13 授業サボりの団欒会
屋上に転移で戻ってきて、最初に聞こえたのは、笑い声だった。
「っくく……ぷははははは!! あれで護衛って、やっぱり人選ミスでしょ!!」
シュベルトが、腹を抱えて床を転げ回っていた。
「いくら何でも、真正面から突撃はねぇ……! えっと、確かあの子、あのレベルで学年二位だっけ……? うーん、僕がいた頃は、もっと強い人いたと思うんだけどなぁ」
「まぁ……ここの実力は、年々低下傾向にあるらしいので……仕方がないですね……ぷくく」
フィアットも、口元を押さえて肩を震わせている。張り詰めていたものが一気に緩んだのだろう。目の端に、涙まで浮かんでいた。
三人分の黒いローブが、屋上の風にはためいている。
俺は、少しだけ遅れて、二人のそばに腰を下ろした。口の端を上げて、笑っているふりをした。袖口に、まだ、つままれた感触が残っている気がした。
フィアットが、ふと笑うのをやめて、こちらを見た。
「……ハスト様?」
「ん。何でもない」
フィアットは、少しだけ首を傾げた。それから、何も言わずに、俺の隣にすとんと座り直した。肩が触れるか触れないかの距離。
何も聞いてこなかった。ただ、隣にいた。
それで、少しだけ、楽になった。
「……っくく。にしても、あの『今のは私の残像だ』待ちは、我ながら傑作だったな」
「そこですか!?」
気づけば、俺も笑っていた。
数分ほど、三人でけたけたと笑い合っていると、屋上の奥から、ぱちぱちと手を叩く音が近づいてきた。
「やぁやぁ、お疲れ様……ってレベルじゃないね、その様子だと」
エトワールだった。さぞかしご機嫌そうな顔で、眼鏡の奥の目を細めている。その後ろに、陛下とレイラさん。
「いやぁ、レイラに頼んで、遠見の魔術で戦況を全部見せてもらってたけどさ。途中で、はっす〜が護衛に手を貸して起こしてあげたところ。あそこ、最高に面白かったよ。……陛下は、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして、両手で覆ってらっしゃったけどね」
「ばっ……馬鹿者!! それは言わない約束だろう……!?」
悪党そのものの顔で笑うエトワールの後ろで、陛下がジャージの袖で顔を隠して、もぞもぞしていた。自分で選んで配置した近衛が、剣を一振りで折られて、顔から床に突っ込んだのだ。気持ちはわかる。
俺は陛下に何と声をかければいいのかわからず、「あはは……」と笑って返しておいた。
そんな中、陛下の後ろからひょこっと顔を出したレイラさんが、まっすぐフィアットのそばへ駆け寄った。そして、フィアットの両手を、ぎゅっと握った。
「幻術……っ、あの、上手くできてましたよ……!! あの短時間で、札の骨組みから、あんなに細かく形を決めて……っ、すごいです……!!」
賢者から、直々に「すごい」と言われたのだ。
フィアットの表情が、ぱぁっと明るくなった。握られた手を、熱く握り返す。
「……っ!! あ、ありがとうございます!! これも、レイラさんが札を組んでくださったおかげですっ!!」
「い、いやいや、そんな……私、まだちゃんと教えられてもないし……。むしろ、フィアットちゃんの目と頑張りのおかげだと思う……!!」
お互いに笑って、お互いを褒め合っている。昨日の夜に知り合ったばかりのはずなのに、もうずいぶん仲がいいらしい。年の離れた姉妹みたいだ。
俺は、そんなところに割って入ろうとするほどの人間ではない。二人のほうへ一歩踏み出しかけた足を、そっと引っ込めた。
とりあえず、ローブを脱いでアイテムボックスに放り込む。それから、ぐーっと大きく背伸びをした。昼下がりの太陽が、ちょうどいい温度で背中を温めてくれる。
そこへ。
雰囲気をぶち壊す一言が、舞い込んできた。
「あぁ、そうそう、はっす〜。こんなときに言うのもアレだけどさ」
エトワールが、どこからか取り出したティーカップを片手に、何でもないことのように言った。
「そろそろ、順位戦が始まるよ」
俺の表情が、自然と死んでいった。
「入学順位戦みたいになっちゃうと思うけど、今回も最下位キープする予定? なんなら、今からもう書類作っちゃうけど」
……あぁ、そうか。もう、そんな時期か。
王立学園の順位戦。年に一度、全学年の生徒が入り乱れて、学園の序列を決める公式戦だ。入学したての一年生だけで行う入学順位戦とは違って、上級生も全員参加する。勝てば序列が上がり、上がれば卒業後の進路も縁談も選び放題。この学園の生徒にとっては、一年で一番大事な行事だ。
入学順位戦のときは、散々な目に遭ったからなぁ……。
正直なところを言うと、覇権なしでも、たぶんこの学園のレベルならトップを取れると思う。体術と剣術と魔術だけで十分だ。でも、入学順位戦で最下位だった奴が、いきなり一位を取ったらどうなるか。考えるまでもない。
ま、順位なんて、ただの数字だ。
