16 続・授業サボりの団欒会
「――ト様。……ハスト様!」
肩を揺すられて、我に返った。
目の前に、フィアットの顔があった。屋上の昼下がりの光。風に揺れるサイドテール。入学したての、杖を握りしめて立ち尽くしていた横顔ではなく、今のフィアットの顔だった。
「あっ……おう。どうした……?」
「もう、びっくりさせないでくださいね、ハスト様。急に黙り込んで、遠くを見て……どうかしたんですか?」
フィアットは、少し不安そうな顔をしていた。さっき俺が「全然痛くなかった」と口を滑らせたあとだ。自分のことで俺を悩ませている、と誤解しているらしい。
「あぁ、いや、違うんだ。ちょっと前のことを思い出してただけで。別に、フィアットが悪いわけじゃない。……むしろ、俺のほうがまずいことしたなぁって、考えてただけだ」
なだめるようにそう言うと、横からレイラさんが、おずおずと口を挟んできた。
「あ、あのあの……それって、もしかして……入学順位戦で、フィアットちゃんのファイヤーライガンを、ものすごく強化した、あのときのことですか……?」
――しまった。
この人、あのとき治癒師役で、俺を学園長室まで運んだんだった。
レイラさんの一言に、エトワールがぱっと顔を輝かせた。
「あぁ〜、あったねぇ、そんなの!! はっす〜が無詠唱で二十階梯を高速で重ねがけして、しかも相手の杖の先にまで仕込んでたやつ!! 学園長室の硝子板で見てて、『凄すぎる』って話したやつ!!」
「ちょ、エトワール――」
止める間もなかった。
ベンチで紅茶を飲んでいたシュベルトが、このあまりに阿呆なワードの羅列に、目を見開いた。
「それ、たぶん僕が遠征でこの国にいなかったときのやつだよね!? この前エトワールに、映像の記録で見せてもらった!! あのときのフィアットちゃん、撃った瞬間、自分でもかなり驚いてたよね〜」
それから、何でもないことのように、付け加えた。
「はっす〜の、大掛かりすぎる敗北作戦に、利用されちゃってたことにね」
――空気が、止まった。
俺は、フィアットを見られなかった。
やっぱり、そうだった。エトワールの奴、あのときの映像を記録して、しかもシュベルトにまで見せてやがった。俺は「何してくれてんだ」という目でエトワールを睨みつけた。エトワールは、両手の人差し指をつんつんと合わせて、明後日の方向を向いて口笛を吹き始めた。
ほら見ろ。陛下まで、興味津々に目を光らせてるじゃないか。あれは、俺でもやりすぎたと思ってるんだからさ……。
「おや、陛下もご興味がおありで? じゃあ、見せちゃいましょうか!!」
やめろぉぉぉぉぉぉぉ!!
俺が声を出そうと息を吸ったときには、もう遅かった。エトワールが懐から取り出した小さな記録用の水晶が、屋上の空中に、あの日の競技場を映し出していた。
◇
映像は、残酷なほど鮮明だった。
白砂のコート。木剣を握りしめて、おどおどと立つ俺。杖を構えて、まっすぐ俺を見ているフィアット。
開始の合図。
映像の中の俺が、口元だけ、ほんのわずかに動かす。その瞬間、エトワールが記録用水晶に何かの操作をすると、映像に重ねて、肉眼では見えなかったはずの魔力の流れが、薄い碧の線で浮かび上がった。
俺の身体の内側に、一枚。俺の体表に、一枚。
そして、フィアットの杖の先に、一枚。
「……」
隣で、フィアットが息を呑む音が聞こえた。
映像は続く。ウィンドカッターに空振りする俺。木剣がすっぽ抜ける俺。自分の足につまずいて顔から転ぶ俺。大振りの上段を、ひらりとかわされる俺。観客の爆笑。
そして、フィアットの長い詠唱。
杖の先で、赤と黄色の光が渦を巻く。その渦に、碧の線が、するりと絡みつく。繋ぎ目の隙間を塞ぎ、偏りを整え、膨れ上がらせていく。
金色の奔流。爆音。宙を舞う俺。壁に激突する俺。
そして、担架の上で、親指を震わせながら立ててみせる俺。
その親指の先に、ほんのかすかに、碧の残光が見えた。
映像が、止まった。
◇
誰も、何も言わなかった。
シュベルトは、たぶん、軽い笑い話のつもりで言ったのだと思う。エトワールも、陛下も、たぶん、そうだった。
でも、俺は、フィアットの顔を見られなかった。
あの日、夕暮れの教室で、杖を見つめていた横顔。「私の魔術じゃなかったみたいだった」「制御もできない力で、人を傷つけたなら、怖い」。そう言って、震えていた声。
あの怖さを、俺は、本当のことを言わずに、そのままにしてきた。
「……あ」
フィアットの口から、小さな声が漏れた。
それから。
「…………ヤメテ…………」
「フィアット?」
「……ゴメンナサイ……ユルシテ……ミナイデ……」
顔を、真っ赤にしていた。耳の先まで、首筋まで、真っ赤だった。両手で顔を覆って、壊れた魔導ラジオのように、同じ言葉をぶつぶつと繰り返している。
……あれ?
