15 治癒師さん(笑)
車輪付きの担架は、がたごとと揺れながら、競技場を出た。
角を曲がり、渡り廊下を抜け、本校舎の階段を、治癒師さんが魔術で担架ごと浮かせて上っていく。……おかしいな。保健室は一階のはずなんだけど。
行き先は、もちろん、保健室ではなかった。
「やぁ〜、お疲れ、はっす〜。それと――レイラちゃん」
扉が開くなり、学園長室の主が、ひらひらと手を振ってきた。
「その外傷、かなりエグいね。それ、本当に幻術……? いやぁ、これは僕でも、実際に言われなきゃわからないねぇ〜」
そう、ここは学園長室だった。
そして、担架を押していた白衣の治癒師さんが、ふぅ、と息をついて、目深に被っていた白い帽子を取った。その下から、長い髪がこぼれ落ちる。
今代の賢者、レイラ・イザベラ。
エトワールに頼まれて、俺の試合の「治癒師役」として、待機していたらしい。俺が大怪我を装って運び出されるところまで、エトワールの筋書きどおりだったわけだ。
……いや、聞いてないんだけど。
レイラさんは、担架の上の俺を、こわごわと覗き込んだ。
「あの……エトワールさんの、ちょっと変わった生徒さん……ですよね。大丈夫、なんですか……? 本当に……?」
どうやら、俺の正体までは聞かされていないらしい。エトワールは、こういうところだけは口が堅い。
俺は、このままだとさすがに自分でも気持ち悪いので、幻術を解除した。
額から流れていた血、制服の焼け焦げ、腕の火傷。それらが一斉に、碧い魔力の粒子になって、ふわりと宙に溶けて消えていく。下から現れたのは、傷ひとつない、いつもの俺の顔と制服だった。
レイラさんの目が、まん丸になった。それから、身を乗り出して、物珍しそうに俺の腕をまじまじと眺め始めた。
「あ、あの……今の、血とか傷跡とか、全部、その魔力で構築してたんですか……?」
「あぁ、一応な」
俺は担架の上で上半身を起こして、首をこきりと鳴らした。
「焼け跡とか痣とかは、形が決まってて動かないから、構築するのは簡単なんだ。面倒なのは流血のほうでさ。血って、流れるだろ? あれを本物っぽく見せるのに、血に見せかけた魔力そのものに、重力魔術をナノ単位でかけて、一滴ずつ垂らしてるんだ。重さと粘りけを、本物の血と同じにしないと、すぐバレるからな」
それから、何でもないことのように付け加えた。
「レイラさんくらいなら、余裕でできるんじゃないのか?」
レイラさんが、フリーズした。
そのまま、ゆっくりとその場にしゃがみ込んで、両手で頭を抱えてしまった。
……あれ? なんか、まずいこと言った?
どうしたものかよくわからなかったので、エトワールに目で助けを求めてみた。エトワールは、腰に手を当てて、大きなため息をついた。
「あのねぇ、はっす〜。君が余裕でできるそのナノ単位の制御は、本来、人間ができる範囲を軽く超えてるんだよ。レイラなら、魔力そのものに重力魔術をかけることはできても、それを一滴ずつ制御する、なんて芸当までは、たぶんできない。わかってくれたかな?」
Oh……。
そうか。魔術制御の、こういう細かい練習は、いくら賢者でもやらないのか。森の家では、ロリババアに「茶を一滴もこぼさずに注げぬ者に魔術を語る資格はない」とか言われて、魔力でティーポットを傾ける練習を毎朝やらされていたから、普通だと思っていた。
これは、ちょっと申し訳ないことを言ってしまったな。
「なんか、ごめんな、レイラさん」
俺は担架から降りて、しゃがみ込んでいるレイラさんの肩をぽんと叩いた。
「いや、もう、何だったら魔術じゃなくても、血糊とかで代用できるから。俺的には、それで大丈夫だと思うぞ。こんな、最下位専用の魔術なんて、使い道ないんだし」
手を貸して立たせると、レイラさんの顔に、少しだけ元気が戻ったような気がした。「血糊……」と小さく繰り返して、何かメモを取っている。真面目な人だ。
「まぁ、でも、僕から見ても、あの制御はすごいと思うよ」
エトワールが、机の上の魔道具を指で叩いた。四角い硝子板に、競技場の様子が映っている。学園中の訓練場を見渡せる、監視用の映像の魔道具だ。
「ここからずっと見てたけどさ。はっす〜、開始の合図と同時に、無詠唱で二十階梯の魔術を連発してたじゃん。しかも、そのうちのひとつは、相手の杖の先に置いてた。周りの生徒は、誰ひとり気づいてない感じだったけどね」
「それが、この学園のレベルってことだよ」
俺は、ため息と同時に肩を落としてみせた。
「普通の魔術師なら、気づくと思うんだけどな……」
