18
あのあと、俺とシュベルトは学園長室に寄って、クレハおば……お姉さんに、今の状況を話した。
学園長室に入った瞬間、クレハおば……お姉さんは、エトワールの首根っこを掴んで、窓から半分ほど吊り下げていた。俺の居場所をなぜ黙っていたのか、と問い詰めていたらしい。エトワールの眼鏡が、片方のつるだけで耳に引っかかって、ぶらぶら揺れていた。
どうにか救出してから、改めて説明した。フィアットが俺のパートナーになったこと。今度の順位戦で、そのフィアットを優勝させるための特訓をすること。それから、特訓にクレハおば……お姉さんも加わってほしい、ということ。
「――乗ったッ!!」
即答だった。
「ハス坊のパートナーだろう? アタシが鍛えずに誰が鍛える!! それに、銃弾ってのは魔術の詠唱より速く飛んでくるからな。撃たれた瞬間に状況を整理して、身体を動かす。その訓練には、アタシ以上の適任はいない」
それから、俺の頭を、わしゃわしゃと撫で回した。今度は、首がもげない程度の強さで。
「……ハス坊が、誰かのために頭を下げるなんてなぁ。成長したなぁ……」
ちょっとだけ、涙ぐんでいた。やめてくれ。こっちまで照れる。
それを聞いたエトワールは、窓枠から這い上がって眼鏡をかけ直すと、即座に予定表を組み直した。十分後には、新しい訓練日程が手書きで清書されて、俺の手に渡されていた。仕事が早い。ありがたや。
放課後は毎日、学園の裏手の森にある、エトワール管理の演習場で。一日目の今日は、クレハおば……お姉さんとの銃撃回避訓練。二日目は、シュベルトとの剣。三日目は、レイラさんとの魔術。四日目は、陛下との幻術。五日目に、俺との総合演習。それを、二周。
……俺の出番、五日目までないじゃん。
そんなこんなで、気がつけば一時間目にはもう間に合いそうになかった。俺は鞄を抱えて、二時間目から授業を受けることにした。
◇
「ふぁ〜ぁ……眠い……。朝から大運動しすぎたかな……」
寝ぼけ眼で、いつものように教室の扉を開ける。
もちろん、俺は影が薄い上にド陰キャなので、誰かに見られるなんてことはない。……と言いたいところだが、ひとりだけ、ちらりとこちらを振り返った奴がいた。サイドテールが、小さく揺れる。フィアットは、俺と目が合うと、口の形だけで「おはようございます」と言った。
俺は、首だけで小さく会釈を返した。
いつものように歩いて、窓際の席の横に鞄を掛け、中から適当な参考書を取り出して読み耽る。どうだ、素晴らしいだろう?
そして、やはり今日も、いつもの会話が聞こえてくる。
「おい、聞いたかレオン!! 今朝、この学園に銃王様が来たんだってよ!! 校門の柱、半分吹っ飛んでたらしいぜ!! 絶対、この学園に何かがあるって!!」
興奮してるな、ラインハルト君。さっきから鼻息がやばいぞ。ほら見ろ、向かいのレオン君が、明らかに呆れた顔をしてるぞ。
「あのなぁ……。どうせまた、都市伝説かなんかの『覇王』がいるだの何だのって言うんだろ? もうその話、三億回くらい聞いたんだが……。ほんと、ラインハルトの『覇王』愛はすごいな」
「当たり前だろ!? 俺は、その完全に秘匿された存在って感じがいいんだよっ!!」
ラインハルトは、机に両手をついて身を乗り出した。
「ほら、例えばさ。いつもクールな澄まし顔をしてる、このクラスのクルト君とかがさ。実は裏で、牙を剥いて暴れ回ってるって考えると、なんかかっこよくね?」
教室の前のほうで、話題にされた銀髪の男子生徒――クルト君が、ぴくりと肩を震わせた。いつも窓の外を見て、誰とも口をきかない、クラス一のクール系男子だ。……いや、たぶん、ただの人見知りだと思う。同類の匂いがする。
「それに関してだけは、一理あると思うな」
いや、レオン君、納得しちゃ駄目だから。それ、ほぼ『覇王』がいるって信じちゃってる発言だから。
というか、君たち、残念だったな。君たちの言うその『覇王』は、陰キャ兼ボッチ兼万年最下位だぞ。おまけに、顔面崩壊付きだぞ。ふはは。
まぁ、そんな会話を尻目に、俺は筆箱からマーカーを取り出して、絶賛、参考書にマーキング中なんだけどね。
