12 作戦開始……? あれ、なんか思ってたのと違くね……?
「さて。じゃあ、改めて作戦を説明しようか」
エトワールが、屋上の床に丸めていた王都新聞を広げた。その裏の白い余白に、懐から取り出した万年筆で、さらさらと線を引いていく。描き上がったのは、本校舎二階の見取り図だった。教室、階段、渡り廊下、図書館への連絡通路。驚くほど正確だ。
「第一王女殿下は、毎日、昼食のあとに図書館へ行く。三年A組を出て、この二階の西廊下を抜けて、渡り廊下から図書館棟へ。所要時間は、ゆっくり歩いて四分」
「なんでそんなこと知ってんだよ」
「学園長だからね」
絶対それだけじゃない。
エトワールは、見取り図の上に小さな丸を四つ描き込んだ。
「陛下がつけた護衛は四人。うち二人は、生徒に紛れて殿下のすぐそばにいる。三年生の制服を着た女子生徒だ。残りの二人は、西廊下の両端。東の階段口と、渡り廊下の入口に、用務員の格好で立っている」
「ふむ、よく調べたな。その通りだ」
陛下が、感心したように頷いた。自分で配置した護衛を、他人の口から正確に言い当てられて、なぜか嬉しそうだ。
「狙うのは、この西廊下の真ん中。窓が多くて、教室の扉がない区画だ。ここなら、殿下と、そばにいる護衛二人だけを、他の生徒から切り離せる」
エトワールの万年筆が、廊下の中ほどに、ぐるりと大きな円を描いた。
「段取りはこう。まず陛下に、この区画に幻術をかけてもらう」
「うむ。任されよう」
陛下が、ジャージの袖をまくった。
「廊下の両端の護衛二人と、通りがかる他の生徒たちには、『いつもどおり、王女殿下が護衛と一緒に歩いているだけの廊下』を見せる。殿下と、そばの護衛二人にだけは、本物を見せる。……ひとりひとりに違う幻を見せるやつだ。久々に、旧幻術帝の本気を出してみるかな」
軽い。ものすごく軽いノリだ。でも、言っていることは、とんでもない。廊下を通る何十人もの人間に、それぞれ別の景色を、同時に、矛盾なく見せ続けるということだ。
「次に、レイラが転移で、僕たちを廊下の真ん中に直接送り込む。殿下の進行方向を塞ぐ位置に、はっす〜。背後を塞ぐ位置に、シュベルトとフィアットさん」
「は、はいっ……!」
レイラさんが、杖をぎゅっと握りしめた。
「送り込んだあとは、レイラはここ、屋上に残って遠距離から支援。転移の再起動の準備と、身体強化の維持をお願い」
「了解ですっ……!」
「護衛のうち一人は、シュベルトが完全に無力化する。もう一人は、フィアットさんに足止めしてもらう」
「わ、私が、ですか……?」
フィアットの声が裏返った。
エトワールは、眼鏡の奥でにこりと笑った。
「足止めでいい。倒さなくていい。君の役目は、相手の注意を、はっす〜から逸らすことだ。その間に、はっす〜が殿下と護衛二人の記憶を封印する。封印が終わったら、レイラの転移で全員撤収。廊下の幻術を解くのは、僕たちが消えてから三十秒後。以上」
エトワールは、万年筆の蓋を、ぱちんと閉じた。
「質問は?」
「……ひとついいか」
俺は手を挙げた。
「いつ襲撃するんだ? 今からでも一応いけるぞ。昼休み、あと十五分くらい残ってるけど」
「時間は気にしなくていいよ。僕の権限で、二人とも午後は公欠にしておくから」
エトワールは、少しだけ考える素振りを見せてから、にっこりと笑った。
「ん〜……そうだね〜。……よし、今行っちゃおうか!!」
その場のノリで決めたようにしか見えなかった。不安しかない。
でも、エトワールの言うことは、だいたい合っている。こいつが「今」と言うなら、たぶん今が一番いい。殿下が教室を出て、図書館に着くまでの四分間。それが今から、ちょうど五分後に始まる。
その証拠に、エトワールの口角は、いつもの、敵の墓まで荒らすときの、あの吊り上がり方をしていた。
◇
「フィアットちゃん、僕がひとり完全に潰すけど、もうひとり、いける?」
シュベルトが、腰の剣帯を締め直しながら訊いた。
フィアットは、あたふたと両手を振った。
