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14 悪魔襲来

俺の目の前には、あのサイドテールの悪魔が立っていた。


当時の俺は、クラスの人間とまともに口をきいたことがなかった。だから、たどたどしく俯きながら、それっぽい言い訳をひねり出した。


「え、いや、その……ちょっと、お花を摘みにでも行こうかなって……」

「……嘘ですね」


即答だった。


「あなた、ただ単に授業をサボろうとしているだけでしょう。入学してから一週間、あなたがまともに出席した授業、私、全部数えてますからね。三コマです。三コマ」


数えてたのかよ。怖っ。


「……なので」


悪魔の口角が、にやりと吊り上がった。


俺は、久しぶりに身の危険を感じた。念のため、とっさに足を半歩引いて、簡易な構えを取る。ロリババアに十年叩き込まれた癖だ。殺気を感じると、勝手に身体が動く。


「ここで、ハスト君!! あなたと、入学順位戦を行いますっ!!」


悪魔が発したのは、その一言だけだった。


「むふふん!!」と、かなりのドヤ顔でいらっしゃる。


俺の簡易な構えは、即座に崩れ去った。


いつものように、襟首を掴まれて教室に引きずり戻されるのだと思っていた。そうではなかった。


当時の俺は、すっごい阿呆面で、


「……ぇ……?」


とか漏らしていたと思う。おいお前(俺)、何鼻水垂らして顔のパーツを行方不明にしてんだよ。


悪魔のほうは、俺のしょうもない母音を聞いても、ドヤ顔のまま勝ち誇ったように叫んだ。


「いい? 今日ほど、あなたを更生させるのにちょうどいい日はありませんからねっ!! 入学順位戦なら、正々堂々、決闘制度で約束を取り付けられます。私が勝ったら、あなたは明日から、毎日ちゃんと授業に出ること!!」


悪魔は、すぐそばの空いているコートを、びしっと指さした。


「さぁ、そこのコートで試合を行いますよ!!」


やべぇよ。


周り、見てるじゃねぇか!!


学級委員で、入学試験次席で、名門セルジーネ家のお嬢様。そんな有名人が、クラスの問題児に決闘を申し込んだのだ。近くのコートで試合をしていた連中まで、手を止めてこっちを見ている。これ、前にエトワールが言ってた「公開処刑」ってやつなのでは!?


考えれば考えるほど、俺の顔から生気が抜けていった。


俺が想像していた入学順位戦は、もっとこう、人目のない隅っこで、適当な相手に適当に負けて、さっさと最下位を確定させるものだった。それが、今やコートの周りには、どんどん人だかりができ始めている。


ぁぁああああっぁっぁあぁああ!!


もういいや。こうなったら、思いっきり負けてやる。


お花畑状態の脳内は、もう限界を迎えて、吹っ切れ始めていた。仕方がない。俺は深呼吸をひとつ挟んで、覚悟を決めた。


そして、ただ一言。


「……ウス……」


とだけ小さく呟いて、おぼつかない足取りでコートへ向かった。


◇


コートへ向かう途中、俺の頭は、驚くほど冷えていた。


負ける。それは決定事項だ。問題は、どう負けるか、だ。


あっさり負けすぎれば、「あいつ、わざと負けたんじゃないか」と勘のいい奴に思われる。逆に、粘りすぎれば、「最下位のくせに意外と動ける」と思われる。どっちも駄目だ。


理想は、こうだ。最下位らしく、無様に、必死に、それなりに抵抗して、最後に、誰の目にも明らかな形で、派手に吹っ飛ばされる。観客全員が「まぁ、そりゃそうだよな」と納得して、明日にはこの試合のことなど忘れているような負け方。


そのための仕込みは、いくつか要る。


『覇王』に失敗はない。


俺は、心の中でそう呟いて、無詠唱で、ひとつ目の魔術を自分にかけた。


◇


コートに入ると、周りはもう、ちょっとした見世物小屋みたいになっていた。


白砂の上に引かれた試合用の結界の線。その外側を、ぐるりと生徒たちが取り囲んでいる。学級委員と、ただの陰キャボッチの試合が、そんなに珍しいのか。……まぁ、珍しいか。


