。
見られた。見つけられた。打たれた。
――あぁ。
赤土の上に仰向けになったまま、私は、空に向かって、笑っていた。
涙が、目の端から、こめかみへと流れ落ちていく。痛みのせいではなかった。
ずっと、これが欲しかったのだ。
◇
「……はぁ」
俺は覇権を消して、右手を腰に当てた。それから、仰向けに転がったまま、なぜか空に向かって笑っている生徒会長に、手のひらを向けた。
「復元魔術、Restoration body」
淡い光が、生徒会長の身体を包んだ。殺傷性能はゼロにしてあったから、怪我はしていない。でも、痛みと衝撃は本物だ。その名残を、きれいに消しておく。
「……こんな感じでいいか?」
生徒会長は、ゆっくりと上半身を起こした。目元をごしごしとこすって、それから、震える声で宣言した。
「こ、降参……です……!!」
「試合終了ーッ!!」
フィアットの声が、演習場に響いた。
「勝者、ハスト・アーネットッ!!」
その声を聞いて、俺は、軽く頭に手を当てた。こめかみの奥で、まだ鈍い痛みが脈打っている。
久しぶりに、五感の全部を演算に回した。たった一瞬だったのに、この有様だ。ロリババアの家にいた頃は、もっと長い時間、平気でやれていたはずなのに。学園でぬるい生活を送っているうちに、だいぶ鈍ったらしい。
……これは、新しい課題だな。少しずつ、慣らし直さないと。
頭を掻きながら、俺は、さっき吹っ飛ばしたばかりの生徒会長のほうへ歩いていった。
「特別に、ひとつだけ、会長サマにアドバイスだ」
生徒会長が、顔を上げた。
「あんまり、自分の技術を過信しないほうがいいかもな。幻影体術は、確かに見えない。でも、見えないだけで、消えてるわけじゃない。踏み込めば土は沈むし、動けば風は渦を巻くし、魔素の流れは歪む。それを読める相手には、通用しない」
生徒会長は、唇を噛んで、俯いた。
「……そう、ですよね。私が、この学園でいくら勝てていても……その先では、通用しなくなることだって、ありますよね……」
「だが」
俺は、続けた。
「今日、生徒会長は、さっきの競技場とは違う手で来た。正面じゃなく、死角に回り込んで、狙う場所も変えた。一回負けて、ちゃんと考えて、変えてきた」
生徒会長が、はっと顔を上げた。
「その技術も、改良に改良を重ねれば、もっと上手くなるかもな。踏み込みの圧を散らすとか、風の渦を幻で上塗りするとか。……やり方は、いくらでもある」
それから、ついでに付け加えた。
「あと、身体に知らない魔力が流れ込んだときに、自分の手を見る癖。あれも、直したほうがいい。三十八・一二度は、でかい」
生徒会長は、しばらく、ぽかんとした顔で俺を見上げていた。
それから、ぎゅっと拳を握りしめて、深く、深く頭を下げた。
「……ありがとうございました、ハスト君。いや……師匠!!」
「師匠はやめて」
俺は、アイテムボックスから水筒を取り出して、ごくりと一口飲んだ。
それから、審判役のフィアットのほうを振り返った。
「……で、フィアット。どうだった?」
フィアットは、さっきから、ずっと黙り込んでいた。何か、考え込むように、自分の手のひらを見つめている。
「……あの、ハスト様」
「ん?」
「私……先輩の動き、少しだけ、見えた気がするんです」
俺は、水筒を口から離した。
「先輩が消えたあと、ハスト様の左後ろのほう。何もないはずの場所の空気が、ほんの少しだけ、ゆらっと歪んで見えて。……陛下の幻術を見破ったときと、同じ感じでした」
俺は、フィアットの顔を、まじまじと見た。
覇権で五感を全部引き上げて、ようやく見えたものを。こいつは、素の目で、うっすらとでも、捉えていた。
「……やっぱり、お前、とんでもないな」
「えっ?」
「それ、たぶん、順位戦の武器になる。明日から、その目を鍛えるぞ」
フィアットの顔が、ぱぁっと明るくなった。
「はいっ!!」
◇
――そのときだった。
石柱にもたれて、さっきまで黙って試合を見ていたクレハおば……お姉さんが、ゆらりと身体を起こした。
途端に、俺の背筋を、寒気が駆け抜けた。
あ……あぁ……。
「ヨシっ!!」
クレハおば……お姉さんが、ぱぁん、と両手を打ち鳴らした。目が、きらきらと輝いている。いや、ぎらぎらと、と言ったほうが正しい。
「ハス坊!! 今の試合を見てて、アタシもやりたくなってきたッッ!! 一本やるぞッッ!!」
背中の機関銃を、がしゃん、と構える。
「さぁ、銃を抜け!! 覇権の銃形態、あるんだろう!? アタシと撃ち合え!!」
冷や汗と震えが、止まらなかった。
ヒェェェェェェ!! まずい。とてもまずいぞ。俺、今度こそ、死ぬかもしれないわ。さっきの演算の頭痛も、まだ残ってるのに。
「え、ぇ〜と……。きょ、今日は、ちょっと、もう遅いですし……ねぇ……?」
「YA☆RU☆ZO」
「NOOOOOOOOOOOOOOooooooooooooooooooooo……!!!」
逃げようとした俺の襟首を、クレハおば……お姉さんが、がしっと掴んだ。足をじたばたさせて藻掻いてみたが、びくともしない。この人、銃王のくせに、握力が格闘王並みなのだ。
拒否権は、ないらしい。
やがて俺は無抵抗になり、ずさずさと赤土の上を引きずられながら、泣く泣く、演習場の真ん中へと連れ戻されていった。
背後で、フィアットと生徒会長が、並んで手を振っていた。
「ハスト様、頑張ってくださーい!!」
「師匠ー!! 参考にさせてもらいますー!!」
……誰か、助けてくれ。




