17 動乱の予兆がするでございますわよ?
翌朝。
俺は、いつもどおり三度目の目覚ましを止めて、欠伸をしながらベッドから這い出した。台所でお湯を沸かして、紅茶を淹れる。ついでにテレビの電源を入れる。
朝の情報番組が映った。
その瞬間、俺の目は一気に冴えた。いや、驚きすぎて、充血しそうになった。
『本日は、我が国の頂天者のおひとり、銃王クレハ・エヴァンス様にお越しいただいております! いやぁ〜、今回の南方遠征、大成功でしたね! 今のお気持ちはいかがでしょう?』
画面の中に、その人がいた。
豪快に結い上げた髪。軍服の上着を、袖を通さずに肩に羽織っている。そして、背中には、スタジオの照明を鈍く跳ね返す、ごつい機関銃。
『そうだな。今回の遠征は、前回と比べればわりかし楽しかったほうだな』
銃王様は、落ち着いた声で、司会者の問いに答えていた。
それから、ふと、言葉を切った。
『……ぬあああああッッ!! そんなことはどうでもいいんだ!!』
銃王様が、椅子を蹴って立ち上がった。司会者が、ひっと悲鳴を上げて仰け反る。
『ハス坊はどこだッッ!! アタシは今すぐ、あの子に逢いたいんだッ!! さぁ、さぁ゛ッ……!!』
カメラに向かって、身を乗り出してくる。画面いっぱいに、銃王様の、血走った目が――
ドゴッ!!
鈍い音とともに、銃王様の姿が画面の端に吹っ飛んでいった。
代わりに画面に入ってきたのは、相変わらず無駄に爽やかな笑顔の、金髪の男だった。
『はいはい、王国の皆さん、朝から大変申し訳ございません。この馬鹿は、剣聖シュベルト・ロードが責任をもって連れ帰りますので』
シュベルトは、気絶したらしい銃王様の首根っこを掴んで引きずりながら、カメラに向かってにっこりと微笑んだ。
『ちなみに、彼女の言う「ハス坊」というのは、彼女の甥っ子のことですので。皆さん、どうかご安心ください。それでは、よい一日を』
番組が、慌ただしくお天気のコーナーに切り替わった。
……冷や汗が、止まらない。
今、この国で一番帰ってきてはいけない生物が、帰ってきてしまった。
銃王クレハ・エヴァンス。ロリババアの古い知り合いで、俺が森で育っていた頃から、何かと世話を焼きに押しかけてきた人だ。悪い人じゃない。むしろ、とんでもなくいい人だ。ただ、愛情表現が、物理的に、致命的なのだ。
ひとまず落ち着こうと、紅茶のマグカップを掴んで口元へ運ぶ。手が震えて、まともに飲めなかった。紅茶が、テーブルにぼたぼたとこぼれた。
俺は、頭を抱えて、ひとり呟いた。
「や、やべぇでございますわよ……」
◇
いつ襲撃されるかわからない恐怖を抱えたまま、俺はびくびくと震えながら登校した。
曲がり角のたびに立ち止まって覗き込み、背後で足音がすれば振り返り、空から何か降ってこないか見上げ、校門の前では三分ほど植え込みの陰に隠れて様子を窺った。
結果。何も起きなかった。
警戒に使った労力は、全部水の泡になった。でもまぁ、ひとまず安心できたので、よしとしよう。
俺は、今朝の一件について説明してもらうため、下駄箱で靴を履き替えると、教室ではなく学園長室へと向かった。
学園長室の扉が近づくと、中から話し声が漏れていた。レイラさんあたりが、もう来ているのかな?
まぁいっか。俺は扉を勢いよく開け放ち、声を荒げた。
「おい、そこのエトワールッ!! 今朝のアレ、どういうことだオイ……!?」
……。
「……ぇ……?」
俺は、いつもと違う光景に、目を疑った。
エトワールの机の前に、ひとりの女子生徒が立っていた。上級生の制服。この学園の、一般の生徒だ。
まずい。
今、俺は、エトワールに向かって、頂天者に対する口のきき方で怒鳴り込んだ。一般生徒の前で。
俺は瞬間的にそう判断して、右手に覇権をいつでも呼び出せるよう意識を集め、同時に、覇気を放った。目撃者は、確保しなければならない。
女子生徒が、こちらを振り返った。
――ん? この人、どこかで見たような……?