俺は、コートの脇の武器棚から、適当に訓練用の木剣を一本取った。持ち手の革がすり切れた、ささくれだらけのやつだ。


対する悪魔のほうは、一本の杖を手にしていた。白木に銀の装飾を巻いた、魔術師用の短杖。腰の剣は、今日は抜かないつもりらしい。


悪魔は、こちらを見るなり、少し心配そうに眉を寄せた。


「あら……。あなたの武器、私の魔術とは相性が悪いみたいだけど、それでいいの……? 剣で魔術師に勝つには、相当な距離を詰めないと――」


律儀に、確認を取ってくれているらしい。こいつ、根は本当にいい奴なんだよな。


でも、俺は、端から勝つ気なんてない。


「……あの、俺、これくらいしかできないので……」


弱々しく答えると、周りからどっと笑いが湧き起こった。


「剣もまともに振れないくせに」

「実技、全部赤点らしいぜ」


嘲笑だ。予想どおり。


それでも悪魔は、周りの声なんか気にしていない様子で、ただまっすぐ俺を見ていた。それから、こくりと頷いた。


「……そう。じゃあ、始めますよ。審判さん、よろしくお願いします」


審判役の上級生は、少し戸惑った顔をしていたが、はっとしたように手を挙げた。


「こ、これより、フィアット・セルジーネ対ハストの試合を行う!!」


一拍。


「――始めッ!!」


合図と同時に、俺は心の中で、三つの式を同時に組んだ。


――防御魔術、マジックシールド。


――幻術、Bloody expression。


――強化魔術、Magic enhancement。


二十階梯級を二つ、十七階梯級を一つ。三秒足らずの間に、頭の中だけで多重展開して、それぞれを所定の位置に置いた。


ひとつ目は、自分の皮膚の一枚内側に。見えない、薄い、でも硬い盾。


ふたつ目は、自分の身体の表面に。何かが当たった場所に、本物そっくりの傷と血と焼け跡を浮かび上がらせる幻。


そして、みっつ目は。


悪魔の、杖の先に。


よし。仕込みは完了だ。あとは、あの悪魔が魔術を撃ち込んでくれるのを待つだけ。


俺は、バレない程度に、ほんの少しだけ口角を上げた。


◇


悪魔――フィアットは、すぐには大技を撃ってこなかった。


「――ウィンドカッター!」


短い詠唱。杖の先から、風の刃が三枚、扇状に飛んでくる。


速い。詠唱を短縮している。入学したての一年生で、中位の風魔術をここまで短く撃てる奴は、そうはいない。


さて。ここからは、演技の時間だ。


俺は、木剣を振り上げて、風の刃を「斬ろうとした」。


タイミングを、わざとひと呼吸遅らせる。木剣は空を切り、風の刃の一枚目が俺の左肩をかすめた。


マジックシールドが、刃を皮膚の手前で受け止める。同時に、Bloody expressionが、制服の肩口に、すっぱりと裂けた傷を描き出した。じわりと、赤い色が滲む。


「うわっ……!」


俺は大げさによろめいた。二枚目と三枚目は、よろめいた勢いで「たまたま」避けた形にする。


観客から、「おぉ」と小さな声が上がった。いや、今のは避けたんじゃなくて転びかけただけだぞ、という空気だ。完璧だ。


フィアットは、表情を変えずに、次の魔術を組み始めた。


「――アクアバレット!」


水の弾丸が、五発。今度は、まっすぐ俺の胴体を狙ってくる。


俺は、木剣を盾のように構えて、正面から受け止めようとした。もちろん、受け止められるはずがない、という演技だ。一発目が木剣の腹に当たって、俺の手から木剣が弾き飛ばされる。


