10 覇王、早くもゲームオーバー寸前
それからというもの、俺は教頭先生に連れられて、とあるクラスの前まで来ていた。
扉の上の表札を見上げる。三年A組。
うわぁ。俺より年上の、しかも成績上位か金持ちか貴族ばっかりが集められたクラスじゃん……。
俺は、誰にも聞こえないくらいの音量で「うぇぇ」と息を漏らした。
「着きましたぞ。ここが本校最高学年、かつ将来性の高い、非常に優秀な生徒を集めたクラスでございます」
教頭先生は、誇らしげに胸を張った。
「午前の授業は『総合戦』という科目になっておりまして、生徒ひとりひとりが自分の選んだ種目で、対戦形式の訓練を行っております。剣術、槍術、体術、魔術、弓術、銃撃。それぞれの分野で、王都でも指折りの腕前の生徒がおりますぞ。それでは、ぜひご教授のほど、よろしくお願いいたします」
そう言い残すと、教頭先生は上機嫌で来た道を戻っていった。
廊下に、フードを被った俺がひとり取り残される。
……仕方ない。適当にやって、適当に帰ろう。
俺は覚悟を決めて、教室の扉を開けた。
◇
教室に入るなり、担任らしき壮年の男性教師が、満面の笑みで駆け寄ってきた。
「これはこれは、剣聖様のお弟子様!! 本日はお越しいただき、誠にありがとうございます。ぜひ、うちの生徒たちに、ビシバシとご指導のほどよろしくお願いいたします!!」
声が大きい。圧が強い。
俺は、なるべく声を出したくなかった。陰キャだから、というのもある。でもそれ以上に、声は顔以上に人を特定する。この学園の誰かに、どこかで聞いた声だと思われたら終わりだ。ローブの認識阻害は、姿はぼかしてくれても、声までは誤魔化してくれない。
だから、わかりやすく大きく頷いて、黒板のほうへ歩いていった。チョークを手に取り、書く。
『とりあえず、ここではできないので、競技場のほうへ移動してもらえませんか?』
書き終えて、生徒たちのほうを振り返る。
三十人ほどの上級生が、一瞬ぽかんとした顔をした。喋らない講師というのは、さすがに珍しいらしい。それでも、内容はすぐに理解してくれたようで、ぞろぞろと競技場へ向かい始めた。さすがは優秀なクラスだ。
最後の生徒が出ていったのを見届けてから、俺は担任の肩をぽんぽんと叩いた。それから、黒板に追加で書く。
『このクラスの中で、剣術、槍術、体術、魔術、弓術、銃撃、それぞれのトップは誰ですか?』
担任は「おお、さすがお弟子様、話が早い!」と嬉しそうに頷くと、教卓の引き出しから、各分野の首席の生徒資料をすぐに取り出して渡してくれた。俺はぺこりとお辞儀をして、教室を出た。
◇
競技場は、学園の敷地の東の端にある、屋根のない円形の運動場だった。地面には細かい白砂が敷き詰められ、いくつかの区画に分けられて、それぞれ結界の線が引かれている。
生徒たちを並ばせて、俺は備え付けのホワイトボードに、各分野の名前と、その首席の生徒の名前を順に書き出していった。
剣術、槍術、体術……。
……あれ?
剣術の首席の名前を書いたところで、ペンが止まった。
『レイアーヌ・フォン・フラハイト』
どこかで聞いたことのある名前だ。いや、どこかで、じゃない。
やっぱりコイツ、この前俺が記憶を持っていった奴じゃん!!
