11 国王が参戦したってマジですか?
「本日は、剣聖様のお弟子様より、多大なる御技をご教授いただきました。ささ、お弟子様に、礼!!」
「「「ありがとうございました!!」」」
三年A組の上級生たちが、競技場の白砂の上で一斉に頭を下げた。
俺は、とりあえず形式的に首だけ曲げて礼を返した。まぁ、こういうのは、気分は悪くない。うん、もっと感謝してくれてもいいんだよ?
……いや、そんなことを言っている場合じゃない。
担任の男性教師が「またぜひ!」と手を振るのに頷き返しながら、俺はさりげなく指先で伝言の術式を組んだ。宛先は、王城の陛下の執務室。中身は一行だけ。『第一王女の記憶、消えてない』。
それから競技場を出て、角を曲がった瞬間に、屋上へ転移した。
◇
屋上に降り立つと、案の定だった。
剣聖(笑)と賢者が、どこから持ち込んだのか、簡易ベンチに並んで座って、優雅にお茶を楽しんでいた。湯気の立つティーカップ。皿の上には焼き菓子まである。
俺は、両手を密かに握りしめた。
キレそうなんだが。
俺が全身から放っている殺気に、先に気づいたのはレイラさんだった。ティーカップを持ったまま、ギギギ、と音が鳴りそうなぎこちない首の動きで、こちらを振り返る。顔が、みるみる青ざめていく。
どうしたの、という顔で、シュベルトもこっちを見た。
俺は、にっこりと笑った。そして、殺気に加えて、覇気を放った。限界寸前まで。
シュベルトの顔から、色が抜けていった。
レイラさんは耐えきれず、ティーカップを膝の上に置いたまま、その場で意識を手放した。
俺は、追い打ちをかけるように、笑顔のまま言ってのけた。
「で? 誰がこのツケ、払うんだ? ……アァ!?」
「ヒェッ!! ……ま、まぁまぁ、落ち着きたまえよ、『覇王』様。別に、何か問題が起きたわけでもなかろうに」
「問題が発生したから来てんだよっ!!」
俺は、ベンチの前まで詰め寄った。
「おいシュベルト。|第一王女の記憶、消えてねぇぞ《・・・・・・・・・・・・・》!!」
怒りのままにそう言い放つと、シュベルトが、完全に凍結した。
頭のてっぺんから一本だけぴょこんと跳ねているアホ毛まで、ぴたりと固まっている。シュベルトは、崩れかけた笑顔のまま、もう一度聞き直してきた。
「ンー……ヨクキコエナカッタナ〜……。はっす〜、今なんて?」
だから俺は、現実を突きつけるように、一語一語区切って言った。
「第一王女の、記憶が、消えてない。俺が『覇王』だってことが、バレてる」
シュベルトの顔から、ふざけた色が消えた。ようやく状況が飲み込めたらしい。真面目な剣聖の顔に戻る。
そのとき、ベンチの上で気絶していたレイラさんが、むくりと起き上がった。
「はぇ……私、何してたんだっけ……って、ぁあ!! 『覇王』様!! ごめんなさいごめんなさい、許してくださいぃ!!」
「レイラちゃん、はっす〜はもう怒ってないから、落ち着こうね」
いや、怒ってるけど。
シュベルトはレイラさんの背中をさすりながら、俺のほうを見た。
「はっす〜。とりあえず、陛下には伝えたかい……?」
「あぁ、一応な。さっき伝言を――」
そう言いかけた、そのときだった。
ボフンッ!!