エトワールは、くすくすと笑った。レイラさんは、どう反応していいかわからない様子で、終始あたふたしていた。
それから、エトワールは、ふと笑うのをやめて、硝子板の映像を指さした。
「……ひとりだけ、気づきかけてた子がいたけどね」
映像の中、コートの真ん中で、サイドテールの女子生徒が、杖を握ったまま、ぽつんと立ち尽くしていた。
◇
時間は進み、夕方。
学園長室を出た俺は、保健室には向かわず、教室へ戻ることにした。理由は簡単。鞄が手元にないからだ。教科書はアイテムボックスにしまえるけど、鞄ごと消えていたら、さすがに怪しまれる。
ふぁ〜あ。眠い。
大怪我をして保健室に運ばれたはずの生徒が、ぴんぴんして鞄を取りに戻ってきたら、それはそれで怪しまれるかもしれない。でも、もう放課後だ。教室には誰も残っていないだろう。
そう思って、教室の扉を開けた。
――誰か、いた。
夕日の差し込む教室の、真ん中の席。サイドテールの後ろ姿が、机に向かって座っていた。
机の上には、白木に銀の装飾を巻いた、あの短杖が置いてある。彼女は、それをじっと見つめていた。指先で、杖の先を、そっとなぞっている。
扉の音に、彼女が振り返った。
「……ハスト君!?」
フィアットが、椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「け、怪我は!? あんなに血が出て、焼けて……医務室に運ばれたって……!!」
しまった。そこまで考えてなかった。
「あ、あぁ……いや、その……治癒師さんが、すごく優秀な人で……。もう、全部、治してもらって……」
嘘は言っていない。治癒師さんは、本当に、国でいちばん優秀な魔術師だった。
フィアットは、俺の顔と腕をまじまじと見て、本当に傷がないことを確かめると、へなへなと椅子に座り込んだ。
「……よかった……」
小さな声だった。
それから、彼女は、机の上の杖に視線を落とした。
「……ごめんなさい。私、あんな威力になるなんて、本当に思っていなかったの。いつもの、ファイヤーライガンを撃ったつもりだったのに……。撃った瞬間、何か、杖の先で、全然違うものに変わった気がして……」
心臓が、どきりとした。
フィアットは、杖の先を、指先でなぞり続けていた。
「私の魔術じゃ、なかったみたいだった。……変なこと言ってるわね、私」
「……」
「でも、もしあれが、私の本当の力なら。私は、制御もできない力で、人を傷つけたことになる。……それが、怖いの」
俺は、何も言えなかった。
本当のことを言えば、楽になるのかもしれない。あれは俺が勝手に強化しただけで、お前の本当の実力は、もっとずっと控えめで、だから怖がることは何もないんだ、と。
でも、それを言えば、なぜ最下位の陰キャにそんなことができるのか、という話になる。
「……あの」
俺は、教室の後ろの自分の席から鞄を取って、それから、少しだけ迷って、言った。
「怖がれるなら、たぶん、大丈夫だと思う」
「……え?」
「怖いってことは、ちゃんと使い方を考えてるってことだろ。考えてる奴は、たぶん、そのうち、ちゃんと使えるようになる。……知らないけど」
最後の「知らないけど」は、陰キャの照れ隠しだった。
フィアットは、ぽかんとした顔で、俺を見ていた。
それから、少しだけ、ほんの少しだけ、口元を緩めた。
「……変な人ね、あなた」
「よく言われる」
言われたことはない。話しかけられたことがないから。
俺は鞄を肩にかけて、そそくさと教室を出た。背中に、フィアットの視線を感じた気がしたが、振り返らなかった。
◇
廊下に出て、ふぁ〜あ、と大きく欠伸をした。
目を開くと、目の前に、知らない女性が立っていた。
俺は身の危険を察して、反射的に上半身を仰け反らせた。
「……ふむ。いい反応だな」
女性は、感心したように頷いた。
念のため、無詠唱で身体強化をかける。それから、自分を、クラスでの性格――おどおどした陰キャ――に取り繕った。
「……ぇ……えと、どなたでしょう……?」
あたふたしながら尋ねると、女性は、何がおかしいのか、くすくすと笑い出した。
いや、もう、こいつ完全に不審者じゃん。初対面の相手に向かって、いきなり笑い出すとか、確定でヤバい奴じゃん。
俺が訝しげに見ていると、女性は手のひらをこちらに向けて、首を振った。
「ふふっ。いや、これは違うんだ、ごめんね。ただ、君を見ていると、面白くてね」
短く切り揃えた髪に、引き締まった身体つき。上級生の徽章の隣に、生徒会の紋章。
「ああ、言い忘れていたね。私は、アイシャ・リズベット。この学園の、生徒会代表だ」
生徒会……?