俺が訝しげに目を細めると、エトワールが、慌てて両手をわたわたと振り回した。
「ッ!! はっす〜、駄目だ!! 彼女は一般人じゃないよっ!! だから、覇気を抑えてぇ!!」
俺は警戒しながらも、覇気を引っ込めた。
エトワールが、ぜぇはぁと肩で息をし始めた。目の前の女子生徒は、その場にへたり込んでいた。
その顔を、改めてよく見た。短く切り揃えた髪。引き締まった身体つき。上級生の徽章の隣に、生徒会の紋章。
あぁ!! コイツ!!
「あぁ、この前、俺のこと追っかけ回したやつ!! ……あー、えーと、生徒会長さん、だっけ?」
俺が指をさしてそう言い放つと、エトワールが、ぽかんとした顔になった。
「あれ? 僕、はっす〜にアイシャのこと話してなかったっけ? 僕のパートナーだって」
「は? そんなこと、一言も聞いてないんだけど。俺はただ、お前のパートナーは、すげぇ幻影体術士だってことくらいしか聞いてないぞ」
俺があっけらかんと答えると、エトワールは、右手で目元を覆って、あちゃ〜、と天井を仰いだ。
「あぁ〜、そういうことね……。僕はてっきり、校内の噂とかで大体わかってくれてるかと思ってたけど。そういえば君、他人にあんまり興味ない系の人だったってこと、すっかり忘れてたよ……」
それから、エトワールは、へたり込んでいる生徒会長の頭を、よしよしと撫でた。
「ひゃー、アイシャが殺されなくてよかったよ……。ごめんね、アイシャ」
生徒会長は、ひしっとエトワールの腰にしがみついた。
……もう、これ、親子じゃん。何見せられてんだろ、俺。
まぁ、それはいいとして。
「あのさ。その噂って、一体何なんだ?」
俺は、単純に気になったことを訊いてみた。
「ん〜、例えばどんなのがいいかな……。あぁ。『攻撃が一切見えない、不動の序列一位』とか、聞いたことない?」
聞き覚えがなかったので、俺は首を傾げた。
エトワールは、苦笑ついでにため息をついた。
「これ、わりかし多くの人が知ってるはずなんだけどなぁ……。この学園の、全学年を通しての序列一位。入学以来、三年間、一度も負けたことがない。対戦相手は、彼女の攻撃が見えないまま倒されるんだ。……それが、アイシャ。僕のパートナーで、幻影体術士だよ」
攻撃が、見えない。
なるほど。あの日、身体強化をかけた俺に、普通に追いすがってきたあの脚。幻影体術。身体の動きそのものを幻で覆い隠して、相手の認識をずらす体術だ。極めれば、拳の軌道すら、相手には見えなくなる。
「そうだ。あとで、フィアットちゃんにも聞いてみなよ。たぶん知ってると思うから」
エトワールがその名前を口にした瞬間、生徒会長の肩が、ぴくりと跳ねた。
「フィアット……あぁ、フィアット・セルジーネさんか。一年の、例の学級委員の」
生徒会長は、エトワールにしがみついたまま、俺のほうを見上げた。
「き、君は、そのフィアットさんと、どういった関係なんだい?」
「ん〜、まぁ、俺のパートナーだな」
俺は、頭を掻いた。
「……あぁ、そういや、本名で自己紹介してなかったから、わかんないのか」
俺は姿勢を正して、ぺこりと頭を下げた。
「どうも。二代目『覇王』こと、ハスト・アーネットです。以後、お見知りおきを」
頭を上げると、目の前に、一ミリたりとも動かずにフリーズしている生徒会長がいた。
エトワールは、その光景を見て、また苦笑いを浮かべた。それから、はっとした顔になった。
「やっべ。僕、アイシャにはっす〜のこと、教えてなかったわ。ごめんね。たぶん彼女、君のことを、僕の部下か何かだと思ってたんだと思う」
えええええええ。マジかよ。
俺、そんな、毎日王都新聞の雑魚にしか見えないのかよ……。とほほ。
「あぁっ!! 君、今、僕を卑下しただろう!?」
「何も言ってねぇよっ!!」
一拍。
「……まぁ、思ってたけど」