突如として、俺たちの周りに、白い煙がもうもうと舞い上がった。
「げっほ、げほっ!! ぁ〜あ、次から次へと、一体何なんだい?」
「シュベルト、てめー、そりゃこっちのセリフだよ!!」
「ひぇぇぇ、こんな非常時に、二人ともケンカしないでくださいぃぃ!!」
煙の向こうから、一本の、よく通る声が響いた。
「やめんか。お前ら、本当に頂天者か……?」
煙が晴れていく。
そこに立っていたのは。
「……アークさん、なのか……?」
「いかにも。というか、はっす〜に関しては、昨日ぶりといったところだがな」
王族とは思えない、上下揃いのジャージ。足元は、王都で今いちばん流行っているという運動用の靴。仕事から抜け出すためだけに用意したと、以前本人が自慢していたやつだ。
先日、池に書類を投げ捨てていた、今代の国王陛下ご本人だった。
「伝言は受け取った。娘が、どうやら迷惑をかけているようだな。さすがに、これは私もまずいと思ってな」
陛下は、腕を組んで頷いた。いつものふざけた調子の中に、ほんの少しだけ、父親の顔が混じっていた。
そんな陛下を見て、シュベルトはため息をついた。
「ぁあ、その格好……また仕事から抜け出してきたんでしょう? はぁ〜、まったく。……いいぞ、もっとやれ」
責めるのではなく、むしろ大肯定していた。
それに便乗して、レイラさんまで身を乗り出す。
「ど、どうやったら、あんなに警備の固い王城から抜け出せるんですか? 怒られますよ? ……あの、私にも、仕事から逃げる方法を教えてください」
俺は、率直に、この国の行く先が心配になってきた。
そんな俺の心情など放置して、陛下はぐるりと屋上を見回した。
「ん? ここには確か、博識王もいたと思うのだが……」
レイラさんが、申し訳なさそうに、細々と答える。
「あ……あのあの、エトワールさんは、年中社畜というか……こういうことに関しては、その、無能なので……。たぶん、手伝ってくれないと思いますぅ……」
「まぁ、仕方ないよね。紅茶を飲むのに忙しそうだし」
シュベルトが追撃を放ったので、俺も乗っかった。
「そうそう。この前、俺あいつに説教されたばっかなんだけど、どうせ今ごろ学園長室で、昼の番組でも見てくつろいでるな」
俺たちの言いっぷりを聞いて、陛下はにっこりと笑って、言い放とうとした。
「よし。博識王、まじでゴミカ――」
「ちょおぉぉぉっと待ったァァァァ!!」
叫び声に、俺たちは一斉に振り返った。
屋上の扉のところで、ぜぇはぁと肩で息をしながら、かろうじて立っている男がいた。眼鏡がずり落ちかけている。手には、なぜか丸めた王都新聞を握りしめていた。
噂の張本人、エトワールだった。
まさかの展開に、言葉すら出なかった。
だって、普段「ん? 殲滅作戦? ああ、そこらへん思いっきり爆撃しとけば? 僕はここで今日の王都新聞読んでるから」とか言っている奴が、自分の足で階段を駆け上がって、現場に現れたのだ。そりゃあ、言葉も失う。驚かない奴がいたら、そいつは神だと言ってやろう。
俺は、一応確認のために、訊いてみることにした。
「お、おい……今日の分の王都新聞は、読まなくていいのか……? 一応言っとくけど、今日は紅茶の茶葉、持ってきてないぞ……?」
エトワールの額に、青筋が走った。
あっ、やべ。やっちった。
「あのさぁ!! 君たち、一体僕のことを何だと思ってるのかなぁ!?」
その問いに、俺以外の三人が、正直に答えた。
「ただのサボり魔だろう?」
「ん〜、生涯新聞読み? かな」
「聞いた話によると、紅茶しか飲んでいない奴、だな」
エトワールは、その場に崩れ落ちた。胸を押さえて身悶えしている。それから、口元を拭うような仕草をして、ゆらりと立ち上がった。