第一王女様。魔術の名手、と噂されている人。陛下いわく、実のところは剣術一筋。……なるほど、剣術の首席か。陛下の言っていたことは本当だったらしい。
俺は内心で冷や汗を流しながらも、平静を装って次へ次へと名前を書き出した。そして最後に、一言付け加える。
『順に、模擬戦をよろしくお願いします』
振り返ると、驚愕の顔をした上級生たちが大勢並んでいた。
まぁ、無理もないだろう。分野ごとの首席六人と、ひとりで、順番に模擬戦。しかも相手は、得物も持たずに突っ立っている、声も出さない謎のローブだ。
俺が使うのは、聖剣でも機械銃でもない。覇権なのだから。
俺は生徒たちを一度見渡してから、一番近くの区画に入った。担任は、興味津々という顔で身を乗り出している。
さて。息抜きがてら、いっちょやりますかね。
俺は身体の力を抜いて、その場で三回、軽く跳ねた。フードは被ったまま、首をこきりと鳴らす。
ひとりの女子生徒が、区画の中に入ってきた。
いや、第一王女様が。
艶やかな髪を後ろでひとつに束ね、動きやすい訓練着に身を包んでいる。腰には、柄に宝石をあしらった美しい長剣。彼女は俺の前で立ち止まると、丁寧にお辞儀をした。
俺も、首を少し動かす程度に、お辞儀を返した。
審判役の生徒が、高らかに宣言する。
「両者、剣を構えよ!!」
第一王女様が、腰の剣を華麗に抜き放った。白砂の上に、陽の光を反射した刃が、きらりと弧を描く。後ろで見ている生徒たちの中には、その姿にうっとりと見惚れている者も少なくないようだった。
俺は、フードを深く被ったまま、口の端を上げた。そして、誰にも聞こえないくらいの声で、一言。
「……『覇権ソルバート』……フォルムスライサー……!!」
右手に、実体のない、碧く燃え盛る権が現れた。
俺はそれを、どの流派にも属さない我流で、だらりと切っ先を下げて構えた。
カラン、カラン。
目の前で、乾いた音がした。
何事かと顔を上げると、第一王女様の手から、剣が滑り落ちていた。白砂の上に転がった剣を拾おうともせず、彼女はまるで悪魔でも見ているような顔で、俺を――いや、俺の構えを見つめていた。
やばっ。覇気、強くしすぎたか!?
俺は慌てて覇気を最小限まで抑え込んだ。声は出せないので、大丈夫か、というように片手を少しだけ前に出す。
「い、いえ……大丈夫です。少し、ぼーっとしてしまっただけですので」
第一王女様は、震える手で剣を拾い直し、構え直した。
「……始めましょう」
審判役が、ごくりと唾を飲んでから叫んだ。
「始めッ!!」
第一王女様が、まっすぐに突っ込んできた。
速い。学生としては、間違いなく一級品だ。踏み込みに迷いがない。重心も、剣筋も、教本どおりに美しい。
俺はそれを、半歩、横にずれるだけで躱した。
「!?」
第一王女様の目が、見開かれる。
……え、まさか、今の攻撃、躱されないとでも思ってたのか? マジかよ。それは努力が足りなすぎんぞ。いや、違うな。たぶん、今まで誰も躱さなかったのだ。王女様の剣を、本気で躱せる生徒も、本気で躱そうとする教師も、この学園にはいなかった。
俺は権を構えるのをやめて、空いた左手で、くいくいっと手招きをした。
来いよ、という合図だ。
第一王女様の頬に、さっと朱が差した。癪に障ったらしい。さっきよりもさらに速く、むきになって突っ込んでくる。
俺は、ソルバートを一閃した。
パキン、という音すら立たなかった。
第一王女様の剣が、刃の真ん中から、すっぱりと二つに分かれていた。切り離された剣先が、くるくると宙を舞って、白砂の上に突き刺さる。
斬った感触からして、刃はたぶんミスリル製だ。王族の剣だけあって、いい素材を使っている。ただ、柄の付け根の宝石の嵌め込みのせいで、刃と柄の接合が甘くなっていた。斬りやすかった、というのが正直な感想だ。
第一王女様は、自分の手に残った半分の剣と、俺の顔とを、何度も交互に見ていた。