俺の素直な発言に、エトワールは「やっぱりッ!!」と虚しく叫んで、がっくりと膝から崩れ落ちた。うなだれながら「王都新聞の、どこがいけないんだ……」とぼやいていたが、ここはスルーしよう。生徒会長が、さっきとは逆に、エトワールの頭をよしよしと撫でて慰めているし。
まぁ、そんなことはどうでもいい。本題は。
「で、最初の話に戻るが。今朝のアレ、どういうことだ?」
俺は、淡々と、エトワールに答えを求めた。
◇
エトワールも、ようやく話の重大さに気づいたらしい。立ち上がって顔をしかめ、顎に手を当てた。
「……今朝の報道どおりの内容さ。本来なら、あと三か月は帰ってこないはずだったクレハが、君に逢いたいという、それだけの理由で、南方遠征を切り上げて帰ってきた」
「それだけの理由で、遠征を」
「それだけの理由で、遠征を」
エトワールは、遠い目をした。
「……危なかったよねぇ。シュベルトが、とっさに『ハス坊は彼女の甥っ子です』って嘘をついてカバーしてくれなきゃ、今ごろ大惨事だよ。ははっ」
まったくもって、そのとおりだった。あのシュベルト(馬鹿野郎)がいなければ、今ごろ俺は、悪い意味で王国中の人気者だ。この件に関しては、あいつに頭が上がらない。
俺は内心で感謝しつつ、もっと深いところに切り込んだ。
「で、問題のクレハおば……お姉さんは、俺がこの学園にいることを知ってるのか? もし知られてるなら、早めに防衛策を……そうしないと、ここが終わ――」
ドォォォンッッ!!
俺が言い切る前に、窓の外から、轟音が鳴り響いた。
学園長室の窓硝子が、びりびりと震えた。本棚から、古い王都新聞の縮刷版が何冊か落ちてくる。
エトワールにしがみついていた生徒会長が、その音に反応して、一瞬で立ち上がった。さっきまでの子どもみたいな顔は消えて、無駄のない戦闘の構えに切り替わっている。さすが、不動の序列一位だ。
エトワールは、やれやれとため息をついた。
「あらら。こりゃ、やばいね。……アイシャ、今校内にいる生徒たちを、無理やりにでも避難させてくれるかい。校門の近くから、優先的に」
「承知した」
生徒会長は、エトワールの指示に一言だけ答えると、学園長室を飛び出していった。廊下に出た瞬間、その姿が、ふっと揺らいで見えなくなった。幻影体術だ。
俺は、その背中を見送ってから、エトワールと目を合わせた。
「……てなわけで。俺が行ってくるよ」
俺は、深く、深くため息をついた。
「あぁ、そうだ。あとで、フィアットの特訓スケジュール、くれよな」
それから、指を一本、ぱちんと鳴らした。
「はぁ〜……。『幻術、Hiding spirit』っと」
俺の姿が、周囲の景色に溶けた。これで、生徒たちの目には映らない。
「了解。元気でね〜」
エトワールに軽く見送られながら、俺は無詠唱で転移の式を組み、校門の前へと飛んだ。
◇
校門の前に降り立つと、そこには、やはり、その人がいた。
石畳の上に、焦げた弾痕がいくつも穿たれていた。門柱の片方が、半分ほど吹き飛んでいる。さっきの轟音は、たぶん、校門の前で待ちきれずに空に向かって撃った祝砲か何かだ。
その真ん中で、銃王クレハ・エヴァンスが、しっかりとマシンガンを握っていらっしゃった。
俺は、幻術を解いた。
目が合った。
「……あ」
銃王様が、腑抜けた母音を漏らした。手から、するりとマシンガンが滑り落ちる。重い金属音が、石畳に響いた。
俺は、いちおう、と思って、ぺこりとお辞儀をして、にっこりと笑ってみせた。背中は、冷や汗でだらだらだった。
銃王様の目が、みるみるうちに潤んでいった。
そして、次の瞬間。
俺の目では追いきれない速さで、こちらへ突進してきて――抱きついた。
「……ッ!! ハス坊ッ!! 元気にしてたかーッ!? よしよし!!」
銃王様の両腕が、俺の頭を、胸元に抱え込んだ。ぎゅうううう、と。
「何か嫌なことがあったら、すぐにアタシに言うんだぞ〜。そいつ、潰すから〜」
苦しい。思いっきり抱きつかれているせいで、いろんなものが顔に当たって苦しい。
痛い痛い痛い!! そいつを潰される前に、まず俺の頭が潰れるって!!