さっきまでの状況からは考えられないが、その口角は、上がっていた。
「グフッ……!! ま、まぁいいや。じゃあ今回は、僕が協力しようじゃないか」
エトワールは眼鏡を押し上げた。レンズの奥の目が、すっと冷える。博識王の目だ。
「さて。まずは、忘却術を使うか。それとも、記憶封印を使うか、だね」
記憶封印。
聞き慣れない言葉に、俺は首を傾げた。
◇
陛下は、旧幻術帝と呼ばれるほど幻術に特化した人だ。「なるほど」と言って、こくこくと頷いている。レイラさんも、少し時間はかかったものの、魔術系統の専門家だけあって理解しているようだった。
残念ながら、俺とシュベルトは、何もわからなかった。
「あっ、チョウチョさん」
「ほんとだ、きれいだね〜」
二人並んで、屋上の上を横切っていく白い蝶を、ぼんやりと見上げていた。
そんな駄目男二人を見て、エトワールは頭を抱え込んだ。それから、俺を含めた総勢二名の能天気組に向かって、言い放った。
「あのなぁ。わかりやすく言うと、記憶封印っていうのは、対象の記憶を、二度と引き出せないようにするレベルで忘れさせることを言うんだ」
エトワールは、指を一本立てた。
「この前はっす〜がやった忘却術は、あくまで一時的なものでしかない。記憶そのものを消しているわけじゃなくて、記憶に蓋をして、取り出せなくしているだけなんだ。だから、何かが鍵になって蓋が外れれば、記憶は戻る。そういうことは、よくあるんだよ」
「鍵……」
俺は、今朝の競技場を思い出した。俺が構えた瞬間に、剣を取り落とした第一王女。
「それに、話を聞く限り、第一王女は屋上の記憶とは別に、夜道で君が魔物を斬るところも見ていたんだろう? そっちは、そもそも消していない。その記憶が鍵になって、屋上の記憶の蓋まで緩んでいる可能性がある」
なるほど。俺は顎に手を当てた。それから、ひとつ疑問が湧いた。
「なぁ。それって、忘却術の重ね掛けじゃ駄目なのか? 蓋を二重、三重にすれば、鍵があっても開かないだろ」
エトワールは、少し考える素振りを見せた。それから、何か閃いたように、レイラさんのほうを向いた。
「あ〜、レイラ。忘却術って、多重展開は基本一回が限度だったよね……?」
「え、えっと……忘却術は、魔素の循環加速度が、通常の魔術よりずっと遅いので……。頑張って重ね掛けしようとしても、二枚目の陣を組み終わる前に、一枚目の循環が途切れてしまうんです。人間の処理速度じゃ、追いつかないです……」
なんか、よくわかんない単語がたくさん出てきた。俺には、大体の意味くらいしかわからない。
まぁ、とりあえず。
「つまり、人間じゃ、二つの陣を同時に制御できないってことだな? ……ってことは、もしかして」
俺は、いつの間にか右手に握っていた、碧く燃え盛る実体のない権に目を落とした。さっき殺気を放ったときに、無意識に出してしまっていたらしい。
シュベルトが、合点がいったように、にっこりと言った。
「とりあえず、はっす〜の覇権の力があれば、いくらでも重ねて展開できるかもしれないってことだね?」
エトワールが、ドヤ顔で眼鏡をすちゃりと押し上げた。
あぁ、こいつ、今すごく気分よさそうだなぁ……。
俺がエトワールを細い目で見ていると、陛下が、最大の難点を、笑顔でぶち込んできた。
「それはそうとして、まず、どうやって娘に接触するのだい?」
陛下は、困ったように頭を掻いた。
「先日、娘が屋上で倒れたと聞いてな。心配になって、護衛を付けてしまったのだよ。近衛の腕利きを四人。四六時中、張りついている。不用意に近づくのは難しいと思うのだが……」
場の空気が、氷点下まで凍りついた。
そうや。よく考えてみれば、まず第一王女に接触できなかったら、記憶封印だの忘却術だの言ってられねぇでございますわよ?