「おう、よろしく頼むよ。今回も堂々と最下位を取る」
俺は、ちらりとフィアットのほうを見た。レイラさんと手を取り合ったまま、まだ嬉しそうに笑っている。
「それで、フィアットを無理やりにでも優勝させたいんだ」
「えっ」
フィアットが、こっちを振り返った。
「今日の幻術、見てただろ。あいつ、伸びる。今回の順位戦で、それを周りに見せつけてやりたい。……まぁ、最悪、フィアットがやられそうになっても」
俺は右手を軽く掲げた。手のひらに、碧い炎がちろりと灯る。
「これで、どうにかするから大丈夫だろうけど」
口の端を、黒く吊り上げてみせた。
エトワールが、少し引き気味に答えた。
「あ、あぁ……そうだね。フィアットさんは、じゃあ優勝確定ってことで……。えーと、じゃあ、フィアットさんの試合のときだけ、競技場の結界強度を最大にしておくよ……。一瞬で競技場が灰になるのは、さすがに御免だからね」
「まぁ、結界だけじゃ足りなくなると思うから、レイラさんに保護魔術か何かで手伝ってもらうといいかもな。今回くらいは、俺も手加減するし」
俺は、軽く笑った。
「だいたい、街一個分を壊すくらいでさ。賢者サマなんだから、いけるでしょ?」
ははは〜、と普通に笑った。
――後ろの話し声が、ぴたりと止んだ。
いつの間にか簡易ベンチに戻って紅茶を飲んでいたシュベルトと陛下の手も、止まっていた。
どうしたのかと、周りを見渡す。全員の視線が、俺に向いていた。
え? 何?
そんな中、陛下が、ぼそっと呟いた。
「……今回の順位戦は……宮廷結界士、総動員だな……。何とかして、爆心地をこの学園の敷地内だけに抑えなくては……我が国が崩壊する……」
陛下は、無言でレイラさんのほうを向いた。焦点の合わない、虚ろな目で。せっかくのイケメン顔が、一瞬でサイコパスへと変貌していた。
「ぇ……わ、私……今回、生贄役ですか……? 私、確かに魔術はできますけど、さすがに他の生徒まで守りきれるほど、余裕なくなると思いますぅ!!……」
レイラさんが、半泣きになっていた。
シュベルトからは、さっきからずっと、「お前、本当にやる気か……!?」という視線が突き刺さっている。
まぁ、さすがにまずいと思ったので、言い直した。
「いや、さっきのは軽い冗談だと思ってくれ。な? 実際にやるとしたら、レイラさんがさっきフィアットにかけてた、身体強化とか、そこら辺だよ」
俺は、肩をすくめた。
「身体強化なら、いつも実技の授業とか試験で使ってるしさ。痛いのやだーって理由で」
そう、軽いノリで言っただけだった。
なのに。
周りの空気が、さっきとは別の意味で、すうっと沈んだ。全員が、なぜか悲しそうな顔をしている。
その中でも、一番苦しそうな顔をしたのは、フィアットだった。
「ハスト様……」
フィアットは、レイラさんの手を離して、俺の前に来た。それから、深く頭を下げた。
「……私が配慮しなかったせいで。前まで、私の攻撃は、さぞかし痛かったでしょう……? 申し訳ありませんでした……」
「え? いやいや、別にそんな気にしなくても大丈夫だって!!」
俺は慌てて手を振った。
「正直なところ、ここの生徒の攻撃で痛かった奴なんて、あんまりいないから。ただ単に、チクチクした感じが嫌だから使ってるだけ。フィアットのも、全然痛くなかったし」
「……全然」
「あ」
言ってから、しまったと思った。フィアットの肩が、ぴくりと跳ねた。
慰めたつもりが、追い打ちだった。
……そういえば、確かにそんなことがあったな。
フィアットの攻撃を、身体強化で受けた日のこと。あれは確か、入学してから一週間ほど経ったころだった。
◇
あれは、俺がエトワールに、入学順位戦への参加を強制されたときのことだ。
「は? お、おいエトワール、それどういうことだよ……!? 俺は参加しなくていいって話だったんじゃないのか……?」
学園長室の、無駄に高そうな絨毯の上で、俺は詰め寄っていた。
エトワールは、机の向こうで紅茶をすすりながら、困ったように眉を下げた。
「いやぁ、それがねぇ〜。どこぞのお偉いさんが、『特定の生徒を贔屓することはよろしくない! 公平かつ公正、平等であるべきだ!!』って、うるさくてねぇ……。さすがに、はっす〜が『覇王』だなんて、言えないもんですからねぇ……」
「おい……。そのお偉いさんって、王都教育委員会か? 何してんだ……」
俺は、そこではたと気づいた。
「……というか、お前、委員長じゃね!? ってことはテメェ!!」
「わぁーっ、いっけね〜。決定書、もう中央委員会に送っちゃったぁ〜。『博識王』くん、やっちゃいましたぁ〜!!」
エトワールは、舌をぺろりと出して、こつんと自分の頭を叩いた。
その瞬間、「あぁああっぁぁあぁぁぁああああ!!!!!」という、もはや人間の声とは思えない絶叫が、学園長室中を飛び回った。俺の声だった。