剣を振れば、手からすっぽ抜ける。実技の授業で、俺がいつも見せている光景そのままだ。


二発目、三発目が、腹と胸に当たる。シールドが衝撃を吸い、幻術が、制服を濡らして、その下から赤い痣が浮かぶ様子を描く。俺は、「ぐっ」と呻いて、片膝をついた。


笑い声が、大きくなった。


「ほら、やっぱり」

「剣、すっぽ抜けてやんの」


俺は、這うようにして、白砂の上を転がっていった木剣を拾いに行った。その途中で、自分の足に自分の足を引っかけて、顔から砂に突っ込む。


笑い声が、爆笑に変わった。


……うん。我ながら、いい転びっぷりだ。ロリババアに見られたら、間違いなく三日三晩の組み手コースだけど。


砂まみれの顔を上げて、木剣を握り直す。それから、よろよろと立ち上がって、フィアットに向かって、一歩、二歩、と踏み込んだ。


「う、うおおおっ……!」


気合いの声を上げて、木剣を振りかぶる。教本どおりの、最も読みやすい、大振りの上段。


フィアットは、杖を軽く横に振っただけだった。


「――ウィンドステップ」


小さな風が足元に生まれて、フィアットの身体が、ふわりと半歩横に滑る。俺の木剣は、彼女がさっきまで立っていた白砂を、ばすん、と叩いた。勢い余って、俺はまたつんのめる。


観客席は、もう大盛り上がりだった。


……さて。


ここまでで、だいたい観客には「最下位らしい最下位」を見せられたと思う。必死に抵抗して、全部空振りして、何度も転んで、それでも立ち上がる。哀れで、滑稽で、少しだけ健気な、学年最下位の姿。


でも、ここで終わらせるわけにはいかない。小技で削られて、じわじわ負けるだけでは、印象に残らない。いや、印象に残らないのはいいんだけど、勘のいい奴が見れば、「あいつ、さっきから一発も致命傷をもらってないな」と気づくかもしれない。


決定打が要る。誰の目にも明らかな、文句のつけようのない、圧倒的な一撃が。


そして、俺がそれを待っていることを、フィアットはもちろん知らない。


俺は、肩で息をしながら、フィアットを見た。


フィアットは、俺を見ていた。笑っていなかった。周りの観客みたいに、嘲るような顔はしていなかった。


眉を、少しだけ寄せていた。


「……あなた」


フィアットが、小さく呟いた。


「どうして、そんなに転んでばかりなのに、目だけは一度も、私から逸らさないの」


――え。


心臓が、どきりと跳ねた。


まずい。こいつ、勘がいい。


「……そ、そりゃ、怖いからですよ……」


俺は、とっさに目を泳がせてみせた。フィアットは、少しの間じっと俺を見つめていたが、やがて、何かを振り払うように首を振った。


「……そう。なら、次で終わりにします」


フィアットが、杖を両手で握り直した。


そして、目を閉じた。


長い詠唱が、始まった。


「――天を裂く雷よ、地を焦がす火よ。我が杖に集い、交わり、ひとつの牙となれ――」


杖の先に、赤い光と、黄色い光が、それぞれ渦を巻きながら集まっていく。火と、雷。二つの属性を、ひとつの術式に織り込む混合魔術だ。


悪くない。いや、一年生としては、かなりいい。でも、詠唱が長い。ひとつひとつの式の繋ぎ目で、魔力がわずかに漏れている。二つの属性の比率が、ほんの少しだけ火に偏っている。本来の威力の、六割くらいしか出ないだろう。


入学したての一年生なら、それで十分すぎるくらいだ。俺がこれを素直に食らったところで、制服が焦げて、ちょっと吹っ飛ぶ程度。


でも、それじゃ足りない。


だから、さっき仕込んでおいたのだ。


フィアットの杖の先に置いた、三つ目の式。Magic enhancement。


他人の魔術の、繋ぎ目の漏れを塞ぎ、属性の偏りを整え、本来の威力を、本来以上に引き出す強化魔術。


「――雷火を受けよッ!! 混合魔術、ファイヤーライガンっ!!」


フィアットが、目を見開いて、杖を振り下ろした。


その瞬間、俺の仕込んだ式が、彼女の術式と噛み合った。


杖の先の光が、膨れ上がった。


赤と黄色が、ひとつに溶け合って、白に近い金色の奔流になる。それは、二、三階梯程度の混合魔術とは、もう誰が見ても思えないものだった。雷鳴が競技場の空気を引き裂き、熱波が白砂を巻き上げ、周りの観客たちの髪と制服を一斉にはためかせた。


撃った本人が、一番驚いていた。


「え……っ!?」


フィアットの目が、まん丸に見開かれていた。


金色の奔流が、まっすぐに、俺に向かってくる。


俺は、その光が身体に触れる直前、念のため、自分に身体強化の魔術を重ねがけした。シールドと、身体強化。二重の守り。これで、まず怪我はしない。


同時に、Bloody expressionの出力を、最大まで上げる。


それから――ついでに、もうひとつ。


……一応、派手に飛ばされといたほうがいいかな?