「わ、私、シュベルトさんたちみたいに強くないので……。その、危なくなったときに、助けに入っていただければ……」
「大丈夫ですっ!!」
レイラさんが、ぐっと親指を立てた。表情は相変わらず硬いのに、目だけがやけに燃えている。
「私が、身体強化の魔術を、思いっきりかけますから……!! ゴーレムより硬く、魔王より強く……!!」
「レイラさん……!!」
それから、レイラさんはローブの懐から、一枚の細長い紙片を取り出した。びっしりと、細かい術式の文字が書き込まれている。
「それと、これを。昨日の夜、フィアットさんのために組んでおいたんです。幻術の術式札です」
「術式札……?」
「式の骨組みは、全部私が組んであります。フィアットさんは、ここに魔力を流して、最後の『形』を、自分の頭の中で決めるだけ。……本当は、二十階梯を超える幻術なので、何週間も練習してから使うものなんですけど」
レイラさんは、フィアットの手に札をそっと握らせた。
「旧幻術帝の幻を、自力で見破った目を持っている人なら。たぶん、形を決めるところまでは、できると思います」
フィアットは、手の中の札を見つめていた。紙なのに、ほんのりと温かい。
「……やってみます」
小さな声だったけど、震えてはいなかった。
まぁ、今代の賢者と剣聖がついているんだ。大丈夫だろう。俺はその光景を、少し離れたところから眺めていた。
「そうそう、はっす〜」
陛下が、俺の隣に立った。いつになく、真面目な声だった。
「記憶封印は、忘却術の連発になると思うが。もし、身に危険を感じたら、引いてくれたまえよ。覇権で強化するとはいえ、人の記憶の奥に手を突っ込む術だ。何が跳ね返ってくるかわからん。いざとなったら、私が娘に幻術をかける」
「……あぁ。ありがとう、アークさん」
陛下は、俺の肩をぽんと叩いた。それから、少しだけ声を落とした。
「……娘を、頼む」
国王としてではなく、父親としての言葉だった。
俺は、黙って頷いた。
「さて、と」
俺は、少しだけ声を張った。
「そろそろ、みんなで行くか!!」
全員が、俺の周りに集まってきた。シュベルト、フィアット。少し離れて、杖を構えたレイラさん。その後ろで、陛下とエトワールが並んで立っている。
レイラさんが、はっと我に返ったように、杖を掲げた。
「は、はいっ! じゃあ皆さん、頑張ってください!! 私と国王様とで遠距離から支援しますから、安心して戦ってきてください!!」
杖の先に、白い光が集まる。
「身体強化――『ブーステッド・オール』!!」
フィアットの身体が、淡い光に包まれた。フィアットが、小さく息を呑む。手足の先まで、力が満ちていくのがわかるのだろう。
「そして――『Spatial transition』!!」
景色が、暗転した。
◇
足の裏に、廊下の木の床の感触が戻ってきた。
本校舎二階、西廊下。左手に、昼の光が差し込む大きな窓が並んでいる。右手は、壁に沿って掲示板と、古い肖像画。教室の扉は、この区画にはひとつもない。エトワールの言ったとおりだ。
廊下の空気が、どこか、薄い膜を一枚かぶせたように、ゆらゆらと揺らいでいた。陛下の幻術だ。もう、かかっている。
俺はローブのフードを深く被り直した。背後で、シュベルトとフィアットも同じようにフードを被る気配がした。
そして、廊下の向こうから。
三人の女子生徒が、こちらへ歩いてくるのが見えた。
真ん中に、艶やかな髪を後ろでひとつに束ねた、第一王女様。腰には、今朝俺が打ち直した、宝石のない剣。その両脇に、三年生の制服を着た女子生徒が二人。ぱっと見はただの友人同士のようだが、歩き方が違う。足音がしない。重心が、常に王女様のほうへ傾いている。
護衛だ。
先に気づいたのは、王女様だった。
足が、止まった。俺の、フードを被ったローブ姿を見て。
肩が、小さく震えた。
「――下がってください、殿下!!」
両脇の護衛が、同時に前に出た。一人は腰の後ろから短剣を、一人は制服の下に隠していた細身の剣を抜く。
いい反応だ。でも、もう遅い。
俺とシュベルトは、ほとんど同時に、相棒の名を呼んだ。