本来なら参加しなくてよかったはずの入学順位戦に、この『博識王』のせいで、俺は参加させられることになったのだ。
マジでどうしよう……。
覇権は使えない。かといって、いきなりロリババアとやってる体術や剣術、魔術を使うわけにもいかない。日々の授業はほとんど寝てるかサボってるし、挙げ句の果てには、周りからは「かなりヤバい奴」というレッテルまで貼られている。おまけに、なぜか俺には世話係までついている。
サイドテールの悪魔だ。
学級委員として、問題児の俺を授業に引きずり出すのが、入学初日からのあいつの役目になっていた。
俺の思考は、どんどん暗い底へ沈んでいく。虚ろな目で、もう一度エトワールを見た。
エトワールは一瞬引いたように見えたが、苦笑いで話を進めた。
「ま、まぁまぁ。始まる前のこの件については、僕にも悪いところがあるし、全面的にサポートはするよ……!!」
それから、ぼそっと付け加えた。
「……まぁ、どうせ、はっす〜が最下位になっちゃうってのは、覆らないけど……」
「ほら、やっぱりそうなっちゃうじゃねぇかよぉ……!!」
俺は、頭を抱えた。
「……もういいや。この際だから、身体強化の訓練にでもする!! ひたすら殴られて、ひたすら耐える!! 技術が上がる代わりに、名誉を失うけどなぁ……!!」
このときの俺は、もう「どうにでもなれ〜」という気分で言っていたと思う。だって、表情が完全に終了してたもん。今にも死にそうだよ、当時の俺。
◇
そのあと、俺は気晴らしに、いつもの屋上へ逃げ込んだ。
時刻は、だいたい昼ごろ。クラスの連中は、今ごろ楽しく弁当やら学食やらを囲んでいるんだろうな。けっ。どうせ俺はボッチですよっ!!
そんなことを思いながら、俺はサンドイッチを頬張った。
「……うまい」
うん、我ながら、かなり上手くできている。やっぱり、青空を見ながら食べるサンドイッチは格別だ。
そうこうしているうちに、昼休みは終わった。さて、午後の授業も頑張ろうかな。えーと、確か国学だったから、図書室か。
俺は、アイテムボックスから国学のテキストとノートとペンケースを取り出して、屋上を後にした。
が。
辿り着いた図書室の扉には、一枚の張り紙がしてあった。
『本日の国学は、入学順位戦の時間とします。生徒は、競技場へ集まるように』
俺は、絶句した。
……今日、だったのかよ。
あ〜あ。俺の高校生活、もう終了か。これじゃあエトワールの言った通り、何もできない奴として扱われて、いじめられるコースまっしぐらじゃないか。本当に、身体強化の練習でもしようかな。
俺は、重いのか軽いのかよくわからない足取りで、競技場へと向かった。
◇
競技場に着くと、もうほとんどの生徒が集まっていた。
やけに人数が多いと思ったら、どうやら俺のクラスだけではなく、第一学年全員らしい。一学年、百人。白砂の上に、真新しい制服がずらりと並んでいる。
えぇ……これ、絶対に今日の午後だけじゃ終わらないよな……。
俺のため息と同時に、壇上の教師が、拡声の魔道具を手に話し始めた。
「あー、これより、我が校の序列を決める、入学順位戦を行う!!」
声が、競技場の壁に反響する。
「ただし、入学したての君たちに上級生と競い合ってもらうのは、さすがに不憫なので、今回は第一学年のみで行う!! よって、第一学年一位は、全体の序列では二百一位とする!!」
この学園は、一学年につき百人。三学年で三百人。一年生の一位でも、上級生全員の下、というわけだ。
それでも、本来なら上級生と混ぜてやるところを、俺たちの学年だけに収めてくれたのだ。エトワールなりの「全面的なサポート」なのだろう。ありがたいと思っておくか。
俺は、もう一度壇上に耳を傾けた。
「なお、本日中には、入学順位戦は終わらないはずだ。そこで、本日の授業後も、決闘制度を利用して、課外で順位をつけることを認める。戦闘可能な範囲は、この学園の敷地全域。期間は、本日から一週間!!」
教師が、高らかに手を振り上げた。
「――始めッ!!」
うわぁ……決闘制度まで使ってくるのか……。
決闘制度。生徒同士が、互いの同意のもとで勝負をし、負けたほうが勝ったほうの要求をひとつ呑む、という学園の古い規則だ。この前、俺はあれを利用されて、やりたくもない掃除当番を一か月分押しつけられた。本当に、迷惑な制度だ。
俺は内心で悪態をつきながら、なるべく人のいないところへ、そろそろと移動した。
……はずだった。
競技場の隅、観客席の陰になっている、人目につかない一角。そこに滑り込もうとした俺の目の前に、ひとつの影が立ちはだかった。
俺は、戦慄した。
「こら、ハスト君」
にっこりと笑う声。揺れるサイドテール。腰には、セルジーネ家の細身の長剣。
「まだ授業は終わっていませんよ? ……ひょっとして、またサボる気ですか?」
俺の目の前には、あのサイドテールの悪魔が、立っていた。