あの、わたくし、何かしたでございますか? ……待ってくれ。俺、本当に何もやってないと思うんだが!? 普段、クラスメイトどころか上級生とも会話すらないような人間の前に、なんで生徒会長がいるんだ?
「……ぇ……あ、あの、生徒会長様が、俺に何か……? 比較的、模範となるような行動しかしてないと思うんですけど……」
嘘だ。ゴリゴリに、本来立ち入り禁止の屋上に、毎日入り浸っている。
「誤解しないでくれ。私は別に、君を注意しに来たわけじゃないよ」
生徒会長は、一歩、こちらに近づいてきた。
「ただ、興味があって来たんだ。競技場の隅で、視察がてら試合を見ていたら、君が、あの爆撃を受けているところを見てね」
さらに、一歩。
「……あれを食らって、君は、どう感じたかい……?」
生徒会長の頬が、ほんのりと上気していた。
「キモチ、よかったかい?」
そう言い切ると、生徒会長は、身をよじらせながら、熱っぽい吐息をこぼした。
俺は、すべてを悟った。
この人種とは、関わってはいけない。
このままでは、俺の身が――いや、もっと大事な何かが、危うい。
自然と、自分の口角が、嫌な方向へと引きつっていった。
「……いや、あのぉ……お、俺、そういうのは、ちょっと、ないんで……」
一歩、下がる。
「サヨナラッ!!」
言い切ると同時に、俺は百八十度回転して、全力で走り出した。
「あっ、こら、待ちたまえーっ!! 私は君にも、この良さというものを、ぜひ――!!」
「ぎぃやぁぁぁあぁぁぁぁぁっぁぁぁぁあッ!!」
後ろから、追いかけてくる。速い。とんでもなく速い。身体強化をかけている俺に、普通に追いすがってくる。なんだこの人。生徒会長って、こんなに足が速くないとなれないのか。
あのときは、恐怖のあまり、目に涙が滲んでいたと思う。
廊下を走り、階段を飛び降り、中庭を突っ切り、図書館の書架の間を縫い、体育倉庫に隠れ、見つかり、また走った。
数時間後。
俺は、どうにかして例の生徒会長を撒くことに成功し、校門の外に転がり出た。
鞄は、しっかりと肩にかかっていた。よくやったよ、俺。
「はぁ……。今日は、本当にツイてないな……。三年分くらいの体力を持っていかれた……」
陽が完全に落ちきった、暗い夜道。
入学順位戦で、学年最下位が確定した。治癒師が賢者だった。学級委員を泣かせた。生徒会長に、変な方向で目をつけられた。
ひとり、深いため息をつく。しょうがない。今日は本当に、運が悪すぎた。今ここで泣きたいくらいに。
――でも、まぁ。
『怖がれるなら、たぶん、大丈夫だと思う』
夕暮れの教室で、杖を見つめていた、あの横顔。
「……変な人ね、か」
誰もいない夜道で、ぽつりと呟いて、俺は少しだけ笑った。
こうして、俺の、入学順位戦初日が、幕を閉じた。