「く……苦し……い゛……」
「あぁ!! すまないな、ハス坊」
銃王様は、ようやく腕を緩めた。それから、俺の両肩を掴んで、上から下までじろじろと眺め回した。
「……それと、久しぶりだな。元気にしていたか? ちゃんと飯は食ってるか? 背は……伸びてないな。うん、伸びてないな」
「二回言わなくていい」
どうにか顔面を潰されるのを回避した俺は、少し距離を取って答えた。
「ま、まぁ、比較的、健康な生活は送ってるから大丈夫だよ。……それとな」
俺は、親指で、後ろの校舎をちょんちょんと指さした。
「ここだと、人に見られるから、移動しないといけないんだよなぁ……。う〜ん、学園長室でいいか。あそこなら、誰も邪魔しに来ないし」
でも、ワンチャン他の生徒が入ってくる可能性あるんだよなぁ……。まぁいっか。
って、痛い痛い痛い!!
「ハス坊が……!! ハス坊がッ!! アタシのことを、ちゃんと考えてくれてるッ!! 〜っ!! 成長したなぁ〜っ!!」
銃王様が、感極まって、また俺を抱きしめていた。さっきより強い。明らかに、さっきより強い。
「し……死ぬ゛ぅッ……!!」
俺は、震える手で、どうにか銃王様の肩に触れた。
「……『Spatial transition』……!!」
銃王様の姿が、光に包まれて消えた。学園長室へ転移させることに、成功した。
腕から解放された俺は、そのまま石畳の上に突っ伏した。それから、ごろりと寝返りを打って、仰向けになる。青い空が、やけに眩しかった。
「はぁ……はぁ……はぁ……。あっぶねぇ……。あとちょっとで、本当に三途の川を渡るところだった……」
そんな、消耗しきった俺を、上から呑気に覗き込んでくる顔があった。
今回の主犯の、馬鹿野郎だった。
「やぁやぁ、元気〜? って訊きたいけど、見てる限り、かなりギリギリな様子だね」
シュベルトは、顎に手を当てて、くすくすと笑った。
「そんなに、クレハの抱擁って苦しいのかい? 見てる分には、かなり良さそうだったけどなぁ」
俺は、顔を強張らせて、ぶっきらぼうに言い放った。
「……よぉ、今回の戦犯。前にあのクレハおば……お姉さんに、俺の居場所を教えたとき、俺がどうなったか覚えてるよなぁ?」
「ひどいなぁ、戦犯って。僕だって、大変だったんだよ?」
シュベルトは、肩をすくめた。
「何とか、はっす〜の居場所は漏らさないようにしてたんだけどさ。『話さなきゃぶち殺す』なんて、機関銃突きつけて言うからさ。自分の命を優先しただけなんだけどなぁ。いやぁ、あのときは、本当に身の危険を感じたよ」
……まぁ、それは、仕方ないか。
俺はため息をひとつついて、このことは水に流すことにした。今朝のテレビでの機転にも、借りがある。でもまぁ、あとでシュベルトには、超高級ステーキを奢ってもらうとしよう。それで手打ちだ。
俺はそう自分にけりをつけて、勢いよく起き上がった。ついでに、怪我がないか確かめるために、軽く肩を回す。痛くない。肋骨も、たぶん、全部ついている。
「……あ、そうだ。いいこと思いついた」
「ん?」
「クレハおば……お姉さん、銃王だろ。銃の速さは、魔術の詠唱より速い。順位戦の上級生には、銃使いも何人かいる」
シュベルトが、にやりと笑った。
「なるほど。フィアットちゃんの特訓に、クレハも組み込むってわけだ」
「どうせ、しばらく王都に居座るつもりだろうしな。俺が頼めば、断らないだろ。……抱擁一回と引き換えに」
「命がけだね」
「命がけだよ」
シュベルトは、俺のにぱっとした笑顔を見て、静かに微笑んだ。
「ははっ。じゃあ、その前に、ちゃんと学園長室に寄らないとね。クレハ、今ごろエトワールを締め上げてると思うよ」
「だな」
俺は、空を見上げた。
二週間後には、順位戦。剣聖、賢者、旧幻術帝、そして銃王。この国の頂点に立つ連中が、寄ってたかって、ひとりの一年生を鍛え上げる。
――あいつ、たぶん、とんでもないことになるな。
「さて」
俺は、首を鳴らした。
「フィアットの特訓、一日目の始まりだな」
俺たちは肩を並べて、校舎のほうへ戻っていった。