「我が力は、聖なる方へ!! 『聖剣フェリクス』!!」
「『覇権ソルバート』……フォルムロッド……!!」
シュベルトの左手に、白く輝く一振りの聖剣が。俺の右手に、碧く燃え盛る、実体のない一本の杖が。それぞれ、握られた。
そして、背後で。
「――『幻術、サクリファイス・カウンターフィット』」
フィアットの声がした。
握りしめていた術式札が、白い光を放って燃え上がる。札に刻まれていた術式が、光の糸になってほどけ、廊下いっぱいに広がっていく。
その糸が、形を結んだ。
俺の姿が、ひとつ、ふたつ、みっつ。シュベルトの姿も、フィアット自身の姿も。廊下のあちこちに、ローブを被った人影が次々と生まれていく。十、二十。前にも、後ろにも、窓際にも、肖像画の前にも。
おぉ。これが、レイラさんの術式札か。いや、違うな。
札に刻まれていたのは、骨組みだけだ。どこに、何人、どんな姿で立たせるか。その「形」を決めたのは、フィアットだ。
幻の人影は、ただ突っ立っているわけじゃなかった。それぞれが、少しずつ違う方向を向き、違う構えを取り、違う間合いで、護衛二人を取り囲んでいる。本物がどれか、ひと目では絶対にわからないように。
「……やるじゃん」
思わず、口から漏れた。
背後で、フィアットが、小さく息を吐く音が聞こえた。
護衛の二人が、目に見えて動揺した。前後左右、どこを見てもローブの人影。どれが本物で、どれが偽物か、判別がつかない。剣先が、迷うように揺れる。
生徒に紛れていた護衛の一人――短剣を構えた背の高いほうが、一歩前に出た。
「何のつもりだ。こんなことをすれば、国家反逆罪になるぞ」
声は、落ち着いていた。さすがは近衛の腕利きだ。動揺を、声に出さない。
「これは忠告だ。それ以上、王女殿下に近づくな。さもなければ――」
「殺す、かい?」
シュベルトが、フードを被ったまま、穏やかに言った。
「まぁ、いいよ。僕だけなら、殺せるかもしれないね。でも、こっちの二人は化け物だからさ。ついでに言うと、僕たちの後ろで支援してる人たちも、全員化け物だね」
シュベルトは、聖剣の切っ先で、ゆらゆらと揺らぐ廊下の空気を指した。
「特に、この幻術。……気づいてる? 廊下の向こうを、さっきから生徒が何人も通ってるのに、誰ひとり、こっちを見てないってこと」
護衛の顔が、強張った。
窓の外の中庭を、何人もの生徒が笑いながら歩いている。廊下の端の階段口では、用務員の格好をした外側の護衛が、何事もないように箒を動かしている。誰も、こちらに気づいていない。
「ま、でも。僕たちは、人を殺すのは好きじゃなくてね」
シュベルトは、聖剣を少しだけ下ろした。
「ただ、第一王女殿下。あなたの記憶の一部を、封印させてもらえませんか?」
王女様の目が、はっと見開かれた。
震えが、大きくなる。でも、その目は逸らされなかった。俺の、フードの奥を、まっすぐに見ていた。
シュベルトは、それを見て、小さく頷いた。
「その反応……。見当は、ついているようですね。あなたのその記憶は、国家最重要機密を知ってしまった記憶です。そのまま持っていると、あなた自身が危ない。……あ〜あ、ですよ、まったく」
シュベルトは、両手を肩の高さに上げて、お手上げのポーズをしてみせた。
その仕草が、癪に障ったのかもしれない。
細身の剣を構えていた、もう一人の護衛――小柄なほうが、声を荒げた。
「貴様ァ!! 王女殿下に向かって……!!」
床を蹴った。幻の人影を突き抜けて、一直線に、シュベルトのほうへ。
あれ。なんか、やばくね?
――パキンッ!!
乾いた音が、廊下に響いた。
小柄な護衛の剣が、根元から、あっけなく折れていた。シュベルトは、聖剣を一度、軽く振っただけだった。護衛の手元に残ったのは、剣の鍔の部分だけ。折れた刃が、くるくると宙を舞って、窓枠にからんと当たって床に落ちた。
勢いのまま突っ込んだ護衛は、そのままシュベルトの横をすり抜けて、べしゃっと床に顔から倒れ込んだ。
……っぷ。
くくく。やべぇ。笑いが、漏れそう……!!