思っていた反応と、違った。
「わ、私……あんな、得意げに……『次で終わりにします』とか言って……それで、自分の力だと思って……ずっと、ずっと、自分の力が怖いって、悩んで……っ」
指の隙間から、涙目がのぞいた。
「全部、ハスト様の、仕込み、だったなんて……っ!! は、恥ずかしい……!! 穴があったら、入りたいです……!!」
フィアットは、その場にしゃがみ込んで、膝に顔を埋めてしまった。
さすがにこの状況に、陛下が慌てて駆け寄って、フィアットの頭をよしよしと撫で始めた。エトワールも、自分がやってしまったことにようやく気づいたらしく、慌てて弁明を始める。
「い、いやいや、フィアットさん!! 君の当時の混合魔術も、一年生としては本当にすごかったんだよ!? 火と雷の二属性混合を、入学一週間で撃てる生徒なんて、ここ十年で君くらいで……!! だから、気にすることはないって……!!」
まったく。ため息しか出ない。
俺は、しゃがみ込んだフィアットの前に、膝をついた。
「……フィアット」
膝に埋めた顔が、少しだけ動いた。
「悪かった。ずっと、言えなくて」
俺は、頭を下げた。
「あの日、お前が教室で、自分の力が怖いって言ったとき。本当のことを言えば、楽にしてやれたのに。正体がバレるのが嫌で、黙ってた。……怖がらせたままに、してた」
フィアットは、しばらく黙っていた。
それから、膝に顔を埋めたまま、くぐもった声で言った。
「……あのとき、『怖がれるなら、たぶん大丈夫』って、言ってくれましたよね」
「……あぁ」
「あれ、私、ずっと覚えてたんです」
フィアットが、ゆっくりと顔を上げた。目元は赤く、まだ少し涙が残っていた。でも、もう泣いてはいなかった。
「あの日から、私、毎日、ファイヤーライガンの練習をしたんです。あの威力を、怖がらずに、ちゃんと制御できるようになろうって。……でも、いつまでたっても、あのときの威力が出なくて。私には、まだ、あの力を引き出す何かが足りないんだって、ずっと思ってて」
フィアットは、小さく、笑った。
「……そもそも、なかったんですね。あの力」
「……ごめん」
「謝らないでください」
フィアットは、首を横に振った。
「怖がらなくて、よかったんだってわかって、少し、ほっとしたんです。私は、人を傷つける力なんて、持ってなかった。……それに」
フィアットの目が、まっすぐに俺を見た。
「あの日、本当は、あなたに怪我をさせていなかった。それが、一番、ほっとしました」
胸の奥が、変な音を立てた気がした。
「……でも、恥ずかしいのは、恥ずかしいです」
「それは、本当にごめん」
「あと、エトワールさんは、許しません」
「ええっ!?」
エトワールが、悲鳴を上げた。
◇
「ま、まぁ、それよりさ!!」
場の雰囲気を立て直すように、シュベルトが手を叩いた。
「フィアットちゃんが、今回の順位戦で勝つために、どうするか考えようよ。今回は前回の入学順位戦と違って、上級生も全員参戦してくるわけだし。ね、レイラちゃん?」
突然話を振られたレイラさんは、少し動揺してたじろいだ。でも、シュベルトがやろうとしていることを察したらしく、こくこくと頷いて会話を引き取った。