そこで、レイラさんが、おずおずと手を挙げた。
「あっ、あのあの……短期決戦みたいな感じになっちゃうんですけど……。私が、ハストさんを第一王女様のすぐそばに直接転移で送り込む、というのはどうでしょう……? あの、なんなら、シュベルトさんやフィアットさんも一緒に転移させて、護衛の方々を足止めしてもらうこともできるかと……」
一瞬、全員がぽかんとした。
それから、レイラさんの意見の意味がわかって、全員そろって声を上げた。
「やるやん!!」
「策士ィ!!」
「ひょっとして、エトワールより有能!?」
最後のあたりが聞こえた途端、隣から「あぁ!? 誰が無能や!! やんのかシュベルト」とか、「ひぇぇ、ここまで来てケンカしないでぇ……!!」とか聞こえてきたが、何も聞かなかったことにしよう。
ほら。陛下が、保育園の園児を見守る保育士みたいな、温かい目をし始めちゃってるじゃないか。
え、何? ここ、頂天者の集まりじゃなくて、最新の保育園だったっけ?
◇
それから数分。
園児……ゲフンゲフン、約二名の頂天者のケンカがようやく収まったころ、シュベルトが簡易ベンチから立ち上がった。
「おーけー。というわけで、僕はフィアットちゃんに、この作戦を伝えに……って、あれ? 今って、フィアットちゃん授業中だったりする?」
エトワールは、乱れた髪を手櫛で整えながら、口の端を上げた。
「えーと、うちの時間割からして、フィアットさんのクラスは、今ちょうど昼休みかな? ……ってことは、そろそろはっす〜を探しに、ここまで来るんじゃないかな?」
そう言い切った瞬間。
屋上の扉が、がちゃりと開いた。
おお。噂をすれば、本当に来るもんなんだな。俺がひとりで感心していると、扉の向こうから飛び出してきたサイドテールが、俺の姿を見つけるなり、一直線に走ってきた。
そして、そのまま、飛び込んできタッ!?
「ゴッハァッ!!」
みぞおちに、まともに入った。あまりの衝撃に、思わず手の中の権を手放してしまう。碧い炎が、ふっと宙に溶けて消えた。
胸元を見下ろすと、鮮やかな青い髪が、そこにあった。
「お、おい……どうした、フィアット……!?」
「……むぅ」
俺の制服の胸元を、両手でぎゅっと握りしめたまま、フィアットは顔を上げなかった。
「また、自分ひとりで抱え込んで……!! 保健室に飛ばされて、私、ずっと待ってたんですよ!? 教頭先生に連れていかれたって聞いて、それっきり戻ってこなくて……!!」
「いや、それは……」
「もう、『見守ってろ』は嫌です」
フィアットの声が、震えていた。
「あの夜、私、ひとりで立ってて、本当に怖かった。でも、ハスト様が来てくれて……それで、思ったんです。今度は、私も、ハスト様の隣で戦いたいって。困ったときは、パートナーの私を頼ってほしいって。……また、国王様に頼ったら、今度こそ怒られちゃいますよ?」
フィアットの肩越しに、陛下が腰に手を当てて、やれやれと空を見上げているのが見えた。
強気なことを言っているサイドテールの悪魔の瞳には、涙が滲んでいた。
俺は、申し訳ない気持ちになった。
「……すまん。でも、あのときは、ああでもしないと、フィアットの立場が危うくなると思ったんだ」
昨日の英雄の学級委員が、賢者と剣聖と一緒に屋上にいるところを教頭に見られたら、また別の噂になる。それは、間違いなかった。
でも。
「……まぁ、でも、ちょうど今から、頼るところだったんだが」
俺は、少しだけ視線を逸らしながら言った。
「協力、してくれるか?」
フィアットが、ようやく顔を上げた。
涙の跡が残る頬で、それでも、花が咲くように笑った。
「もちろんですよっ!! ハスト様のためなら、いくらでもっ!!」
それから、はっと我に返ったように、自分が俺の制服を両手で握りしめていることに気づいた。みるみるうちに、耳の先まで真っ赤になる。
フィアットは、ばっと手を離して、二歩、三歩と後ずさった。
「ち、違うんです!! 今のは、その、勢いで……!!」
「お、おう……」
何が違うのかは、よくわからなかった。
背後で、シュベルトとレイラさんが、なぜか顔を見合わせてにやにやしていた。陛下は、ますます温かい目になっていた。エトワールは、丸めた王都新聞で口元を隠して、肩を震わせていた。
……なんだ、この空気。