おっ。これ、レイラさんが組んだ魔素循環の短縮陣だ。昨日、フィアットの術式札に使われてたのと同じ系統。こうして教本の形で見てみると、かなりすごいな。式の無駄が、ほとんどない。
俺は「んん〜」と背伸びをして、身体を少しほぐした。欠伸が漏れる。同時に、始業のチャイムが鳴り響いた。
◇
かくして、俺はどうにか午前の授業を乗り切った。
……はずだった。
四時間目が終わって、教室を出ようとしたところで、担任に呼び止められたのだ。
「ハスト君。ちょっといいかね」
嫌な予感しかしなかった。
「今日の午後の実践演習なんだが、君に演習試合をしてもらうことに、職員会議で決まったんだ。申し訳ないが、よろしく頼む。ちなみに、今日の演習は上級生も合同だぞ」
「……は、はぁ……」
「あぁ、それと。君の試合の相手だが」
担任は、手元の書類に目を落とした。
「アイシャ・リズベットさん。生徒会長だ」
その瞬間、俺の表情は凍りついた。
たぶん、廊下の置物と勘違いされてもおかしくなかったと思う。それくらい、衝撃的だった。
「……は、……はぃ……」
ほら、当時の俺の声に、生気をまったく感じられないだろう?
担任が去っていったあと、俺はしばらく廊下に立ち尽くしていた。
職員会議で決まった? 最下位の一年生と、全学年序列一位の生徒会長の、演習試合が?
そんな組み合わせ、普通は組まない。誰かが、ねじ込んだのだ。
そして、今朝、俺の正体を知ったばかりの人間が、ひとりいる。
……あの人、絶対、自分から言い出しただろ。
◇
そんなわけで、俺は今、いつもの屋上で、絶賛ボッチ飯を楽しんでいる……ふりをしながら、頭を抱え込んでいた。
ローブにくるまって浴びる日差しは、相変わらず気持ちいい。今日のサンドイッチは、厚切りのベーコンと、とろけるチーズと、ほんの少しの粒マスタード。我ながら、最高の出来だ。
「あ゛ぁッ〜……。自由って、最高……ッ!!」
なんて、誰もいない屋上で独り言を叫んでみる。実に虚しい。現実逃避だ。
そのとき、屋上の扉が、きぃ、と開いた。
「……やっぱり、ここにいた」
フィアットだった。小さな包みを、胸に抱えている。
「ハスト様、さっき廊下で先生に呼ばれてましたよね。……午後の演習試合、生徒会長とだって、教室中で噂になってます」
「……もう噂になってんの」
「なってます。『最下位、ついに生徒会長の公開処刑を受ける』って」
「ひどい」
フィアットは、俺の隣に、ちょこんと腰を下ろした。それから、胸に抱えていた包みを、膝の上で開いた。中から出てきたのは、小さな焼き菓子だった。
「……今朝、エトワールさんに、生徒会長のことはフィアットさんに聞いてみなよって、言われませんでした?」
「なんで知ってんの」
「エトワールさんから、伝言の術式で連絡がありました。『はっす〜、たぶんアイシャのこと何も知らないから、教えてあげて』って」
……あいつ、仕事が早すぎる。
フィアットは、焼き菓子を一枚、俺に差し出した。俺は、受け取った。
「アイシャ・リズベット先輩。三年生で、生徒会長。入学してから三年間、学園の序列戦で一度も負けたことがない人です。ついた二つ名が、『攻撃が一切見えない、不動の序列一位』」
フィアットは、真剣な顔で続けた。
「先輩と戦った人は、みんな同じことを言うんです。気づいたら、倒れていた。拳が見えなかった。どこから来たのかもわからなかった、って。……幻影体術、という珍しい体術の使い手だそうです。身体の動きそのものを、幻で覆い隠すんだとか」
「あぁ。それは、エトワールから聞いた」
「それと、もうひとつ」
フィアットは、少しだけ言い淀んだ。それから、頬をほんのり赤くして、小声で続けた。
「……先輩、その、ちょっと、変わった趣味があるらしくて。強い攻撃を受けるのが、好き、という噂が……」
「知ってる。身をもって知ってる」
「えっ」
「入学順位戦の日に、追いかけ回された」
「えぇっ!?」
フィアットが、焼き菓子を取り落としかけた。
俺は、受け取った焼き菓子をかじりながら、空を見上げた。バターの香りが、ふわりと広がる。