シュベルトは、少し呆れたように、倒れた護衛を指さした。それから、もう一人の、背の高いほうの護衛に声をかけた。
「えぇ……あのさぁ。第一王女周りの護衛って、ひょっとして阿呆しかいないの……? 普通さ、僕くらいの相手がいたら、雰囲気で『こいつやばい奴だ』とか思わない? まじかよ。これ、完全に人選ミスでしょ……」
背の高い護衛は、何も言い返せずに固まっていた。
そんなシュベルトに、背後からフィアットが、おずおずと口を開いた。
「あの……多分、あの方、この学園の中ではかなり強い人だと思うんですけど……。シュベルトさん、いつもハスト様とばっかり打ち合ってるから、感覚が麻痺してるのだと……。まぁ、私も今のを見て、さすがにどうかとは思いましたけど」
それから、こちらを見る。
「ハスト様も、そう思いますよね……?」
「あぁ、そうだな」
俺は頷いた。
「でも、今のはなぁ……。さすがに、『今のは私の残像だ』とか何とか言って、復活してほしいところだったんだけど……」
倒れた護衛は、ぴくりとも動かなかった。残像ではなかったらしい。
「……あっ。手、貸しましょうか……?」
俺は、普通に倒れ込んでいる護衛のそばにしゃがんで、手を差し伸べた。護衛は、顔を上げて、困惑した顔で俺の手を見つめた。それから、反射的に、その手を取った。
俺は、ぐいっと引っ張って起こしてやった。
「あ、ありがとうございます……?」
ごく普通の、女子生徒の反応が返ってきた。
俺は、そのまま流れで、彼女の背中をとんと押して、もう一人の護衛のほうへ送り返してやった。
背の高い護衛は、ぽかんとしていた。送り返された小柄な護衛も、ぽかんとしていた。王女様も、ぽかんとしていた。
……なんか、思ってたのと違う。
もっとこう、手に汗握る攻防とか、決死の足止めとか、そういうのを想定していた。フィアットなんて、レイラさんの身体強化を全身にまとって、術式札まで燃やして、決死の覚悟で臨んでいたのに。
振り返ると、フィアットが、ゴーレムより硬く魔王より強くなった身体を持て余して、所在なさげに剣の柄を握ったり離したりしていた。
「……あの、ハスト様。私、足止め、まだ何もしてないんですけど……」
「……うん。なんか、ごめん」
俺も、さすがに面倒くさくなってきた。
「相手がちょっと……アレで、弱すぎるから。俺、もう詰めちゃうね?」
そう呟くと同時に、俺は、覇気を最大まで放った。
廊下の空気が、ずしりと重くなった。窓硝子が、細かく震える。幻の人影たちの輪郭が、覇気に押されてゆらりと揺れた。
護衛の二人が、同時に膝をついた。呼吸が詰まって、喉を押さえている。剣も短剣も、床に落ちて転がった。
王女様だけが、まだ、立っていた。
膝が震えている。顔は真っ青だ。それでも、壁に手をついて、倒れまいと踏ん張っている。今朝、打ち直したばかりの剣の柄を、もう片方の手で握りしめて。
俺は、ゆっくりと、三人のほうへ歩いていった。
王女様の前で、足を止める。
フードの奥から、王女様を見下ろした。王女様は、震えながら、それでも、俺を見上げていた。
「……あなたの、剣を」
掠れた声で、王女様が言った。
「もう一度、見られて……よかった」
俺は、何も言わなかった。言えなかった。
碧い杖を、掲げる。
「――『忘却術、Forgotten axis』」
杖の先から、碧い光の陣が広がった。忘却術の陣。人の記憶に蓋をする術式。それが、王女様と、膝をついた護衛二人の頭上に、ひとつずつ展開される。
ここまでは、普通の忘却術だ。レイラさんの言っていたとおり、人間ならここが限界。二枚目を組む前に、一枚目の循環が途切れる。
だから、ここから先は、覇権の仕事だ。
「――ソルバート。最後のひと押しだ!!」
杖の碧が、一段、深くなった。
三人の頭上の陣が、増えた。
ひとつが二つに。二つが四つに。四つが八つに。碧い陣が、重なり合い、噛み合い、互いの循環を支え合いながら、恐ろしい速度で増殖していく。人間の目では追いきれない速さで、何十枚もの忘却術の陣が、三人を覆い被さるように、幾重にも積み重なっていった。
一枚目が蓋なら、二枚目はその蓋を押さえる重し。三枚目は重しを縛る鎖。四枚目は鎖を埋める土。そうやって、記憶を、二度と掘り返せない深さまで沈めていく。
これが、記憶封印。
陣の光の向こうで、王女様の瞳から、ゆっくりと焦点が抜けていった。
その直前。王女様の手が、ふらりと持ち上がって、俺のローブの袖を、ほんの一瞬だけ、つまんだ。
そして、力なく、ほどけた。
三人の身体が、ゆっくりと床に崩れていく。俺はとっさに王女様の肩を支えて、壁にもたれさせてやった。護衛の二人は、シュベルトとフィアットが支えた。
陣の光が、消えた。
「……終わった」
俺は、息を吐いた。
「撤収するぞ。封印が定着する前に、ここを離れる」
「りょ、了解です……!」
フィアットが、術式札の燃えかすをポケットにしまい、幻の人影たちを、ひとつずつ消していった。
シュベルトが、天井に向かって軽く手を振った。屋上のレイラさんへの合図だ。
足元に、転移の光が灯った。
その光に包まれる直前、俺は一度だけ振り返った。
壁にもたれて眠る王女様の手は、あの剣の柄を、まだ、しっかりと握ったままだった。
俺たちは、笑いを必死に堪えながら――いや、正確には、シュベルトとフィアットだけが笑いを堪えながら、屋上へと転移した。
俺は、笑えなかった。
なぜかはわからない。ただ、袖をつままれた感触が、少しだけ、残っていた。