「そ、そうですね……! えと、次の順位戦まで、二週間ほどあるわけですし。それまで、何もしないというわけにはいきませんよね。……エトワールさん、フィアットちゃんを優勝させるための訓練日程、明日くらいまでに立てられますか……?」
本来なら、ここでエトワールが答えるところだった。でも、その前に、フィアットの頭を撫でていた陛下が、すっと手を挙げた。
「あ〜、エトワール君。その訓練、私も日程に組み込んでくれて構わないよ」
陛下は、フィアットを見下ろして、にっこりと笑った。
「娘の件のとき、彼女の幻術を見てね。札の骨組みがあったとはいえ、あれだけ細かく形を決められるのは、伸びしろがある証拠だ。旧幻術帝として、少しばかり手ほどきをしてみたくなった。……まぁ、彼女がいいと言うならだけどね」
フィアットの目が、さっきまでの涙目から、一瞬で、きらきらと輝く目に変わった。国王陛下直々の、幻術の手ほどき。この国の幻術使いなら、誰もが夢見る話だ。
エトワールは、その顔を見て、苦笑した。
「まぁ、フィアットさんも、あれだけ目を輝かせてますし。大丈夫だと思うので、組み込んでおきますね」
それから、エトワールの視線が、すっと俺に移った。
「……で、はっす〜。さっきから我関せずって顔してるけど、キミも、もちろんやるんだからね……?」
ぎくっ。
みんながいい感じに話を進めてくれているから、俺はこの場から静かにフェードアウトしようとしていたのに。
エトワールの視線が、ぐさぐさと突き刺さる。逃げられないと悟った。
でも、ひとつ疑問が湧いた。
「わ、わかってるよ。……あれ? でも、剣技の対策はシュベルト、魔術関連はレイラさん、幻術関連はアークさん。……俺、教えることなくね……?」
エトワールは、俺のその発言を聞くと、口角を吊り上げた。墓荒らしの顔だ。
「……ふっ。はっす〜は、それぞれ単体で対策するだけで、順位戦に勝てると思っているのかい?」
エトワールは、指を一本立てた。
「剣だけ強い相手なら、シュベルトの訓練で十分。魔術だけ強い相手なら、レイラの訓練で十分。でも、順位戦の上位には、剣も魔術も体術も、全部そこそこできる上級生がごろごろいる。そういう相手に勝つには、全部を、ひとつの戦い方として繋げる力が要る」
エトワールは、立てた指で、俺を指した。
「そう。はっす〜には、僕たちにはない『総合力』があるだろう? キミには、フィアットさんの、全部をまとめた総仕上げをしてもらう」
「あ〜……そういうことな」
俺は、頭を掻いた。
「わかったよ。俺は、最後のシメってわけだな。理解、理解」
言いながら、ちらりとフィアットを見た。
フィアットは、まだ少し赤い目のまま、俺を見て、小さく頷いた。
――今度は、本物の力で。
そう言われた気がした。
「そんじゃ、皆さん、そういうことなので」
エトワールが、ぱん、と手を叩いた。
「本日の団欒会は、ここまでかな? 解散!!」
◇
俺は、フィアットと教室に戻るタイミングをずらすため、早々に屋上を後にした。
階段を降りながら、ふと、自分の右手の親指を見た。
あの日、担架の上で立てた親指。震えるふりをして、嘘で塗り固めた親指。
今度、あいつに親指を立てるときは。
嘘じゃない親指にしよう。
そんなことを考えながら、俺は、午後の授業が始まる教室へと向かった。……三分で寝る予定だけど。