「……で、問題は」
「はい」
「どうやって、負ければいいんだ?」
フィアットが、きょとんとした。
「負ける……前提、なんですね」
「当たり前だろ。最下位が、序列一位に勝ってみろ。明日から、学園中の視線が俺に集まる。順位戦どころじゃなくなる」
俺は、顎に手を当てた。
「入学順位戦のときは、お前の魔術を強化して、それに吹っ飛ばされた。相手が魔術を使うなら、それが一番簡単なんだ。……でも、生徒会長の武器は、拳だ」
剣なら、まだ誤魔化しようがある。剣筋に合わせて、衝撃を偽装すればいい。でも、拳は、相手の身体そのものだ。しかも、幻影体術で、軌道まで隠してくる。
「いくら『幻影』って名前がついてても、俺の目なら、慣れれば全部見える。見えるからこそ、避けちゃいけないタイミングで、身体が勝手に避けようとする。それを抑えながら、自然に、派手に、殴られなきゃいけない」
「……難しいですね」
「難しい」
俺は、顔をさらにしかめた。そして、その状態を、三分間キープした。
フィアットは、その間、黙って焼き菓子をかじりながら、俺の横顔を眺めていた。
三分後。
俺は、ついに結論を出した。
「……ワンチャン、身体強化系統と、風属性の魔術で、やってみるか……?」
「というと?」
「生徒会長の身体を、あらかじめ、俺が制御しきれる範囲内で強化しておく。で、拳が当たる瞬間に、風の魔術で、衝撃波っぽいものを派手に生成する。それに合わせて、重力魔術で、思いっきり吹っ飛ぶ。……これで、完全な敗北を演出できる、と思う」
「入学順位戦のときと、同じ手ですね」
「応用だよ、応用。それと、万が一のために、観客には幻術で流血して見えるようにしておく」
フィアットは、少しだけ眉を寄せた。
「……生徒会長、今朝、ハスト様の正体を知ったんですよね。強化を仕込んだら、気づかれませんか?」
「……」
俺は、黙った。
気づかれる、かもしれない。入学順位戦のフィアットは、強化された自分の魔術に驚くだけだった。でも、相手は、三年間無敗の序列一位だ。自分の拳に、他人の魔力が混じれば、たぶん、わかる。
そして、わかった上で、あの人は――たぶん、喜ぶ。
「……そのときは、そのときだ」
俺は、サンドイッチの最後の一口を放り込んだ。うん、ベーコン、うまいな。
「それに、俺の中には、ひとつ信念がある」
「信念?」
「負けることばかり考えてて、『覇王』らしくないと思うかもしれないけどさ」
俺は、ローブの裾を払って立ち上がった。
「『|覇王に敗北はあっても、絶対に失敗はしない《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》』」
フィアットが、俺を見上げた。
「……ってな。あのロリババアの受け売りだけど」
負けることは、ある。負けると決めて、負けることもある。でも、決めたとおりに負けられなかったら、それは失敗だ。覇王は、自分で決めた結果を、必ず手に入れる。勝つと決めたら勝つし、負けると決めたら、完璧に負ける。
「……それ、かっこいいのか、かっこ悪いのか、よくわからないです」
「俺もよくわからない」
フィアットは、くすりと笑った。それから、立ち上がって、俺の制服の袖を、ほんの少しだけつまんだ。
「……あの、ハスト様」
「ん?」
「放課後、私の特訓、一日目なんです。クレハさんとの」
「知ってる。予定表、もらった」
「演習試合、ちゃんと『完璧に』負けて、それから……見に来て、くれますか?」
袖をつまむ指先に、少しだけ、力がこもっていた。
俺は、少しだけ迷ってから、頷いた。
「……あぁ。行くよ」
フィアットの顔が、ぱっと明るくなった。
「約束ですよ!!」
そう言い残して、フィアットは小走りに屋上を出ていった。扉が閉まる直前、もう一度振り返って、小さく手を振っていた。
俺は、残された焼き菓子の包みを見下ろした。二枚、残っていた。
……さて。
午後の演習試合。完璧に負けて、それから、銃王の銃撃訓練を見学しに行く。
「――さて。始めますか」
俺は、首をこきりと鳴らした。