……さすがに、そこまで鬼畜じゃない。
俺はフードを深く被り直し、白砂に突き刺さった剣先を拾い上げると、彼女の手元の剣と並べて、手のひらを向けた。小さく、呟く。
「……ソルバート。『修復』」
俺の手の前に、錬成術の陣が浮かび上がった。そこに覇権が注ぎ込まれ、陣全体が碧く染まっていく。分かたれた刃と刃が、粘土のように寄り添い、境目もなく繋がっていく。
そして、もうひとつ。
「……ソルバート、最後のひと押しだ」
陣の碧が、もう一段深くなった。柄の付け根に嵌まっていた宝石が、ぽろりと外れて俺の手のひらに落ちる。代わりに、刃と柄が一体の金属として打ち直され、握りには滑り止めの細かな溝が刻まれていった。
陣が消えたとき、そこには、元よりもずっと頑丈な一振りが残っていた。
俺は剣の柄を掴み、外れた宝石と一緒に、第一王女様に手渡した。
「あ……ありがとう、ございました……」
第一王女様は、生まれ変わった剣を、呆然と見下ろしていた。それから、はっとしたように顔を上げる。
「な、何か……アドバイスは、ございますでしょうか……?」
あぁ、そういうのもあったな。
俺はホワイトボードのところへ行って、ペンを走らせた。ただ、生徒たちに見えるとプライバシー的に問題がありそうだったので、ボードを裏返して、第一王女様にだけ見えるようにした。
『剣を構えるときは、切っ先と、自分が斬りたい位置とを、目でしっかり合わせるといいかもしれません。斬りかかるときは、斬れなかった場合に備えて、受け身や体勢の立て直しまで一連の動きとして考えておくと、隙が減ります。それと、剣を作ってもらうときは、柄の部分に宝石は使わないほうがいいです。実戦で折られる原因になります。……以上です』
それっぽいことを書いて、こんなもんかな、とペンを置いた。
振り返ると、第一王女様が、驚愕の目でボードを見つめていた。
俺は慌てて、ペンを取り直して書き足した。
『どうかしましたか?』
「……いえ」
第一王女様は、あわあわとした口調で答えた。
「私、これまで、人に剣を指摘された経験がなかったもので。……ふふっ。剣聖様のお弟子さんが、初めての人ですね!!」
そう言って、彼女は嬉しそうに笑った。王族の、作り物じゃない笑顔だった。
俺は、どう反応していいのかわからず、たじろぐことくらいしかできなかった。
そんな俺の様子を見て、第一王女様は小さく微笑んだ。そして、手に持った剣を、愛おしそうに鞘へ収めた。
「それでは、次の方をお呼びしますね」
くるりと踵を返す。ホワイトボードの表側、生徒たちが待っているほうへ歩き出しながら、ほんの少しだけ、肩越しに振り返った。
「御機嫌よう、覇王様」
……。
…………。
んん!?
今、あいつ、なんて言った!?
覇王って言ったよな? 確かに、はっきり、覇王って。
俺は、ひとりで混乱した。
記憶を、消しきれていなかったのか? いや、そんなはずはない。あのとき俺は、忘却術を覇権で強化して、屋上で俺の顔を見たところから先の記憶を、確実に消した。それは間違いない。
じゃあ、なぜ。
さっき、俺が構えた瞬間に、あの人は剣を取り落とした。覇気のせいだと思った。でも、違ったのかもしれない。あの人が見ていたのは、俺の覇気じゃなくて、俺の構えだった。
どこで、この構えを見た?
屋上の記憶は消した。じゃあ、それより前に、どこかで――
答えらしい答えは、浮かんでこなかった。
そのあと、槍術、体術、魔術、弓術、銃撃の首席とも順に模擬戦をしたけれど、頭の中はそのことでいっぱいで、まったく集中できなかった。全員に勝ちはしたものの、ホワイトボードに書いたアドバイスは、たぶん支離滅裂だったと思う。
授業が終わるや否や、俺は競技場の裏手に駆け込んだ。
これは、まずい。本当にまずい。
一刻も早く、アークさんと、そして俺を満面の笑みで裏切ったあのゴミ野郎――シュベルトに、伝えなければならない。