――重力魔術、gravity movement。


自分の身体にかかる重さの向きを、光が当たった方向へ、ぐいっと傾ける。


金色の奔流が、俺を呑み込んだ。


轟音。閃光。爆風。


白砂が、柱のように巻き上がった。結界の線が軋んで、ばちばちと火花を散らす。観客の悲鳴が、爆音にかき消される。


その中を、俺の身体は、宙を舞っていた。


重力魔術に引っ張られて、きれいな放物線を描きながら、コートの端から端まで、二十歩分。結界の線を突き抜けて、そのまま競技場の外壁に、背中から叩きつけられる。


どごっ、という鈍い音。


壁にひびが入るくらいの勢いだったが、シールドと身体強化のおかげで、俺の背中は、せいぜい布団に倒れ込んだくらいの感触だった。


ずるずると、壁伝いに滑り落ちる。白砂の上に、仰向けに転がった。


爆風と、爆音と、砂塵と、極光が、ゆっくりと収まっていく。


競技場が、しんと静まり返っていた。


さっきまで笑っていた観客たちが、誰ひとり声を出していなかった。


俺は、横たわったまま、こっそり自分の身体を確かめた。


傷は、ない。痛みも、ない。ただ、Bloody expressionが描き出した、額から流れ落ちる赤い血と、制服の焼け焦げと、腕の火傷の跡だけが、生々しく浮かび上がっている。触ってみても、もちろん痛くない。


……大成功だ!!


◇


「だ、大丈夫ですか……!?」


足音が、ばたばたと駆け寄ってきた。


俺が薄目を開けると、白衣を着た治癒師の女性と、それから、このでかい魔術を撃った張本人であるサイドテールの悪魔が、わなわなと震えながら俺を覗き込んでいた。


フィアットの顔は、真っ青だった。


「ハスト君……っ、ごめんなさい……!! 私、あんな威力になるなんて、思わなくて……っ、私のせいで、こんなことに……!!」


フィアットの目から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちていた。杖を握った手が、がたがたと震えている。


……おいおい、泣くなって。


これは、仕組んだ俺が百パーセント悪いんだから。お前は何も悪くない。お前はただ、一生懸命、自分の全力の魔術を撃っただけだ。それを、俺が勝手に、何倍にも膨らませただけで。


でも、それを言うわけにはいかなかった。


「……ぁ……だい、じょう……ぶ……」


俺は、わざと手を震わせながら、親指を立ててみせた。今の俺にできることなんて、これくらいしかない。


フィアットは、その親指を見て、余計に泣いた。


「で、では……!! 治癒師の私が、彼を医務室まで運びますので……!! 生徒の皆さんは、各自の試合にご尽力ください……!!」


治癒師さんが、震える声でそう告げた。俺は、車輪付きの担架の上に乗せられて、競技場から運び出されていった。


がたごとと揺れる担架の上で、俺は、空を見上げた。


入学順位戦、初戦。学級委員フィアット・セルジーネの圧勝。学年最下位ハスト、文句なしの大敗。


ミッション、コンプリート……!!


……のはず、だった。


担架が競技場の出口をくぐる直前、俺は、ちらりと振り返った。


コートの真ん中で、フィアットが、まだ杖を握りしめたまま、立ち尽くしていた。周りの生徒たちが、口々に「すごい」「今の、何階梯だ?」と騒ぎ立てている。誰かが、肩を叩いて祝福している。


なのに、フィアットは、ちっとも嬉しそうじゃなかった。


自分の杖の先を、じっと見つめていた。まるで、そこに、自分のものではない何かが残っているのを、確かめるみたいに。


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